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安西正鷹『お金の秘密』を読む(2) 『モモ』に寄せて [30年後]

まずうれしいのは、エンデもまた、私にとっての上杉鷹山、宮沢賢治、井筒俊彦、小田仁二郎、若松英輔、そしておそらく宥明上人も・・・そのカテゴリーに括られる人だったことだ。


《彼(エンデ)は、直感に命じられるがままに黙って筆を走らせるだけだと、赤裸々に告白している。すなわち、エンデは自らの潜在意識に照射された神々の意思を忠実に代弁する霊媒の役割を担っていた。》193p


エンデにとってもやはり、「自分」という存在はとどのつまり、「通路」であり「器」として認識されていたのではないか。そこに徹し得た時、「時間」そのものの原点が姿をあらわす。時間が立ち現れる瞬間瞬間、その都度都度の完結、まさに「マスミノムスビ」の世界。著者(安西)は言う。


《未来が存在せず、いまこの瞬間に時間を創るという時間意識。それは、古代神道の「中今(なかいま)」に通ずるものがある。未来も過去もなく、この瞬間という一点に凝縮された「中今」こそ、人類史上最古の時間意識なのだ。》そしてたしかに、《このような創造的で緊張感にあふれた時間意識が支配的な世の中では、まだお金が凶暴な側面を発揮することはなかった》220p)にちがいない。

 

エンデにとって『モモ』は、社会批判をしようというような大上段の構えはなく、あくまでファンタジーとして綴られた。とはいえ「時折には、作家がだいたい気づいているよりも、はるかに深い意味があることが成り立つ。書いた文に何重もの意味があることがわかってくるのですが、たいていはそうしようとするのではなく、それは起きる」(『エンデの遺言』日本放送協会出版)のである。エンデはどこまで「お金」の問題を「時間」の問題の裏に忍び込ませようとしていたか。エンデにとってシュタイナーやゲゼルの貨幣理論は十分自家薬籠中のことであった。しかし、そのことはエンデの意識の表面からは隠されていたのかもしれない。そこのところを最初に読み解いたのが、ドイツの経済学者ヴェルナー・オンケルの「経済学者のための『モモ』入門」という小論だった。ありがたいことにネットで読むことができる。『モモ』のあらすじも要を得て紹介されている。とりわけ、モモがマイスター・ホラと共に訪ねる〈時間のみなもと〉についての紹介は秀逸だ。ちなみに、マイスター・ホラが語った大切な言葉を記しておく。

 

《(本来)時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字通り死んでしまうのだ。人間というものは、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。そしてその時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。》(岩波書店版『モモ』201202p

《人間はひとりひとりがああいう(〈時間のみなもと〉で見たような)黄金の時間の殿堂を持っている、それは人間が心を持っているからだ》。(同上 320p

 

閑話休題。『モモ』に内在する時間とお金とのリンクを明らかにしたオンケル以降の議論を十分踏まえた著者(安西)の叙述は、実に含蓄に富みよくわかる。小さな女の子モモが戦いを挑んだ時間泥棒、「灰色の男たち」の正体についての文章である。

 

《 (「ムダな時間」を倹約して時間貯蓄銀行に預けることを了承した理髪師の)フージー氏や町の人々を誑(たぶら)かした「灰色の男たち」は、時間がなければ生存できない。

 それなのに、自分自身の時間を所有しておらず、それを生み出すこともできないというジレンマを抱えている。「灰色の男たち」の生き方は、完全に他人依存的、寄生的なのだ。

 だが、一時的ならまだしも、気前よく自分の時間を他人に与え続ける者など誰もいない。他人のお情けや施しにすがるには限界がある。

 暴力や法律という有形無形の物理的手段に訴えるやり方はどうか。この手法は、恐怖や苦痛が五感を直接刺激するので、人々の反感や抵抗を招きやすい。しばらくの間は力で封じ込めることができても長続きしない。

 また、彼らには人々に崇敬されるだけの神聖さやカリスマ性がない。

 となれば、人々から自主的かつ永続的に時間を差し出させ、生きながらえる手法はただ一つ。詐取しかない。

 詐取を成功させるには、本心を悟られることなくその気にさせる完璧な仕掛けが必要となる。

 それは、時間を「預けて貯める」という幻想を本物と錯覚させる、盲目的な信念を人々に植え付けることだ。

 彼らにとっては文字通り死活問題なので、この仕掛けには些細な綻びすら許されない。

 極度のプレッシャーが生み出すストレスが、この壮大な幻想をますます強化し洗練させ、盲目的な信念から狂信的な宗教へと昇華させた。

 もちろん、これは彼らに呼応する人々の「協力」あっての話である。けっして他人事ではない。

 時間を「預ける」といえば聞こえはいい。相手を信頼して託すという好ましい響きがある。しかし、これは「灰色の男たち」が編み出した巧妙なキーワードなのだ。

 時間を「預ける」と見せかけて、実は人々から時間を「奪う」。

 これが「灰色の男たち」の狙いだ。」》200-201p

 

「時間とお金ははなぜ、そしてどのように結びつくのか?」この問いに著者は、アメリカ建国の祖ベンジャミン・フランクリンが言ったといわれる「時は金なり」という格言を通して解明する。

 

「時は金なり」、この言葉の起源は古代ギリシアにまで遡るが、フランクリン登場以前は、「お金が大事と思うように、時間もムダにしてはいけないんだよ」という比喩的な関係であって、そこでは「時間はお金より貴い」という思想を内包していた。《人は全財産を失った場合、それを努力で再生できるかもしれない。だが、過ぎ去った時は永遠に取り戻せない・・・。》207p

 

ところがフランクリンの「時は金なり」は「時=金」である。このことを著者は「人類の思想史に破壊的で不幸な一大転換をもたらした」(206p)と言う。どういうことか。「灰色の男たち」は、お金が蓄積されると同じように、時間も蓄積されると説いてまわる。しかしいったい、そうして貯め込まれた時間とは何なのか。過ぎ去るはずの時間が過ぎ去らないないでどこかに在る。とすると、「今在る」自分は何なのか。そこに見えてくるのは、実存感覚の喪失、そして現代人を覆う漠たる不安。著者は言う。

 

《 現実世界の「灰色の男たち」は時間とお金の性格を歪めて不安と恐怖を大いにかき立てる。社会進化論は、「進めば進むほど(—働けば働くほど)、進歩(—生活向上)する」と耳元でささやく。競争社会は、他者との不断の対立と闘争で勝利し続けなければ生き残れない、休息は敗北だ、と恫喝する。

 こうして人々は心にさざめき消えることのない焦燥感に駆られ、少しでも長く働き、少しでも多くのお金を獲得しようと齷齪せずにはいられなくなるのである。》210p

 

「今」の喪失は、自己の拠って立つ場が見えなくなることだ。今ある場所はいつも「不十分」でしかない。ほんとうの場所は別なところに在る。いつもいつもせき立てられるようにして毎日が過ぎてゆく。

 

一方、お金は本来、暮らすに間に合えばいいはずだった。「暮らす」とは人と人とがつながって生きてゆくことだ。人と人とがつながっていれば、お金はなくてもそこそこ生きてゆける。人はずうっとそうやって生きてきた。それが狂うようになったのは、お金が利息を生みだすようになってからだ。それからお金は、貯め込むことで利益を生みだすようになった。そうして人が本来生きるには何の関わりもなかった金融業が生れ、それに支配されるようになったのが今の世の中だ。

 

「お金をムダにするな」 なぜ? 「ムダにせず貯めなさい」

「時間をムダにするな」 なぜ? 「いつかの時に備えなさい」

 

「時は金なり」の格言の指し示すところは、「”今を生きる”ことを二の次、三の次にしなさい」ということか。その行き着くところについての著者の警告。


《「時間の脅迫」の観念とその裏に潜む利子蓄積の圧力。その正体が分かっていない親に急かされる子供は、効率的かつ合理的に生きることが正しいと思い込み、自覚のないままに貧しい一生を送るのである。》238p


(つづく)


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めい

初めてのことばかりで理解しきれませんが、大切なことが書かれているように思えますので、貼付けておきます。副島重掲板からです。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

   *   *   *   *   *

[1772]時計から見るイスラーム思想史⑥『バグダード、終わりの始まり 』
投稿者:松村享
投稿日:2015-04-12 04:20:09

 松村享(まつむらきょう)です。今日は2015/04/12です。

 前回まで『新プラトン主義Neo platonism』について、記述しました。カトリックにおいては、新プラトン主義は、無智迷蒙を促進する支配思想だった。一方、イスラームにおいては、人間世界を発展させる起爆剤だった。簡単に一文で表すと、そうなります。

 イスラームにおいて『新プラトン主義Neo platonism』が、神学と科学(近代学問)の統一を果たし、人間世界の発展に大いなる寄与を果たした。我々現代人もまた、この時代、10世紀のバグダードを源流として生きています。

 化学にしろ、光学にしろ、天文学にしろ、ありとあらゆるものがバグダードを源流とするのですが、『時計』という人類史上の大発明もまた、バグダードに端を発するというのは、今論考で述べているとおりです。今回6回目は、そのバグダードの衰退の話です。


 ○『バグダード、終わりの始まり 』
 
 10世紀、長期の銀不足が起きている。当時の銀の供給地は、イランのホラーサン地方と西トルキスタンである。サマルカンドとかのあたりだ。いわゆる、シルクロードの中心点である。

 何故か。ここを制圧した王朝があるのだ。サーマン朝(874~999)である。


引用開始ーーーーー『イスラム・ネットワーク』p109 宮崎正勝著 講談社選書メチエ 1994年

十世紀になると西アジアに深刻な『銀飢饉』が起こり、
バグダードに流入する銀の量が急速に減少した。

※中略

家島彦一氏は、銀資源と木材資源の枯渇を指摘しながらも、
八七五年にマー・ワラー・アンナフル(※引用者より。西トルキスタンの事)
の支配圏を掌握し、
豊富な銀を掌握したサーマン朝(八七四〜九九九)が、

『ペルシャ湾経由でインド洋周縁部と結びつく独自の交易システムを樹立し、
バグダードの経済圏とは別に自己の経済支配を確立しようと目指した』ことにより

サマーン朝領内で鋳造された銀貨、
銀地金のバグダードへの流入量が激減したことを重視している。

ーーーーー引用終わり


 松村享です。

 これは驚くべき記述だ。ペルシャ湾というのは、当時の世界交易ネットワークの中心地、大動脈である。ここを制圧したからこそ、バグダードを拠点とするアッバース朝(750~1258)は、世界覇権国となった。そのアッバース朝に対抗して、サーマン朝が台頭した。銀を独占し、大動脈・ペルシャ湾を乗っ取ろうとした、というのである。

 サーマン朝の銀の独占が、周辺王朝に恐慌をもたらした。私は、この記述に行きあたって、14世紀半ばの、ヨーロッパ経済の凋落を思い出したのである。

 14世紀半ば、エジプトーイタリアは、トルコ・オスマン朝の銀の独占により、大恐慌に突入した。直後に、黒死病(ペスト)の猛威にさらされ、壊滅的状況を迎えることとなる。黒死病(ペスト)の猛威は、学校の教科書などにも載っているので、みなさんご存知かと思う。

 だが実は、ペストの直前に大恐慌が起こっていたことは、あまり知られていない。この時代、イタリアはエジプトの属国であり、高度成長期を通過したところである。

 紅海、というエジプトの真横の海がある。この海が、ユーラシアの東西を繋ぐ回路として覇を唱えていた。エジプトの紅海を支配していたのが、イスラーム・マムルーク朝(1250~1517)である。イタリアは、エジプトに従属しながら、インドや中国にまでまたがるユーラシア大陸の大交易に参加していた。

 この事がイタリアの高度成長をもたらしたのだが、トルコの勃興により、エジプトーイタリアの好景気は頓挫する。トルコのオスマン朝が、銀を独占したのである。オスマン朝は、鉱物資源に大変恵まれたアナトリア地方を出自とするのだ。想像を絶する規模の独占だっただろう。

 何故なら、この時にトルコで設計されたアクチェ銀貨は、以後300年使われ続ける銀貨だからだ。アナトリア出身の地の利を生かして、最初から供給源、供給量をふくめ、綿密に設計されていたのだ。となれば、周辺国は通貨発行権が弱体化し、銀を独占する国家の、この場合はオスマン朝の、優秀な基軸通貨に従属するしかなくなる。

 基軸通貨以外の通貨は、信用がおけないのだから、誰も欲しがらない。基軸通貨を使わなければ、商品流動が滞る。値段さえ、きちんと付けられない。しかし基軸通貨が手に入らないとなると、もうどうしようもない。社会が壊れる。生活はめちゃくちゃだ。盗賊にでもなろうか、という気にもなる。

 この辺の事は、現代日本人には、なかなか実感としてわからない事なのではないか。多分、外国と直接、交易するような職業でもないと、わからないはずだ。かくいう私も、昨日まで使えていたお金が、今日コンビニで使えませんでした、という経験はない。

 ある意味で、日本国家の巧妙さが、我々の貨幣に対する実感を遠ざけている。貨幣というものは、本来、非常に不安定なものである。現代日本人は、円の優秀さに守られている。その事が見えないから、他国で起きる暴動も、自分たちとは全く関係のないものだと見えてしまう。我々は本当は、守られてぬくぬくとしているだけなのだ。それだって、いつまで続くか知れたものではない。

 トルコの銀の独占が、エジプトーイタリアの好景気を一気に墜落させた。貨幣となる鉱物(金や銀)の不足が、交易を衰退化させ、交易をになう国家の衰退さえもたらすという現象、これは現代でも同様である。

 世界覇権国アメリカの衰退は、金とドルの兌換を放棄した1971年のニクソン・ショックに如実に現れている。その後、アメリカは金融業(=幻想)を発展させ、そして墜落した。

 現代アメリカと、14世紀エジプトの違う点は、アメリカは、中央銀行という紙幣バラマキの、いわば幻想構築装置を持っていることであり、この幻想構築装置が、死に体のアメリカに延命処置を施している。14世紀に、中央銀行はない。14世紀、エジプト及びヨーロッパは、銀不足の影響をモロに受け、即座に恐慌に陥った。

 この恐慌が原因で、100年間が荒れに荒れる。さらにペスト(黒死病)の追い討ちがある。俗に、中世暗黒時代と呼ばれる時代だ。

 私は、この時代の空気感をつかまえたい。それはあたかも、第二次世界大戦後の日本みたいなものだったのではないか。原爆を落とされた後の日本と、同じ状況だったのではないか。夢にさえ見たことのない地獄絵図である。昨日笑っていた母親が、鉛色の肉塊になって、そこらに転がっている。

 そして、機械時計の導入は、ちょうどこの時期なのだ。『中世の産業革命』によると、イタリアの機械時計導入時期は、パドヴァで1344年、ジェノヴァで1353年、フィレンツェで1355年、ボローニャで1356年、フェラーラで1362年、である。

 最高権威であるローマ・カトリック教会も、この地獄絵図の状況下、為す術も見当たらないまま混乱の最中、ついに壊れた民衆によって、機械時計は導入され始めたのではないか。

 機械時計とは、イコール利子のことである。1時間経過、また1時間経過と、明確に区切るのだ。この地獄の最中、ヨーロッパ人は行動様式の激しい変更を迫られた。そうしないと生きられないからだ。ムリヤリにでも、幻想に身を委ねる必要があったのだ。

 機械時計導入は、銀(優秀な銀貨)が手に入らない大恐慌時代の、追い詰められた人類の窮余の策なのだ。身ごと投げだす切迫の祈りである。

 『中世の産業革命 』(岩波書店 1978年)のジャン・ギャンペル氏はp189で『西ヨーロッパではローマ教会がこの技術革新(※引用者より。機械時計のこと)を簡単に受け入れたのであるが、中世の産業革命の根幹は新思想に容易に順応するこの傾向によって説明がつく。』などと呑気なことをいっている。

 そんな話ではない。そうしないと、生存そのものが解体する恐れがあったのだ。機械時計の導入は、『輝かしい近代の幕開け』などでは決してなく、銀が手に入らない時代、追い詰められた人類の、壊れそうな脳が生み出した窮余の策である。

 これと全く同じことが、バグダードで起こっていたのである。銀の独占がサーマン朝によって行われ、10世紀バグダードで、深刻な通貨危機が起きていたのだ。(続)

松村享拝

by めい (2015-04-12 06:53) 

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