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伊東光晴『アベノミクス批判』書評(要約版) [政治]

先に書いた、伊東光晴著『アベノミクス批判』書評が長くなりすぎたので、要約してAmazonレビューに投稿してきました。
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-01-13
http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2015-01-14

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マキアヴェリはフィレンツェ政府の職にあって「すべて力のある者は勝ち、力のない者は敗れる」「政治は目的と手段の問題であり、手段は力である」として『君主論』を書いた。1498年、マキアヴェリがその職に就く直前のこと、”人間は自らの生れ持った理性に導かれる”と説いた修道士サヴォナローラが処刑された。伊東氏は「おわりに」でこのことに言及する。病に倒れ執筆もままならぬ87歳伊東光晴氏の覚悟のほどが読みとれる。最終章「安倍政権が狙うもの」では、憲法発布の15年後に南原繁元東大総長が語ったという「憲法に盛り込まれた平和主義は高い理想に裏づけられている。日本の国民はこの崇高な理想主義の重さを担うことができるのか。必ず裏切る。その時、初心忘れずだ」との言葉を忘れることができないとして次の文が続く。

《高い理想主義は座して得られるものではない。武力を放棄した日本は、絶えず外交努力によってそれをつくり出していかなければならない。領土問題が存在した時、互いに話し合い、大きな目的のためにこれを棚上げし、解決を時に委ねる田中角栄首相と周恩来総理がとった策が、その良き例である。》(142p

 

本来日本は大人の対応ができる国なのだ。田中総理と中国の大人周恩来は「棚上げ」という大人同士の解決を選択した。無用な争いを避ける道だった。それを「戦争したい派」が無惨にも踏みにじって今がある。くれぐれも「戦争したい派」の煽動に乗ってはならない。腑に落ちる自ずからなる日本人の道というものがある。”人間は自らの生れ持った理性に導かれる”、その時の「理性」とは、「腑に落ちる」という理解感覚のことだろう。この本が苦もなく、あるいはむしろ心おどらせつつ読み通せたのは、読者のその感覚に応えるように語られているからだ。


「おわりに」で『甦れ独立宣言—アメリカ理想主義の検証』(ハワード・ジン著 人文書院 1993)が紹介される(この本は現在どこでも手に入らない。山形県内どこの図書館にもない)。その第2章が「マキャベリ的現実主義とアメリカ外交政策—手段と目的」。アメリカの外交政策は、軍隊とCIAの主導の下、マキャベリズムに拠ってきた。ケネディ大統領もリベラル派のアドバイザー達も抗することはできなかった。岸信介に始まり安倍晋三に至る政治もその流れにある。しかし西欧の学問には別の流れがあると言う。アリストテレスは、人間にとって「善とは何か」を問い、それを実現する手段として政治学を考えた。ケインズもその流れの中にあって経済学を位置づけた。アメリカの独立宣言にはアリストテレスからケインズの流れに通底する理想主義の精神が込められている。日本においてそれに比すべきが第九条なのだ。次の文章で締めくくられる。

 

《歴史の流れは、やがて国家間の紛争解決の手段としての武力が無力であることを知らしめるに違いない。その時、日本国憲法の先見性は明らかになる。それは普遍の価値を持っているのである。・・・ハワード・ジンは『甦れ独立宣言』を書いた。私は「甦れ、21世紀の理想—憲法9条」である。》(156p

 

しかし、腑に落ちかねることもある。Takahatoさんのレビューに「批判される側がほとんどこの議論を無視するであろう。」とある。そのことに関わる。そこから「日本の不幸」の有り様(よう)も見えてくる。

 

私にとっての「腑に落ちなさ」は、伊東氏が全面評価する村山談話への異和と言える。伊東氏は「中国対日本の関係に絞るならば、この村山談話は『疑うべくもない』事実を認め反省の意を表したもので、議論の余地がないように思える。」128p)と言う。しかし、ここで思い浮かぶのがマレーシア首相マハティールの「日本なかりせば」演説(
1992.10.14香港にて)であり、東京裁判で日本無罪論を主張したパール博士である。

 

村山談話の国会決議には、50人の欠席があった。その50人にあったのが、マハティール首相やパール博士に通ずる思いであったことを理解しなければならない。しかし伊東氏にこの思いへの視野は閉ざされているように思う。無我夢中さんの「明らかに民衆蔑視的上から目線を感じてしまう。」という批判に通ずる(私は無我夢中さんが言うように、伊東氏が「とりあえず主義」を「合理主義」より低位なものと考えているとは読めなかったが)。

 

伊東氏の視野の及ばないところに、それはそれで大きな世界が広がっている。たとえば、「東洋の理想」の岡倉天心の世界が在る。(若松英輔岡倉天心『茶の本』を読む」)そのことに気づく時「『大東亜』戦争」に込められた意味もあらためて考えざるをえなくなり、そこから議論(対話)が生まれるはずなのだ。しかしtakahatoさんが言われるごとく、二つの議論はなかなか噛み合ない。ここにこそ日本の不幸がある。しかし、決して克服できない不幸ではない。


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めい

《サッチャー英国首相が1982年に訪日した際、当時の鈴木善幸首相が、尖閣問題は棚上げする事で中国と合意していることをサッチャー首相に伝えていた》という機密文書が英国で公開されたことを共同通信がスクープ。(天木直人のブログ)

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2015年02月19日
日本が中国の尖閣沖侵犯に抗議しなくなった理由
http://www.amakiblog.com/archives/2015/02/19/#003145

 きょうの産経新聞が書いている。尖閣周辺のわが国接続水域を中国公船が9日連続で侵犯していると。
 領海侵犯ではないから文句を言わないということが。
 違う。
 中国は領海侵犯さえ時にはおかしている。
 日常茶飯事のようにそういう報道がなされている。
 おかしくはないか。
 あれほど領海侵犯に抗議していた日本政府は最近何も言わなくなった。
 なぜか。
 その理由は昨年大晦日(12月31日)のロンドン発共同通信のスクープ記事の中にある。
 すなわち共同は、英国が公開した機密外交文書の中に書かれていた重要な事実を暴露したのだ。
 すなわちサッチャー英国首相が1982年に訪日した際、当時の鈴木善幸首相が、尖閣問題は棚上げする事で中国と合意していることをサッチャー首相に伝えていたというのだ。
 こんな重要な事が英国の機密文書公開でばらされてはお終いだ。
 まさか日本政府はjこんな文書が公開されるとは思っていなかっただろう。
 政府・外務省は中国と棚上げ合意していたのに国民にそれを隠し、棚上げ合意はした覚えはない、尖閣は日本のものだ、領土問題は存在しない、とウソをついていたのだ。
 それが英国の機密文書公開でバレ、共同がスクープしてしまったから日本は口を閉ざしてしまったのだ。
 抗議できなくなったはずだ。
 抗議すれば中国側がすかさずこの公開された英国の機密外交文書の事を持ち出すだろう。
 それにしてもこの共同通信のスクープは日中関係打開のカギを握る一大スクープだ。
 なぜ大手メディアや野党は日本政府にこの事実を確認して、尖閣棚上げしかないだろうと迫らないのか。
 なぜ外務省はスクープ記事を隠し続けるのか。
 その間に、中国はどんどんと、尖閣は自分のものだと既成事実化している。
 はやく棚上げで合意しないと、そのうち尖閣は文字通り中国領となる(了)
by めい (2015-02-21 00:24) 

めい

プーチン大統領の言葉
http://jp.sputniknews.com/russia/20150416/205024.html

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「経済政策をしかるべく構築するためには、しかるべき頭を持つ必要がある。しかし、もし人々が我々を信頼してくれるよう欲するならば、さらに心も持つ必要がある。普通の人たちがどんな風に生活しているのか、彼らに経済状況がどんな影響を与えているのか、感じる必要がある。もし我々が国民の信頼を保つことができれば、国民は、我々のしていることを支持してくれるだろう。国民の信頼を失った場合、権力機関は、生じた社会問題に、現在考えられているよりはるかに多くのお金を投入しなくてはならなくなる。」



by めい (2015-04-17 05:38) 

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