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「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」 [賀川豊彦]

昭和261951)年105日、賀川豊彦先生が宮内熊野講堂で何を語られたか。それを知りたくていて、その頃から最晩年に書かれたものに目を通した。(『空の鳥に養われて』『続・空の鳥に養われて』 キリスト新聞「不儘油壺」欄に昭和21年3月から昭和34年12月まで書かれた。全集22巻と24巻所収親しく感じられたいくつかをメモしておく

揮毫する賀川先生.jpgお 賀川先生色紙.jpg

 

めい想

 幾日でも、幾週間でも私は黙想を楽しむ癖を持っている。刑務所の独房や、憲兵隊の監禁室で私は瞑想の習慣をもっていたから、鉄鎖を少しも苦痛と考えなかった。

 心の密室に閉じこもって自ら宿題を出して記憶を再現し、記憶の上に現われて来た視野の綱をたぐって、連想の綱を綱むと、面白い構図が霊のカンバスの上に出来上る。そこに引越して監守や憲兵が私の沈黙世界への潜入を揺り動かすまで、何事にも邪魔されずに推理の高楼に上って行くことは人生の最も幸福なことの一つである。私は一冊の書物を読む機会を与えられなくとも、黙想の静かな時を与えてくれさえすれば、霊の世界に逃げこむ工夫をいつの時からか覚えた。

 そこでは、過去一切の歴史を踏台にして、更に上へ上へと登って行く。思想山系のアルプス縦走も許可されるし、即刻に自己製の思想飛行機に乗って、天空に勇躍することもできる。考え詰めると、ノートが欲しくなる。それで思いついたことを一々ノートする。獄中などのノートのない所では、黙想録を一々頭の中に刻み付けておく。然しノートに付けると折角の美しい思い付きを忘れずに、また連想や推理し直す必要がなくなる。

 キリストが四十日間断食したと福音書に書いてあるが、瞑想の癖ができると、四十日の断食の間仕事が有って困るということが私に判ってきた。


独 居

 あまり大勢の人々にもまれて多忙な生活を送っていると、独り居ることが幸福の一つになる。毎日大勢の人に会っていると、独り瞑想する時間が続いたり、静かに密室に龍って読書することがまるで天国のように考えられる。ひとり自然に埋もれて、こつこつ大自然の秘密を探ることも一つの楽しみでもあるが、年をとると次から次へと用事をこしらえて引張り出しにくるのには全く驚く。キリストは朔早く、夜遅く、独り居る時間を作っていられたが、ひとりいることも薬の一つである。だから私のように瞑想の癖のついたものには、雑談が一番苦しい時である。

 密室の祈りの時、山の中の黙想時、それはどうれしい楽しい時はない。ひとりいることは充電する時である。充電しないと蓄電池は用をなさない。それで繁忙になればなるほど私は「独居」を義務と考えている。それを世間の人は『お休みですか? お床を伸べましょうか?』と聞きかえす。用事に立つ前の一時、静座して、半時を密室にて送る時のあまい天の恵みを頂く喜びは旱天の慈雨である。

 私は神戸の四万五千人の大労働争議の時、捕えられて刑務所の独房に入れられた時の感謝を今も忘れる事は出来ない。独房は私の最もよき訓練所であり、道場である。

 『小人閑居すれば不善をなす』と孔子はいっているが、閑居して最善をなし得るものにのみ天下をまかせ得ると私は考える。独居を楽しみ得るものに全能者は顔を見せ給う。


祈りなくして奇蹟なし

 聖書は祈りの歴史である。殊に奴隷解放の記録である旧約はモーセの「祈りの日記」であるといってよい。祈りなくして、あの驚くべき奴隷解放の記録は書けなかったのだ。

 イエスの奇蹟も祈りの奇蹟である。『「この山に移りて海に入れ」というとも成るべし』とキリストは言われ、そのあとすぐ『凡て祈りて願うことは既に得たりと信ぜよ、さらば得べし』(マルコ一一・二三、二四)とイエスは我らに教えていられる。

 唖の子を連れて来た父親に依頼せられた使徒たちは、癒しの出来ないことをキリストに訴えると『この類は祈りに由らざれば如何にすとも出でざるなり』(マルコ九・二九)と言うていられる。

 私は長い全国の伝道旅行で、祈っていない教会の数があまり多いのに驚いている。祈っている教会には奇蹟がおこる。祈りの無い教会には奇蹟が起らない。祈りは樹木の生えるようなものである。大木は一日にして成長しない。祈りの答えられるのも同様である。大きな祈りは一日にしてきかれないから、祈らない人もあるが、それが問題である。『日本を神のものとし給え』という祈りはあまり大きいから聞かれないと思ってはならない。

 祈りの外に日本の救われる道は無い。新約黙示録八章三節以下に祈りが天に届き、その祈りの上に香炉の香を加え、更にその上に祭壇の火を盛って地上に傾けると、歴史上の大変動が起ることが記載されている。

 祈りなくして奇蹟は無い。私はこの歴史を変革し得る祈りを信ずる。

  

新約と旧約の祈りの差

 新約宗教は旧約時代から「祈祷」を相続した。しかし、新約の祈祷は旧約時代の祈りに比較して五つの相違が認められる。

 ①新約時代には二人以上のものが同時に祈ることをした。

 ②他人の罪を赦さなければ祈はきかれぬことになった。(倫理的になった)

 ③キリストの死によって祈るようになった。

 ④特殊な神殿を認めず、何処にても祈るようになった。

 ⑤特に聖霊の導きを信ずる祈が多くなった。

 使徒パウロが、アソテオケの教会の集団祈祷会にて選ばれ、ヨーロツパ伝道に出発したという記事が出ているが、これは旧約時代には全く発見出来ない記事である。

 使徒行伝に記載されている「祈祷史」は実に勇壮なものである。世界にキリスト精神を宣布する能力を発揮する力を持っていた筈である。百数十年前数人の大学生が、枯草の蔭で世界伝道の祈を北米マサチユセツツ州の田舎でしたものが、今日、数万人の宣教師を送り出す原動力になったというが、「新約の祈」は、革命的偉力を発現する。

 倫理的「祈り」にっいても同じことがいえる。キリストの十字架上の「赦し」の祈、使徒時代ステパノが石にて殺される時の赦しの祈、そこにギリスト精神史上の勝利かある。

 ここまで来ると「祈り」は「物乞い」では無くて、神人同一の一形式になっている。ここにおいてキリストの教えた祈りは宗教生活の本筋に発展していることを理解すべきである。ヨハネ伝第十七章の詳細な「祈祷」の如きは、形こそ祈祷であるが本質は神人合一の宗数的内容そのものである。

 旧約の祈りが、絶対他者に対する欲求であったものが、新約においては使命感に推移していることを私は発見するのである。

                   (昭和34年7月18日号)


心の中の静けさ

 「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」(ヨハネー四・二七)とイエスは、彼が死刑になる前夜、弟子たちに遺言した。彼はその時既に生死を超越していた。

 彼は此の世の邪悪に打勝ち、心の中に平安を持っていた。彼は暴風怒濤を超越し、天下に怖るべきもの一つをも持たなかった。ロマの政権も、法廷の宣告も怖れてはいなかった。

 彼は人類の全罪悪をひとりで荷負おうとする覚悟すら持っていた。かくの如き意識を持った人間は、精神史にかって現われなかった。もし、我らがこの大工イエスの如き意識を持ち得たならば、世界平和は一瞬間に成立し、軍隊も軍艦も無用になるであろう。不幸にして万人にはこの心の中の「平安」が無い。万人の心に平安があれば、世界は静かである。

 心に平安のある者は、物欲、邪念に迷わされることがない。イエスは勝利者であった。(ヨハネ一六・四三)

 イエス以降、世界は幾百回の大戦争を繰返した。然し世界平和は来ない。結局世界平和は外部から来るものではなく、心の中から来るものだ。心の静けさを獲得するものが、真の平和を与えるものである。

 フィンランドの国民歌謡「カレワラ」は、フィン人種がフィンを歌と舞踊で征服し、剣と刄が無力であったと教えている。この言葉は永遠の真理である。心に平静を保証するものが、世界平和を保障するのだ。マホメット教の大学生がトルコで、私を訪問して、「トルコは剣で世界を征服しようとしたが、この方法は成功しなかった。イエスの方法が成功した。それで私はクリスチャンになった」というていた。

 心の平和によってのみ、世界平和が与えられるものである。

                    (昭和34年8月8日号)


「われ平安を汝らに残す。わが平安は世の与うるが如きにあらず」。この言葉こそ眼目だ。


永遠の新生

 奥の間にはいると、祖先の位牌が飾られてあった。そこは日本の神道に発見できる陽気がなかった。それを「明治神道」が補った。

 明治のキリスト運動は、日本の神道の持つ使命を果す必要があった。

 一、創造性、二、補修性、三、永遠の新生。

 十字架宗教は永遠に若い。この宗教は永遠に「再生の宗教」である。日本に於て、この永遠の新生を把握しなければ、日本はまた、奥の宗教の陰気なものに満足せねばならぬ。

 聖愛は永遠である。愛が実行される間は、キリスト愛は成長する。

 フランスでは、聖者マルチンが、「愛に感激してキリスト教になった」というが、キリスト教は、儒教、仏教とは異なり、愛の実践であるから、永遠に亡ぶことはあり得ない。

 ただ、その愛を社会化し、世界的にし、世界的に応用するかが問題である。自然科学は発展しているのに、愛の科学は、電気科学のように発展していない。如何にすれば、自然科学に並行して進行せしめられるかが問題である。

 キリストは、十字架を指し示して、この途の外はないといわれた。そして、実際十字架の外に道はない。キリストが道を狭く通る人は少ないといわれたがその通りである。

 理窟はよく解っている。ただ実行がむずかしい。

 明治以後、キリストの宗教がロ本にはいったのは、理窟ではなく、この間日本の土に染るだけはいった。

(昭和3412月5日号)


魚釣り

 西隣りの市橋 貞吉爺さんは六十を越えた親切なおじさんであった。私は此の人から魚を釣る事も小鳥を飼う事も皆教わった。村の小学校では教えて呉れないが、貞吉爺さんは于を取って教えてくれた。そして曲っている釣針にみみずを餌さにして川の中に放り込む方法まで一々教えてくれた。それで貞吉爺さんが大好きであった。私は兵庫県神戸港で生れたが大自然の中で育つだのは阿波吉野川の感化であった。それで今でも私は四歳から十一歳迄の児童は農村で育てた方が自然を通して神を知るには良いと思っている。阿波吉野川は日本でも珍らしい美しい川である。恐らく日本であれだけ美しい川は拡に無いであろう。亦西洋でもあれだけ美しい川は多く見る事は困難である事と思っている。それで私は東京、大阪の子供等を宍自然に返す座前を絶えずしている。エミールを書いたルソーは教育の基本としで自然に帰れと叫んでいるが私も大賛成である。農村で育った私は本当に自然を楽しんだ。農村を知っていたから私は創造主が良くわかった。日本は此の美しい大自然を子供等に良く紹介していない。日本の日曜学校の使命は聖書をむずかしく教えないで素直に大自然を聖書に依って教えると良いと思う。創造主を発見する事は知恵の始まりである。私は十五の時に創造主を発見した。私は是を一生に於ける大発見だと思っている。

                    (昭和341212日号)


(遺稿) 天に帰る

(キリスト新聞「不尽油壷」の遺稿で昭和三十五年四月二十五日松沢教会でひらかれた賀川の通夜の式で発表された。)

 地上の悲しみをのがれて天に帰る者は悦びを持つ。選挙運動もしなくてもよい。愛欲のきずなをたち、地位、名聞を離れて天に帰ることは光栄の中の光栄である。弱き肉体に支えられ、不安と激闘を貫いて、神と歩んだ短い生命が天に帰って行く。思えば勿体なくなる。死は灰になることではない。慈愛深き天の父に帰ることである。

 地上の生活は代数の方程式と似たものである。係数もあり、符号もある。しかし、その奥にある「根」(ルート)は変らない。宇宙の創造主が企画し給うた筋道を人間が勝手気儘に変更することはできない。多次元の世界は複雑に見えても、神の「根](ルート)に還元すれば、そう複雑なものではない。そこでは不滅の愛の世界が邪悪の世界をすら清浄に鋳換えてくれるのだ。

 凡ての生命は元素に復帰し、そして原子は不滅である。この不滅なるもので人間が出来ていることを信じる者には不安はない。法則も、エネルギーも、凡て不滅である。「生命」の原理も「合目的」の世界も不滅である。この不滅なるものは集合離散の世界を超越して永遠なるものに我らを繋いでくれる。我らは臆病たることをやめて、この無窮の愛につながればよいのである。そこに天がある。相対世界の奥に隠れた絶対者が居る。

 天は我らのうちに内在してくれる。この心の中にまで内在してくれる天に私は帰るのだ。凡ての恐怖、凡ての危険、死、災害を天が追払ってくれる。組立てられた人格の世界?霊魂の世界は、組立てられた空気が無窮であるように無窮である。見えなくとも空気は作用する。そして、死を越えて「霊魂」は天の使命を伝達する。私は霊魂の不滅を信じている。

            (「キリスト新聞」昭和35年5月28日号)

 

昭和341959)年17日 関西伝動を終え四国に向う途中にたおる、心筋梗塞拡張症、高松のルカ病院に入院

324日 東京に帰り自宅にて療養

531日 中野組合病院に入院

711日 自宅に帰り療養

昭和351960)年423日 上北沢三丁目の自宅にて午後九時十三分、召天。享年七二歳

(つづく)


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