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中国がすごい理由(わけ) [アジア主義]

『アジア主義』(中島岳志 潮出版社 2014)をじっくり読み終え、レビューを書きたいと思いつつそのままになっていたところで、「てげてげ」の以下の記事のインパクトに圧倒されて、「アジア主義」の云々カンヌンでなくなった。このところの飯山一郎氏の中国からの報告(1.2.など)を読むにつけ、勢いにおいて、中国は日本の比ではない。なんといってもこの子どもの顔を見よ。

*   *   *   *   *

2016/09/04(日)  中国の一人っ子,あなどるべからず!


幼児でも人づきあいが上手い!


大人の世界に遊びに来てものおじせず!

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     「一人っ子政策」は,単なる人口抑制策ではなかった. 


結果論だが…,「一人っ子政策」は,中国人に子供の大切さを徹底的に思い知らせた.


子供を生むことの大切さ,子供を育てることの大切さ,子供を躾けることの大切さを,中国人は徹底的に思い知らされた.


子供こそが国の宝であり,民族の宝であり,家の宝であり,親の宝であること.


国家社会と家族の未来を託せるのは子供だけであり,国家社会と民族と家族の未来をつくれるのは子供だけであること.


子供は,ただ可愛いだけの存在ではなく,かけがえのない,この上なく貴重な宝であることを,中国人は徹底的に学んだ.


「2+4=6」(2人の親と4人の祖父母の6人に徹底的に甘やかされた)とか,「小さな皇帝」とか,中国の一人っ子政策をカラかい,皮肉る言葉がある.


しかし,一人っ子ゆえに大切に育てられ躾けられた子供は,「小さな皇帝」というよりも,帝王学を学んだ選良(エリート)といった貫禄がある.


げんに青州市のワシの愛弟子(まなでし)は,24才と27才の青年であるが,若くして礼儀と素養を充分にわきまえた大器である.申し分ない.


ワシの秘密工場の社宅に住む10才と4才の女の子が,ワシの現場に,物怖じせず,堂々と遊びに来るが,人を見る目,人なつっこさ,人づきあいの上手さは,「小皇后」に相応しい.


ワシが安全な人者だと判断したとたん,「爺,爺(イェイェ)!」と,人なつっこくワシになついてくる.


中国の一人っ子,あなどるべからず!
である.

飯山一郎70


*   *   *   *   *


子どもができてもゼロ歳のうちから保育施設に預けて働きに出なければならない日本の現実。それはそれとして、保育施設の使命の重大さに思いが至った。

○   ○   ○   ○   ○


 


【追記 28,10,11


飯山一郎氏の続報です。おおいに共感しますし、いろいろ考えさせられもします。あらためて記事にしますがここにメモっておきます。http://grnba.com/iiyama/index.html#zz10101 


 


◆2016/10/10(月)  飯山一郎の『教育論』


子供を教育するのは親である!


青州市を散策しまくる小ボンボン一家


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  • 飯山一郎の『教育論』(持論)を簡潔に書きたい.

  • 結論は,「子供を教育するのは親である!」 ということ.

  • 「教育」とは,子供にモノをえながらてることだ.

  • 「近代」以前は,子供の教育はもっぱら親や家族がしていた.

  • 子供は乳幼児の時から母親の声を聞き,母親の唇の動きを見ながら言葉を覚えた.これまさにマザー・ラングウェッジ.

  • 読み書きソロバンも,礼儀も,作法も,身だしなみも,生活の知恵も,親が(押し付けながら)躾(しつ)けた.

  • そうして子供は一人前のオトナに育っていったのである.

  • ところが「近代」以降の子供は,幼児のときから幼稚園や学校に通うことになった.

  • その結果,「子供を教育するのは親である」という人間社会にとって最も大切な大原則が崩れてしまった.

  • 子供は,「教育機関」の管理下に組み込まれ,「教育官僚」が親に代って子供の教育を独占するようになった.

  • 「教育官僚」とは,学校や幼稚園にいる「先生」と呼ばれる「官僚の群れ」(規則最優先で働く者たち)である.

  • 彼ら「教育官僚」の大半は,大学で資格を取得したあと,世間や社会や人間を全く知らぬまま,知っている!と思い込んで,「教育機関」に就職し,「職業としての教師」になる.

  • 世間や社会や人間(実社会)を全く知らぬ人間が,「先生,先生」とおだてられながら,子供を教育してゆくのである.

  • こんなおそろしいことはない!と思わない人はおかしい.

  • だからワシは,今後,中国に「新日本国」をつくっていく際には,幼稚園とか学校といった「教育機関」は一切つくらないつもりだ.

  • 「あなた方の子供は,親であるあなた方が,あなた方の責任に於いて,存分に教育していただきたい!」 と,ワシは宣言するつもりである.

  • 「なんだ,学校や幼稚園がない国家なんてイヤだ」 という方々もおられるだろうが…

  • しかし,いま,二人の子供を手塩にかけて育てている小ボンボン夫妻の教育を,ワシは毎日みているが…,「子供は親が教育すべきである!」 という確信が深まるばかりである.

  • 小ボンボン夫妻が,「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」という諺のとおり,二人の子供に逆に教えられる場面もあるし.

  • いずれにしても,子は宝! である.


飯山 一郎(70)


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めい

飯山氏に対する評価。
 
衝動買いして全く手つかずの本が机の片すみにある。小川秀之著『額田王の童謡ー萬葉集九番歌考』(風詠社 2014)だ、その小川秀之氏による飯山評価です。それに対する飯山氏の返信があります。

   *   *   *   *   *

336:小川秀之: 2016/10/06 (Thu) 09:06:14 host:*.com.au
ご無沙汰しております。時間の都合がつかず布志に訪問できませんでした。
よろしければづれ青洲訪問を考えていますが。
私的戦後史を書いてみょうと思い立ちました。
多少書いたもののひとつです。


歴史研究的同志

拙書額田王の童謡を桂重俊先生が一般に理解されるまでには数十年かかるであろうと予言めいた批評をしてくれた。
三十年以上前に書いた本の再判である同じく拙書の古代天皇制研究でも、今現在どの程度読破していただいた人が理解したかなと考えるときわめてこころもとない。
しかし桂重俊先生以外にすくなくとも一人だけこれらの本の言わんとすることを理解していることがいると断言できる。
それは飯山一郎氏である。
僕は飯山一郎氏がほとんど僕と同じ日本古代史観を共通することや、氏が氏のブログで僕のことをべたほめしてくれたことででお世辞を言っているのでなく、心から飯山一郎氏は歴史上まれな日本の「賢者」だと思っている。
世の中に賢い人はいくらでもいる。いや賢い人だらけである。
しかし真の「賢者」ごくまれにしか現れない。
マリア テレサ や周恩来や郭小平などがそうだと思う。
日本の過去では「賢者」というのは非常にすくない。
西郷隆盛や犬養毅は偉人だろうが「賢者」ではない。
というのは暗殺されたり、死場をみつけょうとしたりしたからだ。
「賢者」は賢明であり、生きれるだけ生きて、より人のためにつくす才能をもつたひとであると思う。
日本の志士暗殺という文化が「賢者」をだしにくくしているのだろう。
少ない中で僕は宮崎濤天は「賢者」だったと思う。
日本問題ではなく、中国問題にかかわったことで暗殺の対象にならずにすんだのだろうか。
また勝海舟も「賢者」なのかもしれない。
現代では飯山一郎氏以外に残念なのだが武田邦彦は「賢者」となれる要素があると思えるのだがであまりにも国粋主義的要素が邪魔をし続けているようにみえる。
飯山一郎氏のブログを毎日見ていて飯山一郎氏は中国史上賢者中の「賢者」である越の功臣范蠡(はんれい)の生まれ変わりのような人だと感嘆している。
最初にそう思ったのは飯山一郎氏がお弟子さんに豚を飼うことを勧めた記事に目がおよんだときである。
ある人が范蠡にどうしたら金持ちになれるのかと尋ねたとき、范蠡は五畜(馬、牛、豚、羊,山羊) を飼えと言ったことを記憶していたからだ。
范蠡の蠡の字には名前としては珍しい虫、虫の字画をもっている。
飯山一郎氏自身も蜂を飼ったり乳酸菌などの虫虫した奇畜を飼ったりしている。
それら奇畜を飼うことにより多分巨額のお金が飯山一郎氏の口座に転がり込んでいるのだろう。
「賢者」が「賢者」たるゆえんのひとつとしては生きれるだけ生き、金持ちになれる方法をも知りながら、金や財産に執着しないこともあろう。
范蠡は主の勾践が宿敵呉を倒したあと、勾践の性格をみぬき、災いが及ぶのを避けて、斉国に一族郎党引き連れて逃げた。
この斉国というのは今の山東省当たりにあった国でその首都の臨淄というのは、いま飯山一郎氏が居をかまえる青州市の隣りである。
范蠡もそのあたりに居をかまえ商売をはじめたのであろう。
やがて范蠡は巨万の富を得、斉国でも名声を得、斉国は范蠡を宰相になることを勧誘するのだが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと全財産を他人に分与し斉国を去り宋の定陶(山東省)に移るのである。
飯山一郎氏を僕が「賢者」とするのは今転がり込み、将来もっと転がり込みこむ金を福島原発事故以来放射能で汚染まみれになり続けている日本から一人でも多く人を救い、新たな「新日本国」建設資金にまわそうとしているからだ。
いずれ飯山一郎氏は日本の救国の士とあがめられ、中国では中国浄化に貢献した偉人とあがめられるであろうしおもう。
ところでほとんど同じ飯山一郎氏と僕との日本古代史観に戻るのだが主だったことをのべてみるとつぎのようである。
1  百済は元遼東、遼西にいた。
2 日本は百済の後継国である。
3 日本の建国は辛酉年の661年である。
4 日本の初代の天皇は天武天皇である。

僕は百済の後継国や日本の建国は辛酉年の661年や初代の天皇は天武天皇ということをはっきり認識するにいたったのは飯山一郎氏の論の影響による。
僕と飯山一郎氏の見解の相違は飯山一郎氏は天武天皇は百済の出自と考えているのだが、僕は天武天皇は高句麗の出自だと考えているぐらいのものであろう。
百済は高句麗より分離し南下したのは最近までは朝鮮半島と思っていたのだが、最近ではそうではなく遼東、遼西へと南下しやがて山東にまで南下し山東半島から対岸の今の京城あたりに渡ったのではないかと思うようになった。
飯山一郎氏の見解はどのようなものであろう。
飯山一郎氏が「新日本国」を青州市で旗揚げできたのは、なにか必然的な結果だと思える。
将来飯山一郎氏と「真正日本古代史」を共同執筆し中国語で中国で出版することが僕の夢の一つである。

339:飯山一郎 : 2016/10/06 (Thu) 19:38:25 host:*.rat.jp
>>336
小川秀之先生は,日本古代史研究の泰斗であり…,額田王(ぬかだのおきみ)が詠んだ「謎の和歌(童謡,ざれうた)」の秘密を完全に解き明かしたことで有名な方です.

・ 『額田王の童謡―萬葉集九番歌考』 小川秀之著 → http://amzn.to/2axDDRX

・ cf. 飯山一郎:人生最大の知的衝撃! → http://grnba.jp/more66.html#ss01171
 
その小川秀之先生が本板に投稿されたことは,不肖・飯山一郎,至極の喜びであり,この上ない栄誉であります.衷心より御礼を申し上げます.

ただしかし,飯山一郎に対する評価は,過大であり,多大すぎまする.なぜならば,飯山一郎に直に面接し,面談した多数の方々の評価は,「飯山一郎はけっこう有能だが,所詮はスッとぼけたハッタリ爺さん!」 というものであり…,この評価は当たっています.

     ほめられて ほめられすぎて かしこまり
           飯山一郎拝

  PS 天武天皇のことについては,後刻に書きます.

340:飯山一郎 : 2016/10/06 (Thu) 19:41:33 host:*.rat.jp
>>336
小川秀之先生.
天武天皇と済州島との関係には只ならぬものがあります.
たとえば,天武天皇二年(673年)8月25日 に次のような記事があります.
 「詔耽羅使人曰。天皇新平天下。初之即位。由是唯除賀使。以外不召。」 
    ↓  ↓  ↓
 「天武天皇は,済州島の使人に,自分は天下を平定し初めて天皇に即位した.よって今後は祝い事などの儀礼以外は呼び寄せることはない(済州島に帰ってよろしい)と言った」.

その済州島は古名を「耽羅」といい,百済の属国!でした.「耽羅」という言葉自体が,百済の属国という意味です.
『日本書紀』では,耽羅と日本の交流は日が浅く,耽羅国が日本国に初めて入朝したのは,661年のことでした.
それが,673年の記事では,天武天皇が耽羅の使人に対して「祝い事などの儀礼以外は呼び寄せない」と言っておられる.
このウラの意味は↑天武天皇と耽羅との「付合い」が「祝い事」以外の面でも,深い同盟関係にあった,ということでしょう.

(つづく)

by めい (2016-10-07 03:39) 

めい

堺のおっさんの貴重な中国レポートです。
《中国では国民は意外と自由。・・・よほど、日本のほうが「不自由」極まりない。》《国家と国民の関係はその意味では基本イーブン。何もかもを国家に依存する日本とは決定的に違う。日本では「民主主義的手続き」を経ることで、イーブンであると国民が錯覚しているだけに過ぎない。》

「中国語を習得するコツについて」も貴重です。

   *   *   *   *   *

341:堺のおっさん : 2016/10/06 (Thu) 22:55:41 host:*.ocn.ne.jp
あー、一息ついた。

さて、皆様にお伝えしたいことの一つが「人脈」。
御大はこの人脈づくりに関しても天才的で、町の露店の主人ともすぐ友達になってしまう。

中国では国民は意外と自由。中央政府に規制され、ほとんど自由がないイメージで中国社会をとらえている日本人は多い。事実、小さな露店などそこらじゅうでひらかれている。日本なら、勝手に店開きしようものならその筋のみならず、お役所が規制してくる。
中国では、ここは交通の関係などでだめだけど、それ以外は適当にやってくれ、というスタンス。露店の場所決めなど、相互で決めているように思えた。
要するに、問題を起こさなければかなり自由なのだ。よほど、日本のほうが「不自由」極まりない。

国家と国民の関係はその意味では基本イーブン。何もかもを国家に依存する日本とは決定的に違う。日本では「民主主義的手続き」を経ることで、イーブンであると国民が錯覚しているだけに過ぎない。

これを前提に、中国では縦の、政府や行政への依存ではなく、横のつながりをとても大事にする。
御大が解説していた、「友達の友達は、私の友達」という論理は、本当なのだ。
この横のつながりでは「青幇」が有名。結社ともいえるこうした帰属意識はとても強力で、すべての関係に優先する。一度、「友達」と認められれば、半分成功したも同然なのだ。

中国ビジネスで「中国人は契約を守らない」という声はよく聞く。これは、何事にも優先する横のつながりがないところではよく起こる。が、それは日本人の論理に過ぎない。

現在青洲では、御大が毛、張、ルァ社長たちに認められとても強いつながりが出来ている。その結果、国慶節期間の亀さん訪問は勢い接待の連続となった。
その締めくくりが3日の宴会だったわけですが、正直、これは接待されるほうも気を使う宴会ともなった。大げさに言うと、つながりの強さを確認する意味合いもあるからだ。

こうした席では、主人が座を仕切る。3度乾杯を重ねる。次に、主賓が3度杯を重ねる。さらに、今回は次席の主人が杯を重ねる。ただのお世辞を言いあう関係でないことをこうして確認する意味合いを持つ。いわば、本気の接待なのだ。

したがって、本来は飲めようが、飲めまいがグラス一杯の酒を飲みほして、その本気を示さなければならない。「いやいや、僕はちょっと…」とお断りもできるがそれでは中国では仲間になれない。むしろ、飲めないけど、あなたの杯は喜んでお受けしますという心意気が伝わらなければならないのだ。

主人であった毛社長は事実最悪の体調の中、漢方薬を飲み飲み宴会を取り仕切り最後にホテルまで亀さんと私を送り届け、その任を果たしたのである。一見和やかそうに見える宴会の中でもそうした意味合いを理解している人には緊張した雰囲気が分った事と思います。

そうした意味では、宴会で爆睡などとんでもないこと。そんな失態をてげてげにさらしたのは御大が緊張感のみで事業を展開しているのではないということを伝えたいからで、あの爆睡の宴会はじつは、日本人の内輪の宴会での出来事でした。
度数の強い白酒の酒量を極めておこうとワイングラスになみなみと注いだ白酒を3度「カンペー」した結果「天国」行となりましたが、それで少々のカンペーなら大丈夫との感触を得たわけです。

主題のよくわからない文章になりましたが、とても強い横のつながり、それも中国人との強いつながりなくしては何事も始まらない!! ということをお伝えしました。これのないプロジェクトは間違いなく失敗します。談合などで行政と癒着するためのつながりとは役割を異にします。これが理解できないと、失敗します。それが中国です。ましてや、地方政府と外交交渉をすることなど夢のまた夢。

(本当は爆睡の長ーい言い訳でした…爆!!! 白酒、うまかったよ~皆の衆)

343:堺のおっさん : 2016/10/06 (Thu) 23:37:42 host:*.ocn.ne.jp
>>342
それにしても、日本は蒸し暑い野良。
青洲はカラリとしたお天気で、御大と一緒にした日光浴は気持ちよかった~。

344:堺のおっさん : 2016/10/07 (Fri) 00:11:03 host:*.ocn.ne.jp
中国語を習得するコツについて。

①、最強の方法
3歳児の心で学ぶこと。同時期4日ほど滞在した一帯一路さんは在中7年のネイティブスピーカー、野崎博士が「まるで3歳児が言葉を吸収するかのようだ」と絶賛。ちなみに、いつも漢字辞典を携帯して「あ~、今のはここにあった。わ~。」とチェックしていました。中国人たちもその様子を見て、手取り足取り、中国語(漢字)を教えていましたね。うん。
なお、彼が普段から3歳児の頭であるという意味ではありません。
間違えないように。

②次に有効な方法。
言葉を覚えようという気持ちを捨てて、とにかく大きな声でしゃべる。
場合によっては日本語でもよい。相手に気持ちをつたえればE~。
御大の方法である。
ちなみに、すでに高齢の場合はこれがおすすめ。年寄りが大声で何かを
いうと、周りが必死で理解しようとしてくれる。かなり有効である。
ポイントはとにかく声の大きさ。声の小さい人は人脈ができません。

これから青洲行を計画している方は、どうせ時間的に習得は無理。
①か②を選択して、心構えを作るほうがよっぽど人脈づくりの中国語ができるようになります。お試しあれ。

by めい (2016-10-07 03:50) 

めい

記事に【追記】しました。
by めい (2016-10-11 03:52) 

めい

《「教育格差」は単に「知識の格差」であって、人としての真価はその真逆のところにあります。》

   *   *   *   *   *

483:すで爺 : 2016/10/11 (Tue) 21:15:16 host:*.bbiq.jp
>>幼稚園や小学校は作らない、存分に両親に育ててもらいます。

またまた大胆な宣言。日本を破滅に追いやった元凶がヌポンの教育制度ですから、その制度を廃止するところからやり直すしかないですね。
「でも、やっぱり教育は受けさせないと将来・・・」と迷う人は、移り住めなません。ヌポンに将来はないのですけれど。笑い。旧来の価値観の内に安住する人は、それにふさわしい生き方があります。

「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」教えることと、教えられることの不可分の境地を凝縮した智慧の言葉ですね。くだらない知識を一方的に教え、暗記量で子どもを選別する、制度も制度、親も親。かくいう私もそんな社会の中で、迷い、悩みながら子育てしてき一人です。

息子が小学生のとき他の子供からと言うより、学校と言う組織にいじめられていた時、本気で、学校に通うか止めるか、本人に選択を迫ったことがありました。そのころ彫刻家、朝倉文雄の学校教育を拒否した、子育てについての論文を読みました。朝倉文雄は明治という時代、近代日本社会の在り方と対峙していたのだと思います。そうして自ら子育ての全責任を背負うことを覚悟したのでした。

「教育格差」は単に「知識の格差」であって、人としての真価はその真逆のところにあります。人としての真価に立脚した社会形成の実践が、未来世界の灯台の灯りとなることを信じます。

by めい (2016-10-12 03:20) 

めい

中国農業の未来像が思われます。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15862681

   *   *   *   *   *

606:堺のおっさん : 2016/10/16 (Sun) 19:22:45 host:*.ocn.ne.jp

山東省の農地は四国位の面積を誇る。すなわち、19000平方キロm。坪数に換算し、57億坪。人間一人養う農産物を作るには60坪ほど必要。ということは、山東省だけでも1億人養えるという計算。

が、ハウス栽培は2~3倍の収量が期待できる。季節を問わないからだ。しかし、それがあだとなり、土が痩せこけ、耕作危機が迫っている。乳酸菌農業が出番を待っている。

その歴史的意味は、大規模乳酸菌農業により世界の農業が根底から変わること。更に、乳酸菌生成プラントが大規模稼働することで、汚泥処理とリンクすること。中国のスタンダードになった場合、ロシアも追随すること。この二大大国が農業革命を起こした場合、もはや、モンサントの出番はないだろう。更に、砂漠の緑地化の現実的基盤もできるわけで、壮大この上ないプロジェクトとなる。

しかも、そのバージョンアッププラントとして、大量の光合成箘生成プラントが実現する。もちろん、億単位のトン数をフクイチに投入も可能となる。

何年、何十年先になるかわからないが、これくらいの希望を持ってやっいきたい。体の芯から震えてこないか?

by めい (2016-10-17 04:13) 

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