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「おしょうしな(ありがとう)」の起源 [地元のこと]

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昨日、石黒吉次郎先生講演会。会場ぎっしり、100名を超す方々に来ていただいた。とりわけ20名近い中学時代の同級生、当時の先生も3人、50人近い交流会はさながら同窓会のようだった。

 

「山形・置賜の歴史と文化―中央からのまなざし―」というテーマ。A48ページぎっしり、歌枕から始まりイザベラバードに至るまで、山形、置賜についての言及箇所を拾いだした資料に沿ってのお話。狂言や狂歌、男女に関わることなど、会場に時折笑いも起き、あっというまの1時間半でした。

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思わずぞくぞくしたのは、「近世の小説・説話(随筆)から—他人からの伝聞、諸国話・奇談の世界—」でとりあげられた、戦国時代に成立したという『人国記』(岩波文庫)の中の「出羽国」の文。


《出羽の国の風俗は、奥州に大体替らざるなり。然れども奥州の風儀よりは律儀なる所ありて、智も亦上なり。武士は我が主・親へ忠孝の志あり。下を使ふの法を沙汰し、下鵬は上をうやまふ心あり。百姓は地頭を頼む心入れありて、他の村郷の者、我が地頭を誹るを聞きては、則ち勝負を付くるの類にて、実に頼もしく、しをらしくこれ有るところ多くあるなり。

 蓋し此の国の者、都て吾が国は遠国・辺土にして、かたくへなき国風なる故、恥づかしきなど云ふ風俗なり。これに因って奥・出両国の者は、四民ともに礼厚きなり。》


「都(かつ)て吾が国は遠国・辺土にして、かたくへなき(融通のきかない?)国風なる故、恥づかしきなど云ふ風俗」、ここを聴いて思わず「おしょうしな」の言葉が思い浮かんだ。然り、「これに因って奥・出両国の者は、四民ともに礼厚きなり。」謙遜の思いが「ありがとう」に通じてゆく心の機微。その様はまさに「四民ともに礼厚きなり」ということなのか。


この箇所については『中陵漫録』巻六に、「余、奥州に遊行して見るに、人肌、古と異る事なかるべし。羽州米沢のごときは、人国記に記す如し。」として『人国記』上記文が引用してあるという。

 

実は交流会の席で、石黒先生にこのことを話して「かたくへなし」の意味をたずねたところ、「よくわからない言葉なのだが」としつつ何とかと言われたのだが、どういう言葉で言われたか酒のせいもあって記憶から飛んでしまい、いまネット上でも出てなくて、とりあえず「融通のきかない」としておいた。


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山形新聞 27年3月28日


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