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北条郷熊野の夏まつり(承前) [熊野大社]

(山形新聞 2015.7.25)
夏まつり 山形新聞記事270725.jpg

この地が「北条郷」と呼ばれるようになったことについて、よもやま絵巻の「『北条郷』の由来」にこう書いた。


《宮町佐野家に伝わる文書(蓮蔵院由緒手控)や小松の「南善院由緒書」には、北条時政〈保延元年1138ー建保三年1215〉の妾腹(沼田氏)の子北条相模坊臨空が、この地三十三ヵ村を四百人からの羽黒修験者の大先達として仕切るようになっていつしか時政の子であることが知られ、だれからともなくこの地を「北条郷」とよぶようになったと記されています。》


このたび■■国際派日本人養成講座 ■■、の「北条氏の仁政」を読んで、「北条郷」を称するその気持ちには、「誇らしい思い」が多分に加味されているのでは、と思えるようになった。「矜恃」という言葉がふさわしい。この地にはたしかにこれがある。その源をたどれば、縄文以来の歴史の蓄積、熊野宮と共にあった歴史、明治期以降の製糸業の隆盛等々考えることができるが、「北条郷」という呼称そのものに、そのミーム(文化遺伝子)が込められていることに気づかされたのだ。このことがなんともうれしい。


それにつけても書いておかねばならないのは、このたびのお祭りが決して「いいお祭りだった」とはいえないことだった。ずっと危惧していたことだったが、その心配がもろに出てしまったのだ。正さねばならないことなので経緯を明らかにしておく。


問題は神輿オアガリで起った。ほぼ4時、祝詞の後、担ぎ手たちによって神輿は鳥居を出て信号を右に曲り新町通りを西進する。私も昔は一緒についていったが、今は神輿が出た安置所周辺で神輿が戻るのを待つ。獅子冠事務所の若手(といってもほとんど60歳に近い)のほんの数人が付いてゆくだけだ。昔だったらそこまで道路許可をとっている下の寺(正徳寺)前で、われわれ獅子冠事務所員と担ぎ手の揉み合いがあって、なんとかそこで引き返させるだけの力がわれわれにもあったが、今は到底敵わない。担ぎ手たちの良識に任せるしかない。揉み合いをやった頃は警察も関心をもっていて、道路交通法を楯にかなりうるさかった。そもそも、公民館が事務局の役割を果す実行委員会組織(実行委員長は地区町会長)ができる際、われわれは「祭事は御神事であり、実行委員会はなじまない」と抵抗したのだったが、当時の神社総代会長であり地区町会長の「獅子冠事務所で警察に対応するのは大変だろうから」との説得にやむなく折れた経緯がある。21年前のことだ。その頃書いた「祭りの本義」という文章が残っている。私にとって一世一代の大事な文章だ。後で判ったことだが、その動きの背景には「政教分離」があったようだ。御神事としての祭りに公民館や地区長会が関わるのは好ましくないという考え方が跋扈してきたのだった。日本人の精神的バックボーン破壊政策が半世紀を経てじわじわと浸透してきていたのだ。もっともらしい体裁をとりながら。御神事としての祭りはその後どう変わったか。その弊がもろに出たのがこのたびの御神輿渡御であった。

 

さて、待てど暮らせど御神輿が帰ってこない。次の行事は5時からの梵天バヨイ、御獅子のオアガリ、獅子バヨイ。獅子児たちが待っている。いつまでも待たせるわけにはいかない。獅子冠事務所行事としての梵天バヨイを神輿のオアガリを待たずに挙行することになった。5時を大分過ぎて、梵天バヨイの最中に御神輿は上がって行った。異例のことだった。

 

予想されてはいたことで、案の定なのだが、御神輿はどこをどう廻って来たのか。かつてもこういうことがあって、その時もわれわれは厳しく戒めたつもりではあったが、このたびは極めて計画的に私的な動きをしたらしい。ただひとつ、よかったと言えることがあった。それは今年の春当選したばかりの県議も担ぎ手のひとりとして参加しており、県議宅の前も通ることになった。御神輿は県議宅前でも気勢を挙げようとしたが、県議は手を合わせて「それだけは止めてほしい」と懇願したとのことだった。勢いの中にあってなかなかできることではない。県議は御神輿の動きの不純さを察してその後隊列を離れたとのことだった。

 

26日の獅子冠事務所慰労会で宮司とこう語った。「決して『いいお祭りだった』とは言えないが、今回のことがきっかけになって『おかしい』と気づいてくれるようになれば、あるいは『いいお祭りだった』と言えるときがくるかもしれない。その時から宮内は変わる。」と。そうあることを切に念ずる。

 

あれだけ道路許可の範囲を越え、事実交通の支障もあったとのことだったので、当然警察からのお咎めを覚悟し、その場合は実行委員長が対応するようになっていたのだったが、81日現在何事もない。警察にどのような判断があったのだろうか。昔とちがって人通りも少なくなった宮内の街だから大目に見ておこうということだったら、かえって寂しい。また、警察への対応が大変だろうから実行委員会組織にするとの説明に渋々納得したわれわれの立場をどう考えればいいのか。このままで、「これでよし」となるとしたら、恐ろしい。決して神さまはよろこばない。

 

 


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