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木村東介「宮島詠士」(1) 日本美術史俯瞰 [宮島詠士]

358:木枯し紋次郎 : 2016/01/12

(Tue) 07:37:49 host:*.ncv.ne.jp


戦争屋の出番です。中東で追い出されたんで北東アジアで大活躍


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尖閣侵入なら、海自が海上警備行動…中国に通告

読売新聞 112()37分配信

政府が中国軍艦による尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領海(周囲約22キロ)への侵入に備え、新たな対処方針を決めていたことが分かった。国際法に基づく無害通航を認めず、海上警備行動を発令して自衛隊の艦船を派遣し、中国軍艦に速やかな退去を促す。新方針は、昨年11月の中国軍艦による尖閣諸島周辺の航行後、外交ルートを通じ中国政府に通告された。国連海洋法条約は平和や安全、秩序を脅かさない限り、軍艦であっても他国の領海を自由に通航できる無害通航権を定めている。ただ、中国は尖閣諸島の領有権を主張しているため、無害通航を求める可能性は低いと日本政府はみている。「中国が『無害通航だ』と主張することは、日本の尖閣諸島領有権を認めることと同義になる」(外務省幹部)ためだ。

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引用ここまで


「オレの領海だ」って言ったらどうするんでしょうW。

俄然きな臭くなってきました。今までの海保での対応ではお手上げということです。

実質上支配されていたということです。

アベノミクスが大失敗に終わったんでここらで民百姓の目線を外に向けさせようという腹積もり。

中国の船が出て来るたびに海上警備行動です。

飯山一郎へ伝言・密告・質問・短信etc -13-

 

女坂界隈.jpg

ちょうどこの記事を読んだ日、貸したことも忘れていた本が戻ってきた。木村東介著『女坂界隈』(大西書店 昭和511976)。中にはさまっていた古本屋の領収書の日付は2008/10/01とある。その頃一度は読んだのはちがいない。中に「宮島詠士」についての文章(昭和42年5月 1967)を見つけ、ぱらぱら見て驚いた。詠士の門人たち四、五十名ずらり挙げた後、門下たちはいずれも日本の容易ならざる人材なのに、その力量に至っては到底東条の独断に抗し得なかったということに、救い難き日本の悲割がはらんでいたと思わずにはいられない。》の箇所に眼が止まったのだ。じっくり読まねばならない、そして多くの人に読んでももらわねばならない文章だ。そう思えてとにかくOCRで読み込んだ。何回かに分けて紹介したい。まず導入部分、「書画屋」木村東介氏による日本美術の俯瞰図です。


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宮島詠士

  —詠士書道とわが審美異説—

(一)


日本美術史俯瞰

 

銅版画 詠士像-1.jpg

 「一に円空、ニにニ天、三に写楽、四に詠士、五に利行」わたくしは、これを「日本の五大芸術」と称して、いささかも暴言とは思っていない。徳川以降の四百年間を通じて、これは世界に冠絶する、恐るべき日本の芸術だと思っている。

 円空と利行のわからぬ者に、真の美術がわかるわけがないと断定して、今まで嫌われてきたわたくしであるが、さらに宮島詠士の書をこれに加えたい。木彫の円空、絵画の二天、浮世絵の写楽、書道の詠士、油彩の利行というわけである。

 といって五大芸術の提唱そのものがいまの目的ではない。五大芸術の提唱だけにかじりついて、他の芸術を顧みるゆとりがないほど頑迷狷介だとは思っていない。

 例えば、円空の場合は当然、木喰や風外、白隠、仙厓もしくは明月、良寛、慈雲、寂巌なども配列の中に入れたいし、二天の場合は、牧渓、因陀羅、祥月、梁楷などを、むしろ二天の師としてこれを敬い、その内容にいたっては遠く二天の及ぶところでないという常識ぐらいはわきまえているつもりである。ただ前記四大禅画は、わたくしの立脚地より距離が極めて遠く、しかもいずれも中国の巨人であって、日本人として身近ではないのである。

 当初、わたくしは、「二に宗達」とすべきかどうかで迷っていた。慶長、寛永年間に鷹ケ峰工房にいた、いわば光悦傘下の宗達の雄大なスケールは、事実、二天の芸術をはるかに凌駕してもいる。特に、当時一般に流行した雲谷、狩野、土佐、住吉、阿弥派等々の盛んなるとき、かれがそれらにとらわれず、勝手気ままな、やりたい放題の芸術を表現していたことは、誠に異彩でもある。が、死生の間をかいくぐって体得した二天のエスプリには到底及ぶものではない。さらに、表現された一部分よりも、そこに埋蔵された広大な奥行きを芸術の尺度とする場合、やはり二天のほうに優れたものを感じるのである。

 光琳芸術は宗達、宗説または光悦、あるいは父宗謙などの類型であり、四人の素朴に比して極めて豪華絢爛であることのため権力に奉仕し、財力におもねった画家として長年減点してきたものだが、最近、奥州秋野家伝来の三十六歌仙を見るに及んで、その野放図で、権力、財力くそくらえの肝っ玉には大いに魅了され、「二に光琳」とすべきかと迷ったほどである。

 浦上玉堂や池大雅あるいは富岡鉄斎などは、むろん日本では最高に傑出しているが、中国の石濤、倪雲林、新羅山人、金冬心、八大山人らがすでに中国にあり、そちらのほうが上位にあることは決定的であるし、御舟は近世最高の評価を得ているが、初期は紫紅と類型的であり、それに劉生と琳派と桃山美術へ流れてしまい、華岳は、その書体が浦上玉堂に彷彿としており、さらに足利期の古画が根底をなすものと断言して誤りはない。

 詠士については後ほど述べるとして、利行の場合はその生涯があまりにも悲惨でありながら、それにうちひしがれることなく、板橋養育院の死のべッドに横たわる最後まで、己の主張を絵によって叫び続けてきた作家根性が見るものの魂をゆり動かす。岸田劉生にも心打たれる作品にしばしば接し得るが、欧州にデューラーという家元があり、さらに初期浮世絵と宗元絵画の影響が顕著であることによって多少の減点はやむを得ない。万鉄五郎、村山槐多、三岸好太郎、関根正二、靉光、青木繁なども大して優劣を感じないが、利行の一千点に余る作品のただの一点も、資本家、財閥、権力者に媚態を呈して描いたものがないことだけは確かである。

 写楽に至っては、その正体がほとんど不明と言っていいほど、未だ知られていない。わずか一年半の間にあのきらきらした個性に輝く百五十数種の版画を残したということだけで、その生涯に関しては未だ白い靄に包まれたままである。

 ダ・ヴィンチ、ベラスケスとともに世界三人肖像画家と世界の人々から言われているにもかかわらず、日本の美術関係の御役人たちは写楽に対してまことに無関心でいる。

 版画作成以前の写楽、絶版後の写楽、そしてそれとおぼしき彼の肉筆を探すことが日本美術愛好家としての急務である。さてそのことは別としてわたくしは五大芸術の高揚だけか決してわたくしの目的ではないことを理解していただきたい。

 今の日本における美や芸術の評価のあまりにもアンバランスなこと、言いかえれば、大して価値なき媚態美術に、狂気の如き高価暴騰の競い合いを演じ、純正で貴重なものへの関心が極めて稀薄な日本の習性を根底から覆し、焦点の狂っている美の本質を是正することが、わたくしの大それた目的である。そしてその生きた実例として円空、二天、写楽、詠士、利行の五人を列記したに過ぎないのである。

 その中でも最も人に知られない詠士の書を取り上げて、墨の芸術としての最高品であることを一般に認識してもらい、さらに作品の底深く墨の裏側に潜むもの、譬えて言えば、小さな氷塊の下に海底深くわだかまる巨塊が芸術の主体であるべきで、表面に姿を現わしている芸術表現は主体の片鱗に過ぎないということを示すことによって、純正の美術とはいかなるものかを提唱したいのである。(つづく)


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