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「宇宙における最高の意識は、たった一つの命を共有している意識です。」 [神道天行居]

マドモアゼル愛さんの「愛の日記」9月25日号■ 宇宙人における人間の位置」は、「人類にとっての『希望』とは何か」という問いに本源的なところで答える味わい深い文章として読みました。要するに、「宇宙における最高の意識は、たった一つの命を共有している意識です。」ここに収斂してゆくのです。9月22日に書いた「『希望』のほんとうの内実」にリンクしました。翌9月23日にはこう書iいています。

《「国民連合政府」実現の鍵は、天皇が握っておられるような気がします。裏返せば、共産党が「天皇」という御存在を素直に理解できるようになるかどうかです。私は共産党にその可能性は十分あると信じています。いわゆるサヨクが「天皇」を理解できるようになった時、風通しがよくなります。日本の空がすっきり晴れ渡るようになります。そうなることを切に願います。》

この時点では、天皇をどう理解するかについて帰納的な方法によって考えていました。問題点をひとつひとつつぶしてゆくやり方です。しかしマドモアゼル愛さんによって、思いっきり演繹的な方法があることに気づかされたようです。「宇宙における最高の意識は、たった一つの命を共有している意識です。」ここから出発して考えるのです。

私にとって忘れられない熊野先生の言葉があります。平成3年11月修斎会の御講話の最後をこの言葉で締めくくられました。

《大祓詞や禊祓詞の巻頭にある皇(スメ)の気線に入ること。皇の線以外では霊的なことがあってもありがたくはありません。結果は悪いです。》

「皇の気線」は「たった一つの命を共有している最高意識」が起点と理解しました。これでひとつ晴れわたるようになりました。ここ数日来唱えはじめた「五十八言秘詞」の導きです。

以下、マドモアゼル愛さんの文章、転載です。


■ 宇宙人における人間の位置2015年09月25日(FRI)

 プレアデス、シリウス、アルクティールス、太陽惑星系、そして地球地底人に至るまで、色々な宇宙人がいるようですが、宇宙人における人間の位置はどの程度のものなのでしょう。

ステルス戦闘機もUFOも、ナチスの高度の科学も、ほとんどが宇宙人からの知恵入れだったということですので、そうなると宇宙人は地球人よりも知的にかなり優れているのかもしれません。

しかし宇宙原理はたった一つしかありませんので、どんなに優れている宇宙人でも、そんなに優れていない宇宙人や地球人でも、同じ原理で生きていることになります。

優れているものは、必ず、無からのエネルギーを反作用によって得ていますので、宇宙の優れた文明や科学は、それをメインにした構成をしているはずです。

物には大きな力はなく、意図によって、意識によってすべてが創造されていますから、優れた宇宙人の文明やありようは、意識圧によって保たれていると考えられます。

とはいえ、地球を支配しているらしい宇宙人のやり方には、テクノロジー重視の傾向が伺えます。

テクノロジーのみの発展はありえるのでしょうか、、、私はありえると思います。感情や創造性がなくても、理論と理知によって宇宙の相当の理解と応用に達することは可能かもしれません。

地球支配の上層部があるかどうかはわかりませんが、もしあるとすれば、今の地球が表現しているものとの同一性があるはずです。

地球や人類の現在の状況を見れば、それを支配している宇宙人は、感情活動は少なく、創造性も弱い傾向があるのではないでしょうか。

宇宙人的に冷たい宇宙人のイメージ。だから地球もそうなっています。

ただ、頭が良いので、人を支配するノウハウには長けているはず。強権をもって支配するようなことはせず、不安と恐怖によって人類を思考停止にさせ、意識が創造に直結させないようにして地球を運営しているのでしょう。

そう考えると、お金などの存在も、通貨発行のインチキによって一人だけ儲ける、、、ということが目的ではなく、人を支配する方法として編み出されたと考える方が自然です。

意識が創造のすべてであることを、さすがに宇宙人は知っているはずですので、人類自らが自らを縛って自ら奴隷となる、、、そういう方法による支配と思われ、それは相当成功していると思います。

なぜそのようなことをするのか、、、というと、地球の資源が欲しい、、というようなことを言う人がいますが、そんなことではないと思います。

ゴールドなどは元素転換によっていくらでも作れるのではないかと思われる。いずれそうした時代が来るでしょう。

人類支配の目的は物などではないのです。

宇宙における最高の意識は、たった一つの命を共有している意識です。これよりも強い意識圧はありません。

それは分類することをメインとする知的方向からでは限界があり、融和による一体意識でないと到達しない意識圧です。

なので、意識が高い宇宙人には低い意識の宇宙人を支配する考えはありません。

宇宙人に人間が支配されているとしたら、それは知的、テクニックとしての支配であり、人類意識の変容によってすぐにも解かれる構造をしていると思います。

支配欲求は神経症的欲求であり、自身の魂のこころもとなさへの不安が、他の魂を幽界へ誘うことで、その上下関係を永遠化したいからです。

情的、意識的に未熟で且つ知的優位に立つ宇宙人が、人間を支配しようとする、こうした構造がきっとあるのだと思います。

彼らの支配は、人間が自分から壁を作り、限界を感じ、自ら奴隷になってくれることによってしか維持できないのです。

物に真実の姿があるのではなく、意識が真実であることを、支配的宇宙人ももちろん知っています。なので、彼らの目的は、金や物的支配とは違います。

コンプレックスと恐怖から来るところの、魂の永遠性への不確かさを、人間を支配し、その魂と意識を心もとないものとさせることによって、自身の安定を得ようとしているのです。

そう考えると、人間の歴史で、不幸がなぜ多いのか、、、うまくいきかけるとなぜか邪魔が入って争いになっていくのか、、、、など、真の理由がわかってきます。

要するに、支配者が求めるものは、人類の不幸なのです。不幸と悲しみが多ければ多いほど、彼らは安心するのです。

それしかエネルギー源がないからです。それも、人間が自らそうなるように仕向けることで達成しています。

善良な日本人を支配するのは、悪質な一部の日本人であり、善良なロシア人を支配するのは、一部の悪質なロシア人であり、アメリカでも、イギリスでも、イスラエルでも、それはどの国でも同様です。

捕虜収容所の中でも、勝利者側の意向を組んだ仲間が、リーダーとなって捕虜を支配するのです。

そうすれば道理は通らず、通常の意識が通らなくなる道ができて、支配が簡単になるからです。

意識がすべてを生みだすことを、彼らは知っているのです。そして人間の意識を動物や下等の状態に保つことが何より彼らには重要なこととなります。

その方法が、宣伝であり、予定されて実行されるショッキングな出来事であり、戦争などの演出された恐怖です。そしてそのベースとしてお金への一極集中意識の継続。

まあ、本当に良くできていますが、それらは幻ですから、私たちの意識が変容していくことで、あっという間に消える運命を持ちます。

彼らが支配しているのではなく、私たちは自身を自縛しているのです。

気づいた意識に抵抗できるものなどないからです。宇宙人はとくにそのことを知っています。

時代がダマシ、インチキ、嘘に傾くのも、愚かな意識のままでいてほしい、、、という上の願いが、でたらめなものを数多く作っているわけです。

お金のインチキは際たるもので、あれはやはり紙切れなのです。こちらが勝手に価値があると思っているから、その幻想によって存在しているだけ。

みんなで、あれはインチキだった、、、となれば、一夜にしてすべてが変わってしまう。

お金が紙切れに化けても、まだ残るもの、、、それが価値あるものですが、すべての物が消えても、意識だけは消えませんので、これが実態です。

実態で生きる時代がいずれ訪れるのですが、その際に、情や複雑な感情を持つ人間の特性は、素晴らしい意識の乗りものとなって、人間でしかできない、素晴らしい作用を、宇宙に向かって投げかけることになります。

私は人間は非常に優れた宇宙人だと思っています。優れたとは、知的な意味ではなく、総合的で立体的な一体感に行き着きやすい、とてもかわいげのある存在ということです。

このように後の者が先になり、先の者が後になるであろう、というイエスの言葉には、人間の宇宙における可能性が含まれている気がしてなりません。

話しは、宇宙人の存在を借りて話してきましたが、いるいないではなく、対比の比喩としても、同様に考えることはできますので、宇宙人に抵抗がある方は、比喩としてお読みいただけたらありがたいです。

宇宙人は自身の知的怜悧さでもよく、また人類は自身の人の良さや、善意として考えてくださっても同じです。

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めい

《ブラック化する企業が多くなるが、その大本には、システムと重大化、流通化、合理化された考えが基本にある。

現代システムを動かす動機は儲けだから、どうしてもワンパターン。心を動かす繊細なものに出会わなくなる。

しかし、人の心を動かすものは、微細なものの中にある。

微細なほど、本当はエネルギーがあるのです。意識からしか物ごとは生まれない、、、微細なものにしか、本当は力はないのです。

重大化ではエネルギーが生まれないので、いつか行き着くところまで行ったら、消失することになる。

微細なものしか力を生まないので、そうなります。重大化した権力も軍隊も時代も、わりとすぐに終えていく。

人にとってもっとも微細なものは、思考と意識。その中に完全需要の静けさと意識があれば、そこは創造の道に。

ここまで時代が行き詰った以上、次に来るものは、微細なもの、、、微細な働き、、、微細なるものに決まっています。》

味わい深いいい文章です。以下全文。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20151001

   *   *   *   *   *

■ 心を動かす微細なもの New! 2015年10月01日(THU)


60キロの人間一人を移動させるために鉄2トンの自動車を動かす、、、

鉄2トンの塊は時速50キロをはるかに超えるスピードで狭い道を走る。

狭い道には歩行者用のエリアのないものも多くあり、人は車を避けるように身を縮めて歩く。

この光景ひとつ見ても、この文明が間違いであると感じる。

猛スピードで動く鉄2トンの車と、人間が同じ道にいる、、、こんなことがなぜ許されるのだろうか。

お金だよ、、お金。安全な国土設計をするよりも、車を売る、、、

自転車業界などはきっと、とてもいやな思いをこれまでにしてきたのではないか。

自転車国道を5車線くらいで整備し、ゆっくり走る自転車も、猛スピードで移動する自転車も安全に走れるようにすれば、少なくとも鉄2トンと鉢合わせするような悲劇は起きなかったと思います。

自転車を売るよりも、車を売る力がきっと勝ったのでしょう。政治力の違いでしょうか。

こうして、重大工業的なものが地球を席巻し、大きな重力や大きな発電や大規模なものを作りだす思考によって世の中を動かしてきました。

大規模なものは世界の隅々にまで及び、食べるものの着るものも、暮らす街も、病院も、すべてが巨大化したシステムから生まれるもので覆われました。

全国の流通ルートに乗って配達される食べ物を食べ、縫い賃の安い労働力によって作られた服や、100円ショップの品で家は埋まる。

どこに行っても同じやり方、同じ景色、同じ店、同じ病院、同じ食べ物、同じ音、、

重大工業が生み出してくれたオートメとシステムに乗って、一見、豊かな物に囲まれた私たち。

しかし、そこにあるものは、皆同じ顔、、同じ表情、、
コンビニでおいしいモノを探しても、結局は工場で作られた大量生産の品の中から選ぶしかない。

コンビニに限らず、どこでもそう。皆同じ物、、、同じ表情。

最近の子供たちは、もうお菓子になんか見向きもしません。大人も同じで、コンビニ弁当にもシステムで作られた食べ物物にも、もう誰も感動しなくなってきている。

一瞬流行しても、結局はすぐにあきれる。

仕事も同じ。どこに行っても同じで、やりがいなど見つけることが無理。結局は上が売上と利益にしか関心がないのだから、極めてコンピュータ的な発想で部下やバイトを締め付ける。

上も管理されているわけで、社長ですら管理されてる会社がほとんど。上も下もサラリーマン根性の時代になっている。

サラリーマン根性が悪いとは言わないが、仕事も考えもオートメ化されていることは確かだと思う。

そして、そこに参加する全員が、本当はいやだと思っている。バイトはおろか、雇われ社長ですら、会社に本音では行きたくない。怖いから仕事はしてるが、本心ではそんなにはやりたくない、と。

ブラック化する企業が多くなるが、その大本には、システムと重大化、流通化、合理化された考えが基本にある。

現代システムを動かす動機は儲けだから、どうしてもワンパターン。心を動かす繊細なものに出会わなくなる。

しかし、人の心を動かすものは、微細なものの中にある。

微細なほど、本当はエネルギーがあるのです。意識からしか物ごとは生まれない、、、微細なものにしか、本当は力はないのです。

大きな物を信じ、それに頼り、システムを偉大と思い、そのシステムに守られ、扱える人物を皆が求めた、、、

大きなものは、個人にはないので、大きなものが偉大だと思えば、個人の力を弱く感じだす。

自分の弱さをどこか大きな安心できるシステムで補いたい、、、国家主義が生まれ、公務員信仰が生まれ、病んだら権威ある病院を探し、一流の医師を探し、安定的な投資を探し、、、勝ち組になったと思ったとたんに、薬の副作用で死んでしまう、、、、

そんな人生いやだと、なぜか多くの人がそれでも思わない。不思議、、、

しかし、重大化ではエネルギーが生まれないので、いつか行き着くところまで行ったら、消失することになる。

微細なものしか力を生まないので、そうなります。重大化した権力も軍隊も時代も、わりとすぐに終えていく。

ナチス20年、平家20年。平家に非ずんば人に非ずも20年の命だったし、ナチス1000年王国の夢もわずか20年で灰塵に帰した。

微細なものへアクセスできないものは、すべて終えていく。

だから、人間はセンスとして、体感として、微細なものに、本来はこだわります。

私が開発したBBマッサージ、、、ポンポンマッサージ共に、微細な動きでなければ効かない。

しかし、微細な動きを実行すれば、肌は引き締まり、顔は白くなり、腫れやつっぱり、痛みにもアクセスできる。

微細な動きがエネルギーを呼び寄せるからです。

人にとってもっとも微細なものは、思考と意識。その中に完全需要の静けさと意識があれば、そこは創造の道に。

体を動かす前に意識を働かせる、、、、体は意識に沿って動いてくれる、、、

よっこいしょ、、、と、体を動かす必要はなく、意識を動かせば、体は動いてくる。

重大強権化の間違いがここにあります。

ここまで時代が行き詰った以上、次に来るものは、微細なもの、、、微細な働き、、、微細なるものに決まっています。

それは、オートメ化では無理で、私たち自身の個性の中にこそあるものです。

顔が全員違うのですから、人と自分を比べるのはまったく意味がない。

人と自分を比べて自分には才能がない、、、という風な考えで落ち込む人が多いですが、それ自体が、重大強権化信仰そのものであり、重大強権化意識なのです。

だから伸びなくなる。自分の顔と体が1つでけのものである以上に、微細な意識は個人特有のものです。

そこにしか力はありません。みんな凄いものを持っているのに、他の人と違う、、、なんて悩む意識が大間違いなので、おかしなことが起こるのです。

意識がすべてを生み出すので、おかしな意識をしているとどうしてもおかしなことが起きてしまう。

それは仕方ないことなのです。微細なものを信用しない、、、微細な自分の声を信じないで、人や社会が言ってることを信じる、、、、しかし、それだと、これからはどんどんエネルギーを消耗していく流れとなります。

by めい (2015-10-02 06:01) 

めい

微細なものの大事さは、ビジネス的には「ロングテール」に対応することに気づきました。
http://www.asyura2.com/15/cult15/msg/238.html

   *   *   *   *   *

ロングテールとは
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%ED%A5%F3%A5%B0%A5%C6%A1%BC%A5%EB

ネットビジネスにおいて、あまり売れない大多数の商品の売上が、少数のヒット商品の売上を凌駕する状態のこと。

タテ軸に売上げ、ヨコ軸にタイトル数で表をつくる。

表の左側が売れ筋商品、表の右に進むほど売上げが少ない。

この表の右側部分が恐竜のシッポにみえることから、

マイナー商品の少ない売上げ部分をロングテールと呼ぶ。

 従来の常識では、売上げの大半はメジャー商品が占めていた。つまり恐竜の首の部分(表の左側)に投資を集中させれば、商売が成り立っていた。

 ところが、ネット販売の場合、実店舗とちがい、売り場面積のコストが低く、さらに発達した検索機能のため、顧客が簡単にマイナー作品に出会える。このため、amazonをはじめとする、ネット通販業において、恐竜のシッポがどんどん、太くなっており、大きな収益を生む「ロングテール」として注目を集めている。

 インターネットによって、これまで「2:8の法則」などといわれていた2割の商品が8割の売り上げを稼ぐ、という法則が成り立たなくなってきている、といった話。要するに実店舗などでは、2割の売れ筋商品が売り上げの8割となるところを、SEOが施された、アマゾンのようなメガショップは、8割のあまり売れない商品が全体の8割の売り上げになる。lim→∞=0こんな感じのグラフになる。

by めい (2015-10-02 06:09) 

めい

マドモアゼル愛さんの「フリーエネルギー原理」転載しておきます。超重要の予感です。
《無の無という意識は何もつくれませんが、意識が自分であるという思いからは、すべてのものを作ることが可能です。自分が意識である、、、ということは、無を受け入れる、全体を受け入れる、、、イノチを受け入れる、、、すべてがイノチであることを受け入れることと関係します。/ 意識のギャップとは、意識圧のことです。それは全能意識ですから、全能になります。誰もそこにまでいけないかもしれませんが、事実は事実であり、私たちには誰にも意識があるのです。その意識を物を優先させることで無力化している現代の行く末は簡単に理解できます。/意識圧を高めるには、自分が物であるという捉え方が少なくなればなるほど意識圧は高まります。自身の中に永遠性がなければ外に永遠性を作ることはできません。/何を作るかは、その人の意識圧次第ということになります。》

   *   *   *   *   *

■ フリーエネルギー原理解説 New! 2016年08月29日(MON)
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20160829

フリーエネルギーの原理をきちんと説明してものが世の中に少ないので、わかりやすく下記させていただきます。わかりにくいところもあるかもしれませんが、私なりにまとめてみましたので、ご覧くださればうれしいです。

フリーエネルギー原理  マドモアゼル・愛

エネルギーはすべて無から生じる
物には何の力もない 物はエネルギーの結果物であり、それ自体には力がない

宇宙の原理
宇宙はすべての変化を元に戻そうとする  
反作用の力が宇宙の原理である   すべてを無に戻す力

作用に対して必ず反作用が起こる
反作用こそがエネルギーである

拮抗する場には反作用が働いている

あらゆるギャップがつくられれば、ギャップを必ず元に戻そうとする力が入りこむ

ギャップをあえてつくることで反作用の力、すなわち無からエネルギーを得ることができる

ギャップの種類
重力が作るギャップ  
壁や大地に50キロの力を加えれば、壁や大地は50キロの力で押し返す    
作用と反作用が拮抗する無の重力だが、拮抗する無からは、プラスアルファのエネルギーを得ている

例 人が立つだけで足裏から無のエネルギーを受け取る
  人が寝ているだけで接触面からエネルギーを受け取る(病気などでは寝ることが多くなる)
1億トンと1億トンが引っ張り合えば、どちらかに1グラムの力を加えるだけで二億トンを動かせる

水流によるギャップ
洗濯機は水流のギャップによって汚れを落としている
より複雑なギャップをこしらえる洗濯機ならば性能は非常にアップすることになる
水流のギャップが反作用を呼び、エネルギーをもたらすからだ
汚れとは、エネルギー不足のことを言う。エネルギーが不足していると汚れる。健康な動物は汚れない。自然も同様。自然は洗剤など使わない。

暖流と寒流がぶつかれば漁場ができる。そこはギャップを埋め合わせようとエネルギーが注がれ、生命にとって良い環境となるからだ
二つの水流がぶつかることでエネルギーを得ることができる

風によるギャップ
同じ扇風機を二つV字状に置いて稼動させると、風は中央でぶつかりかなりの部分消失するが、その地点にエネルギーを呼び込む。よって、生命に良い場ができ、残った風はエネルギーに満ちており、非常に快適な風となって、快適な空間を作り出す

台風は風のギャップを利用した浄化作用であり、台風が過ぎた際の街中は光っている。通常の雨では見られない光景は、場にエネルギーが高まったためである。海もエネルギーが不足すれば台風を起こし、エネルギーの補充を始める。

音によるギャップ
人と人が声を意識的に合わせるとエネルギーが呼び込まれる
二つの声のギャップを元に戻そうとして反作用が始まるからだ。
また、声には意識圧がかかるので、最高の作用、すなわち質の高いギャップを作ることが可能となり、多くのエネルギーを得ることになる
チューナーは二つの部位に別れており、両翼が振動して中間点で音がぶつかり合う。両翼の中央には拮抗した音の場ができ、エネルギーを呼び込む。

周辺に飛んだ音は周辺圧や周辺の空気との間にギャップをつくるので、それを元に戻そうと無からエネルギーが入りこむ。

チューナーはもっともシンプルに作用と反作用の原理を表現している。
幾人かの声が合わされば、大きなエネルギーを得る道が開ける可能性が高くなる
音、とくに声には、必然的に意識圧がかかるので、エネルギー源として、最も高度なギャップ作りの媒体は音である。音なしで高度な表現はできない。音なしで高度なエネルギーは呼び込めない。

音と意識圧
こちらの意識と関係ない音がやってくると、エネルギーを奪われる。こちらの意識にそった音を出すと、エネルギーが訪れる。ラジオやテレビなど。
大勢の人が同時に母音トーニングすることで大きなエネルギー場をつくることができると個人的に思っています。聖書には144000人の合唱という形で表現されている。

光によるギャップ
光と光をぶつけ合うと干渉しあって粒子が消える、、、そこにはエネルギーが注がれます。
光と光をV字状にぶつけ合い照射する場にはエネルギーが発生する

光と光を同時に同じ場に照射することで、背中なら背中が柔らかくなる。他の部位でも同様です。私は光と光を同時にV字状に照射した場を体につくることで高度のエネルギーが得られると考えています。

V字状の光を色々な物に照射することで、その物にエネルギーを注げるので、活性化及び継続化、ないし永遠化が可能になると考える(あくまで私の考えです)

炎と炎をバーナー化して同時にV字状に照射したら、おそらくあらゆる毒素を分解できるはずです。(私は実験してませんが、必ずそうなるはずです)


この世の物には何の力もないが、ギャップをつくる作用に使える。どの物質でギャップを作るのがベターなのかは、何を求めるかによっても違うが、およそ下記の順番でエネルギーが高度なものになっていく。

重力によるギャップ(一般の物質によるギャップ)
重さと重さを拮抗させたり、重さがあるものをかけ回すことでギャップを作ることができる。

一般の物質のよるギャップであり、水流なども。肉体などは、体の部位部位を揺らすだけでギャップができるので、何も激しい運動などはエネルギー補充のために行う必要はない。体の部位をどこでも軽くゆする、、、、それだけで高度なエネルギーが得られる。

風によるギャップ
自然界の植物は風で葉を揺らし、空気との間にギャップを作ってエネルギーを得ている。

人の髪の毛も風のギャップにより脳へエネルギーを運んでいる可能性は高い。髪を揺らすだけで人はエネルギーを取り込めるはず。

光によるギャップ
物質化が稀薄になるほど高度のギャップを作ることが可能になる。光は電磁波であり物質ではあるものの、一般の物質よりは軽い。よって高度なギャップ作りには非常に効果がある。

二つの光を同時にV字状に肌などの一か所に当て、そこにエネルギーを取り込む実験を私は何十人にも試し、自身にはある装置をつかって小部屋に光を満たすことで実験し、確信に至っている。より物質的でないもののギャップの方が高度なエネルギーを取り込める。光は非常に良い媒体です。

磁力によるギャップ
磁力は光と同様に考えます。磁場と磁場がギャップをつくることでも高度なエネルギーは得られます。ゼロ磁場というのは、磁力と磁力が拮抗してギャップを恒常的に作っている地帯を言います。

長野県などにあるそうですが、人が突然数メートルも動いたりすることがあるようです。磁場と磁場が拮抗すれば恒常的にエネルギーが得られるのを、サークル状で私も実用化していますが、それを水道につけることで、シンクは汚れなくなり、お鍋もお風呂もきれいになりました。水も味がよくなります。

これは拮抗する磁場がゼロ磁場を作って恒常的にエネルギーを呼び込むからです。

音によるギャップ
音は光以上の媒体です。光は物質ですが音は何だかわかりません。光以上に物質的でないものが音です。音のギャップは高度なゆえ、そこから来るエネルギ―も高度なため、わからない人にはわからない。光は物質的ですので、比較的その効果がはっきり認識できるが、音のギャップは説明できない高度なものです。

音によるエネルギー補充は説明しきれないのですが、声と声を合わせた時の喜び、、、チューナーの音がこだます際に感じる体感、、、これらは、高度なエネルギーを得た際に得られる特徴でもあります。

意識圧によるギャップ
音が高度なギャップを作るのは、そこに意識圧が光以上に乗りやすいからです。とくに声はだませません。声にはそれを発する人の非常に深いところから出てくる本質が見えます。それが表現されるわけです。要するに意識圧を伴ったギャップの媒体となるので、音は高度なのです。

そして最終的に、もっとも物質から離れたもの、、、意識です。意識は計測できないし重量も働きも計測できません。計測できない無に近い存在、、、、すなわち意識は無そのものです。

本当に何もない無としてしか意識できなければ、死んでも無という無間地獄のような現実を作るのも意識です。意識のギャップがすべての現実を創造します。
山に動けと命令すればそのようになるだろう、、、とはイエスの言葉。飯島先生も同様のことをおっしゃいました。

意識とは無であり、無とはエネルギーなのです。すべての物は意識が作っています。

無の無という意識は何もつくれませんが、意識が自分であるという思いからは、すべてのものを作ることが可能です。自分が意識である、、、ということは、無を受け入れる、全体を受け入れる、、、イノチを受け入れる、、、すべてがイノチであることを受け入れることと関係します。

意識のギャップとは、意識圧のことです。それは全能意識ですから、全能になります。誰もそこにまでいけないかもしれませんが、事実は事実であり、私たちには誰にも意識があるのです。その意識を物を優先させることで無力化している現代の行く末は簡単に理解できます。

意識圧を高めるには、自分が物であるという捉え方が少なくなればなるほど意識圧は高まります。自身の中に永遠性がなければ外に永遠性を作ることはできません。
何を作るかは、その人の意識圧次第ということになります。

このように、ギャップから私たちはエネルギーを得るのですが、ギャップ形成の最高のものが意識圧となります。ただそこにいく前段階として、わかりやすさが必要でしょう。
物質の重量、、、風、、、水、、、、光、、、音、、、、そして意識へと、段々と気づき、自身の段階に無理のないギャップを作っていくことで、だれでもエネルギーを得ることができるのです。

体を軽く揺らすだけでも体にはエネルギーを取り込めます。揺らせば、ギャップが生じ、それを元に戻そうとして、エネルギーが入りこむからです。

さらに風のギャップ、水のギャップ、、、台風の中に立てば、おそらくかなりのエネルギーを取り込めるでしょう。ただし、それは危険なので絶対にすすめませんが、台風一過のエネルギーに満ちた気を浴びることだけでも、日頃思ってもみなかったアイデアなどが出る可能性もあります。

すべての問題はエネルギー不足がもたらしているのです。そして、どんなに難しいクリアできない難問に思えても、それを解いたり、解決する方法は一つしかないのです。それはエネルギーを取り込むことです。

そしてそのエネルギーは無からしか訪れないのです。基本はですから無をどのようにして作るかということになります。それがギャップです。色々な物を使って、ギャップをつくれば、それを埋めようとしてエネルギーは訪れるのです。

ギャップをつくる物として、物、水、風、光、音、意識があるということです。

私たちがこの世に唯一しかない体と顔と個性で存在しているのは、自分にしかできなギャップを作るうえで非常に有利だからです。その自分を嫌うことは基本的にですから間違っていたわけです。

■ フリーエネルギー 圧とサイクルについて New! 2016年08月30日(TUE)
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20160830

昨日のブログの続きで、フリーエネルギーの原理その2となりますが、圧とサイクルの話しをさせてください。フリーエネルギーを考えるとき、とても大事な視点となります。

 圧とサイクル  吸引と崩壊のサイクル

人も動物もあらゆる現象も、それを維持しているのは、すべてフリーエネルギーによってなのです。物からエネルギーを得ているわけではありません。物には何の力もないのです。
私たちが生きていられるのは、一重にフリーエネルギーを取り込んでいるからなのですが、それを、あたかも食べ物や物質の恩恵であると誤解しているところに、あらゆる科学や医学を始め、現在の世界観の限界があります。

あらゆる物を生かし続ける力は、フリーエネルギーです。私たちはフリーエネルギーによって以前も今もこれからも生かされていくのです。

ギャップを埋め合わせる際にフリーエネルギーが訪れることは前のレポートで語りましたが、他にも法則があります。

まず、圧の高い方にエネルギーが集まります。エネルギーは圧の高い方に集まるのです。

石などは地球圧という高圧を受けて物質化していますので、永続性が他の物質に比べて高くなります。周辺圧よりも低ければ、その物質は崩壊現象に入ります。しかしながらどのような物質も、たとえ永遠性があると思われる石でさえ、いずれは崩壊現象に入り、空に戻ります。物質はなんらかの意識が作用して生じた結果ですが、出現したものは、必ず空に戻るのです。宇宙はすべてを無に戻します。

どんな物質も基本的にこれを避けることはできません。常にエネルギーを与え続けていれば、物質はその間は永続します。肉体も同様です。

その際に、圧が高いことが重要ですが、圧はまずは物理圧であり、けんかをする際などは、首をすくめて圧を高めているのが自然です。格闘技などでも、戦いのときには決して圧を抜きません。圧が下がるとエネルギーが出ていくことがわかるからです。

海は大気よりも圧が高いので、空中からエネルギーを集めます。海の圧が汚れなどによって抜けると、死んだ海になってしまいます。それでは大変なので海は嵐を起こし、台風を起こしてギャップをつくり、海にエネルギーを取り込むようになります。

大地も圧が弱まれば土が死に、地球のエネルギーが不足します。その際には大陸が一夜にして動き、天地さかさまの大異変によって最終的にはエネルギーを補うことになるしかありません。山が海に海が陸に、、、そうした変化は過去に何度も起きていいます。山の頂上から貝殻が出てくることも珍しいことではありません。

物理圧の他に圧を高めるのは、意識圧です。意識圧の方が物理圧よりも優先します。意識圧の中でも最も圧の高いものが、自分は肉体ではなく意識体であるとの認識を元に、すべてがイノチであるとの認識に至ることです。イノチはひとつという意識圧が最高の圧となります。それは事実に即しているからです。幻想や思い込みから生まれる力には限界があります。

我よしの世と言われますが、原理的にそれでは永続性はありません。本質に根差していないためです。進んでいるように見える宇宙人でも、そこに優生学的発想がある場合は、決して進んでいる宇宙人とは言えません。イノチはひとつであり、すべてのものの出どころは一か所で同じです。私はあなたであり、あなたは私であり、自然は私であり、、、すべてがイノチなのです。みんなひとつなのです。そこから来たし、そこに戻るのです。

(これは飯島先生に伺った話しであり、私自身、本当にはわかっていないかもしれないことを申し述べて置きます)

この世の物質も意識も、すべてがそこから出ているイノチなのです。この世にイノチでないものはひとつとしてありません。プラスティックも鉄もゴミすらも、すべてこの世にあるものの最小単位を追っていけば、それは無に限りなく近い無そのものと言ってもよい小さな小さなイノチなのです。

この世にイノチでないものは存在しません。それが圧などで吸引されて物質化したり、圧が周辺圧よりも弱くなることで再び空に戻っていくのです。

ですから、意識はすべてのイノチに通じるカギをもっています。すべてはイノチです。みな同じものからできているのです。思考も物理的には無に見えるイノチであり、意識も同様です。愛情も怒りも憎しみもすべてイノチの発揚であり、イノチそのものなのです。

ただそれが固い固い物質的な形を取るか、研ぎ澄まされた意識体となっているかの違いです。働き掛けられる言葉はたった一つでいいのです。イノチの共通言語があれば私たちは何に対しても働きかけることが可能なのです。

動物にも植物にも空気にも大地にも海にも、すべてのものに語りかけられる意識が一体というイノチの意識なのです。共通言語はこれ以外にありません。

肉体の意識でみれば、この世は物質しかない世界になりますが、見えない世界がないというわけではないのです。重力のないイノチですので、時間に縛られることはありません。時空を超えるイノチがあるのです。というか、本来、イノチとはそういうものなのです。

イノチは時間も超え、場所も超え、霊的世界とも共通しています。お化けの世界は幽界の低いところといえるかもしれませんが、幽界の低いお化けの世界は、物質化を離れた意識がまだ物質にこだわるという、本当はお化けではない、物質であろうとする霊といえるわけで、極めてこの世的、物質的な世界と言えます。

このように意識はどんなものでも作り出します。意識からしかつくることはできないからです。

フリーエネルギーは無から来るエネルギーですので、これを理解するには、どうしても無の構造に行かざるを得ません。霊的世界や幽界や神界と呼ばれるような世界があるかどうかはわかりませんが、意識は無限ですので、何かを構造的に作る本能があると思います。

表現されるものには、何等かの構造があるわけですから、幽界や霊界などは当然あることになります。

次にエネルギーのサイクルについて考えましょう。エネルギーは一方的に訪れるのではなく、リズムがあります。それが吸引と崩壊のサイクルです。

吸引のサイクルから始まったものは、永続します。エネルギーを補充できるからです。崩壊のサイクルから始まったものは、崩壊現象をもたらします。エネルギーをなくすからです。サイクルを何度も繰り返すことで、段々と健康になったり、病気になるなど、物質化が強固になるか、崩壊を早めるかします。

吸引のサイクルを知ることが重要になるわけです。
エネルギーの呼び込むの呼吸のようなもので、リズムがあるのです。どちらが始まりのパターンかによって吸引サイクルか崩壊サイクルかを暗示します。

昨日のレポートでは、音のギャップについて語りましたが、その際に、ラジオの音やCDの音は崩壊サイクルという話しをしたと思います。

これはどういうことかというと、意識を伴わない音は崩壊サイクルの音になります。ラジオは自分の意識と異なるところから、勝手に表れた音です。自身の意識が主体となって表現されていません。なので、どんなに好きな音楽を聴いても、始まりは崩壊サイクルなので、エネルギーを得ていると思えても、実際は奪われているわけです。

こういうと、好きな音楽を聴くことが怖くなるかもしれませんが、実際には、好きな音楽でしたら、音の切れ間切れ間などで、自身の意識が働きますので、崩壊のサイクルから始まった音をパタンと吸引サイクルに切り替えることがあるわけです。

純粋に音楽が好きで、深く愛していたなら、この切り替えは必ず行われます。しかしながら族的に無意識的に聞いていたなら、崩壊サイクルは変化せず、疲れることになると思います。

もうひとつ、例をあげてみましょう。
自分が出している雑音は気になりませんが、人が出す雑音は気になります。よくあることだと思います。自分が出す音はなぜ気にならないかというと、自分の意識からスタートする音だからです。人が出す雑音は突然こちらの意識と関係なく訪れますので、サイクルが崩壊から始まっているのです。

救急車の音などは、人を不安にさせる周波数だと言われていますが、確かに夜中などに聞くととても不安な気持ちになります。これも、自分が出している音だと思って聞くとどうなるのかということですが、一般的には切り替えは難しいと思います。しかし、ん、、、という発声を最初に出して、その上で救急車の音を自身が出していると思うようにすると、比較的にスムースに救急車の音に対する不安感は消えます。

ん、、、という自分の意識のスタートを先にもってくるため、救急車の音は吸引サイクルとして働くからです。

救急車を運転している人は、おそらく、その音を聞いても不安にならないと思います。それは、任務に着いている自身の思いがあり、人を助けるために運転しているとの思いがあるから、その音は吸引サイクルからスタートするのです。

このように、音に限らず、あらゆる現象を崩壊化からパタンと吸引化に変えることが本当は可能です。そのカギは、ん、、、という前置きに置くとわかりやすいことでしょう。まさに、ん、、、は無そのものなのです。

すべては創造者である自分の意識からスタートする場合、あらゆる営みも作用も吸引スタートとなるのです。何事も心して行うことがいかに大切かということでもあります。

飯島先生が開発されたあらゆる製品は、周辺環境にある空気や水や音の崩壊化をパタンと吸引サイクルに変えることを目指したものとも言えると思います。日頃、私たちは吸引サイクルで生きているか、崩壊サイクルにひたってしまっているか、、、

我は意識なり、、、とのスタート地点に立って何事も作用を行っていく、、、これが本当の健康ということになると思います。

by めい (2016-08-31 05:08) 

めい

マドモアゼル愛さんの「フリーエネルギー原理」つづきです。具体的な「生き方」の問題がわかりやすく具体的に説かれています。ほんとうにその通りと思います。要所を抜き出した後に全文転載しておきます。

《意識から出発しているものが吸引サイクルであり、現象を受け取るものが崩壊(放出)サイクル

無からエネルギーが訪れるのです。無にあるものは、無ですから、有限のものではありません。意識は無に属しますので、無は意識と言ってもよい

創造のサイクルはすべて無からスタートしますが、簡単に言うと、意識からスタートすることになります。

生きる姿勢に伴う意識が、放出サイクルから始まるのか、吸引サイクルから始まるのかによって、生き方の姿勢が決定されてしまう

この世は物質で、すでにあるものに従う、、、という意識の前では、常に崩壊サイクル優先となります。

やらされている、、、というのでは、外部が重要視されてしまっています。やってる、、、というのでは、自身の意識が重視されています。これによって、同じ仕事をしても崩壊が進む人と、吸引が進む人に分かれるわけです。

同じことをするにしても、一度、自分の中に入れて、自分のものとして取り組めば、そのサイクルは吸引になります。

すべてを神にささげろ、、、一度ささげてから食べろ、、、・・・神に捧げれば、それは物ではなく神からのゆずり物となり、毒もなくなる、・・・これはまさにサイクルを変えることと同じなのです。

まず、何をするにしても、自身の意識の中に芽生えた新しい思いからスタートすれば、吸引のスタートになります。

物に従うのか、、、物を所持し、物の力を見せつけるものを最大のものとしていきるのか、、、小さくとも自身の中にある意識からすべての事柄を生み出すのか、、、その違いが、吸引と崩壊の違いです。》

   *   *   *   *   *

■ 吸引サイクルと崩壊サイクル New! 2016年09月01日(THU)

フリーエネルギー原理の説明が続いていて退屈をお感じになられる方も多いかと思いますが、今回はわかりにくいと言われる、吸引と崩壊のサイクルについて、前述の内容に付け加えて説明させていただきます。

呼吸と同じようにエネルギーの流れにも吸引と崩壊の二つの流れ、サイクルがあります。飯島先生は崩壊という言葉はお使いにならず、放出サイクルとおっしゃる場合が多かったと思います。

放出も崩壊も同じとお考えください。
ギャップを元に戻そうとしてエネルギーが注がれる際に放出サイクルからスタートするのか、もしくは吸引サイクルからスタートするのかは、重要です。

私の言い方になりますが、意識から出発しているものが吸引サイクルであり、現象を受け取るものが崩壊サイクルです。

命は波動であり空であり無でありますが、イノチは常に振動しています。ただその振動は最小の振動であり、計測できないゆえに学術的には無と言わざるを得ません。

その無からエネルギーが訪れるのです。無にあるものは、無ですから、有限のものではありません。意識は無に属しますので、無は意識と言ってもよいのです。

創造のサイクルはすべて無からスタートしますが、簡単に言うと、意識からスタートすることになります。

しかし、実際の私たちの世には、意識からスタートするものと、結果からスタートするものという、二つの方向性が出てきます。

朝起きて、ああ、仕事に行かなくちゃ、、、となれば、それは崩壊のサイクルの中で生きていることになります。

朝起きて、さあ、きょうは何だったっけ、、、会社に行って、まず、あれをやろう、、これをしよう、、、という姿勢になれば、それは吸引のサイクルの中で生きていることになります。

あくまでも例ですが、決して的外れではないと思います。朝を例にしてみても、一日の自分の生き方のスタンスが、やらされてる風か、もしくはやってる風かで、崩壊か吸引かが決まります。

あくまでサイクルですので、呼吸のように、吸引と崩壊は起こるのですが、どちらが先かによって、自身を取り囲む意識場が違ってくるのです。

朝起きて、ああ、、、いやだな仕事か、、、という場合でも、まずごはんを食べて、、、、、と次に思い出し、そうだ、好きなタラコがあったっけ、、、、となれば、、がぜん、意識が自分のペースになってきますので、崩壊のサイクルの中にあってもどうにかそうした前向きなものに従って体を動かし、会社に行ったりすることができます。

しかし、朝ご飯のタラコも、通勤途中にである魅力的な異性も、ついに前向きな意識にならないとなると、崩壊のサイクルの中にどっぷりつかり、ついには体を動かすこともできない、一般に言われる鬱を引き起こす場合もあるでしょう。

病気になる人もいれば、やけになって生き方を踏み外す人も当然出てくるでしょう。

逆に吸引サイクルからスタートすれば、朝起きて、そうだ、あれをやろう、、これをしよう、、、とかなり前向きになるわけですが、その中でも、あっ、冷蔵庫のタラコがなくなっている、、、ということがあっても、まっいいか、、、と、本体に影響を与えることはなくなるわけです。

卑近な例になってしまったかもしれませんが、このように、生きる姿勢に伴う意識が、放出サイクルから始まるのか、吸引サイクルから始まるのかによって、こうした生き方の姿勢が決定されてしまうでしょう。

では、この崩壊か吸引かを決定するものは何か、、、ということですが、それが意識圧であるということです。

私たちは神であり、創造者なのです。自身の意識圧が作ったギャップを埋め合わせるエネルギーの到来は、吸引サイクルになります。

物との認識による意識は、人の作った意識に従いますから、崩壊サイクルからのスタートになります。

この崩壊と吸引は、小さな出来事の一つ一つの決断時にも表れますが、もっと大きな自身と世界をどういう関係でとらえているか、、、、という世界観と関係します。

この世は物質で、すでにあるものに従う、、、という意識の前では、常に崩壊サイクル優先となります。

物質は結果物ですから、誰かの作ったものです。会社の社長でもいいし、リーダーでもいいし、国家の指導者である場合もありますし、宗教という神が相手の場合もあるでしょう。それらが創造者であり、あなたは奴隷になります。

いずれにしても、すでにあるものに従う意識は、崩壊サイクルから始まるエネルギーのスタイルになります。

これに対し、自身の意識からスタートするものは違います。すべては意識から生じるのです。どんなに具体的で物質的なものであっても、取り組む際の意識次第で仕事が違ったものになるのです。

会社に行って仕事をする、、、会社は自分の会社でもなく電車も人の電車に乗る、、、それ自体は当然です。

しかし、その会社に行って、仕事を、通勤で電車に乗ること自体の意識が自身のものかどうかということです。

やらされている、、、というのでは、外部が重要視されてしまっています。

やってる、、、というのでは、自身の意識が重視されています。

これによって、同じ仕事をしても崩壊が進む人と、吸引が進む人に分かれるわけです。

同じことをするにしても、一度、自分の中に入れて、自分のものとして取り組めば、そのサイクルは吸引になります。

ひふみ神示には、これから人は毒を食べるようになる、、、というようなことが書かれていますが、それでは大変なので、すべてを神にささげろ、、、一度ささげてから食べろ、、、ということをすすめている。

神に捧げれば、それは物ではなく神からのゆずり物となり、毒もなくなる、、わけだと。これはまさにサイクルを変えることと同じなのです。

同様に、私たちも、まず、何をするにしても、自身の意識の中に芽生えた新しい思いからスタートすれば、吸引のスタートになります。

その姿勢で生きていれば大丈夫なのですが、どこかで、この世的な力を優先させ、物を生み出す力よりも物自体を優先させる意識に至ったとき、エネルギーパターンはパタンと崩壊サイクルに入ってしまうのです。

逆に、崩壊サイクルからスタートした姿勢でも、どこかで、もういいや、、、もうやめ、、、死んだってもうこんなことやだ、、、というような、物や実態から来る意識とは異なる無の意識地点に戻ったなら、その時からその人は吸引サイクルに変化するので、すべてが良くなっていきます。

物に従うのか、、、物を所持し、物の力を見せつけるものを最大のものとしていきるのか、、、小さくとも自身の中にある意識からすべての事柄を生み出すのか、、、その違いが、吸引と崩壊の違いです。

現在は残念なことですが、多くの人が崩壊のスタイルになじんでいます。なので、地球自体が危なくなっているのですが、少なくとも金融の不自然さは近いうちに崩壊する以外にないでしょう。自然が崩壊を始めたらこれは大変なことですが、十分にその可能性はあります。

不自然な人間の行いによることが唯一の原因です。けっきょく、多くの人の意識が物信仰の崩壊から物を作る原因の世界の意識に変化しない限り、やはり無理なのです。

吸引と崩壊のサイクルはまだまだ例を挙げ、色々な角度から今後も語りたいと思います。

by めい (2016-09-02 04:19) 

めい

《花という物質にこだわらず、イノチそのものになり切っているから、切られても美しく咲いてくれます。》 

  *   *   *   *   *

■ イノチの話 ① 2017年02月23日(木)
http://www.love-ai.com/diary/index.php?date=20170223

イノチって何だろう、、、

生きるって、、、、何

誰もが考えたことがあると思います。よく考える人もいると思います。

自分って、何?   何とか何がし、、、という名前が自分?

どこそこの学校を出た自分、、、こういう会社で働いている自分、、、

色々な自分がいると思いますが、一番の基本は生きている自分であることは間違いないと思います。

自分って、イノチをもっているんだ、、、生きているんだ、、、、という思い。

それは、一流大学を卒業した自分より、たくさん貯金を持っている自分より、よい会社に行っている自分より、ずっとずっと大きいものです。

もちろん、あんな学校しか出てない自分よりも、貯金がほとんどない自分よりも、借金まみれの自分よりも、リストラにあった自分よりも、ずっとずっと大きいものです。

じゃ、イノチって何なのだろう、、、、
生きてるって、何なのだろう、、、、

私に答えなどありませんが、どことなく関連した話し程度ならできるかもしれません。

きょうはそのことについて、お話しできればと思っています。

昔、どこかで読んだ本の中で、戦争の話しがありました。

内容は、戦争の話しで、その人はアメリカ人で、日本軍と戦っていた時の話しです。おそらく太平洋戦争ですね。

その人は海軍にいて、潜水艦に乗っていましたが、日本の軍艦に発見され、潜水して逃げたものの、ついに追い詰められました。

艦長の命令は、これからエンジンを切るので、電気も消える。隊員はベッドで寝ていろ、、、、ということだったそうです。

エンジンをかけている状態だと、発見されやすいので、エンジンを切り、音を消して海底でじっとしているという命令なのですが、そうなると電気も消え、冷房もない中で、ただ黙ってベッドに寝ていることになります。

日本軍は海底に敵の潜水艦がいることはわかっていますので、そこら中に爆弾を落としていきます。

近くに爆弾が落ちるたびに船体は大きく揺れ、異音が聞こえることもしばしば、、、

爆発衝撃を感じるたびに、もうダメか、、、と不安と緊張はピークに達します。

地獄の一日が過ぎ、、、二日目になっても日本軍は爆弾を落としつけます。

もうおそらくこのまま自分は海底の藻屑となってしまうのだろう、、、と船員の誰もが思ったことでしょう。

二日目の攻撃も執拗につづき、一睡もできぬまま、真っ暗闇の潜水艦の中で、恐怖に耐えます。

その時、彼は神に祈ったというのです。

「神様、もう一度だけでも、太陽と光に照らされた地上を見ることができたら、私は残された人生の中で、もう決して、不平や文句を言うことはしません」

戦争の話しになってしまうと、どちらがどっちになってしまいますが、イノチの話しになるとそんなことは超越してしまうのです。

イノチは米兵にも日本兵にも共通しているのです。こうして祈りが通じたのでしょうか、日本軍は3日目にあきらめて去り、潜水艦は無事に浮上して、隊員たちは太陽の光と輝く海を見ることができたのです。

イノチの危機に瀕すると、私たちはその大切さを切実に思います。日ごろは忘れていますが、イノチは生き続けているのです。

自分を一流会社の誰それと思って生きているか、、、自分をイノチだと思って生きているか、、、当然、生き方や姿勢が変わってくると思うのです。

イノチにはさらにすごい面があります。鉱山で働いていた人の話しを昔読んだことがあります。

古い鉱山の岩石の採掘場所で、今割れたばかりの石の中から、よろよろと、何か出てきたのでびっくりすると、それはカエルだったのです。

よろよろ数歩歩いて倒れてしまったということでしたが、もし雨でも降っていたら、もしかしたら、元気になって生き返ったかもしれません。

しかし、何千年ももしかしたら何万年も前の岩石の中に、カエルは生きていたことになります。

宇宙からも色々な隕石が地上に落ちてきます。その中には、おそらく色々な菌類やイノチがもしかしたらあるのかもしれません。

それらのイノチは、環境が合わない時には死んだふりをしているでしょうが、いったん、自分の出番を知れば、イノチを復活させて動き出すのかもしれないですね。

要するにイノチの適応性のすごさです。

イノチは私たちが考えている以上にもしかしたら、強いものかもしれません。

強さがきっと違うのです。イノチの強さの秘密は、適応力にある気がします。

どんな状態でも、どんな不利な場合にでも対応し、適応できれば適応して生き、ダメなら死んだ不利をしてでも次回を待つ、、、凄いと思います。

皆さんは切り花をあたり前のように、きれいだな、、、と観賞して喜びますが、花からしてみたら、切られてしまっているんですね。

なのに、ひとつとして文句を言わず、きれいに咲き続けてくれます。

それは、なぜでしょう。痛点がないから、、、なんてつまらないことは言わないでください。

痛点はないかもしれませんが、切られたことはわかっているので、それなりの生き方にシフトチェンジして、コップの水の中でも、イノチを輝かせようとしてくれるのです。

切られた花は、切られたことを恨みもせず、文句も言わずに、切られたなら、切られた状態で、イノチを輝かせるのです。

花という物質にこだわらず、イノチそのものになり切っているから、切られても美しく咲いてくれます。

体があってもイノチを知らない人、、、お金があってもイノチを知らない人、、、出世してもイノチを知らない、、、優生学なんていうバカ学問が跋扈した恥ずかしい歴史を人間はもっています。

イノチに気づけないという恥に、私たちは気づかねば、次の時代を築けないと思います。

by めい (2017-03-01 03:16) 

めい

《ニュータイプの覚醒とは具体的現実対応型超常能力、
即ち、腸と脳の連動を超最適化する乳酸菌の異次元的常時発酵モードの心身状態である。》
イハトビラキ関連でメモっておきます。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16034724

   *   *   *   *   *

416:西尾仁秀: 2017/02/28 (Tue) 18:24:37 host:*.openmobile.ne.jp
人間は、何故に自らの身体を自分自身の所有物としか考えないのでしょうか?

仮説
身体は、アニメの機動戦士ガンダムに例えるとモビルスーツに過ぎない。
心は、モビルスーツを操縦するパイロットのコクピットである。
心は、パイロットがニュータイプの覚醒をする事で、心を超えて魂の輝きを増す。

もしも、心の源が、体内微生物の意識だとしたら?

結論
ニュータイプの覚醒とは具体的現実対応型超常能力、
即ち、腸と脳の連動を超最適化する乳酸菌の異次元的常時発酵モードの心身状態である。


※検索用キーワード
機動戦士ガンダム
モビルスーツ
ニュータイプの覚醒

もやしもん
醸すぞ

by めい (2017-03-01 03:42) 

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