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古文献にあらわれる羽前国・置賜郡(石黒吉次郎論文) [地元のこと]

石黒吉次郎論文.jpg

昨年「宮内歴史を語る会」が中心になって石黒吉次郎先生講演会を開催したが、その内容をまとめた論文を、先生の同級生S氏を通していただいた。昨年私が講演後書いた「おしょうしな(ありがとう)」の起源 に関わる箇所を読み込んでおきます。「おしょうしな」は、上杉以前からこの風土に根付いていた心映えのあらわれであることがうかがえます。


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古文献にあらわれる羽前国・置賜郡(石黒吉次郎専修大学文学部教授)


四 近世の諸国話から


 地方の出来事は諸国の話として近世文学に多く見られるが、諸国話は古く『日本霊異記」あたりに淵源があり、鎌倉時代の無住の「沙石集」にもそうした面がある。他国の人の目から見た出羽として、まず戦国時代に成立したという「人国記」出羽国を見てみよう。


 出羽の国の風俗は、奥州に大体替らざるなり。然れども奥州の風儀よりは律儀なる所ありて、智も亦上なり。武士は我が主・親へ忠孝の志あり。下を使ふの法を沙汰し、下臈は上をうやまふ心あり。百姓は地頭を頼む心入れありて、他の村郷の者、我が地頭を誹るを聞きては、則ち勝負を付くるの類にて、完に頼もしく、しをらしくこれ有るところ多くあるなり。

 蓋し此の国の者、都て吾が国は遠国・偏土にして、かたくへなき国風なる故、恥づかしきなどと云ふ風俗なり。これに因って奥・出両国の者は、四民ともに礼厚きなり。


 出羽の人達は陸奥よりは律儀で知恵があり、主人思いでもあるという。また田舎風を恥じて、かえって礼儀正しいともある。これについては佐藤成裕(中陵と号す)の『中陵漫録』巻六・奥州の人風(序文・文致九年=一八二六年)でも、


 余、奥州に遊行して見るに、人風、古と異る事なかるべし。羽州米沢のごときは、人国記に記す如し。


と賛意を表している。

 ただし関西人の橘南谿は出羽に手厳しい。「東遊記』(序文・寛政七年=一七九五年)の補遺・文書拭機に、


 日本の国にても西の方は文華也、東の方は野鄙也。殊に東北の国々は文筆一向に行はれず誠に無仏世界ともいふべし。

 出羽に遊びし頃、彼地の風俗を見るに、物書きし手俗の反古、或は帳面の古き杯に人皆鼻をかみ厠に用ひて糞を拭ふ。甚しきは四書五経其外の書籍の古きにて肛門を拭ふに至る。誠に見るにしのびざる事也。身柄よき人までも多くはかくのごとし。西国にては日向など少し是に似たるにや。


と、出羽は文化果つる所であるとしている。他国の人はその国のすべてを見るわけではないので、好感の持てるものを見聞するか、たまたま嫌悪すべきものを目撃するかで印象が違ってくるのであろう。ただ出羽では精神文化より実用的な面が重んじられてかくあったかとも思われる。なお『東遊記』は出羽国でも庄内地方の記事が多い。


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