「文学碑のある風景 佐佐木信綱」(山形新聞28.4.28) [宮内よもやま歴史絵巻]
やまがた 文学碑のある風景 佐佐木信綱
民間歌人初の宮中の歌会始選者
他界した弟子しのぶ
南陽市宮内の双松(そうしょう)公園は、春に多くの桜が咲き、6、7月にはバラが来園者を楽しませる憩いの場だ。公園の坂道を車で上る。フロントガラスをピンクの花びらが彩る。広場に着き、木を見上げると、少なくなった花を目当てに大きなハチたちが飛び回っている。青空から降り注ぐ強い日差しに、手をかざした。
山のうへに朝の光のてりみちて金色の水かがよひにほふ
歌人・国文学者の佐佐木信綱(1872〜1963年)が、光あふれる穏やかな情景を詠んだ歌碑が、公園内の琴平神社にある。佐佐木は第1回文化勲章受章者。1947(昭和22)年に斎藤茂吉、窪田空穂らと民間歌人初の宮中の歌会始選者を務めた人物だ。佐佐木と宮内地区にどのような関係があったのだろうか。
同地区の粡町商店街が作った「宮内よもやま歴史絵巻」などによると、佐佐木の弟子に宮内出身の須藤るい(1890〜1961年)がいた。るいは、吉野石膏の創業者須藤永次(1884〜1964年)の妻で佐佐木が主宰する短歌結社に入会、歌道に精進した。静岡県熱海市の佐佐木宅と須藤夫妻の住まいが近く、交流があったのだという。そうした縁で、宮内地区には須藤家別邸、長谷観音、琴平神社に計四つの歌碑が建てられた。
琴平神社には、双松公園の環境整備など郷土の発展に多大な貢献を続けた須藤夫妻の胸像が立っている。その傍らに、他界したるいをしのぶ佐佐木のもう一つの歌碑。
ありし世にわが背守リましきみづから乃よになき今も吾せまもる刀自
宮内地区の街並みを望む神社の石段に桜が舞った。(報道部・鈴木悟)
* * * * *
関連記事です。
5月4、5日が琴平神社、魚籃観音の祭禮日です。粡町、久保、足軽町、横町、仲ノ丁の五町内で行います。私が中学3年生の時(昭和38年)に始まった子供神輿も、今年は子供の数が少なくなって、とうとうトラックの荷台に載せての渡御になってしまいました。40年前に始まった粡町共栄会も平均年齢もう70歳。5月4日の夕方、今年も売店を出します。気分は40年前と変わりません。
コメント 0