SSブログ

「やまがた再発見」 長南年恵(下)(山形新聞) [宥明上人]

ちょうど一週間前に「長南年恵(下)」が掲載され、そこに福来博士の写真まであったので、はやく飛騨福来心理研究所の方々に読んでもらいたいと思っていたのだが、熊野先生のことをまだまだ書きたくて後回しになっていたところへ、昨日別件でだが、研究所のOさんから電話があったので、このことを詫びて、今日書くことにした。

どう紹介しようかとあらためて記事を読んでみて、先日買い求めたままの『フェヒナー博士の 死後の世界は実在します』(成甲書房 2008)を思いおこし、開いて目を通しつつ驚いた。天行居の信条第十条「私どもは人々が死後なほ現世の如く人格的に生活することを原則として確知し、現世の如くに弥栄の道、天行の道に精進し修養努力するものであることを信じて疑ふ余地がありませぬ(原則外の変態現象もあります)」そのままの展開なのだ。以下、「第五章 死者があなたのもとを訪れる」をそっくり書き写させて頂くことにした。熊野先生を思い起こすごとに、熊野先生がすぐそこに居られるような気がしてならない思いでいたところでの、この文章との出会いだった。きっと長南さま(研究所の方々はこう呼びます)のお導きです。

その後に山形新聞の長南さまの記事をコピーしておきますが、何とも隔靴掻痒、とはいえ、長南さまがこういうかたちで山形県民に知って頂くことになったのは、ほんとうにありがたいことだ。いずれ書くことになると思うが、宥明上人のお働きもあるにちがいない。

それにつけても、いろんなところで最先端、いま、山形県がおもしろい!

   *   *   *   *   *

『フェヒナー博士の 死後の世界は実在します』(グスタフ・フェヒナー 服部千佳子訳 成甲書房 2008

第五章 死者があなたのもとを訪れる

生者が死者を思い出すということ


 現実の話として、生者の霊と死者の霊が無意識のうちに、あるいは片方だけが意識的のうちに、さまざまな形で出会うことはありえる。だが、いったい誰がこの生者の霊と死者の霊の交流の全過程を追跡し、突きとめるというのだろうか。

 その答えを、簡潔に言おう。

 霊たちは共通意識の中で出会うのだ。

 霊はどこにいるときも、きわめて意識的に存在しでいる。意識をしているがゆえに出会うことができるのだ。

 そして、生者と死者が最も高いレベルで、意識的に出会う方法がある。それは、生者が死者を思い出すことである。

 わたしたちが死者に注意を向けることで、死者の注意をわたしたちのほうへと向けることができる。これは、人の魅力が、それに気づいた人に対して相応の引力を発揮するのと同じことだ。

 死者に対する記憶とは、わたしたちが知っでいるその人の、この世での人生を振り返ることによって生まれる新しい意識である。しかし、死者を思い出すことで、あの世にある魂は間違いなくこの世へと導かれてくるだろう。

 生きている人間が(生きている)他人のことを考えたときにも、意識の上で相互刺激が起きるが、その刺激はお互いの身体の中に閉じこめられているために作動しない。

 ところが、死によって意識が身体から解放されると、その意識は自らの居場所を探し求め始める。そして、この世では電流と呼ばれるものより、ずっと速くて強力な流れに乗ってやってくる。

 生者が死者の記憶を思い起こすとき、思い起こす側と思い起こされる側が同時に、同一の意識的衝撃を感じる。そのとき、残念ながらわたしたちは、こちら側の意識だけしか認識しようとしない。あちら側の意識を認識しないために、わたしたちは判断を誤るのだ。そして、この失敗は思い違いと損失という結果をもたらす。


生者も死者も進歩する


 愛する人との別れのときが訪れ、夫や妻は伴侶と、子は親と死別する。そして、残された者たちは、引き離された者を遠く離れた天国に空しく捜し求める。虚空に目をやり、腕を差し伸べる。

 だが実際には、愛する人は彼らから取りあげられたわけではない。

 なぜなら、相互の適応と理解という外面的なつながりの糸は切れてしまったとはいえ、自分の内面にある意識の奥深くから、何もさえぎるもののない深いつながりが姿を現すからだ。ただし、そのつながりは人には未知の存在のため、人は認識することができない。

 私はかつて、母親が赤ん坊を腕に抱きながら、庭や家の中を心配そうにその赤ん坊を捜しているのを見たことがある。遠く離れたさぴしい場所に死者がいると思っている人は、この母親以上に大きな間違いを犯していると言える。自分の内面を見つめさえすれば、愛する人はそこに存在しているというのに・・・。

 たとえ母親が赤ん坊を腕に抱いていでも、その子の存在を認識していないとしたら、わが子を手にしているとは言えない。そうした状態では、母親はわが子に言葉をかけたり、目を向けたり、世話をしたりといった外面的な関係による満足を得ることも、与えることもできないだろう。

 そういう状況に陥って初めて、母親は内面的な関係による満足を得ることができる。すなわち、わが子との間に内面的な関係が存在することを認識しさえすればいいのだ。

 そして、内面的な関係にはさまざまな利点があることに気づくだろう。

 わたしたちは存在していないと思う人に言葉をかけたり、手を差し伸べたりはしない。しかし、すべての真実を知ったなら、生者にとっても死者にとっでも、そこから新しい人生が始まることだろう。その結果、生者だけでなく死者も進歩するのだ。

 

天国で宝をたくわえる


 もし、わたしたちが死者のことを、思い出すだけでなく、正しく考えるなら、その瞬間、死者は存在しているのだ。あなたが死者のことを心の底から呼び起こすなら、死者はあなたのもとに訪れる。

 そして、あなたの気持ちと思いが死者とつながれるほどに強いものであったなら、死者は必ずあなたのもとにとどまることだろう。

 わたしたちが死者のことを、愛情をもって思っているか、あるいは憎しみをもって思っているか——死者はそれを敏感に感じとるだろう。愛であろうと憎しみであろうと、それが強ければ強いほど、死者はそれをはっきりと認識する。

 実際、一度死者を思い出せば、次に思い出すときは前回の記憶を利用することが可能となる。その記憶を使って、いつでも意図的に死者を祝福したり苦しめたりできるのだ。

 あなたは死者のことを意識した状態で、死者と和解することもできれば、対立関係を続けることもできる。したがって、常にできるだけよい心がけで生きていくべきなのだ。

 そして、あなた自身が死後にこの世界に残す記憶は、あの世においてあなたにとって恩恵になるということだけは覚えでむきなさい。

 自分の死後に、この世に愛、名誉、称賛という宝を残していくことのできる人は幸福である。これらは死に際して、人が勝ち取ることのできる財産となる。

 なぜなら、人は死に際して、自分の人生に対するあらゆる評価が濃縮されカ意識を受け取るからだ。生きているときには、たとえほんの数粒しか穀物を得ることができなかっカとしでも、その評価次第では大量に手にすることもできるのだ。

 わたしたちは天国において、こうした得た宝をたくわえていくのである。


死者の記憶を呼び起こすもの


 憎しみや非難、嫌悪に満ちた思い出しかこの世に残せない人は悲劇だ。

 なぜなら、死んだからといって、この世でそうした悪影響を与えた人びとから解放されるわけではないからだ。これも、その人を待ち受けている地獄の一つである。死後もその人を追いかけてくる非難の矢は、照準を合わせて、魂の奥にまで突き刺さる。

 ただし、善行か悪行かという判断が間違って行なわれることはあり得ない。正義は絶対に全うされるのだ。

 この世で誤解を受けた正しい人ぴとは、そのことをあの世ではちょっとした災難だったと笑いとばせるにちがいない。本当は邪悪な人ぴとが、この世で不当な良い評価を受けても、あの世ではうわべだけの利点としてしか役に立たないだろう。

 それゆえ、この世ではできるだけ自らの名声を汚さぬように努めるとともに、「ともし火をともしで升の下に置いてはいけない——つまりは『謙遜しすぎてはいけない」のだ。

 あの世にいる霊たちは決して間違った判断を下さない。たとえこの世で誤りとされたことでも、あの世では真実であることがわかり、重要視されることもある。神による正義は、最終的にあらゆる人間の不正を克服するのだ。

 死者の記憶を呼び起こすすべでのものは、死者の注意をわたしたちのほうへ向けるための手段である。

 死者は、彼らを追悼する行事があるたびに目覚め、彼らのために建てた記念碑のまわりを漂い、その行ないを讃える歌に耳を傾ける。そして、そこから新しい芸術が芽生える!

 この死者を追悼する行事は、どれほど古くさくなろうと、うんざり顔の観客の前で何度も繰り返し上演される。すると突然、大勢の観客で埋まった客席の上方に、円を描くように天界が姿を現す。

 そこから天界の仲間が下界を見下ろしているのが見えると、たちまち人びとの究極の目標は、下界の人間ではなく天界に住む人びとの仲間になり、下界の人間の願望ではなく、天界の人ぴとの願望を実現することに進化するのだ。

 世の中には神をあざける者もいれば、宗教間の争いもある。これを不合理だと思う者もいれば、当然だと思う者もいる。ただし、どちらにせよ、このような事態になったのは大きな謎が明らかにされていないからだ。

 その謎さえ明らかになれば、神をあざける者の精神や宗派の団結が破綻した原因が正体を現す。なぜなら、それは普遍的法則がもたらす究極の一例にすぎないからだ。


---------------------------------------------


長南年恵(下).jpg

長南年恵(下) 黒木あるじ (作家)


近代化が招いた零落


 鶴岡市出身の長南年恵(1863〜1907年)が超能力者として裁判にまでかけられたその背景には、明治という時代の空気が影響していた。前回の原稿で私はそう述べている。では、明治とはどのような時代であったのか。近代化が推し進められたその裏ではなにが起こっていたのか。後編となる本稿では、明治時代のさまざまな事象を列記し、そこから長南年恵とその能力が意味するところを探っていきたいと思う。

 1884(明治17)年、1隻のアメリカ船が伊豆の下田沖に漂着する。しばらく下田にとどまることとなった船員たちは、地元の人々と交流するなかで「テーブルターニング」という娯楽を教えた。まず3本の棒を結んでこしらえた台座に丸い盆(この時は米櫃のふたを用いた)を置き、そこへ指を乗せて質問すると、台座が浮いたり盆が回転したりとさまざまな反応が起こる。その不思議な現象を楽しむ余興であったようだ。


「狐狗狸さん」


 テーブルターニングはまたたく間に下田の人々のあいだで広まり、やがて全国的な流行となる。ただし、降リてくる存在が霊ではなく、人を化かしたり取りついたりするキツネや犬神、タヌキなどにいつしか置き換えられた。そう、この「テーブルターニング」こそわれわれがよく知る霊媒めいた遊び、「狐狗狸さん」の起源なのである。

 狐狗狸さんと長南年恵。一見するかぎリ無関係のようなこのふたつには、「心霊主義」という共通した背景がある。心霊主義とは19世紀に生まれた、「人間はその肉体が消滅しても霧魂は残る」という思想である。産業革命以降の急速な発展によってキリスト教の古い価値観が揺らぐなか、人々はこれまでの宗教的観念とは異なる新しい考え方を模索していた。工業化が進み科学が台頭しているというのに、相変わらず人間が死から逃れられないのはなぜなのか・・・。その答えを探し求めていたわけだ,そこに登場したのが心霊主義であり、かつては神の領域であった霊との対話、すなわち「テーブルターニング」などの降貫術だった.西洋史研究家の吉村正和は「心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代」のなかで、「霊と交信するという発想の裏には、当時の通信手段の発達があったのではないか」と指摘している。1844年にモールス信号が実用化され、66年には大西洋を横断する海底ケーブルが敷設、76年になってベルが電話の特許を出願している。それまでは特殊な技能者の特権であった[通信」は、道具さえあれば仕組みを知らずとも利用できるようになり、同様に聖職者のみがおこなっていた「降霊」という行為もまた、一般の人々が道具を用いて活用できる位置まで引きずリ降ろされたのである。

 あまたの西洋的思想とともに心霊主義を輸入した日本も、状況は同じだった。文明開化の名のもとに近代化が促されると、人々はすべての事柄に合理的な解釈を求めるようになり、真偽を追及する余地のなかった迷信や占いにまでその手を伸ばしていく。そして、それは「神秘性の零落」をもたらす結果となった。狐狗狸さんのような「霊媒」は、明治以前であれば加持祈祷を専門とする人間だけが許された行為であったはずだ。しかし人々は自分たちの手元まで「霊媒」を引き寄せ、道具を用いての合理的な手段を(現代に生きる我々から見ればまるで合理的には思えないのだが)用いた結果、神秘のベールを剥ぎ取ってしまったのである。

 長南年恵もまた然りだ。本来ならば「当たると評判の予言者」「霊水を授ける神の使い」として、ごくかぎられた地域で受け入れられるはずだった彼女の能力は、「信じるか信じないか」ではなく「うそか本当か」という議論の対象となり、しまいには裁判にかけられてしまった。狐狗狸さんと長南年唐は、同じコインの裏表なのだ。

 急激な近代化が生み出したのは、年恵の超能力や狐狗狸さんだけではない。年恵の活躍と時を同じくして、明治の日本では二度にわたって「催眠術ブーム」が巻き起こっている。

 18世紀にドイツの医師メスメルによって開発された催眠術は、当初こそ大脳生理学に近い研究分野であったが、次第に心霊的な色合いを強め、やがてヨーロッパでは奇術の類として片づけられるようになった。そして、日本も同じ道をたどる。明治20年代前半に催眠術が紹介されると、大衆はもとより学者たちまでもがその不可思議な現象に熱中したのである。どうやら、狐憑きや犬神などの憑物信仰が盛んであった日本人の感性と催眠術は非常に相性が良かったらしい。

 しかしヨーロッパでの流行と同様、学問の領域にあったはずの催眠術は怪しげな民間療法へと転落し、ついにはI908(明治41)年に催眠術をとりしまる規則が「警察犯処罰令」として施行されるまでにいたる。翌09年には森鴎外が催眠術を題材にした短編小説「魔睡」を発表している。主人公の妻が催眠術を操る医師に性的暴行を加えられるというショッキングな内容は、鴎外とその妻に起こった事実を書いているという説が広まり、宮内庁や政界を巻きこんだスキャンダルにまで発展してしまった。この出来事を契機として、催眠術は下火となっていくのである。

 さて、催眠術を取り巻く状況もまた長南年恵の人生と酷似してはいないだろうか。かつては「憑き物」として処理されていた現象が近代化のなかで新たな価値を与えられ、大衆の好奇心によって蹂躙されたあげくに零落していく。明治の催眠術の歴史を眺めるとき、そこには長南年恵の姿が二重写しになっているのだ。


「千里眼事件」


 明治期のオカルトブーム、極めつけは年恵の死から間もなく起こった「千里眼事件」である。催眠術の流行が落ち着いた1910(明治43)年、東京大教授であった福来友吉は、物体を透視する能力「千里眼」を持つとされた御船千鶴子(彼女の能力は催眠術を商売にしていた義兄によって発見されている。つまりは催眠術の正式な後釜なのだ)を東京に招き、科学者や新聞記者たちの前で公開実験をおこなった。

 しかし実験後に試験に用いた道具のすリ替えが発覚し、批判にさらされた千鶴子は翌年に服毒自殺、福来は現像前の乾板に画像を投影する「念写」能力を持つ長尾郁子や高橋貞子で実験を続けるが、ほどなく大学を追われてしまったのである(この御船千鶴子や長尾郁子こそ、鈴木光司の小説『リング」に登場する悪霊・貞子のモデルである)。

 この一連の騒動によって、催眠術や超能力は完全に科学の領域から弾きだされてしまう。しかし明治はすでに終わりを迎え、大正という新たな時代へ向かっていた。維新前の「信じるか信じないか」という立場にも戻れず、科学からも拒絶されて行き場を失った超能力は現代まで中ぶらりんのまま、その位置づけを曖昧なものにしている。

 振り返ってみれば、山形という「科学ではおさまりきらないものを受容する土地」を郷土に持っていた年恵は、まだ幸福であったのかもしれない。出羽三山信仰やあまたの民間習俗によって、人々が「不思議を不思議なままに受け止める心」が残っていた山形だからこそ、彼女は(裁判にこそかけられはしたが)御船千鶴子のように自死することなく天寿を全うし、死してなお祭られている・・・私はそのように思えてならないのだ。

 さて、ここまで私は、明治時代の人々が21世紀に生きる我々と比べて非科学的であるかのように書いてきた。しかし、いま一度考えてほしい。現代を取り巻く状況は明治の彼らと比べて本当に進歩しているだろうか。催眠術、占い、心霊・・・・・・なにも変わっていないようにしか思えないのだ。私たちに必要なのはそれらの真偽を追及する行為ではなく、その背景になにがあるのかを探り、思いをはせることなのかもしれない。

 いまの私たちを、年恵は果たして笑っているだろうか、それとも嘆いているだろうか。原稿を書き上げたあかつきには、彼女の墓前を訪問し、静かに尋ねてみたいと思っている。


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

めい

「外国から今の日本を見るとどうなのだろうか」。日本の霊的事情への関心がうかがえます。私たちの問題意識とも重なります。内田先生と釈徹宗さんがどんな答えを出されるか注目です。
「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/2015/05/10_0930.phpです。

   *   *   *   *   *

2015.05.10
スイスのラジオ局から訊かれたこと

スイスのラジオ局から先日メールがあって、日本の宗教事情についての番組を作るために訪日するけれど、インタビューを受けてくれるかというお訊ねを頂いた。
現代日本の宗教事情について詳しく知りたいなら「えーひとがおりまっせ」ということで釈先生を巻き込んで再来週、練心庵で二人でインタビューを受けることになった。
いきなりインタビューされても答えに詰まることもあろうから、事前に質問状を送って欲しいと書いたら、こんな質問状が今朝届いた。
スイスのラジオ局のひとりのディレクターから見えた「現代日本のイメージ」がはっきりと示されていて、たいへん興味深かったので、和訳したものを掲載しておく。
どういうふうに答えようか、これから考えてみる。

質問状はここから↓

今日の日本に「日本の国民的信仰」というものは存在しますか?
単なる社会契約という以上の国民的な統合の軸というもの、アメリカ人における「市民宗教」(religion civique)に類するものは存在しますか?
あるとすれば、それは日本文化の宗教的層である「無常感」のようなものでしょうか?
物質主義的な文化は日本の霊的生活にどのような影響を及ぼしているでしょう?
それは伝統的な宗教実践や、「マーケット志向的」(orientés client)な新しい宗教運動の出現には関与しているでしょうか?
先祖伝来の宗教文化の次世代への継承は果されているでしょうか?
日本は新しい外来の新しい宗教的表現(例えば韓国におけるペンテコステ運動のような)ものに対して開かれているでしょうか?
外来の宗教的表現に対する日本人の態度は、すべての外来の文物に対する程度と同一のもの(興味は示すが、どこか不信感もある)でしょうか?
あなたはマンガの専門家でもありますけれど、霊的な問題意識はこの領域には入り込んでいるでしょうか?
マンガの世界から派生した独特なモラルというものは存在しているでしょうか?
現在政権の座にある日本の右翼( la droite japonaise actuellement au gouvernement)の政治的アジェンダには「宗教的」な面があるでしょうか?
神道は明治維新のもとで政治的目的のために功利的に利用されたのでしょうか?
靖国神社への参拝はその政治目的のひとつの実例なのでしょうか?
仏教もこのような歴史的変化によってその性格を変えたのでしょうか?
保守的言説が犠牲的精神や簡素さや愛国心や権威を讃えることと関連はあるのでしょうか?
「欧米由来の進歩的なヒューマニズム」に反対する言説と宗教の関係はどうなっているのでしょう?
戦後日本の「平和主義・平等主義的で寛容な」教育は物欲を煽ることで国を滅ぼしたとして糾弾されていますが、このような批判は日本国内ではどのように受け止められているのでしょうか?
個人主義は日本では敵と認定されたのですか?
民主主義的な価値観は日本では断罪されているのですか?
私が読んだものの中で、日本の社会学者たちは「無縁社会」(連帯を失った社会的危機)について言及していましたが、この概念は厳密にはどういうことを意味しているのでしょう?
意味の危機、未来への信頼の危機、アイデンティティーの危機、そういう危機感は日本の人口の高齢化とかかわりがあるのでしょうか?
日本の若者たちの一部が伝統的な社会経済の構造について無関心であることにかかわりがあるのでしょうか?
このような保守的言説には地理的に多少の偏り(都市部か地方か、中心か周縁か)があるのでしょうか?
戦後70年経ちましたが、日本は後戻りのできない方向に舵を切っているのでしょうか?(le Japon prend-il un virage irréversible ?)
あなたは坂本龍馬について言及していましたが、現在の日本が次第に閉じられた国になりつつあることに裏切られた気持ちを持っているのでしょうか?
あなたの父親は第二次世界大戦後の日本の再建にかかわってきたそうですが、あなたは(憲法九条に示されるような)平和主義的な日本はその終末を迎えていると考えていますか?

by めい (2015-05-11 05:33) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。