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『愛国と信仰の構造』を読んで [思想]

『愛国と信仰の構造』中島岳志/島薗進 集英社新書 2016.2)を読んで、「この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか、その処方」と題してレビューしてきました。

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この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか、その処方

「ナショナリズム」と「宗教」は、戦後日本の教育の中心から疎外された存在だった。戦後70年経った今、そうした教育で育った人間が日本人の大半を占める。


「ナショナリズムと宗教」は、ことを対象的(客観的)に見る言葉であるのに対して、「愛国と信仰」と言えば、それは実存(主体)に即している。『愛国と信仰の構造』は、「ナショナリズム」と「宗教」という戦後日本のいわば辺境を、実存の側から分け入って問題にした。


折しも「日本会議」が注目を集めている。話題の著『日本会議の研究』(菅野完 扶桑社新書)は、日本会議の起源が長崎大学にあったことを突き止めた。そこにはまず安東巌の存在があった。日本会議の草創は、大学に遅れて進んだ安東と大学では同期、年齢ではほぼ8歳下の人間たちによって主に担われた。彼らをつき動かしたのは安東巌のカリスマ性だった。そのカリスマ性を担保していたのは、年長者安東の稀な宗教的人生経験であり、それを称揚する「生長の家」創始者谷口雅春であった。


昭和40年代、大学は全共闘によって撹乱されていた。「民主主義教育」とも言われる戦後教育の洗礼の延長上に「全共闘的感覚」は在る。長崎大学を核とした彼らはその感覚に真っ向から対峙した。彼らの思想的拠点は、「全共闘的感覚」とは対極の「ナショナリズム」と「宗教性」だった。しかし不幸だったのは出発がまずもって「アンチ」であったことだ。ひとりひとり「愛国と信仰」を担う者としての実存性に真摯である前に、「アンチ」のレベルで徒党を組んだ。おのずと敵を想定してやまない「政治性」へと向う。「生長の家」からの離脱は必然であった。このたび安倍政権、ひいては鬼っ子「日本会議」を批判した宗教団体「生長の家」の声明は至極当然だ。日本会議の側にこの声明に耳を傾けうる自省のゆとり、そして権力の陶酔を抛(なげう)つ度量在りや無しや。日本会議の初心「日本再生」の如何はそこに在る。よもや宗主国アメリカ様(軍産勢力)の思うまま、「日本壊滅」への道を歩みつづけることなきことを切に冀(こいねが)う。

 

「戦後教育」の結果へのアンチから出発した運動は、戦後を否定するあまり闇雲な戦前の肯定となり、必然、「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底する。そこへと向う様をいま現実にわれわれは、日本会議の影響下に成立した安倍政権によって目の前に突きつけられている。この危うい事態からどう逃れどう克服すればいいのか。この折、「ナショナリズムと宗教」に真っ正面から向き合い、「愛国と信仰」という実存のレベルまで分け入ってその処方を探ろうとした対談が『愛国と信仰の構造』と読んだ。その副題はいみじくも、「全体主義はよみがえるのか」。

 

傍線しつつ読んだ本を見返してみると、その傍線は圧倒的に中島氏に多い。中島氏の言葉は、単なる知識ではない体験の下支えがあって発せられる。つまり「実存的」である。ヒンズー教、仏教を通して「器としての人間」という認識を得たことで、二十歳の頃の煩悶から救われたと言う。

 

《中島 本当にそうなのです。自己への執着というものがあなたを苦しめているならば、それを解き放って世界や他者へと開き、縁によって自己が変容していく「無我」という立場に立ったほうが、あなたという現象を精いっぱい生きることができる。[無我」というのは、私の存在を否定するのではなく、変容する私を受容するということ。だから私を「無我の我」として捉える。「我なし、ゆえに我あり」です。こういう仏教の考え方に、若い時にたいへん教われました。》161P

 

器としての人間」という観念は「縁」につながる観念であり、東洋的思想の根底にある。すなわちアジア的である。この思いが最終章の「アジア主義」再考の主張となる。多くの示唆に富むこの著にあって、さらに白眉と言っていい。

 

《EUはキリスト教をべースに、「ヨーロッパ」という思想的な地層を形成してきました。そうした思想的な地層のうえで、連邦国家という容易には到達しえない目標を立て、それに向かって具体的な協議を重ねた結果が現在のEUです。たしかにEUが連邦国家になることは難しいでしょう。しかし、それでも具体的な議論を経て、当初想定したものとは異なる、「中途半端なものとして安定している」システムができ上がっている点が重要です。/このヨーロッパの経験に照らし合わせれば、東アジア共同体がすぐに生まれるははあ りません。しかし、アジアとはいったい何なのかと問い続け、そのうえでアクチュアルな問題として東アジア共同体について協議をしていかなくてはならない。その具体的なプロセスの延長上にこそ、私たちの想定していない何らかの「アジア」というまとまりが構成されていくのではないでしょうか。》(260-261p)

 

この提案を受けた島薗氏の次の発言でこの対談は締められる。

 

《私も中島さんの考え方に共感します。/EUを支えるキリスト教、あるいはカトリック教会というような一元的で強固な共通の基盤がアジアにはない。しかし、一方で、東アジアは多様な思想が多様なまま共存するという経験をずっとしている。ここに独白の可能性があるはずです。/明治維新から一五〇年。この間、日本は、東アジアの宗教や精神文化を遠ざけ、西洋的な近代化に邁進したつもりでいた。しかし、いまや近代的な枠組みを作ってきた国民国家や世俗主義という理念が、問いなおされるようになっています。/だとすれば、現在の危機を奇貨として、私たちは東アジアという枠組みから宗教や精神文化の重要性を考え、それが立憲主義や民主主義とどう関わり合うのかを考えてみるべきでしょう。/そのためには、日本の問題を東アジアの課題として受け取る。そういう視野が必要とされていると思います。/たとえば立憲主義についても、これを西洋からの輸入物としてではなく、東アジアにある思想資源や文化資源から意味づけし直すことができるはずです。/アジア的価値観の中に、いかにして立憲デモクラシーと歩調を合わせる精神性を見ていくか。こういう日本の課題と、中国の中で立憲主義的な動きがどういうふうにあらわれてくるかということを同時的な問題として考えていく。/あるいは中国が多様な民族を共存させていくという課題と、日本が国家主義に向かう流れを克服していくという課題を同時に考えていく。/こうした共通の課題をともに担っていると考え、その解決に向けて自国だけでなく、アジアあるいは東アジアの枠組みで考えていく。それが中島さんのいう「アジアとは何か」と問い続ける態度にも重なるように思います。/たしかに、アジアにはキリスト教のような共通の思想的基盤は見つけづらい。しかし、繰り返しになりますが、多様性に基づくがゆえに、多様性と取り組んでいく経験が糧になる。その経験をイスラーム圈や欧米とも分かち合っていくことはできるはずだし、それこそ日本が世界に今後発信していくべき精神的な貢献だと思います。》261-263p

 

かつて私も「日本会議」的感覚の中にあった。そこから脱け出るきっかけとなったのは、たしかに、副島隆彦氏の「アジア人同士戦わず」の言葉だった。


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朝に出会った者

興味深くよませていただきました。ヨーロッパ的価値に対峙するものとしての東洋的価値を挙げるのは、ある意味、尊王攘夷運動以来、日本人が持ち続けてきた、ある種の情念のごこときものかもしれません。それゆえ、ブログの内容には、共感を覚えるのですが、また、それゆえの危惧も覚えざるをえないのです。

日本会議と安倍晋三に対する評価は、私の興味からはまったく関係のないところにあります。私が危惧を覚えるのは、
「戦後教育」の結果へのアンチから出発した運動は、戦後を否定するあまり闇雲な戦前の肯定となり、必然、「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底する。
の記述です。「闇雲な戦前の肯定」はなぜ「個人」の前に「国家」第一の「全体主義」ヘと通底するのか。

こうした見通しを示したのは丸山真男であったと申し上げれば同意していただけるとおもいます。失礼ながら、時間の合間をぬってこの文章を書いていますので、確かめる余裕はなく、うろ覚えの記憶をたどれば、丸山は、戦前の日本を全体主義国家として定義しようとしましたが、日本にはヒトラーもムッソリーニもいませんでした。そこで、全体主義の責任を地方の知識人――教師・僧侶・神主――と天皇に押し付けたのではなかったのですか。そして、自らを含む一流の知識人は全体主義に抗した人間として免罪符を与えたのだとおもいます。

丸山の死後、丸山が徹底的に批判されたのは当然です。そもそも、丸山が全体主義と指摘したのは、戦時下にある特有な体制であり、それは、いわゆる民主主義国家といわれる国々でも同様であったことは、アメリカの日系人収容所一つをとっても明らかです。ありもしなかった全体主義を愛国やナショナリズムのせいにすれば、愛国やナショナリズムを見誤らせます。

お断りしますが、私は、ナショナリズムを全面的に肯定する立場には立ちません。愛国は人間としての素朴な感情としての愛国は誰もが否定できないでしょう。それに対してナショナリズムはイズムです。私は、主義というものに一種のいかがわしさを感じ続けています。

しかしながら、偏狭なナショナリズムが大東亜戦争の原因であったなどとする立場は、誤りというよりは、ほとんどねつ造でしょう。この戦争を理論的に指導した大川周明は疑いもなくインドに目を向けたアジア主義者であったではありませんか。北一輝が中国の革命に身を投じたことも疑いのない事実だったではありませんか。彼らが大東亜戦争に重大な責任があったことは誰も否定できないでしょう。ただし、彼らは、疑いもなく、アジア主義者であり、偏狭なナショナリストなどではなかったのです。彼らは東洋的価値を旗印に欧米に対抗して敗れ去っていったのではないのでしょうか。私の彼らへの批判は同情とともにあります。

中島岳志と島薗進の本は読んでいませんが、大川周明と北一輝とどこが違うのでしょうか?

by 朝に出会った者 (2016-06-16 12:06) 

めい

一昨日(15日)の朝に出会った方、早速のコメントありがとうございます。いいところを衝いていただきました。じっくり考えてあらためて返信差し上げます。
by めい (2016-06-17 05:36) 

めい

《両国(ロシアと中国)は素晴らしい文化的豊穣さを持っており、智恵と芸術に満ちている。両国の人間尊重は、欧米のそれより遥かに深い。欧米は、主に、何世紀にもわたり地球を略奪することによって、その富を作りあげたのだ。/人々が思い出せる限りの期間、ヨーロッパも北アメリカも、大量虐殺をおこない、大陸まるごとを奴隷化してきた。同時に、連中は自己賛美し、連中の政治的、経済的、文化的概念を押し進めてきた。連中は自分たちの文化的優位性を主張した。そして連中は、それを大変な力と、途方もない残酷さで、進めてきたおかげで、最終的に、将来のためには、実際、他に代案、他の方法(欧米のやり方以外には)がないことを受け入れるよう、世界の大半を、完全に洗脳することに大成功したわけだ。/・・・実際、ヨーロッパ植民地主義が、地球を破壊し、奴隷化を始めるまでは、世界のほとんどの場所で、欧米のものより遥かに進んだ、より穏やかな社会で暮らしていたのだ。》!

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マスコミに載らない海外記事
2016年6月17日 (金)

ロシアと中国はイデオロギー戦争を強化するべきだ

Andre Vltchek
2016年6月13日

今どき、中東や中南米で、自分はロシア人だと言うと、多くの庶民に抱きしめられることが多いが、そうした感情的な爆発は主に直感的なものだ。極めて効果的な、否定的な欧米プロパガンダで、長年、何十年も爆撃されてきてた後、世界中の人々は、欧米の帝国主義に誇り高くも抵抗してきた二大国ロシアと中国に関して、いまだにほとんど何も知らない。

最近、広範な反革命運動の全てを、欧米があからさまに支持して、進歩的な政権を、文字通り、次々に打倒している中南米に、5週間でかけていた。改革プロセスを救うべく、前に進む道を決めるのを助けようと、現地の左翼知識人たちと一緒に働いたのだ。

だが私は、ロシアと中国に関して、現地では、ほとんど知られていないことに衝撃を受けた。愛国的中南米左翼にとって、何十年もの根っからの二つの同盟国について。

“プーチン支持ですか、反対ですか?”それと“中国は本当に、今は、我々が読んでいる通り、資本主義なのですか?”

これは、良く聞かれる二つの質問だ。

もちろん、キューバではそういうことはない。帝国のプロパガンダ・メディアがほとんどないキューバは、実際、地球上で、最も良い教育を受けた、知識ある社会の一つだ。キューバでは、人々は、欧米帝国主義に対する、こうした長年の、何世紀にもわたるロシア人の勇壮な闘いの全てを知っている。キューバでは、中国が、本質的に、国民のための繁栄する社会を作り上げるために、管理された資本主義の手法もいくつか活用している明確な中央計画の共産主義(しかも成功した)国であることを良く知られている。

だが、アルゼンチンやチリのような教養のある国々でさえ、そして、エクアドルやベネズエラのような、進歩と革命の中心地でさえも、世界の二大国は誤解されていることが多い。中南米の大多数の人々は、ロシアにも、中国にも教官を感じるかも知れないが、両国の現実について深い知識を持っていない。

中南米左翼は、ロシアや中国とも、更に南アフリカ、イランや他の誇り高い国々とも協力してる欧米帝国主義に抵抗している戦線の極めて重要な要素の一つなのだから、これは実に残念なことだ。

こうした全ての理由を理解するのは容易だ。中南米の最も革命的な国々においてさえ、欧米マスメディアは、通常、右翼大企業のケーブルTVや衛星放送局によって、しっかり存在感を確保している。大半の大手新聞は現地実業界の手中にある。

だから、ロシアと中国については、否定的で、誤解を招くような情報が常に流布されている。人々は、テレビ番組、発行部数の多い新聞や、輸入(欧米)映画によって、そうした情報で爆撃されているのだ。

多くの人々が反抗している。彼らは直感的にロシアと中国にすがりつきたがっている。だが彼らには十分な“弾薬”がない。彼らは、前向きの士気を鼓舞する十分な情報が得られないでいる。一方、批判する側は、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンやマドリッドで大量生産される悪質なプロパガンダで完全武装している。

アジアにおける状況はもっと酷い。

そこでは、二つの主要敵国の信頼を損なうべく、帝国は、使えるあらゆる資源を実に徹底的に動員している。

インドネシアやフィリピンなどの国にいる友人や同僚と話してみると、大半の人々が、ロシアに関しては、ごく僅か、というよりほとんど何も知らないことがわかる。いまだに、冷戦中、そして冷戦後の型にはまったものでしか見られていないのだ。欧米のプロパガンダ装置は、ロシア人を、冷たく、攻撃的で、洗脳されていて、危険だと描いてきた。

偉大なロシア文化、ロシア芸術や、ロシア人の格別の温かさは、大半のアジア諸国の人々にはほとんど知られていない。

シリアのような“人々が、絶対にもっと良く知っているべき”ロシアの素晴らしい外交政策の成功は、インドネシアやマレーシアなどのイスラム教の国々においてさえ、歪曲され犯罪にされている。

何十年もソ連と親密なインドでは、状況は、もう少し明るいが、それもごく僅かな教養ある人々の間に限られる。インドでは、世界の他の国々と同様、大企業志向で欧米志向のマスコミが、帝国の邪魔になるもの全てを悪魔化し、欧米権益を巧妙に擁護している。

中国は、ロシア以上に、より大きな力、悪意ある力で標的にされている。成功した共産主義の中国は、欧米やアジア現地の‘エリート’にとって最悪の悪夢だ。

プロパガンダ装置の全てが今や暴走状態で、イデオロギー的攻撃と否定的メッセージを振りまいている。地球上で、最も平和的な大国が、侵略者で、地域と世界の平和に対する脅威のように描かれている。フィリピンや他の国々で、欧米グローバル権力は、最も安価で、極めて危険な、好戦的な形の民族主義を刺激している。

革命後、中国から去った人々の子孫で、主に反共産主義者が暮らしている東南アジアにおける中国人居住地は極めて重要な破壊的な役割を演じている。

アメリカ合州国/NATOが、軍事基地で、ロシアと中国を包囲し、新たな攻撃ミサイル・システムを配備していることには誰も気がつかないようだ。二十世紀における欧米によるアジア侵略で何千万人もの人々虐殺されたことについては誰も語らない。

アフリカや他の場所でも、状況はさほど変わらない。

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確かに、欧米プロパガンダに対抗するために、ロシアも中国も相当な資源を投資している。RT、スプートニクやNEO (New Eastern Outlook)などは、いずれも、極めて効果的な世界情報源、知的な解毒メディアになっている。

だが欧米は、依然、より多く投資している。イデオロギー戦争は、最近、アメリカ政府内でさえ、あからさまに議論されている。ロシアと中国が抵抗すればするほど、両国が自らを守れば守るほど、欧米プロパガンダは、益々洗脳キャンペーンを強化する。

ロシアも中国も、自国の利益のためだけでなく、世界平和のためにも、もっと色々すべきなのは明らかだ。

中国とロシアの偉大な実績は詳細に説明されるべきなのだ。こうした情報は世界のあらゆる場所に広められるべきなのだ。

この分野では、海外で見られる中国マスコミは、依然余りに‘及び腰’で融和的にすぎるので、中国は、ロシアに学ぶべきだ。強力で、何世紀もの歴史を持つ欧米プロパガンダや洗脳計画に対抗するための本当の力と決意が必要だ。膨大な予算も必要だ。

だが、知的‘レジスタンス’やイデオロギー戦争は、政治やニュースや分析の分野だけで戦われるべきというわけではない。中国とロシアの膨大な文化的、知的実績を、全ての大陸の人々が知れるようにすべきなのだ。中国は、主に孔子学院によって、既に多大な努力を払っている。中国はもっと努力すべきであり、ロシアもそうすべきだ。

両国は素晴らしい文化的豊穣さを持っており、智恵と芸術に満ちている。両国の人間尊重は、欧米のそれより遥かに深い。欧米は、主に、何世紀にもわたり地球を略奪することによって、その富を作りあげたのだ。

人々が思い出せる限りの期間、ヨーロッパも北アメリカも、大量虐殺をおこない、大陸まるごとを奴隷化してきた。同時に、連中は自己賛美し、連中の政治的、経済的、文化的概念を押し進めてきた。連中は自分たちの文化的優位性を主張した。そして連中は、それを大変な力と、途方もない残酷さで、進めてきたおかげで、最終的に、将来のためには、実際、他に代案、他の方法(欧米のやり方以外には)がないことを受け入れるよう、世界の大半を、完全に洗脳することに大成功したわけだ。

言うまでもなく、当然、ずっと良い他のやり方がある!

実際、ヨーロッパ植民地主義が、地球を破壊し、奴隷化を始めるまでは、世界のほとんどの場所で、欧米のものより遥かに進んだ、より穏やかな社会で暮らしていたのだ。

この事実は、現在ほとんど知られていない。代替案は、もはや主流マスコミでは語られない。より良い世界、より人間的な概念の追求は、ほぼ完璧に放棄された。少なくとも、欧米と、その植民地と‘傀儡”諸国においては。

まるで、欧米グローバル独裁政権によって、世界が無理やり追いやられつつあるこの恐ろしい悪夢だけが、唯一想像可能な我々人類の未来であるかのようだ。

そうではない。地球上には、多くの代替案を提案できる、二つの偉大な国、ロシアと中国がある。両国は欧米からの圧力に耐えられるだけ十分強力だ。両国には、心と頭脳がある。両国には、代替案を提示し、我々人類の将来に関する千年もの歴史のある本質的な議論を再開するノウハウと資源がある。

だが、これが実現するために、まずは世界が、ロシアと中国について知らねばならない。世界は両国の文化を理解しなければならない。

帝国主義に対する戦争は、戦場でだけ戦っていてはだめなのだ。放送、印刷機、コンサート・ホールや劇場においても闘うべきなのだ。優さしさ、人間尊重主義、国際主義や知識は、ミサイルや戦略爆撃機や潜水艦より、ずっと強力な武器として機能しうるのだ。

アンドレ・ヴルチェクは、哲学者、作家、映画制作者、調査ジャーナリストで、Vltchek’s Worldの作者で、熱心なTwitterユーザーで、特にオンライン・マガジン“New Eastern Outlook”に寄稿している。

記事原文のurl:http://journal-neo.org/2016/06/13/russia-and-china-have-to-step-up-ideological-war/
by めい (2016-06-17 05:41) 

めい

華厳哲学の「事事無礙」(=個別が普遍を通さずにやりとりし、そこに障礙がない ←→「理事無礙」)
《そこでは、普遍的な原理が個別を統合しているのではなく、ただ全ての存在の基底(あたかも大きな画布=カンバスのようなもの)の上で、多様な個別が共存している状態ではないかと思います。/東南アジアでは、このような異質なものの共存がすでに見て取れます。北東アジアでも同じようなあり方が可能ではないかと思います。事事無礙の原理に基づいた東アジア共同体が、これから形を現すかもしれません。》

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358:mikionz: 2016/06/26 (Sun) 11:47:34 host:*.com.bn
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15749312

英国の国民投票の結果についての次のブログの記事と、それに対する最初のコメントとのやりとりがとても興味深いです。

https://blog.ladolcevita.jp/2016/06/25/pandoras_box_called_brexit/

英国で起こっていることは米国で起こっていることと同じで、システムに対する大衆の反乱だと思います。この反乱の兆候は英国だけでなく、ヨーロッパの各地でも見られます。

歴史的に戦争ばかりやってきたヨーロッパが、欧州連合(EU)という形で戦争の神マルスを始め色々な魑魅魍魎たちを封じ込めたのに、そのやり方のしわ寄せが大衆に来て、今やそれら大衆の不満がEUシステムに向けられるようになりました。

欧米の知識人らコスモポリタンたちは、このパンドラの箱からこれら危険な魑魅魍魎が再び飛び出してきて、ヨーロッパがかつてのような戦場に戻ることを恐れています。

しかし、見方を変えれば、EUシステムは、新自由主義によるグローバル化のヨーロッパ的な現れであり、同様のシステムが米国でも支配しています。そして、このシステムに対する反逆が、サンダース現象、トランプ現象として噴出しています。

世界各地で今起こっていることを見て感じるのは、普遍的なシステムで地球上の多様な人間共同体を統合するという発想に対し異議が上がっているのではないのかということです。つまり、普遍で個別を統合する方法への疑義です。

普遍による個別の統合とは、華厳経の哲学における「理事無礙」(=普遍と個別の間に障礙がない)を指します。これが問題となった今、これに代わるものを探すなら、同じく華厳哲学の「事事無礙」(=個別が普遍を通さずにやりとりし、そこに障礙がない)に行き着きます。

そこでは、普遍的な原理が個別を統合しているのではなく、ただ全ての存在の基底(あたかも大きな画布=カンバスのようなもの)の上で、多様な個別が共存している状態ではないかと思います。

東南アジアでは、このような異質なものの共存がすでに見て取れます。北東アジアでも同じようなあり方が可能ではないかと思います。事事無礙の原理に基づいた東アジア共同体が、これから形を現すかもしれません。

by めい (2016-06-26 19:44) 

めい

《有象無象の人々の集まりである日本会議の会員が最大公約数的に一致できるポイントは『左翼が嫌い』『女・子どもは黙っていろ』という点です。ポジティブな運動をするよりも、ネガティブな運動をする方が人は団結します。》
全共闘の時代の1960年代後半、出発点においてそうだったのです。
副島隆彦氏の鋭い指摘があります。
「サヨクもウヨクもマルクス主義幻想から訣別せよ」
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2016-05-06

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憲法改正はあるのか?安倍政権に圧力をかける謎多き市民団体「日本会議」のベールを剥がす © REUTERS/ Toru Hanai
2016年07月13日 22:27(アップデート 2016年07月14日 00:03)

10日の参院選で与党が勝利し、憲法改正にリアリティが出てきた今、急にメディアを賑わすようになり、海外からも注目を集めている組織「日本会議」。スプートニクは、今年4月に発売されたベストセラー「日本会議の研究」の著者、菅野完(すがの・たもつ)氏に話を伺った。本稿では、インタビューの抜粋をお届けする。

© REUTERS/ TORU HANAI
ベストセラー『日本会議の研究』の著者、菅野完氏に聞く!安倍政権に影響を及ぼす市民団体、日本会議の正体とは?

スプートニク:ひとことで言えば日本会議とは何なのでしょうか。
菅野氏「メディアではよく、会員数約3万8千人の日本最大の右派系市民団体という風に表現されます。私も基本的には、その見方で間違いないと思っています。」

スプートニク:海外メディアではナショナリスト団体、安倍政権を操る極右団体とも表現されています。右派系市民団体、という表現と温度差がありますね。

菅野氏「日本会議の主張(皇室崇敬、再軍備、憲法改正、外国人参政権の反対など)はとてもナショナリスティックです。一方、『安倍政権を操る』というのは、正確に言えば、そうとも言い切れない側面があります。確かに安倍政権の閣僚の多くは日本会議国会懇談会という議員連盟に所属しています。その意味では日本会議が安倍政権に対し、強力な圧力をかけているのは事実です。安倍晋三氏個人に対する影響力、これまでの付き合いの長さ・深さを考えると、日本会議は無視できない存在です。

しかし日本会議が自民党の強力な支持母体なのかどうか、という点で考えると日本会議の票数は大したことはありません。国内外の圧力団体に比べると、組織としての力はきわめて限定的だと思います。日本会議の運動だけが安倍政権を誕生させたのではありません。」

12日、日本会議は参院選の結果を受け、オピニオンを公式サイトに掲載した。それによれば「憲法改正に前向きな政党が3分の2の勢力を確保したことは、国民の間の憲法改正への理解が表れた結果であると受け止めている。各党はこの民意を厳粛に受け止め、速やかに国会の憲法審査会の審議を再開し、改正を前提とした具体的な論議を加速させるべき」とある。

同サイトのトップページには、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」という団体のバナーがある。菅野氏によれば、「日本会議」と「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、名称も所在地も異なるが、ほぼ同じ団体だ。田久保忠衛氏や三好達氏、椛島有三氏といったメンバーがどちらの団体でも主要ポストを占めている。美しい日本の憲法をつくる国民の会は、日本会議が憲法改正運動を行うときに使う団体名称であると言える。菅野氏は「憲法改正の内容について言えば『あまり具体的ではない』というのが日本会議の特徴。それが日本会議を理解するための鍵になる」と指摘している。
スプートニク:あまり具体的ではない、ということで言えば、日本会議地方議員連盟のメンバーと話していると、日本会議の公式見解とギャップがあると感じています。個人的に話す限り、彼らは本当に日本のことを憂いているように思うのですが。

菅野氏「憲法改正において、憲法何条をこういう風に書き換えるといった具体案は、両団体とも明確に出したことはありません。美しい日本の憲法をつくる国民の会は1000万の署名を獲得する運動をしていますが、署名の際に配られる紙にも『憲法改正を求めます』としか書いていません。あまりにも多種多様な人々が日本会議の中に集まっているため、どの条文をどう変えるかを書くことができないのです。憲法九条を変えるのが先だという人もいれば、緊急事態条項を入れるのが先だという人もいて、会の総体としての意見を集約しきれていないのです。憲法改正をするのだ、という一致点だけがある。そのような具体性のなさが、ギャップという形であらわれてくるのだと思います。」

様々な思想をもつ人々が集まり、具体性のない改憲活動をしている日本会議。それにもかかわらず一万人規模の動員力があったり、一致団結することができるのは、彼らに共通するポイントがあるからだ。

菅野氏「有象無象の人々の集まりである日本会議の会員が最大公約数的に一致できるポイントは『左翼が嫌い』『女・子どもは黙っていろ』という点です。ポジティブな運動をするよりも、ネガティブな運動をする方が人は団結します。とりわけ日本社会の場合はそうです。日本会議は公式サイトで、設立以前から2007年まで展開してきた運動を年表形式で公開しています。それを注意深く読んでみると、彼らが運動と称するものは8割方、夫婦別姓や男女共同参画事業等、何かに対する反対運動なのです。これが日本会議の運動の歴史です。憲法改正もその延長線上にあると捉えれば、日本会議の意図や目標が透けて見えてくると思います。」
スプートニク:日本会議は宗教団体であるという指摘もあります。しかし役員名簿によれば、色々な宗教の代表者が会員になっており、系統がバラバラです。日本会議と宗教の関係はどうなっているのでしょうか。

菅野氏「日本会議は『日本を守る会』『日本を守る国民会議』という2つの団体が前身となっています。このうち前者の日本を守る会は、宗教団体の集まりでした。彼らは、反創価学会・反共産主義という2つの意図があって集まったのです。1970年代当時、各種宗教団体にとって、ライバルであり脅威であったのは、創価学会です。当時の公明党はきわめてリベラルな政党で、それに対抗する必要がありました。なおかつ日本の宗教界が警戒していたのは共産主義でした。

創価学会以外の日本の宗教団体は、単独では集票力がありません。集まらないと、候補者の一人も立てられないというのが実態です。日本会議を宗教団体だと見るのは誤りで、『宗教団体の連合体』だと見るべきです。もともと反創価学会と反共産主義という意図で集まったので、日本会議の中に仏教もキリスト教も神道も入っているのです。」

もとは反創価学会を軸にして集まったはずが、自民党が公明党と連立を組んでいるというのは日本会議にとって皮肉な話だ。しかし菅野氏は「それこそが自民党のきわめて冷静なマキャベリズム」だとみている。

菅野氏「おそらく日本会議は、歴史的な経緯から、自公連立政権の存在を快く思っていないはずです。しかし公明党は自分たちと創価学会を守るためにも、与党側にいる必要があるので、石にかじりついてでも自民党についていく、という方針を固めているでしょう。今、日本は高齢化という大きな問題を抱えています。高齢化が政治の世界に影響を及ぼし、農協や労組といった圧力団体が弱体化し機能できなくなってきています。みな高齢化と長引く不況で元気がないのです。そんな中、かろうじて組織立った運動ができるのは宗教団体のみです。大きな集票力をもった公明党・創価学会と、宗教団体の連合体である日本会議の両方に足を置いている今の自民党は、『日本社会の中に残った数少ない圧力団体を自分の集票力に変えている』と言えなくもありません。これが今の自民党の強さを呼んでいるのだと思います。」
労働組合に基盤をおいている民進党も、労組の弱体化が激しく、思うような選挙展開ができなかった。野党を支持する圧力団体の機能低下を考慮すれば、参院選で与党が勝利したことは非常に納得がいく。

菅野完氏のフル・インタビューはスプートニク・ポッドキャスト「話題のテーマ・インタビュー」コーナーの「ベストセラー『日本会議の研究』の著者、菅野完氏に聞く!安倍政権に影響を及ぼす市民団体、日本会議の正体とは?」をお聴きください。
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160713/2480484.html

(菅野完氏プロフィール)1974年、奈良県生まれ。一般企業のサラリーマンとして勤務するかたわら執筆活動を開始。退職後の2015年より主に政治経済分野での執筆を本格化させる。2016年4月、扶桑社系ニュースサイト『ハーバービジネスオンライン』での連載をまとめた『日本会議の研究』(扶桑社新書)を上梓。発売後またたく間に12万部越えのベストセラーとなった。他に『保守の本文』(扶桑社新書)、『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共著・河出書房新書)など。

by めい (2016-07-14 06:02) 

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