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保守の試練(アーモンド苗木植栽) [地区長]

12-DSCF4334.JPGアーモンド植栽予定地(5/15朝撮影)。熊野の森を望む。


「保守」とは何か。自分自身「保守である」と思う者として、中島岳志氏の考えに同意する。なるほどと思えた。 

 

《保守というのは・・・人間の理知的な側面によって人間が進歩した社会を設計できるのかといえば、無理だろうと考える。つまり、人間には嫉妬ややっかみ、エゴイズムといったマイナス感情を捨てきれないし、たとえば生まれ育つ場所や母語、親を選べないとか、さまざまな限界があります。もっと言えば、誰でもいずれ死ぬわけだから、「身体」「生命」という限界もあるわけです。

 であれば、その「無限の理性」を信じるのではなく、「人間の限定性」ということから考えて、人知を越えたもの――伝統や慣習や経験値、良識、あるいは神といった形而上学的なものに依拠したほうがまともな社会になるんじゃないか、と。その上で時代状況に合わせた、漸進的な改革をしていくべきだというのが保守の合意なわけです。

 だから、簡単に言えば保守というのは過去も未来も全面的には信じていないんです。人間が限界を持つ不完全な存在である以上、過去においても人間社会は不完全だったし、未来においても不完全なまま推移せざるを得ない。その中で、時代状況に合わせて漸進的な改革をしていこう、という考え方であって、過去の一点に戻れば理想社会になるとも、未来に理想的な社会をつくれるとも考えない。そういう立場を保守というんだと、僕は考えているんです。》http://www.magazine9.jp/interv/nakajima/index1.php

 

要するに、《時代状況に合わせて漸進的な改革をしていこう、という考え方》。自分なりに「こうありたい」「こうしたい」という思いは持ちつつも、無理しない、なるようになる、時代に思いを合わせてゆけばいい・・・そんな感じで、よくわかる。

 

地区長会長の任を受けて早々、保守として如何に対処すべきかが問われる事態に直面することになった。その経過を書いておきます。

 

E議員から「アーモンドの苗が届くから宮内に植えっぺ」と言われたのが、地区長会長就任の翌日48日のこと、中学校の入学式で控え室から式場に向う途中。10日のこども園入園式でも言われた。アーモンド構想については以前からE議員からたびたび聞かされてはいたことだった。保守とは対極の急進派であるE議員と歩調を合わせるのは容易でない。いささか辟易しつつ、そんな思いもあって書いたのが417日のまっぴら!一億総活躍社会だった。

 

01-DSCF4167.JPG

3年前に植えたアーモンドの花が咲いていると聞いて、414日の朝、カメラを持って蔵楽(くらら)、花公園に行ってきた。蔵楽では見つけることができなかったが、花公園の北側斎場周辺ではあちこち花をつけた木をみつけることができた。その後420日頃だったろうか、公民館のM館長から「E議員が鉢植えのアーモンド持って来て、双松公園に植えたいんで協力してくれと頼まれた。数日中に苗木が1200本が届くという。」と相談される。難題は「双松公園の緑を守る会」がこの件について消極的であること。ともかく22日文化会館での「吉野川復緊事業の進捗状況と今後の見通しの説明会」のあと二人で担当の建設課へ行ってみることにした。

 

建設課で双松公園景観整備計画に基づいた植栽地図を見せてもらった。旧水源地の西南斜面がアーモンドエリアになっている。ただ課長も担当係(管理計画係)も今後のことについての具体的情報は十分ではない。要するに、南陽をアーモンドの郷にしたいというE議員の並ならぬ政治力の発揮によって、アーモンド苗木購入予算がついて、植栽時期であるこの時期に届く段取りになっているものの、その先のことが十分筋道立てて考えられていたわけではない。あるいは関係各部署で押し付けあった結果、建設課が引き受ける破目になったのかもしれない。とにかくわれわれが提示した案、515日のクリーン作戦にあわせて植栽作業を行うこと、1200本は到底植えきれる数ではないので残った分については希望の個人に栽培をお願いすること等、概ねこれらの了承を得て「よろしくお願いします」の担当係の声を背に受けてその場を立った。

 

双松公園景観整備計画図.jpg

20年前に「双松公園緑を守る会」という会が結成され堅実な活動を積み上げてきた。会員は100名を超し私もその一人だが、活動には参加できないが趣旨には賛同という会員(年会費2000円)も多く、実際に活動しているのは20人ぐらいか。植えられてから大分年数がたって勢いのなくなった桜をまず保護しようということから始まった会だった。当時の地区長会の中心だった安倍(あんばい)さんや神尾さんの発案だったと思う。安倍さんは亡くなって10年以上になるが、この町に本社のある運送会社に秋田から来られてこの地に骨を埋められた。私の父も共に地区長会の仕事をしていたこともあって、私もいろいろ目をかけていただいた人で、懐かしい。神尾さんは畜産技師で吉野から宮内に移られた。長く郵便局長を務め、退職後は地区長会、菊まつり実行委員会、熊野大社総代長、文化懇話会等の会長だった菅野俊男さんも長井から宮内に婿に入った人。なぜかこの時代、宮内は宮内生れ以外の人が先頭に立っていた。「緑を守る会」はその後、市議会副議長も務めたK会長を中心に、ここ数年は桜の苗木を毎年10本ずつ植え、その管理も行き届き、植栽された桜は着実に成長している。双松公園景観整備計画もこの会あってのことだった。本来、双松公園へのアーモンド植栽はこの会の協力無くして考えられない。ところが肝腎のこの会が「管理に責任がもてない」ということで消極的。当然と言えば当然、このことがネックでもあった。

 

桃源郷実現にご協力を.jpg

思い出せばいろいろあったし、思い起こして整理するのも面倒なのでもう書かないが、とにもかくにも諸々調整しつつ、52日の市報発行日に合わせて宮内地区全域に回覧するチラシ原案を建設課に送ったのが27日。ここまでが第一段階。その後も思い起こせばいろいろあったが、とりわけ13日の公的5団体(地区長会、衛生組合、防犯協会、消防後援会、安全協会)の会合では、果樹農家のTさんから具体的な問題の指摘があり、それがいちいちもっともで、大勢が消極的雰囲気となってしまい、それを打開するには頭を下げてお願いするしかない場面にも直面させられたが、結果的には雨降らせて地固まる結果とはなった。515日の植栽に向けて、建設課が予算をやりくりしてエリアを整地してくれたのもありがたかった。当日参加者に配布してもらうチラシの原案を送ったのは、ぎりぎり13日の朝だった。「事後の管理も大切です。時々足を運んで目をかけてやって下さい。」と訴えておいた。

アーモンド苗木の植え方.jpg

 

11-DSCF4331.JPG前日の14日、琴平神社祭典反省会の席で苗木が届いていることを聞かされていた。当日15日、3時頃に目が覚めた。見事な天気だった。すっかり明るくなった4時半過ぎスコップを積んで公園に向った。苗木は思っていたよりずっと立派だった。エリアに入って何カ所かスコップをさしてみた。笹の根が張っているところはきついが、まあまあ大丈夫だった。5時半、花火が上がってまもなくから人が集まり出す。クリーン作戦開始時刻の6時にはもう作業真っ盛り。昨日からあった苗木がすべてではなかった。30本入り段ボールが20箱ぐらい、トラックで届く。これだけの数の苗木を消化できるのか、しばし茫然。16-DSCF4340.JPG 

 

作業参加総勢100人近かったのではないか。委託栽培受託も300本を超えた。作業をすべて終えたのは8時半を過ぎていた。宮神会グループ30人ぐらいと建設課職員が最後まで残った。植栽地はエリアをはみだして所構わずという結果にもなったが、先頭に立つE議員の督励もあって、とにかく消化した。

 

15日、16日は晴れだった。天気予報では16日夕から雨になるはずだった。17日の朝4時頃、玄関の戸を開けたらほんとうにちょうどいい雨が落ちていた。天が味方してくれたと思った。そうして今思う。


「保守」とは何か。

天と心を一つにすることを以て「保守」という。

天と心が一つになることを以て「保守」という。

 


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