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天皇のお言葉(3)「天皇は透明な御存在となられた」  [思想]

「象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉」は次の通り。


      ◇


 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次

第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたってば、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり

続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ケ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。


   *   *   *   *   *   *


淡々と語られるお言葉の中で、「えっ」と思ったのは、殯(もがり)の行事に言及されたことだった。このことの意味を深く受けとめたのが新井俊介氏だった。


《今回の生前退位のご意向では、摂政も置かず、しかも、殯(もがり)に伴う、一連の儀式まで、完全に否定されました。/昭和天皇の「大葬の礼」と 今上陛下の即位の儀では、「神である天皇」としての神格の継承式の面があったのですが、今回陛下は、完全に、日本国憲法が規定する、日本国の天皇、すなわち、国家と、国民統合の象徴である自分を、改めて表明し、それを、日本国民に求めました。これは、自らの神格の完全否定です。国民の安寧を祈る、祭主である、との宣言です。/それ以外のいかなる考えも認めず、為政者は、自分を利用するな、という厳命です。?これは、現代の天皇には、明治憲法での「神聖にして不可侵」という神威はなく、それを語ること、その神威を前提にして、国事行為をすることを、すべて、戒めるものです。/これは実は、明治憲法での、皇国史観ファンタジーを否定するにとどまらず、日本書記から続いている、天皇像や天皇観を完全に脱却するものです。》

 

9月になって新井氏はこの考えをさらに敷衍する。その動画を見たのは912日の朝だった。「天皇のお言葉(2)」のコメント欄にこう書いた。

 

「日本国民にとってはほんとうに大事なのはお金ですか、命ですか?」「自分の問題として受けとめて考えていただきたい!」。「陛下のお声を真剣に受けとめよ」という新井俊介氏の訴えです。天皇のお言葉がもっているほんとうの意味がよくわかります。

 

その日まもなく、この1年日課になっている『文読む月日』(トルストイ 北御門二郎訳 ちくま文庫)を開いて驚いた。

 

   *   *   *   *   *

 

九月十二日

(一)

われわれは神と財神(マモン)とに兼ね仕えることはできない。富を増大させようとする努力と、真実の、精神的生活の要求とは両立することはない。

(二)

 ある者、御もとに来たりて言いけるは、「師よ、永遠の命を得んには、われいかなる善きことをかなすべき」と。イエスこれに言えり、「汝もし全からんと欲せば、行きて持てるものを売り、貧しき者に施せ、さらば宝を天に得べし。かくて来たりて、われに従え」(「マタイ伝」第十九章一六、二一節)

(三)

ここにイエス弟子たちに言えり、「われ誠に汝らに告ぐ、富める者は天国に入りがたし、また再び汝らに告ぐ、富める者の神の国に入るよりも、ラクダの針の穴を通るはやすし」(「マタイ伝」第十九章二三、二四節)

(四)

 私には、富が幸福を与えるという古い迷信は、崩壊しはじめているような気がする。

(五)

 パウロは拝金思想を偶像崇拝と呼んだ。なぜなら富を所有している多くの人々が、それを有意義に利用することはしないで、一種の聖物と考え、それに手も触れないでそっくりそのまま子孫に残すからである。また万一手を触れなけれぱならないようになったら、まるで許されないことをしてしまったかのような心理状態に陥る。さらにまた、異教徒が偶像を大事にするように、君もまた、扉や閂(かんぬき)で黄金を護り、神殿の代わりに櫃を作り、銀の容器に入れて、しまい込む。異教徒は、偶像を奪われるよりも、むしろ自分の眼も生命も投げだすものであるが、拝金思想の人力もそれと同じである。たとえ君が黄金を礼拝しなくとも、君が黄金を見てそれに欲望を感じたとき、君の心に闖入(ちんにゅう)した悪魔を崇拝しているのである。

 金銭に対する欲望は悪魔よりも悪い。そして多くの人々が、ほかのどの偶像によりも金銭という偶像に脆坐(きざ)礼拝する。偶像には人々はもう従わない場合も多いが、金銭欲に対しては全面的に服従し、何もかもその命令に従う。金銭欲はわれわれに何を命ずるか?「汝、万人の仇となり敵となるべし、自然を忘れ、神を侮り、汝自身をわれに献げよ」とそれは言う。すると人々は、すっかりそのとおりにする。偶像の前には牛や羊が生贄(いけにえ)に供されるが、金銭欲は「われに汝の霊を生贄にせよ」と言う。するとみんながそうするのである。(金口ヨハネ)

(六)

 厚着は身体の運動を妨げる。富は霊の活動を妨げる。(デモフィル)

(七)

 富に対する欲望は、けっして鎮まることも満たされることもない。富を持つ者は、もっとたくさん欲しいと思って苦しむばかりでなく、持っているものを失いはしまいかと思って苦しむ。 (キケロ)

(八)

 貧を恐れず、富を恐れよ。

(九)

 人々は富を求める。しかしながら、もしも彼らが、富によって自分たちが何を失うかをはっきり知ったら、彼らが現在富の獲得のために注いでいる努力を、富から脱却するために注ぐであろう。

 

   *   *   *   *   * 

 

新井俊介氏は「日本国民にとってはほんとうに大事なのはお金ですか、命ですか?」と問うた。トルストイは「お金」と対立するものとして、狭義の「命」からさらに踏み込んでいる。それは「精神的生活の要求」であり「永遠の命」であり、「天に得るべき宝」であり、「霊の活動」である。新井氏の論に触れてすぐのトルストイの言葉との出会いは、私にとっておおいなるシンクロニシティの体験であったがゆえに、トルストイの世界はまさに、天皇のお言葉が指し示す道筋に広がる世界のように思えた。

 

912日以来、このことを記事にしておかねばと思いつつ一週間も経ってしまった。その時間は、天皇のお言葉があらためて心にじーんと沁みこんでくる時間だった。そして今朝になってふとうかんだのが、「天皇は透明な御存在となられた」ということだった。

 

数ヶ月前に衝動買いして読めずにいる本に、J.スタロバンスキーという人の『透明と障害 ―ルソーの世界―』(みすず書房 1973)というのがある。『愛国と信仰の構造』の中、中島岳志氏がとりあげていた。そしていま、ネットで次の記事に出会いまた驚いた。

 

   *   *   *   *   *

 

 スタロバンスキーは、ルソーのキーワードを「透明」と「障害」だとしました。ルソーは外観のコミュニケーションと自己の内面の分断に悩んだ人です。腹の中で「この野郎」と思っていてもニコニコしたり、あるいは物凄く悲しいのにヘラヘラしてみたり、内面の自己と外観の自己との間にはベールがある、隔たりがある。しかもそれは他者も同じである。ならば、他者からの疎外だけでなく、自己の中ですら自己が疎外されているという非常に大きな問題が生じる。例えば「高貴なる未開人」という言葉があるように、ルソーにとってはアフリカ人は未開だけれども高貴な人間になる。笑いたい時に大声で笑い、泣きたい時には大泣きする、自己のウチとソトの間に障害物のない人々が、彼にとっては高貴な人間に見えた。それなのになぜ、自分たち近代人だけが「個人」になってしまったのか。だからルソーは障害を取り除き、人々との透明な関係を構築したいという問題意識を持つわけです。

そこから出て来る政治的概念が「一般意志」というもので、個々人を超えた皆の意志が一体化していく過程で、個人を昇華した集合的な一般意志が生まれてくる。これがデモクラシーだ、と言い始めるんです。彼はデモクラシーを作ったと同時にナチスにも援用されるような思想家でした。

三島由紀夫や右翼が著したものを読んで気づくのは、その多くがルソーの愛読者だということ。ルソーの「一般意志」を天皇の「大御心」と一体化させるのが日本の透明な共同体であるという発想が右翼には非常に強い。これは初期からそうなんですね。西南戦争の従事者も、「一君万民」とルソーの「一般意志」を重ねて、涙を流してルソーを読みながらあの戦争を戦っていました。

この感覚が僕は非常に重要だと思う。つまり右翼の、あるいは血盟団事件の構造にも言えることですが、彼らはよく天皇を太陽に譬え、我々国民は大地であると言います。その大地に「大御心」という名の日光が燦々と平等に降り注ぐ。これが「一君万民」の理想形だと言います。超越的な天皇を認めれば、全ての国民は一般化されるという概念です。このモデルには階級も隔たりもない。皆が心と心、「やまとこころ」でつながり合っているような世界です。

このモデルにおいて日本が国体的には成立しているのに、なぜこんなに苦しいのかというと、太陽であるところの「大御心」を疎外している雲のような奴らがいるからだと考える。これは「君側の奸」である。ゆえに君側の奸を刺しさえすれば、自ずと大御心が差してきて、近代が抱える個の問題が解消されたユートピア社会が現前する。この思想を極めてラディカルに実践したのが血盟団事件だと思います。その時の彼らの動機づけは、極めてナイーブな個人の問題に還元される。自己の煩悶と他者からの疎外の克服という問題です。それが一体何だったのかが僕の大きなテーマになっています。

   *   *   *   *   *

《ルソーの「一般意志」を天皇の「大御心」と一体化させるのが日本の透明な共同体であるという発想が右翼には非常に強い。》たしかにこれはこれでいい。ただしこのたびの天皇のお言葉の意味するところは、《彼らはよく天皇を太陽に譬え、我々国民は大地であると言います。その大地に「大御心」という名の日光が燦々と平等に降り注ぐ。これが「一君万民」の理想形だと言います。超越的な天皇を認めれば、全ての国民は一般化されるという概念です。》ということではない。「《超越的な天皇》ではない」ことを宣言されたのである。しかし、ここが大事なところだが、高みから低いところに下りられたことを意味するのでは決してない。《内面の自己と外観の自己との間にはベールがある、隔たりがある。しかもそれは他者も同じである。ならば、他者からの疎外だけでなく、自己の中ですら自己が疎外されているという非常に大きな問題》に直面しつづけてこられたのがまさに天皇御自身であった。そしてこのたび、《超越的な天皇》としての《外観の自己》の衣をきっぱり脱ぎ捨てられたことで「透明な御存在」となられたのだ。このことで実に天皇は、われわれにとって示されるそのありのままの御姿がそのまま天皇である、そういう御存在になられた。それが今朝うかんだ、「天皇は透明な御存在となられた」という言葉の意味するところなのだと思う。実はこのことによっておそらくわれわれは、高みに引き上げられることになる。そう思える。熟成を俟ちたい。

信条暦29日.jpg


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めい

《シャーマンの本質とは俗に言われている呪術ではなく、国民の意思をまとめていく役割と理解する。》
《国民の生死にかかわることに関しては、言霊が力を発揮する。70年前の玉音放送も国民の生死に絡んだ意味合いを持ち、単なる政治的選択などという軽いものではない。》
《国民の生死のかかる際に言霊が生じれば何が起こるのか? 
シャーマンが存在する日本語は世界でもまれな、言霊を生じる言語。
言霊の引き金はシャーマンであり、生じさせるのは国民。》

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647:堺のおっさん : 2016/10/18 (Tue) 02:12:11 host:*.ocn.ne.jp
今上陛下の生前退位が平成30年になるとの予測が走っている。
大嘗祭の準備を考えるとそれくらいらしいが、これに関してはよくわからない。前回の大嘗祭の原因であった昭和天皇の崩御に際し、大喪の礼が執り行われた。このことをまだ多くの国民が鮮明に記憶されていると思う。
私にとっては天皇観が180度転換する大事件であった。私としては、大喪の礼を通じて「日本語の持つ言霊」を実感することとなる。
「天皇の本質がシャーマンである」などというと、なにを非科学的なことを…と一笑に付されそうだが、シャーマンの本質とは俗に言われている呪術ではなく、国民の意思をまとめていく役割と理解する。
国民の意思が束ねられるととてつもなく大きな力が起こる。その一端を大喪の礼で44年ぶりに思い起こすこととなる。この44年前には玉音放送があったのだ。
かくも、シャーマンの束ねる国民の意思とは、内閣の支持率など取るに足らない力を持つ。それが言霊の実態ではないかと思う次第。
生前退位問題は、扱いを間違うととんでもないことが起こることは間違いない。

648:堺のおっさん : 2016/10/18 (Tue) 02:35:58 host:*.ocn.ne.jp
言霊は、恨みを残して死んだ人間が災いを起こすという考え方でもある。
有名なのは菅原道真。あまりの怨霊の強さに鎮魂の大宰府が作られた。
政治を取り仕切る貴族社会が国家という中では、その中での言霊が力を
持ったことと思う。道真の怨霊は生死にかかわることだったのだ。
現代では怨霊など存在しない。しかし、国民の生死にかかわることに関
しては、言霊が力を発揮する。70年前の玉音放送も国民の生死に絡んだ
意味合いを持ち、単なる政治的選択などという軽いものではない。
今日、国民の命にかかわる重大事は一つしかないが、政府は言霊封じに
必死である。封印が解けたとき、それがどれほど強力であるかということを一番よく知っているのだと思う。
今上陛下の生前退位提起は、シャーマンとして国民の生存にかかわる言霊を喚起する手法でもあり、今上陛下に注目が集まれば集まるほど、束ねられた国民の意思は強力な言霊となる。そして、それが今上陛下の力となる。

649:堺のおっさん : 2016/10/18 (Tue) 02:55:56 host:*.ocn.ne.jp
新日本国、あるいは新百済。これらの言葉は言霊を持つと書いた。
百済は青洲から中国の東北へと移動する際にわずか100家族から始まったとの説を聞いたとき、私の中で何かがはじけ、思わず叫んだ。
「御大の提唱する新日本とは、100家族にも満たない規模の新百済では
ないですか!!」
「100家族か… それもまたよし」
こうして、これから進めていく新日本国建設の別名が新百済となった。
この瞬間、御大と私を含めその場に居合わせた同志の間には言霊が生じたのだ。
この言霊から生じる力はわずか1週間の間でもどんどん進行のスピードが
加速していることからもうかがえる。
私的なグループでもそうなのだから、国民の生死のかかる際に言霊が生じれば何が起こるのか? 
シャーマンが存在する日本語は世界でもまれな、言霊を生じる言語。
言霊の引き金はシャーマンであり、生じさせるのは国民。

by めい (2016-10-18 04:59) 

めい

天皇終身制、わずかここ100年の「政治利用」の産物にすぎない?命を賭け民を救った日本の天皇 
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/866.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 14 日 00:44:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
《歴史的に見て天皇とは、「祈りをささげ続けるための存在」で、時代に合わせて変化をし続けてきた 》

   *   *   *   *   *
                
天皇終身制、わずかここ100年の「政治利用」の産物にすぎない?命を賭け民を救った日本の天皇
http://biz-journal.jp/2016/11/post_17167.html
2016.11.14 文=椎名民生 Business Journal

 天皇陛下の退位などを検討する政府の有識者会議は11月7日、専門家からのヒアリングを開始し、出席した5人の専門家のうち2人が退位に賛成の考えを示したのに対し、2人が反対を表明した。今後も専門家からのヒアリングが行われ(今月14日と30日の予定)、会議の提言のとりまとめは、来春とされている。

「今上天皇のご意向通り生前退位を認めるべき」という考え方、あるいは「天皇は終身であるべき」など、見解は分かれるところだが、歴史上はどうなのだろうか。

 10月26日に『日本人が知らない天皇と「生前退位」』(双葉社)を上梓した八柏龍紀氏は、「かつて天皇という存在はケガレを祓う役割で、若い天皇が求められたのではないか」と語る。

「たとえば、平安時代の清和天皇(在位858~876)の時代は、驚くほど多くの天変地異が起きた。京の都の大洪水に始まり、大火の連続、天然痘の大発生、大飢饉、赤痢大流行、富士山噴火、大干魃、陸奥一帯での大地震(貞観大地震)が起きるなど、その被害は筆舌に尽くしがたいものだった。そこで清和天皇は27歳で退位・出家し、修行僧も驚くほどの絶食を伴う激しい仏道修行を通じて、この時代の天変地異への折伏鎮撫をはかった。その結果、31歳で没したのだが、当時のこうした災厄は、神であるとともに祭祀者である天皇の地位にあった者が鎮撫すると信じられていた」

 また同書によると、一条天皇(在位986—1011)の時代も、疱瘡の流行、大雨、富士山噴火、地震、大火に対し日々、祈りを欠かさず、病気から「帝(みかど)」の務めが果たせないと退位したという。

■天皇陛下のお気持ちと内閣の思惑

 ほかにも、そうした事跡は多く見いだされる。特に戦乱に明け暮れた戦国時代の後奈良天皇(在位1536~1557)は、朝廷財政が底をつくなか自らの宸筆(天皇の書)を売るなどして、できるだけ天皇祭祀の遂行に支障のないように取りはからった。その一方で、戦乱や疫病で苦しむ民のため「般若心経」を写経して諸国の寺院に納め、伊勢神宮への宣命にも飢饉や疫病、戦乱からの復興と民政の安寧を祈願することたびたびに及んだという。ちなみに、後奈良天皇は今上天皇が記者会見で例話として取り上げたこともある。

 加えて、豊臣秀吉の聚楽第に招かれたことで知られる後陽成天皇(在位1586~1611)も、民の安寧を祈念して、秀吉が強行する朝鮮出兵に際して異を唱えた。

 つまり、歴史的に見て天皇とは、「祈りをささげ続けるための存在」で、時代に合わせて変化をし続けてきたといえるのだ。

 そもそも天皇が終身制になったのも、明治期の大日本帝国憲法発布に合わせ、皇室典範が定められてからにすぎない。それも見方を変えれば、「近代国家」形成のための政治的抑制だったともいえる。

 八柏氏は、天皇が終身制となったわけを次のように解説する。

「この問題は、一般に『高輪会議』といわれる会議で議論されています。内閣総理大臣の伊藤博文は、当時のヨーロッパの皇帝をモデルに天皇の制度をつくるべきだと主張します。そして国家意識の高揚のため天皇を国家統合の支柱にする。そこで、その地位を不動のものにする意味で、終身制を主張します。それに対して、法制官僚で宮内省図書頭(ずしょのかみ)の井上毅(こわし)は、『生前退位』を認める立場でしたが、結局、国家統合の支柱としての天皇の役割を必要とした明治国家は、天皇の終身制を決め、これが現在まで続くというわけです」

 続けて、天皇陛下のお気持ちと内閣の思惑のずれを指摘する。

「いま東北では、今上天皇と皇后への尊崇が極めて強い。なぜなら、東日本大震災以後に被災地に度重なる慰問をし、あれだけ心を寄せてくれる存在はいらっしゃらない。中央の政治家は誰もが軽く、心から亡くなった人々、そして生き残ってしまった人々の慚愧の思いに立ち止まってくれない」

 天皇陛下、さらに日本の過去や未来を考え直すいい機会かもしれない。
(文=椎名民生)

by めい (2016-11-14 11:19) 

めい

《「(将来に予想される天皇像は)性格、能力、健康、趣味、嗜好(しこう)、習癖ありとあらゆるものを国民の前にさらけ出して批判の対象にならねばならぬ。…今迄以上に能力と健康とを必要とするわけである」》

そして上の記事。
《このたび、《超越的な天皇》としての《外観の自己》の衣をきっぱり脱ぎ捨てられたことで「透明な御存在」となられたのだ。このことで実に天皇は、われわれにとって示されるそのありのままの御姿がそのまま天皇である、そういう御存在になられた。》

三笠宮様の思いが今の陛下の御姿と重なった。・・・と、とりあえず書いておきます。

   *   *   *   *   *

≪生前退位≫ 皇室典範改正に関する三笠宮さまのご意見 
http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/844.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 12 月 21 日 00:33:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU    

【生前退位】 皇室典範改正に関する三笠宮さまのご意見
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/6352a3c3a6f11ad6811b18b97217ec21
2016年12月19日 のんきに介護

盛田隆二 ⭐新刊『蜜と唾』(光文社)@product1954 さんのツイート。

――1946年11月、三笠宮さまは、皇室典範改正を審議中の枢密院に対し「新憲法と皇室典範改正法案要綱案」を提出。
>『死』以外に譲位の道を開かないことは、新憲法第十八条の『何人もいかなる奴隷的拘束も受けない』という精神に反しはしないか?〔18:44 - 2016年12月17日 〕。

この意見書は、2003年に発見されたという。
朝日新聞が「天皇退位認められぬのは「内閣の奴隷」 故・三笠宮さま」
と題して、紹介している。

☆ 記事URL:http://digital.asahi.com/articles/ASJDG5PXVJDGUTIL02V.html?rm=237

三笠宮さまが如何に先見の明に溢れた方でいらっしゃったかは、次の抜き書きからも窺がえる。

・「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」
・「(どんな人物でもよいのであれば)日の丸の旗の方が余程ましである」
・「(将来に予想される天皇像は)性格、能力、健康、趣味、嗜好(しこう)、習癖ありとあらゆるものを国民の前にさらけ出して批判の対象にならねばならぬ。…今迄以上に能力と健康とを必要とするわけである」
・「(手続きについては、天皇が皇室会議に譲位を発議できるようにすることを提案。この自由を認めないならば)天皇は全く鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化する」

by めい (2016-12-21 06:10) 

めい

上記コメント中の朝日新聞記事全文。

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天皇退位認められぬのは「内閣の奴隷」 故・三笠宮さま
島康彦、多田晃子2016年12月17日11時15分
http://digital.asahi.com/articles/ASJDG5PXVJDGUTIL02V.html?_requesturl=articles%2FASJDG5PXVJDGUTIL02V.html&rm=237

【写真】http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20161217000593.html
故・三笠宮さまの意見書の写し=大阪府公文書館所蔵

 天皇の退位が認められないのは「内閣の奴隷」――。故・三笠宮さまが戦後間もない頃につづった意見書が、天皇陛下の退位をめぐる議論が続くなか、注目を集めている。将来の天皇は「今迄(まで)以上に能力と健康とを必要とする」と記すなど、現在の状況を予見した内容となっている。

 意見書は「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」。終戦翌年の1946年11月、皇室典範改正を審議していた枢密院に提出された。本文は22ページ。原本を枢密院の書記官が写したものが大阪府公文書館に所蔵されている。

 「皇位継承」の章では「『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第十八条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはしないか?」と疑問を投げかけた。

 また、天皇が象徴で無答責(責任を持たなくてよい)だからといって、どんな人物でもよいのであれば「日の丸の旗の方が余程ましである」と言及。従来の天皇の姿を「国民の前に全くヴェールをかけて現人神として九重の奥深く鎮まり給ふ」と記した。

 そのうえで、将来に予想される天皇像は「性格、能力、健康、趣味、嗜好(しこう)、習癖ありとあらゆるものを国民の前にさらけ出して批判の対象にならねばならぬ」と指摘。「今迄以上に能力と健康とを必要とするわけである」とした。

 手続きについては、天皇が皇室会議に譲位を発議できるようにすることを提案。この自由を認めないならば「天皇は全く鉄鎖(てっさ)につながれた内閣の奴隷と化する」と厳しく批判した。

 2003年にこの意見書を発掘した森暢平・成城大准教授(日本近現代史)は「三笠宮は天皇も人間であることを皇族の立場から訴えていた。ある意味、先見の明はあったが、ただ実現するには様々な問題が起こりえたわけで、それらに対処してこなかったツケが現在の問題として浮上している」と話している。(島康彦、多田晃子)

by めい (2016-12-21 06:20) 

めい

当面最大の政治課題。メモっておきます。

   *   *   *   *   *

676:堺のおっさん : 2017/01/02 (Mon) 13:23:27 host:*.ocn.ne.jp
天皇譲位問題の視点メモ。

特措法推進派 → 憲法で天皇の「行為」は限定されているので、譲位は憲法違反。特措法で例外的に認めるしかない。

今上天皇 → (方法は言及していないが、)皇室典範の退位規定を変更。そうしないと憲法違反となる。

論点は絞られてきた。特措法か、典範改正か。典範改正を恐れるのは、
推進派自身が触れているように、「退位の時期を天皇にゆだねると、振り回される」という効果もあるため。いつ退位するかも、特措法で決めようとしているが、それ自体が、今度は憲法違反となってしまう。完全に自己撞着。

簡単な論点なのだが、そこを追求できる野党はないだろう。それを見越しての特措法戦術と思われる。

by めい (2017-01-05 06:48) 

めい

[2075]天皇の譲位(じょうい)を巡って、今、恐ろしいことが起きている。
投稿者:副島隆彦
投稿日:2017-01-11 17:25:04

副島隆彦です。今日は、2017年1月11日(水)です。

私は、天皇の譲位(じょうい)の問題について書きます。

 私、副島隆彦は、ようやく 肚(はら)を決めた。 私が、この議論の場に出て行くしかない。日本国民の多くが、オロオロしている。どう考えていいのか、分からなくて、困り果てている。

 天皇問題 とくに、その継嗣(けいし)すなわち 跡継(あとつ)ぎ、世継(よつ)ぎ問題には、たいていの人は、畏(おそ)れ多い、と感じて、言葉が口から出なくなる。


 慰霊祭の場で、安倍首相を厳しく睨みつける天皇と美智子皇后

 国民は、たじろいて、この問題を考えることを遠慮している。日本人の長年の体に染みついた天皇との関わりで、畏れ多いし、危険なことなので、自分の発言を控えようとしている。 それで、いつの間にか、急激に、この年末から、年明けに掛けて、おかしなことになってしまっていた。

天皇陛下と美智子皇后は今の安倍晋三政権の自分たちへの仕打ちに、激怒している、そうである。それはそうだろう。

 次の1月1日の新聞記事に、私は驚いた。 何と、天皇の次男坊の「秋篠宮(あきしののみや)さまを皇太子 」にする、というのだ。 何たることか。

新天皇になる徳仁(なるひと)皇太子と、たった、3歳しか違わない、弟の秋篠宮を「皇太子待遇にする」というのだ。ああ、吃驚(びっくり)である。そんなことをしていいのか。

皇室典範を、正しく解釈して、適用すると、「皇太子は天皇の長子(ちょうし)」であるはずだ。 安倍晋三たちは、日本国に、クーデターを仕掛けようとしている。

(転載貼り付け始め)

●「秋篠宮さまを「皇太子」待遇…「退位」特例法案 」

2017年1月1日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/20161231-OYT1T50146.html

 政府は天皇陛下の退位を実現するため、一代限りの特例法案を1月召集の通常
国会に提出する方針を固めた。

 特例法案は皇室典範と皇室経済法や宮内庁法など関連法の特例を一括したもの
とする。皇位継承順位が1位となる秋篠宮さまを「皇太子」待遇とし、退位した
天皇の呼称は「上皇」(太上天皇)とする方向だ。

 皇室典範には退位の規定がなく、特例法案に退位の手続きや、退位した天皇の
呼称などを書き込む。皇室経済法に関しては、上皇を置くことに伴う支出を規定するほか、秋篠宮家 への支出を皇位継承順位1位に見合う額に引き上げる特例を設ける方向だ。

 現在、生計を一にされている天皇、皇后両陛下と皇太子ご一家に支出される内 廷費(2016年度)は3億2400万円。これに対し、秋篠宮家への皇族費 (同)は6710万円にとどまる。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 ああ、驚いた。 安倍晋三政権は、去年の8月8日に、天皇陛下が、テレビで国民に伝えた「お言葉で」示した譲位(じょうい。英語では step down 、ステップ・ダウン)の意思を踏みにじった。 「私は、82歳でもう体がきついので、(すでに56歳の)皇太子に天皇の地位を譲りたい」という、天皇と美智子皇后の意思と希望を、頭から完全に無視して踏みにじった。

安倍たちは、とてつもなく奇妙な、おかしな、恐るべき反(はん)天皇 の 行動に出ている。 これは、何としても阻止しなければいけない。 私たち国民は、天皇と皇后のご意思を尊重して、おふたりが望むとおりにしてあげなければいけない。 これが、私、副島隆彦の考えだ。

何という、邪悪な考えの連中が、今の政治権力(=政権、政府)を握って、 天皇ご一家を、目下、どれほど苦しめていることか。 私、副島隆彦は、遂(つい)に怒った。以下の記事を読んだからだ。私は、年末に風邪を引いて数日、伏せっていたので、テレビなんか見ないから、何も知らなかった。

何と、安倍晋三たちは、ここまで腹黒いことを考えていたのか。 これから、この問題は、日本国民の中の大きな、対立と激突の場面となる。 今年の4月ごろには、上記の「天皇の生前退位の特例法案」をさっさと通してしまいそうだ。6月18日の 今国会の期間中にやってしまいそうだ。 

これは、体制転覆のクーデターである。 安倍政権は、国民を、騙(だま)くらかしたまま、目暗(めくら)にして、判断停止状態に追い込んで、ぼーっとさせておいて、それで、自民党を中心とした国会の議員の数の力で、「天皇の退位を、今度の一代限りで認める特例法(とくれいほう)」(特別法)を作って、それで、天皇と美智子皇后の意思を完全に押さえ込んで、ねじ伏せて、屈服させ、黙らせて、「明人(あきひと)天皇の叛乱」として鎮圧する気である。

 安倍たちは、まさしく 何という、おそろしい奇妙な宗教に支配された、狂気の集団であることか。彼らこそは、まさしく「君側(くんそく)の奸(かん)」である。

 どうして、本当の 愛国右翼の、 天皇崇拝、すなわち、今上(きんじょう)天皇への絶対的な忠誠心を顕(あら)わにして、本物の 尊皇(そんのう)の愛国者たちが、天皇への忠義を貫いて、赤心(せきしん)を明らかにして、安倍晋三たちの恐るべき暴挙に対して、反撃の火の手を挙げないのか。

 安倍晋三たちは、天皇は、「男系の男子」でなければならない、として、皇太子の長女の愛子さまの、お世継ぎ、すなわち、「女性、女系の天皇 」を絶対に、阻止しようとしている。

日本国民の 78%(いつも、必ずこの数字だ)は、愛子さまが、新天皇の、長子として、その次の天皇になるのがいい、と判断している。いろいろの統計で、この数字は、はっきりしている。この日本国民の多数派の意思までを、踏みにじって、「男の天皇が、次の次もならなければいけない」と、強烈な、奇っ怪な、世界基準からは、恐るべき迷妄を抱いて、こんどの暴挙を貫徹しようとしている。

2016年12月1日 愛子さま15歳 で、父親と



2016年12月9日 雅子さま53歳の愛子さま で 3人家族で




 ヨーロッパには、今や、多くの女王がいる。イギリスのエリザベス二世女王をはじめとして、たくさんいる。これが、今の世界基準(ワールド・ヴァリューズ、world values )だ。どうして、「天皇は男でないといけない。女では、日本の国力が衰退する。歴史的に天皇が軍事を総帥してきた」と、男の天皇に異様にこだわっている。

 日本国憲法の天皇についての権限と、国事行為などの解釈の問題は、この文の、うしろのほうでやる。法学部出である、これまで法律学の本も書いてきた、私、副島隆彦の 法律解釈(レヒツ・ヘルメノイティーク、リーガル・ハーマニューテイックス)の知識も、きちんと披露する。 さあ、これは、国家体制を巡る重大な言論戦 となる。

天皇と美智子皇后の意思と、皇太子一家も、そして 日本国民の多くの意思を、叩きつぶして、安倍晋三たち、カルト・オブ・靖国(ヤスクニ)の異様な集団が、日本の国体(=国家体制)に、狂った攻撃を加えてきている。

 あれほど、昭和天皇が、「私の気持ちを無視して、戦争犯罪人(戦犯)たちを、靖国に合祀(ごうし)して、それで、世界を敵に回すことをするな」と、1978年から、昭和天皇が、「だから、私は、以後、靖国に参拝にいかない」と、ストライキを敢行したことの重要性と昭和天皇の意思(大御心、おおみこころ)を、安倍晋三たちは、ひっくり返して、世界を敵に回して、また、新しい戦争を、世界に向かって仕掛けようとしている。

 私は、このことを、2007年に、弟子たちと出した論文集の『最高支配層が知っている 日本の真実 』(成甲書房刊)の中の、第1章「安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」」で、詳しく書いた。 この本で、私が危惧したとおりのことが、10年後の今、私たちの目の前で、起きている。

 昭和天皇が、「日本は、世界を敵に回すな。平和を守れ、戦争をしてはいけない」の意思と遺志を示して、それを身近の家族である者たちに、厳しく教え、それを受け継いで、今の天皇家(皇室)が在る。今の明人(あきひと)天皇と美智子皇后の意思は、まさしく昭和天皇から受け継いだものだ。

 私たち日本国民も、この昭和天皇の「世界を敵に回してはいけない。再びの、愚かな戦争への道を歩んではいけない」の遺志に従わなければいけない。

それが、まさしく、今の私たちの日本国憲法の、平和主義(戦争をしない)の道である。

 だから、今の安倍晋三たちの、戦争への道、すなわち、憲法改正勢力 と、 今の天皇、美智子皇后、皇太子家族をはじめとする、私たち、今の憲法を守れ、の護憲(ごけん)勢力との闘いだ。一番、大きいところでは、やはり「改憲 か 護憲か」の闘いだ。私たち護憲勢力の中心に、天皇と皇后がいる、ということだ。

 敵=改憲勢力は、カルト集団 と暴力団体質のゴロツキ右翼たち(自分たちでは愛国派だと思っている)だ。 彼らが、今、天皇一家に、大変な迷惑を掛けている。

 以下の朝日新聞社系 のリテラ誌の記事にあるごとく、天皇と美智子皇后は、安倍政権(=官邸)に 激怒している、そうだ。

(転載貼り付け始め)

●「天皇が誕生日会見で生前退位に踏み込む可能性 … 安倍首相との昼食会キャンセルで囁かれる官邸への怒り」

2016年12月19日 リテラ

http://lite-ra.com/2016/12/post-2785.html

 これは明らかに、天皇の安倍首相に対する怒りの表れだろう。本日、12月19日、天皇と安倍首相らとの宮中午餐(昼食会)が予定されていたのだが、今朝になって、宮内庁がこれを取りやめたことを発表したのである。

この昼食会は天皇が、皇居に首相や閣僚らを招いてねぎらうという年末の恒例行事。宮内庁は天皇が、12月16日から風邪の症状をみせていることを理由にしているが、現在は微熱といい、また天皇誕生日を前にした記者会見が延期になるという情報は現段階で入ってきていない。

「宮内庁内では、今日の宮中午餐の突然の中止は、生前退位をめぐる安倍首相の姿勢に、天皇陛下が激怒されて、会いたくないとキャンセルされたのではとの見方が広がっています」(宮内庁担当記者)

 本サイトで何度も伝えてきたように、安倍首相は「生前退位」の問題で、有識者会議委員やヒアリング・メンバーに自分の人脈や日本会議系の極右学者たちを配置、天皇が望む恒久的制度化を否定する流れをつくりだし「一代限りの特別法」で対処する方針を打ち出した。

 しかも、安倍首相がヒアリング対象者にねじこんだ平川祐弘(ひらかわすけひろ)東大名誉教授は、11月、記者団にたいして「天皇はおかしい」とまで発言した。

 天皇、皇后が、もともと安倍首相の戦後民主主義を否定する姿勢に危機感を抱いているのは有名な話だが、「生前退位」問題でその亀裂は決定的になったのである。

 実際、先週の「週刊新潮」(新潮社)12月22日号でも、宮内庁関係者によるこんなコメントが掲載されていた。

「陛下が有識者会議の行方を御憂慮されているのは間違いありません」 「陛下は2回目のヒアリングが終わった頃から、いたくご気分を害されている。その後も新聞やテレビで報じられる会議の内容に触れて、ご不満を募らせていらっしゃるのです」

 しかし、だとすると、俄然注目されるのが、誕生日前に設定された明日20日の記者会見だ。こうした安倍政権のやり方について、天皇が否定的反応を示すのではないかと観測されている。

「退位の問題については、宮内庁記者の質問事項にも入っています。陛下が退位の制度について踏み込んで発言され、官邸や有識者会議、ヒアリング・メンバーを批判するようなことを口にされるのでは、という観測も流れ、官邸はかなり焦っています」(官邸担当記者)

 しかも、天皇が明日の“誕生日会見”で語るのは、こうした「生前退位」をめぐる政権への苦言だけではない可能性も十分にある。というもの、天皇、そして皇后は、これまでも安倍政権の憲法改正や歴史修正の動きに呼応し、そのたびに“反論”を行ってきたからだ。

 たとえば、第二次安倍政権成立から約1年となった2013年末には、天皇は日本国憲法を「平和と民主主義を守るべき、大切なもの」と最大限に評価した上で、わざわざ「知日派の米国人の協力」に言及し、「米国による押しつけ憲法」という安倍首相ら右派の主張を牽制するような発言をした。

また、美智子皇后も2013年の誕生日に際し、明治初期に民間で検討された「五日市憲法草案」などの私擬憲法について語り、「市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないか」と、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、けっして右派の言うような「押しつけ」などでないことを示唆している。

 さらに皇后は2014年の誕生日に際した文書コメントでも、自ら「A級戦犯」について踏み込んだ発言をした(過去記事参照)。だが、実はその発言の2カ月前には、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。

安倍首相は、連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。

 しかし、こうした天皇、皇后の発言を黙って見過ごすわけがない安倍首相は、宮内庁に対しての締め付けを陰に陽に強めていった。とりわけ天皇の誕生日会見に関しては、前述した“護憲発言”のあった2013年以降、安倍首相の歴史観や憲法観と対峙するような発言を自重せざるをえなかった。

だが、明日の誕生日会見は、これまでとはまったく状況が異なる。

 実際、例のビデオメッセージでも、天皇は、何度も「憲法」「象徴」という言葉を口にし、「生前退位」に関してもただ自らの高齢化だけを理由にしたのではなく、「国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます」と強調。

さらには、「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」と締めくくった。

 これは、日本国憲法下で天皇が模索してきた“象徴としての在り方”を、次世代の皇太子にも引き継がせたいという意思に他ならない。明らかに、天皇の元首化をはじめとし明治憲法的な改憲を目指す安倍自民党に対する疑義だった。

 だからこそ、天皇は明日の会見で、「生前退位」に関する心境だけでなく、日本国憲法に対しても、いままで以上に踏み込んだ発言を行う可能性がある。天皇は「普段は穏やかですが、ご自身の信念は頑強と言ってよいほど貫き通す方」(前出・宮内庁記者)という。

今日(12月19日)の、安倍首相らとの午餐を回避したのは“事前交渉の拒否”と考えることもできる。会見内容の一斉解禁は、例年12月23日だが、いずれにせよ、安倍首相は気が気でないだろう。 (アエラ編集部)

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。上記の記事に、はっきりと、 「 天皇、皇后が、もともと安倍首相の戦後民主主義を否定する姿勢に危機感を抱いているのは有名な話だ、が、(今回の)「生前退位」問題でその亀裂は決定的になったのである」 と、書いている。

護憲、反戦・平和を掲げる 天皇・皇后 と、安倍晋三たち、「日本会議」系、カルト・オブ・ヤスクニ(世界基準での、欧米のジャーナリストたちからの、安倍たちへの呼び名)の闘いは、今や、激突の段階に入ったのである。

上記のリテラ誌の記事には、さらに、次のように明確に書かれている。

「 安倍首相は「生前退位」の問題で、有識者会議委員や、ヒアリング・メンバーに自分の人脈や日本会議系の極右学者たちを配置(した。そして)天皇が望む恒久的制度化を否定する流れをつくりだし(た。そして) 「一代限りの特別法」で対処する方針を打ち出した」としている。まさしく、このままの動きだ。

そして、「 しかも、安倍首相がヒアリング対象者に入れた、平川祐弘(ひらかわすけひろ)東大名誉教授は、11月、記者団にたいして「天皇はおかしい」とまで発言した」となっている。

 安倍晋三たちが勝手に作って、勝手に人選して、いいように自分たちで取り仕切っている、「天皇の生前退位問題での有識者会議」という連中には、私は、呆(あき)れかえってしまう。おぞましいほどの、安倍晋三を支える 極右の、奇妙な 右翼カルト集団を代表する、面々である。ここには、当然のように、渡部昇一・上智大学名誉教授や、桜井よし子 たちがいる。

この人選の異常な偏(かたよ)り、偏向(へんこう)、安倍の取り巻き集団だけでの、日本の天皇制を、自分たちで、いいように取り扱って、天皇を「牢獄に押し込んで」、

「天皇よ。おまえは、神聖な 祭祀体(さいしたい)として、お祭り、儀式だけをやっていればいいのだ。お前の人間としての個性や、個人の希望など、受け入れない。勝手な言動をするな。許さん」 というのが、安倍晋三たちの、天皇への態度だ。傲慢(ごうまん)極まりない、恐るべき不敬(ふけい)である。

(転載貼り付け始め)

●「 天皇陛下83歳に 「お言葉」巡り国民に感謝  」
2016/12/23  日経新聞

 天皇陛下は12月23日、83歳の誕生日を迎えられた。これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、退位の意向を強く示唆した8月8日の「お言葉」について「多くの人々が耳を傾け、おのおのの立場で親身に考えてくれていることに、深く感謝しています」と述べられた。

 陛下がお言葉の公表後、自らの心境を公の場で表明されたのは初めて。陛下は会見で、お言葉について「天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」と説明。そのうえで国民への謝意を示された。退位などをめぐる踏み込んだ発言はなかった。


●「天皇陛下、「新年のご感想」とりやめ 負担軽減」
2016年12月26日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJDV3R1VJDVUTIL010.html

 宮内庁は12月26日、天皇陛下が同庁を通じて毎年公表してきた「新年にあたって のご感想」を、今回から取りやめると発表した。感想は即位翌年の1990年から欠かさず公表されてきたが、西村泰彦(にしむらやすひこ)次長は「年末から年始にかけて大変行事 が多く、陛下のご年齢を考えた」と理解を求めた。公務負担軽減策の一環という。

 年末から年始にかけては、天皇誕生日(12月23日)前の記者会見、誕生日当日の一般参賀でのおことば、新年の感想、年明けの新年一般参賀(1月2日)でのおことばと、思いを明かす場が続いてきた。関係者によると、陛下は一つひとつに精力を傾けるため、負担も大きかったという。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。 上記の新聞記事から、毎年、1月2日の、新年の一般参賀での、「天皇の新年の感想」が、今年から取りやめになったことが分かる。 

 このことを発表したのは、宮内庁の長官に次ぐ、次長に、昨年9月に任命された、西村泰彦(にしむらやすひこ)である。この男が、安倍晋三が、宮内庁に送り込んだ、自分に忠実な子分である。

 昨年の8月8日に、「天皇の(私は譲位したいという)お言葉」を、天皇と美智子皇后が、内閣(官邸)の許可を取らないで、勝手にやった、と安倍政権は怒った。これは、憲法3条が定める、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認が必要である」に、違反した、天皇の勝手な行動である、として、安倍たちが怒って、天皇に懲罰を加えようとしてやったことだ。

それで、監督不行き届きだ、として、宮内庁長官の風岡典之(かざおかのりゆき)の首を斬って次長の山本信一郎を新長官にした。このとき、以下の記事にあるごとく、「内閣危機 管理監の西村泰彦氏(61)が就任・・・西村氏は東京大卒。警察庁警備局長や警視総監などを経て」 を次長として、宮中に送り込んだ。

 警察官僚の西村康彦が、安倍晋三の意を体現して、宮内庁の内部(皇居の中にある)を締め上げて、以後、天皇・皇后の勝手にさせない、「内閣の助言と承認を得ない天皇の一切の行動を厳しく監視して禁圧する」という政府の行動に出た。 安倍たちは、天皇の意思を認めず、上から押さえつけようという、不忠者(ふちゅうもの)の集団である。 

 天皇には、人間としての、個人の意見の表明は、一切、許されないのか? 「私は、もう高齢(83歳)だから、息子の皇太子に、天皇の地位を譲りたい。急いで、そのように手続きをして下さい」と、 天皇自身が、意思表示して、希望を述べることさえ、許されないのか。

 思い余(あま)って、8月8日に、日本国民に直接、そのように訴えかけた、天皇の強い決意と行動を、私たち国民は、しっかりと 理解すべきである。

 天皇が、自分の進退(しんたい)を意思表明することさえもが、憲法4条が規定する「天皇は、この憲法が定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」という条文に、違反した、憲法違反だ、と、安倍晋三たちは、判断したのだ。

 「天皇は、憲法違反の勝手なことをした。あの譲位したい、というお言葉の発表は、内閣(官邸)に対する、反逆で有り、許しがたいことだ。天皇を処罰しなければいけない」という、、ここまで、傲慢(ごうまん)極まりない、行動に出て、天皇・皇后イジメをやっている。 このことを、私たち国民の多くが、気づかないまま、この年末から、年始を迎えたのだ。

まさか、そんなことが起きていようとは、と、全くもって唖然(あぜん)とする事態だ。天皇と皇后が一昨年から、ずっと安倍政権に対して激怒するのは、当然である。

 日本の国王(こくおう)である (決して、エンペラー、皇帝などという存在ではない)、 天皇に対する、これほどの冒涜(ぼうとく)、反逆、不敬は無い。もっと、両者仲良く、やったらどうですか、と、穏(おだ)やかな日本人なら思う。これほどの対立と憎悪をもたらしている現状を、私たち日本国民が、憂慮して、現状の緊急性を把握しなければいけない。

日本は、立憲君主制国家(りっけん くんしゅせい こっか)である。憲法が、この国家は君主制、王制 で出来ている、と定めている。英語で言えば、Constitutional Monarchy コンスティチューショナル・モナーキー である。日本は、世界基準(外側の世界)から見たら、明らかに、王国(キングダム)、君主制国家(モナーキー)なのである。

 そして、この立憲君主制国家に中が、民主政治体制(デモクラシー democracy) になっているのだ。この 二重になった「入れ子構造」になっている国家が、私たちの日本国である。

 日本が、サウジアラビアやタイ国と同じような王国であり、古くからは神聖体(ホウリー・ボディ holy body )である王を頂点に戴(ただだ)いている国である。この別称が、「万世一系(ばんせいいっけい)の神の国」である、となる。万世一系は、実は、歴史学者たちによって、事実に反すると証明されている。 

 歴史的には、神聖国家(しんせいこっか、theocracy シオクラシー、テオクラシー。神権政治体制 )の 国であるから、世俗の国(セキュラリズム、secularism )ではない、ということになるが、そんなことは、今の世界では言っていられない。

 だから、天皇の神聖性は無くなって、普通に世界中にある王国(キングダム、モナーキー)であって、立憲君主がいて、かつ、その内部が、デモクラシーになっている、二重構造の、入れ子の構造になっているのだ、と考えるべきなのである。この真実を、日本の学校では教えない。このことが日本国民の悲劇なのである。

 一番、分り易く言えば、今の日本は、イギリスが エリザベス女王を戴く王国(これを、ウィンザーナイゼイション Windsornization という)でありながらデモクラシーの国 であるのと、全く同じ国家体制です、と教えれば、日本人は、そうだ、そうだ、で納得するのだ。

このあと、「王は、君臨(くんりん、レイン、reign, 支配)すれども統治(とうち、rule ルール)せず」というコトバが、出てくるので、難しくなる。この説明はやめる。

 安倍晋三たちが、今、「8月8日に、個人の意見を表明してしまった」天皇を痛めつけているが、その理由、根拠とする法律解釈は、前述した、「天皇は、憲法第7条に定める 天皇の国事行為 以外は、行ってはいけない」とするものだ。

 この第7条に10個羅列してある、10個の国事行為である「法律の公布、内閣の召集、選挙の公示、大臣の認証、各国大使の接受、儀式を行うこと」 以外は、認められない、というのである。そして、前述した第4条の「天皇は国政(こくせい、国の政治)に関与してはいけない」を根拠とする。

 安倍たちにとっては、天皇が、「もう歳だから、早く、息子に皇位を譲りたい」と意思表示したことを、許しがたいことだ、「死ぬまで天皇をやりなさい」と、考えている。天皇が、人間としての個人の希望を表明したことを、何か、「国政への関与」で、重大な憲法違反だ、と考えているのだ。

 自分たちの方が、天皇よりも偉い、と考えている。自分たちの方が、天皇よりも強い権力(権限、権能 power パウア)を持っている、と倨傲(きょごう)になっている。 

 天皇と皇后が、急いで、息子(もう56歳だ)に皇位を譲って、そして、その長女である愛子さまに、その次の皇位が、スムーズに移転するように、今のうちから、必死で、考えて、先のこと、先のことを、自分自身の問題として、熟慮して行動している。これが、「天皇の憲法違反の 国政関与」であるのか。

 安倍晋三たちからすれば、「内閣の助言と承認を得ないで、天皇が、勝手に意見表明したことは」、「天皇が、憲法体制の外側に勝手に出てしまった」と、法律解釈して、それは、憲法の第3条、第4条、第6条違反だ、と判断したようだ。何という、恐ろしい、藤原摂関政治(せっかんせいじ)の再来に似た、「天皇 押し込め」であることか。

安倍晋三たちは、天皇は、国家の一部として、我慢して、自分の個人の意見表明などせずに 、黙って、政府の言うことを聞いておればいいのだ。お人形さんであり、自分たちのあやつり人形(パペット)なのだから。言われたとおりに動け」 と考えている。まさしく、君側の奸どもだ。

 天皇と美智子皇后は、憲法第1条が定める「天皇は、日本国民統合の象徴である」の、象徴(シンボル)天皇の地位を、きちんと守って、他の多くの国に見られる、「政治的な権限を持たない大統領」のような「かつての国王が持った元首(ソブリン)の地位の、形式だけが残った役割」を、忠実に果たしてきた。

 だから、日本の外側の、諸外国に対しては、「大使を接受すること(その国からの信任状を受け取る仕事)」をするように、外側に対しては、元首(ソブリン)としての仕事をしてきた。

そして、憲法第2条が定める 「皇位は、・・・皇室典範(こうしつてんぱん)という法律が定めるとおりに、その子供に継承される」に従おうとしている。

天皇と美智子皇后は、昨年から、この「皇室典範の改正」を内閣に要望して来たらしい。「皇室典範の皇位の中の、「男系の男子が皇位を継承する」の記述を改正して、女性、女系でも天皇になれるように、との、男女の平等の、世界的な大原則に、合うように改正して下さい」と、政府にお願いしてきた、というのである。

 この天皇の、希望と、願いが、「国政への関与、で、あり、政治への要らぬ口出しであり、目に余る行動だ、だから、憲法違反だ」となる、のか。 おかしいのは、安倍晋三たちの方だ。奇妙な宗教団体に乗っ取られた、おかしな頭をした集団の考えだ。

今、本当の愛国者たちは、安倍たちによる、天皇イジメに苦慮して、心底、心配している。だが、安倍たちが、上層階級の人々の中からの、天皇の譲位問題での、自分たちへの批判、非難、抗議、憤怒を、監視して、押さえつけている。誰も何も言えない雰囲気にしてしまっている。

 おそろしい言論弾圧が、またしても起きている。まともな精神をした、健全な人間たちが、「天皇のご意向に従うべきだ」と、声を上げることが出来なくなっている。この事態は、真に憂慮するべきである。

 天皇の「8月8日の譲位したいの お言葉」が、「天皇が、憲法体制の外側に出た、勝手な行動である、か、否か」は、憲法解釈の問題だ。

 普通なら、内閣法制局や、憲法学者たちが出来てきて、正しく、天皇の意思に添うように、穏やかに解釈して、穏便に済ますべきことだ。東大法学部を出た者たちの中でも、頭のいい、中立的な、そして、世界基準をよく知っている、優れた判断力のある者たちが、天皇のお気持ちを察して、急いで、決断をするべきところだ。それが、出来ない。

 内閣法制局も、99%の憲法学者たちも、押さえ込まれて、安倍たちの恫喝(どうかつ)と脅迫を受けて、黙りこくっている。 本当に天皇と親しい、ご学友や友人たちが、悲痛な声を、うめき声のように上げ始めている。しかし、それらは、なかなか日本国民には届かない。

 敗戦後、“憲法のお守り番”と呼ばれて、マッカーサー司令部に育てられて、東大の中で、ずっと憲法の講義を続けた、宮沢俊義(みやざわとしよし)と芦辺信義(あしべのぶよし)の系統の、大僧正のような、朴念仁(ぼくねんじん)の憲法学者たちも、何も言えない、言わせてもらえないで、百地章(ももちあきら)という 日大?の 安倍の子分の、たったひとりの、頭のおかしい憲法学者の意見だけが、安倍政権で、白昼堂々と、まかり通っている。この 生来の知能の低い、特殊な宗教団体の臭いの強い者たちの、悪質な所業を止めることの出来る まともな勢力は、もう、日本にはいなくなったのか。

蓮舫(れんほう)が率いる 民進党(みんしんとう)という野党も、軟弱を通り越して、安倍晋三たちに、脅され取り込まれてしまった。はじめは、「(天皇のご意思に従って)皇室典範の改正を行うべきだ」と言っていたのに、野田佳彦(のだよしひこ)という、野豚(のぶた)野郎のオカマのような人間と、蓮舫が、指導部だから、ぐちゃぐちゃにしてしまって、「天皇退位の一代限りの特例法案に、民進党しては、対案は出しません」になってしまったのだ。何という無様(ぶざま)な連中だ。こういうのを、野党政治家をいうのか。

「天皇の、一連のお言葉が、憲法違反であるか、否か」 私たち、国民が、冷静に判断しなければいけない。私は、不忠や、不敬 や、大御心(おおみこころ)などという、時代がかった、過去の天皇制による政治支配に苦しめられた人々からすれば、使いたくないコトバは、私も使いたくない。

日本は、現状で、現実に、世界に普通にある 王国(キングダム)であって、共和国(リパブリック)ではないのだ、という、この私たちの現実を、現実として受け入れた上で、天皇制や、皇室の存在が、なんとなく嫌いだ、という人たち(総じて、リベラル派、左翼、護憲派)の人たちも、この問題を、「私には関係ない。関わりたくない」と考えないで、安倍晋三たちが、どんなに、ヒドいこと、を今、目下、天皇一家に対してやっているのかを、分かって、自分の考えをひとりひとりが、作って欲しい。

 今年の6月までに、あっと言う間に、「一代限りの、天皇の特例法」が、国会を、何の議論もせずに、隠し通して、隠れるようにして、通ってしまって、それで、天皇と美智子皇后の悲痛がさらに増す、という事態に、現になりつつある。これは、明らかに、日本国の危機だ。

誰も何も知らないままに、おかしなことが、起きているのだ。

以下の新聞記事のとおり、着着と、2019年1月1日から、今の明仁天皇が退位して、元号が変わるのだそうだ。すなわち、来年の末までに、いろいろなことが、どんどん、安倍政権の暴走で、勝手に、決められて行く。これに危惧しないで、恐ろしいことが起きている、と脅(おび)えなければ、賢明な日本国民とは言えない。

上記の新聞記事にあるとおり、12月19日の、宮中午餐(きゅうちゅうごさん)という天皇と首相たちとの昼食会が、中止になったのは、天皇が激しく安倍たちに立腹しての行動だ。週刊誌なども、数誌が、そのように書いた。

安倍政権は、「安倍政権のやっていることはおかしい」と、ほんのわずかに、異論の声をあげているテレビ、新聞、雑誌の記事を目の敵にして、ひとつずつ、書いた記者たちを、シラミつぶしにしているという。なんという、右翼ゴロツキどもだ。

憲法の解釈や、皇室典範の改正問題(皇位の継承の順位と、女性、女系の天皇を認めるための改正)については、まだまだ、詳しく説明しなければいけないことが、たくさんある。

だが、それでも、現行の日本国憲法のあれこれの規定を、上に越えて、日本人は、世界の言うことを聞かなければいけない。憲法体制の上に世界が存在するのだ。私たちは世界で通用している考えに従わなければいけない。

 世界を敵に回して、愚かにも、戦争を始めようとする、安倍晋三の勢力と、本気で闘わなければいけない。 私たちは、平和国家として、敗戦後72年間、築いてきた、今の理想主義の憲法が決めてくれた道を 投げ捨てるようなことをせずに、何が何でも、守り続けなければいけない。

天皇と美智子皇后が、必死になって、今、私たち国民に、訴えている声を、なんとか聞き取らなければいけない。どんなに安倍晋三たちが、奇妙な人間たちであって、この国に、災いをもたらし、悪いことをしているか、を、私たちは、はっきりと気づかなければいけない。

天皇陛下と美智子皇后、皇太子ご一家 を支えるべく、私たち国民が、声を上げなければいけない。  

副島隆彦 拝


(転載貼り付け始め)

● 「 皇位継承、2019年 元日に 新元号 政府が検討着手 」

2017/1/11 日経新聞
 
政府は天皇陛下の退位に伴う皇位継承の時期について、2019年元日を念頭に制度設計する検討に入った。

皇太子さまの即位に備え、新たな元号の検討にも着手した。政府の有識者会議(座長・今井敬 経団連名誉会長 )は、今の天皇陛下に限り退位を認める特例法での対応を求める方向で、政府は与野党の議論も踏まえ、今春に関連法案を国会に提出する方針だ。

 複数の政府関係者が1月10日、明らかにした。

皇位継承に関する儀式は2018年の大みそか か、2019年の元日に行う可能性がある。このため、退位の時期は、18年12月31日か19年1月1日のいずれかになる見通しだ。新元号の適用は「年の途中に天皇の代替わりがあると国民生活への影響が大きい」(首相官邸筋)ことから、19年元日とする方向で調整する。

 陛下は、昨年8月に表明したお言葉で「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には平成30年(2018年)を迎えます」と言及された。首相周辺は「その年までの在位を節目ととらえておられることは明白だ」と指摘する。

安倍晋三首相は今年に入り、菅義偉(すがよしひで)官房長官や、杉田和博(すぎたかずひろ)官房副長官と、退位問題を巡り協議。その後、退位のめどについて周辺に「平成30年(いっぱい)が念頭にある」と漏らしたという。

 このため1月20日召集の通常国会で関連法案を成立させ、1年以上かけて具体的な準備を進める方針だ。政府内では、法案には退位の具体的な日時は明記せず、政令などで定める案が検討されている。憲法は天皇の政治的言動を禁じているため、退位の日取りは陛下の意思を直接的な根拠とせず、皇室会議などの承認を経て正式決定する方針だ。国会の関与も模索する。

 退位を将来の天皇にも適用できる制度とするには客観的な要件を定めるのが困難として、一代限りの特例法で対応する。法案は皇室経済法や、宮内庁法など関連法の特例も含め一括して提出する見通しだ。天皇が生前に退位すれば1817年の光格天皇以来になる。

 政府は新元号の検討作業にも着手した。1979年に成立した元号法では、元号について「政令で定める」「皇位の継承があった場合に限り改める」と規定している。だが、生前の退位に伴う新元号の制定は想定していない。

 逝去を前提に完全に水面下で進められてきた過去の制定過程との違いが出てくるのかどうかなど、課題の洗い出しを進めている。政府の有識者会議は1月23日にも論点整理を公表する。与野党の議論を踏まえ、今年度末までに提言をまとめる見通しだ。

●「宮内庁長官に山本信一郎次長が就任へ 風岡氏の後任」

2016年9月15日 朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJ9G62GMJ9GUTIL04S.html

 宮内庁の風岡典之(かざおかのりゆき)長官(70)が退任し、後任に次長の山本信一郎氏(66) が就任する人事が固まった。近く閣議で決まる。山本次長の後任には、内閣危機 管理監の西村泰彦氏(61)が就任する見通し。宮内庁長官は70歳の節目に勇
退するのが慣例となっている。

 山本氏は京都大卒。1973年に旧自治省に入り、岡山県総務部長、内閣府事務次官、消防試験研究センター理事長などを経て、2012年6月に次長に就任した。西村氏は東京大卒。警察庁警備局長や警視総監などを経て、14年2月に内閣危機管理監になった。

 風岡氏は05年4月に宮内庁次長、12年6月から長官を務めた。天皇陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの定例懇談に同席してきた。戦後70年にあたっての両陛下のパラオ訪問や、天皇陛下が生前退位の意向をにじませるお気持ち表明などに対応した。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦 拝

by めい (2017-01-12 16:50) 

めい

よくわかります。

   *   *   *   *   *

[2079]今こそ大政奉還を 2
投稿者:8067浅川京華
投稿日:2017-01-18 04:12:29

雅子様の病の原因は、皇室典範で女性天皇が認められていない事にある、と、私は断言する。愛子様誕生後間もなく、当時の宮内庁長官が「秋篠宮家に第三子を期待する」と発言した(皆さん、この事実をご存知でしょうか?)。「皇位継承出来ない女子ではダメだ、もう皇太子夫妻には子供は出来ないだろうから、秋篠宮夫妻に男子を生んで欲しい」という、驚くべき不敬発言である(余談だが、この宮内庁長官発言を、秋篠宮は支持したのだ。秋篠宮夫妻がここ迄ワルだったとは、と、私は怒りに震えた)。この宮内庁長官発言の後、雅子様は病んでいると発表されたのである。皇太子が「雅子の人格を否定する動きがあった」と語っていたのも、この事だろう。度々報道されている、愛子様の不安定な状態(不登校や、拒食症の噂など)も、根底に、自分の誕生が祝福されていない、女性として生まれた事を祝福されていない事があるせいではないか?という気がしてならない。この皇太子妃母娘の不幸を、天皇皇后も分かっていて、それで、皇室典範改正を、政府に頼んでいた、という面もあると思う。そして私は、以下の事に気付いて「アツ!」となった。歴史上、滅亡した皇室、王室は、全て、男でなければ継承出来なかったのである。ロシアのロマノフ王朝、フランス革命で潰されたブルボン王朝、中国の清王朝もそうである。オ―ストリアのハプスブルグ家もそうだ。それに対して、現存する王室は、日本の皇室を除いて、確か、全て、女性に継承権を認めている。中には、男子優先、男子がいない場合、女子が継承出来る、となっている国もあるが(英国など)、男女に関わらず、長子が継承する、というのが世界の趨勢で、男子優先の国も、長子優先に変わって行くのは時間の問題だろうと言われている、と聞く。昨年の天皇退位希望表明は、海外でも報じられ、他国の人々は、天皇が退位出来ないという事を不思議がっている、と聞いた。今上天皇に対して安部現総理がやっている事は、世界中の歴史で見られた、邪悪な独裁者が出てきて、王室一家を殺したり、追放したり、という事態そのままだ。天皇なんかどうでも良い、と他人事のように高を括っている方々は、自分たちも、既に、そのアホな、じゃなかった、邪悪な独裁者に支配されているのだ、という事に気付いていない。

by めい (2017-01-18 06:11) 

めい

上記、副島さんの論について、アルルさんがわかりやすく整理してくれました。http://www.snsi.jp/tops/kouhou/1944

   *   *   *   *   *

  中田安彦です。今日は2017年1月16日です。

 以下に、副島先生が先日11日に「重たい掲示板」に書いた「天皇の譲位問題」についての文章を載せます。ただ、あの文章自体にはわかりにくい部分があったので補足説明が必要だということでしたので、私が、その説明を受けて、文章の前提になっている議論とその要点を箇条書きで書きます。

1.日本国内の憲法体制を巡る議論は常に、その国独自の歴史と伝統に基づく固有の価値(これをナショナル・ヴァリューズ、民族固有価値)と、世界の(より具体的には欧米諸国の)価値観である「ワールド・ヴァリューズ」(世界普遍価値)をめぐる論争である。これは副島隆彦にとって非常に重要な認識の前提である。そして、今回の「譲位問題」もその例外ではない。

2.日本は国内体制的にはデモクラシー(代議制民主政体)の国であるが、対外的には君主(=天皇、国王)をいただく、立憲君主国である。この点を理解すべきである。

3.皇位継承を巡る議論は、皇室典範の問題であるが同時に立憲君主国である日本の体制をめぐる議論でもあり、憲法問題である。したがって、この問題は国内の視点だけで議論すべき問題ではなく、世界普遍価値からの議論が重要になってくる。そうしないと国内視点の議論で堂々巡りになるばかりか、落とし穴に陥ることになる。

4.世界普遍価値では世界の王室の王位継承は「長子相続」であり、それは男子であるか、女子であるかの問題ではなくなっている。したがって世界普遍価値では長子であるならば、女性の皇位継承は当然であるという流れになっている。

5.国内の議論は過去の皇位継承がどのように行われてきたかに議論が終始しており、今述べているワールド・ヴァリューズの視点からの議論が全くないのが問題である。

6.安倍晋三たちの極端な民族固有価値を尊重する立場の政治勢力は、このワールド・ヴァリューズに対する反発がある。この反発は総理や閣僚の靖国神社参拝の態度に象徴される。だから、A級戦犯を合祀した靖国神社に、1978年から昭和天皇が、参拝をしなくなったのは、それは東京裁判の判決というワールド・ヴァリューズを受け入れた日本の立場から来るものである。

 昭和天皇は、このことをよく分かっていた。敗戦後の日本は、この「ワールド・ヴァリューズ」を受け入れることによって出発した。屈辱的であるか否かにかかわらず、それが世界の共通認識であり、それを反故にすることは、内閣総理大臣であればできないはずだ。

ところが、歴代首相のうち右翼的な者は、世界から嫌われるのを分かってか分からずに、民族固有価値(ナショナル・ヴァリューズ)に立って、勝手に靖国神社に参拝した。そして案の定、世界から、すなわち、ワールド・ヴァリューズから毎回、嫌われた。それに対して、昭和天皇は自分が元首だったから、世界がどのように考えるかを、よく知っていた。

7、譲位問題において、このワールド・ヴァリューズを重視するという視点を入れると、「皇位継承における長子相続」という原則は、日本の国内法である皇室典範に規定されている「男系の男子が皇位を継承する」という記述よりも、さらに優位するのだ、という結論になる。

 なぜなら、それは「男女の平等」という、世界普遍価値、ワールド・ヴァリューズが定着したことによるものである。男女の平等は、日本のすべての法律でも守られなければいけないことだ。この世界普遍価値の尊重をすることが重要であり、その前提に立って、個別の議論をすべきであるということになる。

8.女王でも一般であるという世界の認識が定着したのは、イギリスの今のエリザベス2世女王が誕生したことによるものである。これを「ウィンザーナイゼーション」と呼ぶ。しかしもっと古くは、1558年(なんと500年前に)、エリザベス1世女王が即位したときだ。

9.安倍晋三や日本会議は、この男女平等という世界の潮流に反発して、復古主義的な改憲案を提示している。が、今回の譲位問題における女性の天皇即位問題の議論の回避も、その復古的な思想、価値観からくるものであり、現在の世界の潮流になじまない。

10.したがって、副島隆彦の理解と判断では、この問題は「ワールド・ヴァリューズとナショナル・ヴァリューズ」の争いであり、例えば、小林よしのり氏の言うような「過去に女帝が存在したかどうか」という国内次元での視点での「女帝容認論」とは、全く性質を異にするものである。世界における「男女の平等」という普遍価値を踏まえて、日本国民が判断すべき問題である。

11.この問題は安倍晋三や日本会議一派の復古的な価値観と世界普遍価値の対立問題であり、世界の王室と交流のある天皇家にとって、ワールド・ヴァリューズの尊重こそが重要なものであり、譲位にからむ、今後の皇位継承問題についても、このことを軸に議論せざるを得ない。これが当然の議論の前提になっている。ところが、このことがあまり共通認識として共有されていない。

12.以上の立場で、副島隆彦は、安倍晋三のやり方、考え方を批判しているのである。

13.以上の議論から、天皇の譲位については「皇室典範の改正」によって、「一代の特例法」ではなく、「恒久法による譲位(生前退位、これも今や世界普遍価値)を可能にすること」が、今上天皇の意思にかなうことであり、同時に世界普遍価値に合致している。「皇位継承問題」についても、この「男女の平等」という世界普遍価値に基づいて議論すべきであり、それは現在の皇室典範改正(明治時代に制定されたもの)において、これの「男子」を「長子」と改正するべきである、という結論にならざるをえないのである。

これを前提として踏まえて、以下の文章をお読みください。

中田安彦拝

by めい (2017-01-18 06:15) 

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