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安西正鷹『お金の秘密』を読む(1) お金にまつわる「いかがわしさ」 [30年後]

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安西正鷹著『お金の秘密』を読み終え、感想をまとめてみました。30年後の置賜を考えはじめたら出会った本です。読みはじめて間もなく、「『何でもタダでできる世の中』に向けて」でも書いています。こんどのは、読み終えて自分なりに噛み砕いてみたものです。

 

   *   *   *   *   *


「お金」にまつわりつく様々な「いかがわしさ」に気づかされる本である。現代人は「お金のいかがわしさ」にすっかり馴らされて、いかがわしさをいかがわしさとして感ずることができなくなってしまっている。しかし、和同開珎が出回った頃の日本人にはいかがわしさを嗅ぎ分ける能力が備わっていた。最終章「日本のお金の謎を解く」を読むと、そのことがよくわかる。


日本における鋳造貨幣は「富本銭(ふほんせん)」を嚆矢とするとのことだが、この富本銭には決済機能や価値保存機能はなくて、要するに賭博チップとして用いられた。その頃「お金の機能」を果していたのは、穀物や塩や保存のきく貴重品のような「商品貨幣」であった。賭博チップでしかない鋳造貨幣は、「力を誇示して他人を支配する権力欲と、他者に対して優位に立つ虚栄心を満たす」(47p)ためだけのものでしかなかった。つまり、なければないで生きてゆけるのだが、あればあるでついつい「権力欲」や「虚栄心」が発する源となるところのものであり、逆にそれが目的としてしまう魔物が取り憑くところのものである。そもそも貨幣がその端緒において、まずは博打用に発生したものであるということは、十分心に留めておいていい。(西洋でもそうだったと言う。46p

 

さて、日本でお金としての基本機能を有する最古のお金は、和同開珎に先立つ「無文銀銭(むもんぎんせん)」であった。銀の塊を細かく分割したもので、価値を記した文言のない秤量貨幣である。この段階では、実質価値と名目価値の乖離はほとんどなく、したがって国家の統制とは関わりなく流通する。次に登場する和同開珎は当初は「銀銭」だった。ところがわずか3ヶ月で和同開珎は「銅」銭となる。「無文銀銭→和同開珎(銀銭)→和同開珎(銅銭)」の変遷において、無文銀銭の実質価値(重量)を1とすれば和同開珎(銀銭)の実質価値(重量)は1/21/3、さらに銅の価値は銀の1/50なので、和同開珎(銅銭)は 実質価値において無文銀銭の1/1001/150となっている。にもかかわらず、国家の統制によってその名目価値は等しいとされる。三段階をふむプロセスは、国家が民を「お金のいかがわしさ」に馴れさせるためのプロセスだったのである。国家はこのプロセスを通して、和同開珎(銀銭)の段階では23倍、和同開珎(銅銭)の段階では100150倍のシニョレッジ(通貨発行益)を獲得できたことになる。

 

とはいえ、「現代では万能の神のごとくあがめられるお金も、人々からの信用が得られない状況では、得体の知れない怪しげな金属の塊でしかない」(284p)わけで、「朝廷による大々的な演出と宣伝があったにもかかわらず、社会への普及は遅々として進まなかった」(286-287p)という。現在「お金」といえばまず「紙幣」であるわけで、1万円札の原価は22.2円というから、約1/500。しかし、このことをいかがわしいとする感覚はほぼないと言えるまで現代人は馴らされている。さらに言えば、銀行から借金して通帳に書き込まれる数字に至っては原価も何もない。しかしその数字が記入されるや、その対価として、さらに利息を加えられたその数字を「現実」のはたらきによって小さくしてゆかねばならない義務が生ずる。この仕組みなどは、古代人にとっては想像もつかないいかがわしさにちがいない。

 

ところで、時代的に、国家によるこの企みにはどうも天武天皇が大きく関わっているようだ。著者は「いかがわしさ」導入の責任者を藤原氏に見ておられるが、守谷氏の議論を精査したあとだけに、天武天皇についてこの視点から考えてみると何かが見えてくるかもしれないと、私には思える。

 

それにしても、私にとってこの本の圧巻はなんと言っても、第6章「『時は金なり』に秘められた洗脳工作」だった。本質に迫る『モモ』論が展開される。ぞくぞくしながら読んだ。(つづく)


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めい

安西正鷹氏の大局観。現状世界の根本理解として納得します。

《アセンションして地球に新文明が確立されていく上で、日本人は重要な役割を果たすことになる。》
《神々は日本人だけでなく、全世界の人間一人ひとりに、気の遠くなるような永い歳月の中で数々の転生を経て修得してきた知識や智慧が本物であるかどうか、魂をどれだけ成長させてきたのかをテストしようとしている。それを世界の雛形・日本でまず型示しするのだ。》

「われは神なり」が日本人です。

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「一神教の終焉と日本の役割」に掲載されていた、安西さんの結語(【ポイント】)
http://toneri2672.blog.fc2.com/blog-entry-939.html

【ポイント】
・「TPPは米国により強制されるもの」という陰謀論が流布する中、世間の「常識」とは正反対に、むしろ日本が米国より熱心な推進者になっているのは、悲劇を通り越して喜劇ですらある。その理由は、対米従属こそが自らのアイデンティティーとなってしまった、戦後の日本の隠然独裁的な権力者である官僚機構が、世界の多極化が進む中でも引き続き、権力を維持することを目論んでいるからである。
・対米従属は、官僚という日本の権力機構にとって生命線である。米政府に影響力を持つ米企業が日本で経済利権をむさぼり続けられる構図を作った方が、米国に日本を支配し続けたいと思わせられ、官僚が日本の権力を握り続ける対米従属の構図を維持できるので好都合だ。米企業が日本でぼろ儲けし、日本の生産者がひどい目に遭うことが、官僚にとってTPPの成功になる。
・このような究極の自己中心主義者が官界に大量に巣食っているのは、明治維新と大東亜戦争の敗戦という二つの節目で侵入を余儀な<された、悪魔的な一神教の信仰や思想に淵源を発している。こうした不逞の輩たちが自らの蓄財と保身と引き換えに、主権を米国(正確には国際金融資本)に売り渡し、政治を恣にし、経済を疲弊させ、社会を不安定化させている。彼らの罪は重い。
・しかし、一方で国民の側にも責任がないとはいえない。米国が昔から将来までずっと日本を傘下に入れ続けたいのだという勘違いが意図的に流布されている。また、対米従属の反動として近隣諸国(中国と韓国)との反目や不和を過度に煽り、不信と憎悪を募らせ、不必要な軋轢や諍いいに巻き込まれている。それらが自国の官僚や一部政治家によるプロパガンダだと見抜けずに踊らされ、政治や経済に無関心な国民が、売国奴の跳梁跋扈を許している。
・これは一見、自分たちの外側の世界で繰り広げられる、自分たちとは無関係の社会問題であると他人事のように眺め、評論家のごとく批評までしているが、実は目の前のスクリーンに映し出された自分たちの意識そのものである。
・今後、アセンションして地球に新文明が確立されていく上で、日本人は重要な役割を果たすことになる。したがって、日本人はそれまでに、新文明の根本原理となる「引き寄せの法則」(あらゆる現実は、外側の世界ではなく自らの心や意識が作り出したものである)を理解しておかねばならないが、洗脳とプロパガンダにより惰眠を貧ったままである。

・明治維新から大東亜戦争の敗戦までの日本の歴史は、一神教の悪魔的エネルギーを国内に導入するためのものだった。神々はあえて、精神性の高い日本に堕落した精神を注入したわけだが、それは人々に「泥の中に蓮の花を咲かせることができるのか」を問うためである。
・神々は日本人だけでなく、全世界の人間一人ひとりに、気の遠くなるような永い歳月の中で数々の転生を経て修得してきた知識や智慧が本物であるかどうか、魂をどれだけ成長させてきたのかをテストしようとしている。それを世界の雛形・日本でまず型示しするのだ。
・これが聖書にいう「最後の審判」である。アセンション(地球学校を卒業)して光の領域に向かって魂の成長を今後も続けていくのか、あるいはディセンション(落第)して闇の中に永遠に去る魂となるのか。世界に先駆けて初めてこの試験を受けるのが日本人である。この試練を経た「本物の人」だけが、一神教が終焉して大混乱に陥る全世界を建て直すことになる。

by めい (2015-12-05 06:47) 

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