『宮内熊野に獅子が舞う(承前) ダイドードリンコの「祭りの哲学」 [熊野大社]
(この記事の写真はすべて「祭り写真館」から転載させていただきました。)
『宮内熊野に獅子が舞う』を見た方から感想をいただくことが多い。とりわけうれしかったのが、毎月一日の熊野大社月例祭でお会いする高畠町の方の「宮内の人はほんとうに神様を大事にするんですね」という感想だった。前回の記事、《それにしても今回の番組、「お祭りは基本的に御神事である」という視点を外さずにつくっていただけたことが何よりもよかった。スタッフの皆さん、ほんとうにおつかれさまでした。そしてほんとうにありがとうございました。》と結んだが、それは実は、ダイドードリンコさんの「祭りの哲学」に由来することに気づかされた。というのは、メモ替わりに使っているボイスレコーダーをたまたま整理していたら、ダイドードリンコさんと山形放送さんの担当方々が宮内にお出でいただいた時の録音が出てきたのだが、それを聴いてあらためて、今回の放送内容がそもそもダイドードリンコさんの祭りについての考え方、捉え方に由来することを思わされたのだった。山形放送さんがそこをきっちり受けとめての番組づくりだった。北野達宮司の発言もよかった。。以下眼目部分。
〈高山明「日本の祭り」事務局長〉
ダイドードリンコの「日本の祭り」への取組みは今年で14年目。今年も35の祭りを取り上げさせていただいてすべて1時間の番組に制作して放映します。ただ、祭りを取り上げるにあたっては、単に記録をとるということだけではなくて、祭りの本質であったり、また祭りは人が支えて伝承してゆくものなので、その祭りに関わる方々のご苦労であったり、熱い気持ちであったり、そうしたところを
取り上げて広くみなさまに見ていただこうという、いわゆるヒューマンドキュメンタリーを目指しております。せっかくだから祭りの一部始終についての記録番組を作ってくれとの要請もあるんですが、そういう記録番組だと折角つくっても視聴者さんが5分と観ていられない。一時間きっちり見ていただくことによってはじめて、このお祭りはこういう本質があるんだな、このお祭りは地域の方々がこう支えているんだなということが伝わるんではないか、と私共は考えております。したがって、一時間見ていただくためにはそういう番組づくりをさせていただいているわけです。もちろん、祭りの基本になるところはきちんと撮って伝えてゆかねばいけないわけですし、また御神事として撮ってはいけないところは撮ってはいけないとして区分けさせていただきますけれども、見ていただく方々に一時間見ていただくことになりますと、そのためにはいろんなところにカメラが入って取材させていただくことになります。そういうわけで、ただただ放送局さんが来て番組にするというのではなく、祭りの本質だったり、祭りを支える熱い気持ち、御苦労を伝えたいという思いでの取材ですので、「こんなところまで取材するの?」と時々言われるのが、祭りの関係者がご自宅でご飯を食べていたり、風呂に入っていたり、お酒飲んでいたりというところまでたまにあるんですけれども、やはり人があっての祭りということでそういうことも押さえたい、そうしたことも含めて、番組づくりの趣旨をお伝え致したくて本日参上致しました。
本格的に動き出すのがの6月からということですが、1月から3月には東北各地、福島、宮城、新潟などから参拝に来られる方も多いので、その辺の取材もしております。
〈高山〉
私どもの思いといいますか、弊社の会長、社長の思いを山形放送さんにはよく理解していただきまして、毎年すごいいい番組をつくっていただきますので、放送しますと必ず視聴者さんの方からメールとか電話とかで「見たよ」とか、おそらく山形の方だと思うんですが、「話には聞いていたけどこんなすごいお祭りだったとは。ぜひ行ってみたい。いい番組ありがとうございました」と言っていただくこともありまして、今回の番組も見ていただく方に必ずや感銘を受けていただくような形になるんじゃないかと思っています。
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エジプト考古学者の吉村作治先生にも私どものこの企画に当初から参画していただきまして、学術的にきちんとしたご意見を頂戴しながら制作させていただいております。エジプトの吉村先生がなぜ日本の祭りかとよく言われるんですけれども、世界でいちばん古いと言われるエジプトを研究していると、世界各地の文化比較研究もすることになり、そうすると、日本の祭り文化というものがものすごく奥が深くて、質が高くて、バラエティに富んでいる、研究材料として世界的にすばらしいものがあると話されておりまして、日本の祭りに対して非常に造詣が深いものですから、いろいろご相談しながらこの企画を進めさせていただいております。番組の中でコメントをいただいておりますが、ご当地にもぜひおうかがいしたいとおっしゃっておられますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
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一言御礼とお願いを申し述べさせていただきます。
今も高山さんの方から、「祭りの本質」ということを一生懸命言っていただきまして、ほんとうにありがたいと思っているところでございます。当社のお祭りは、必ずしも観光的なものではないだろうと思っております。いま高山さんがおっしゃった「本質」ということに関わるんだろうと思いますけれども、ここの祭りは、神事の部分は神社ですけれども、獅子祭りの部分は代々頭取家が中心になってやってきたわけです。そして、いま精進の話が出ましたけれども、表に出ない様々な作法というものがあります。たとえば、お祭りでいちばん大切なものが、神饌をたてまつる、祭りの原義もおそらくそこにあるんだと思いますけれども、そのお供えをつくるときにも、若水汲みから始まって、当日黒豆ぼかしをつくって、それをお供えするというのが非常に大事な行事になっております。華やかな山車が出たりというそういうお祭りではありませんが、私も全国各地のお祭りをけっこう見たんですけれども、私が申し上げますと自画自賛ということになりますが、中世的な匂いがぷんぷんとするお祭りだと思っております。そこのところをぜひ山形放送さんに表現していただければ大変ありがたいなと思っております。高山さんも言われたように、祭りの単なる記録映画にすることには私も反対でありまして、ダイドードリンコの会長さんがおっしゃっておられるように、日本の祭りの本質は何なのかということをつかんでの制作ということで、そのようなお考えの上で私どもの祭りを取り上げていただくというのは大変ありがたいことだと思っております。ほんとうにありがとうございました。
〈高山〉
私どもの会長がよくお話し致しますのが、祭りは地域の核である神社様とそこに関わられる地域の方々の財産でございますので、そういった財産を番組にさせていただくことは、大事な財産をお借りすることなんだ。そのことをきちんと伝えなさいと言われております。あらためまして、弊社の会長に代わりまして、みなさまの大事なお祭りをお借りさせていただきます。よろしくお願い致します。
吉村先生とか、私も会長もそうなんですけれども、いま宮司さんからそのとおりのことをお話しいただきまして、どうしても一般の、われわれもそうなんですけれども、華やかな賑やかなところを祭りと勘違いしているところがありまして、それも大事なんですけれども、先ほど精進潔斎ということがありましたが、そうしたこともすべてがつながってきちんとした祭りになっているということを知ってもらう。おそらく地域の方々にもそうしたことをご存じない方もいらっしゃると思うんです。「おーっ、おれの町にあった祭りはこんなにすごいのか!」「こういうことをやっていたのか!」ということを今一度見直していただけることにもつながるのかなと、自分の生れ育った土地にもう一回誇りをもっていただけるきっかけにもなるのかなと思ってもおりますので、われわれとしてもみなさまの大事なものをお借りして番組化させていただいて放送させていただくんですけれども、まずは、私どもはそういう気持ちで山形放送さんにもお願いしているということをぜひご理解していただきたいと思っております。
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