妹背の松(相生の松) [地元のこと]
ふるさとの文化財
県指定天然記念物 妹背の松(南陽市)
2本連結、「夫婦相生」の姿
南陽市宮内の双松公園北側に妹背の松が立つ。樹齢約350年で、同公園の名前の由来となっている。南北に並立する2本のアカマツが地上約4m付近で連結する、いわゆる連理の松だ。その樹形から寄り添い、支え合う「夫婦相生(相老い=共に長寿)」の姿に見立てられている。樹勢に衰えは見えず、1956(昭和31)年に県の天然記念物に指定された。
連理とは樹木の幹や枝が癒着・結合したもの。米沢生物愛好会顧問の石栗正人さん(92)は次のように解説する。 2本の樹木が幼木時から隣接した形で生育。やがて双方が成長し、密着するようになる。密着部分は樹皮が形成されず、組織が接合した状態のまま生育する。妹背の板について「一方の幹から突出した枝がもう片方の幹に突き刺さるような形で合体。樹齢は35O年ほどと思われるが、老木になると樹皮が硬くなる。おそらく樹齢50年ころまでに合体したのでは」と推測する。
妹背の板は直立する南側が高さ約15.8m、幹回り約2m。斜めに立ち上がる北側が高さ約9.5m、幹回り約2.35mで、西方に10mほど地面をはうように伸びている。結合部は約60cmの長さで、ごつごつとした樹皮も一体化。結合部から下部は密着しているが、上部は離れて枝を張っている。72(同47)年発行の「山形県の文化財(県教育委員会編)」に掲載された写真と見比べてみた。枝ぶりは現在の方が勢いが感じられ、まだまだ成長段階にあるようだ。
妹背の松は昭和30年代に枯死状態になった。このため宮内婦人会(当時)の会員が18リットルの日本酒と30キログラムの油かすを肥料として施したところ、生気を取り戻したという。「松は酒好き」という伝承にヒントを得て行われたものだ。68(同43)年6月1日発行の南陽市報には、かっぽう着にほっかむリ姿の女性10人ほどが一升瓶で酒を注ぐ様子の写真が載っている。日本酒に含まれる成分が土壌活性化に効果があったのかは不明だが、十数年続いた当時の恒例行事だったようだ。
民話の里・南陽市だけに、妹背の松についての昔話が今も語り継がれている。長谷観音(置賜三十三観音第30番札所)の再建にまつわる悲恋の物語だ。お堂の彫り物を任された彫師の娘お梅と彫師の弟子松蔵が恋仲になった。だが、彫師は娘をもう一人の弟子である竹蔵の嫁にしようと考えていた。逢瀬(おうせ)を重ねるお梅と松蔵に逆上した彫師はお梅を切り殺してしまった。その晩、松蔵は霊となって現れたお梅と地に入水(じゅすい)した。村人は2人の遺品のあった場所に2本のマツを植えて供養した。いつしかマツはI本に交わり、妹背の松になったという。
妹背の松を管理する市社会教育課文化係の嶋貫幹子係長は「連理はとても珍しい現象。松くい虫の被害防止や雪の重みで枝が折れないよう注意を払っている」。また、地元菖蒲沢地区の地区長・宮沢和宏さん(69)も「子どものころは2本の木の隙間を通って遊んだが、今は成長してふさがってしまった。地域で年4回、マツ周辺の草刈りを実施して環境整備に努めている。今後も大切に見守っていきたい」と話し、行政・地域が一体となって地元の宝を守り続けている。
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