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『文読む月日』 (トルストイ)(1) 愛国心 [思想]

九月末から、毎朝同じ場所で『文読む月日』(トルストイ/北御門二郎訳 ちくま文庫)を読んでいる。ほんとうにいい本にめぐりあった。その日その日、3ページ分ぐらい数項目にわたって同じテーマの文章が並ぶ。トルストイ自身の文章も交じるが先賢の書からの引用が主だ。その他一週間ごとに数十ページの「一週間の読み物」がはいっている。その日の分読み終えて「一週間の読み物」を少しずつ読み進む。一週間の日々のテーマに関連した内容で、これもほんとうに読ませてくれる。毎朝同じところに坐って読むのに実に都合がいい。上中下各500ページ超を1年かけて読み進むが、何回も何回も繰り返して読むことになりそうな気がする。

 

この書の魅力は訳者の北御門二郎氏に負うところが多い。隙なく行き届いている。トルストイへの心底からの共感のなせる技と思う。

 

北御門二郎氏にはある徴兵拒否者の歩み』(みすず書房)の著がある。5,229円でまだ読んでない。中古本でも安くはなっていない。大事に読まれているの本なのだ。置賜の図書館を調べたら川西町立図書館にだけあった。1983年の旧版(径書房)もあった。さすが遠藤三郎中将を生んだ町だ。(井上ひさしさんも忘れてはなるまい。)

 

十二月九日の項をそっくり引く。


《(一) 人間の使命は、あらゆる人々への奉仕であって、そのほかの人々には悪を行なわざるをえないような、ある特定の人々への奉仕であってはならない。

(二) キリスト教徒にとって、祖国愛というものが隣人愛への障壁となっている。古代社会において、家族への愛が祖国愛の犠牲にならねばならなかったように、キリスト教社会においては、祖国愛は隣人愛の犠牲にならなければならない。

(三) 己れの人生の意味を問おうとしない人々の盲目ぶりも、自然に反するけれど、神を信ずるとしながら邪悪な生活をする人々の盲目ぶりは、さらに恐ろしい。そして、ほとんどすべての人間が、そのどちらかの範疇に属している。(パスカル)

(四) もしも人がその真の本性を失ったなら——どんなものを持ってきても、それが彼の本性ということになる。ちょうどそれと同じように、もしも真の幸福を失ったら、どんなものを持ってきてもそれが彼の幸福ということになってしまう。 (パスカル)

*(五) 悪党の最後の隠れ家——それぽ愛国心である。(サミュエル・ジョンソン)

(六) 愛国心は美徳ではない。国家という時代遅れの迷信のために自分の生命を犠牲にすることが、われわれの義務である道理はない。 (テオドルス)

(七) 現在愛国心は、あらゆる社会的な悪や個々人の醜行を正当化する口実となっている。われわれは祖国の幸福のためという名目で、その祖国を尊敬に値するものとするいっさいのものを拒否するように教え込まれる。われわれは愛国心の名において、個々の人々を堕落させ、国民全体を破滅に導くあらゆる破廉恥な行為に従事しなければならない。 (ビーチェル)

(八) 人々は自分自身の欲のために多くの悪を行ない、家族のためにさらに多くの悪を行なうが、愛国心のためには最も恐るべき悪虐行為、たとえばスパイ行為、民衆に対する苛斂洙求、悲惨極まる人間虐殺である戦争等を行ない、しかもそれを行なう人がそうした悪虐行為を自慢しているのである。

(九) 現在のように全泄界の諸民族間に交流が行なわれているときに、単に自国のみに対する愛を説き、いつなんどきでも他国と戦争をする心構えでいるようにと説くこと——それはちょうど現在睦まじく暮らしている人々のあいだにあって、単に自分の村だけを愛せよと説き、各村に軍隊を集め、要塞を築くようなものである。以前は一国の国民を一つに結んだ祖国への排他的な愛も、人々がすでにあらゆる交通機関や、貿易や、産業や、学問や、芸術や、ことに道徳的意識によって結ばれている現代では、それは人々を結合せしめず、むしろ分裂させるだけである。

(十) 自分の祖国への愛情は、家族への愛情と同様に人間としての自然な性質であるが、それはけっして美徳ではなく、それが度を超して隣人への愛を破壊するようになれば、むしろ罪悪と言わねばならない。

(十一) 現代の人々にとって愛国心はあまりにも不自然で、無理矢理鼓吹されねば生じない代物である。

 それで政府や、愛国心が自分の利益になる連中が、やいのやいのとそれを鼓吹するのである。彼らはもう愛国心など感じない人々や、そんなものはむしろ不利益な人々に向かって鼓吹する。まんまと編されないようにしなければならない。》

 

「(五) 悪党の最後の隠れ家——それは愛国心である。」は、原著では斜体で強調されているという。以前の私なら「待て待て」と言ったかもしれないが、現状日本の政権を見せられていると、「その通り!」と拍手したくなってしまう。安倍首相は日本人にとっての「愛国心」の価値を地に落としめた首相として今後記憶されるに違いない。(つづく)


【追記 2016.8.3】

今朝の山形新聞です。(クリック拡大)

北御門二郎.jpg

 


 


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めい

《「自分自身がイラクの人々にとってのテロだった」》!
元米兵の言葉です。『テロとの戦い』の実相を明らかにするすごい言葉です。

   *   *   *   *   *

元米兵が辺野古で新基地建設に抗議「テロとの戦いのためイラクに派兵されたが、テロは私自身だった」
http://www.asyura2.com/15/senkyo198/msg/270.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 12 月 17 日 01:04:05: igsppGRN/E9PQ
 
元米兵が辺野古で新基地建設に抗議「テロとの戦いのためイラクに派兵されたが、テロは私自身だった」
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/10231
2015/12/16 健康になるためのブログ
http://www.qab.co.jp/news/2015121175614.html

悲惨な戦場を経験した元アメリカ兵たちが辺野古で新基地建設反対を訴えました。

12月11日の朝、抗議行動に参加したのは、アメリカからやってきた「平和を求める元軍人の会」のメンバーらです。

メンバーらは、ベトナム戦争やイラク戦争に行った体験から、アメリカの武力攻撃に反対し、平和を訴える運動を続けていて、「新たな戦争につながる基地は造らせない」と声を上げました。

抗議した元陸軍兵のウィリアム・グリフィンさんは「私は23歳までにイラク・アフガン戦争に派兵されました。どうか現実を見てほしい。中東でISを生んだように、軍隊は平和を築くことはできない。平和を生むのは2つだけ、和解と結束だ」と話し、元海兵隊員のマイク・ヘインズさんは「戦争のための基地はいらないと訴えたい。これ以上基地を造る理由は何もない」

「『テロとの戦い』というもののためにイラクに派兵されましたが、実際の戦場では、自分自身がイラクの人々にとってのテロだった」

by めい (2015-12-17 04:13) 

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