SSブログ

鷹山公精神の世界発信(「Acorn」への寄稿)(2) 時代がようやく鷹山公に追いついた [上杉鷹山]

鷹山公の歌というと次の二つはすぐ思い浮かぶ。吟じられもする。

  為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり

  受継次ぎて国の司の身となれば忘るまじきは民の父母


鷹山公の和歌や漢詩は多くあるはずなのだが、ネットで調べてもそれについてまとまったものはない。鷹山公がどういう心を持つ人であったかが端的にわかると思うのだが、このテーマで研究した人はいないのだろうか。赤湯温泉の「上杉の宿 御殿守」に公直筆の気持ちのこもったいい和歌があった。記録していなかったのが残念。


『代表的日本人』にも歌がでてくる。鷹山公の孫にあたる参姫が嫁ぐに際して送った書状が紹介されているが、その最後は公の歌で締められる。


On My Beloved Daughter's Leaving for the Metropolis;


When SPring overtaketh theeAnd raiment of flowers thou puttest on,

        Forget not Winter thou hast hadln thy father's mountain-home.  Harunori.”


「武蔵野の江戸なる館に赴き給うはなむけに


     春を得て花すり衣重ぬともわが故郷の寒さ忘るな

(春が訪れ、花の衣装を身にまとう季節となっても、山里の父の家で過ごした冬を忘れるなよ) 治憲」》


今の季節にぴったりかなと思いつつ、こんなことも語ってしまっての時間超過だったわけです。


さて、結論として、以下の2点について語った、というより、語りたかった。

 

1.志半ばで凶弾に斃れたケネディ大統領に対して、上杉鷹山公は為すべきことを為し尽くして生涯を全うした。


『代表的日本人』は言う。《この勤勉な節制家は、健康に恵まれて70年の人生をまっとうした。若き日の望みはほとんどかなった。藩は安定し、民の暮らしは楽になり、領内に豊かさが満ちた。》と。上杉鷹山公とケネディ大統領との関係において、鷹山公が被尊敬者なのだから、関係としては鷹山公の方が偉い。原稿にはこう書いた。


《・・・思いがけない結論に至ったことにわれながら驚いている。要するに、その統治範囲の大小を別にすれば、その実績において上杉鷹山公はケネディ大統領の比ではない。思いがけないとは言いつつ、闘って勝利しそれゆえ尊敬されるべきは鷹山公、という当然の結論なのだが。》

 

2.時代がようやく鷹山公に追いついた。」

 

この言葉は遠藤英先生から聞いたのだったが、ほんとうに実感できる言葉になってきた。

 

私なりに「鷹山公とはどういう人だったのか」と言うと、《「わたしであることの執着」からはとことん自由で「器としての自己」に徹し尽くしていたのが鷹山公であった。》となる。このことがよくわかるようになってきたのがここ数ヶ月間だった。「無私であることにおいて、個は究極的に輝く。」という言葉との出会いから始まった。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-10-28 

小田仁二郎にも通底することに気づかされた。 三羽目の兎との出会いが、確信につながった。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-12-01

 

今年になって、松尾雅彦さん(元カルビー株式会社社長・NPO法人「日本で最も美しい村」連合副会長)の話を聴くことができた。1970年代に起った「供給過剰時代への転換」について語られたことが強く心に残った。氏の著『スマート・テロワール—農村消滅論からの大転換』(学芸出版社 2014.12)にはこうある。


人類は有史以来、多かれ少なかれ何万年も飢えていました。ところが、1970年代、日本人はついにこの有史以来の食料生産の「供給不足時代」から脱却したのです。その後、現在まで食料の「供給過剰時代」に我々は生きています。/歴史の大転換です。》28-9p


まさに「大転換」なのである。要するに、生きるための個的努力が重んじられる時代から、みんなとの調和、幸福が大切になる時代へ大きく転換したのだ。そのことによって、「時代の先進者」であった鷹山公が、「それであたりまえ」の人になった。つまり「時代が鷹山公に追いついた」。それはまた、小田仁二郎が必死の個的研鑽によってたどりつかねばならなかった原点が、だれにとっても理解できる共通地点として見えてきたことでもある。ふと宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の言葉が浮んで検索したら、次の言葉が続いていた。


《自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか

新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である農民芸術概論綱要

 

この流れはやがて奔流になるにちがいない。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。