SSブログ

奉祝 天皇誕生日 [日本の独立]

昨夜NHKスペシャル「調査報告 消えた子どもたち」を見た。思わず「政治が悪い」という言葉が口から出た。「小泉総理の時代からこうなった」と。そしていまの安倍総理。「経済優先」の結果がこれ。こうした現実の広がりを差し置いて、いったいなんのための「経済優先」なのか。思えば今から15年ぐらい前のこと、「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に必死だった頃、安倍晋三という国会議員は、今は亡き中川昭一議員らとともにたしかに期待の代議士のひとりだったのに。

私の「つくる会」への関わりの根底にあったのは、「まともな歴史教育をとりもどすことによって日本国民共通意思の形成を」という思いだった。歴史教科書問題に関わるきっかけは従軍慰安婦問題だった。平成8年(1996)の12月議会で「中学校教科書より『従軍慰安婦』の削除を要望する意見書」を採択させたことから始まった。

《平成9年度より使用されることになった中学校歴史教科書の中で、とりわけ「従軍慰安婦」の関する記述は、以下3点の理由により、教育上重大な問題があると考えられるので、文部大臣職権(「教科用図書改定規則」第3章第133項)に依って削除されることを強く要望いたします。

1.昭和40年代の一作家による造語である「従軍慰安婦」という言葉は、戦時下における慰安婦がさも事実であったかのごとき誤解を与える。


2.性教育途上にある中学生に「慰安婦」について社会科授業で救えることによる影響への教育的配慮に欠ける。


3.本来公教育においては、自分の生まれた国と歴史に自信と誇りを持てる国民に育てるぺきであって、「日本人であることが恥ずかしい」と思う国民が育つような教育内容であってはならない。》


今もまちがってはいなかったと思う。このことが大きく報道されたことで日教組の先生方との論争が始まった。それは日教組とわれわれとの合同討論会へと発展した。それも「日本国民共通意思の形成」という思いがあってのことだった。

 

平成11年、「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、ビジョンの会のKさんとキリストの幕屋のTさんに乞われ、Uさんを紹介して山形県支部の支部長に担ぎだそうとしたところ、こんどは逆にUさんから事務局長に指名されることになった。本気でがんばった。いいメンバーを得て山形独自のかたちができた。その根底にあるのはいつも「日本国民共通意思の形成」であり、目指すはそのための国民運動だった。しかし「つくる会」本部の思いは私とはずれていた。あるいはずれてしまった。出された本部方針がターゲットを教育委員会に絞ることで、その行き着くところ歴史教科書問題の矮小化であり、政治問題化だった。戦術として打ち出されたことであったが、そもそも戦略そのものに問題があったのではなかったか。このことを私は後で気づいていろんな場で言いつづけてきたが、どれだけの方にわかっていただいたか。

「つくる会」に対して明確な異和を感じることになったきっかけは、平成13年(2001)の9.11だった。私が運営するつくる会山形県支部HP「正気煥発掲示板」への常連の多くがほとんどアメリカ追随(自衛隊派遣容認)の意見だったのは私には意外なことだった。副島隆彦氏の「アジア人同士戦わず」の言葉への強い共感もあって、以来思いは次第に「つくる会」からは隔たることになった。そのことについてはこれまでいろんな形で書いてきた

日本国民共通意思の形成」については頭っから「そんなの無理」という人もあった。しかし私には天皇の存在がその要になると思い続けてきた。ただ、それにはいろんな躓きも用意されている。明治天皇については「大室寅之祐問題」、昭和天皇に関しては「原爆容認問題」等々。しかし前者については「落合秘史」が解決の方途を与えてくれつつあるし、後者については昭和天皇の思いにどこまで深く思い到らせることができるかの試金石として与えられている問題なのではないか。

と、あらためてこう書くことになったのも、今日は天皇誕生日であることによる。そもそも先日、かつて私が薦めた「明日への選択」を今も購読し続けてくれている旧知のN氏と話していて、もうかなり前に「明日への選択」も「産經新聞」も止めてしまっている今の私の立ち位置をわかってもらわねばならないとずっと思っていたところで、さらにさきほど飯山一郎さんが昨日書かれた次の文章を読んだことによる。

   *   *   *   *   *

2014/12/22(月)2  きょうは19年に一度の「朔旦冬至」今年の冬至は新月と重なる特別な日

きょうは冬至日だ。…が、例年の冬至とは違って、「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と呼ばれる特別な冬至日だ。

「朔旦冬至」とは、“新月”と“冬至”が重なる年の冬至のことで、19年に1度しか訪れない。


新月”は月の満ち欠けの始まりの日(朔旦)で、今年の冬至は新月と同じ日。つまり、月と太陽の始まる日が重なるので、『朔旦冬至』。


『朔旦冬至』は、極限まで弱まった太陽と月が同時に復活する日だ。
であるからして、太陽と月の復活の日が重なる19年に1度の『朔旦冬至』は、非常に目出たい日だとされ、古代から(日中ともに)宮中では盛大な祝宴が催されてきた。

 

(鷲は一応は政治学の学徒なので)政治学的な解釈をしてみたい。


さて…、
『朔旦冬至』というのは、じつは、19年に7回の閏月を入れる(19年7閏周期)調整作業を「皇帝直属の暦法官僚」が行うので、正確に19年周期で『朔旦冬至」が訪れるのである。


つまり…、


「歴(こよみ)」とか、「暦法(れきほう)」、あるいは「暦表(れきひょう、カレンダー)」というのは、すべて、支配者が決めるもので、すぐれて政治的(=権力的)な行為なのだ。


太陽や月や星は、暦(こよみ)に従って動いているワケではなく、太陽や月の動きを権力者が「暦(こよみ)」として定め、これに従うように強制してきた。


典型的なのは、太陽暦の「日曜日」や「元旦」で、これは太陽の周期とは多少の関係があるが、月の動きとは関係がない。それでも欧米の人々や日本人は、太陽暦に従う。鼠~か、太陽暦に支配されている。


いっぽう中国人は、今でも太陰太陽暦(=農暦)に支配されている。


とりわけ『朔旦冬至』は、太陽と月の動きが同時に復活する日なので、(中国や韓国では)太陰太陽暦(=農暦)の正確さや、神秘性や、有り難さが身にしみて感じられる日なのだ。


この太陰太陽暦(=農暦)暦の正しさと正確さは、政治が正しく行われていることの証(あかし)であるとして、朔旦冬至は(中国では)盛大に祝われてきたのである。


中国人はこう考えている。


『朔旦冬至』は、太陽と月が同時に復活して再生してゆく“ダブルスタートの日”だ。
この日から世界は、あらゆる面において、まったく新しいサイクルに入り、新たな物語が始まる!
それは、今までの19年とは全く違う新しい19年だ!
…と、いま、多くの中国人は想い、願い、考えている。(多くの中国人に電話して確かめたので間違いない。)


しかし、『脱亜入欧』以降、自分たちの暦(こよみ)を失ってしまった日本人は、自分たちの歴史も伝統もアイデンティティも失ってしまった…。


しかし…、じつに不思議なことがある。


『朔旦冬至』の翌日である明日の23日は…、
畏れ多くも天皇様のお誕生日(天長祭)なのだ。


かくして、
明日の天長祭を日本民族の復活を祈る日として真剣に祈る日本人は、日本人(=亜細亜人)としての自覚と、亜細亜の歴史を想起できるはずだ。


真剣に祈ろうではないか!

 


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

めい

「タイ当局 米軍人にプーケット島 からの退去を要請」
《これは、タイの将軍達が、自分達こそがこの国の主人であると主張する一つの方法なのです。》
この気概を日本は失ったかに見える。敗戦の傷は深い。

   *   *   *   *   *

タイ当局 米軍人にプーケット島 からの退去を要請 © AP Photo/ Sakchai Lalit
政治
2015年05月25日 23:24(アップデート 2015年05月26日 01:39) 短縮 URL
エレーナ ニクーリナ
681100
タイ軍司令部は、プーケット島に基地を起きたいとの米軍当局の求めを拒否し、5日以内に島から航空機と軍人を退去させるよう求めた。新聞Bangkok Postが報じた。

© AP PHOTO/ MINDAUGAS KULBIS

タイ 米国にプーケットからの部隊撤退を求める

プーケット島に存在する米国の限定兵力は、演習「Guardian Sea」に参加したもので、同演習は20日に終了しているが、米当局は再三にわたり,タイ軍に対し、プーケット空港にロヒンギャ人の「ボートピープル」救助作戦を実施する基地を置かせてほしいと頼んできた。ロヒンギャ人は、ミャンマーに住むイスラム系住民で、迫害を受けミャンマーから逃れることを余儀なくされている。
ロシア科学アカデミー東洋学研究所のタイ問題の専門家エレーナ・フォミチョワ氏は「プーケットに基地を置くのを許さなかったのは、米国の側から強まる圧力に対するタイ政府の拒否反応だ」と見ているー

「これは、タイの将軍達が、自分達こそがこの国の主人であると主張する一つの方法なのです。タイに軍事政権が誕生してから、米国は、選挙の実施や民主化などを要求し圧力をかけ始めました。そしてその後、ロヒンギャ人を不法に運んでいるとの非難が現れました。

タイの将軍達はすでに、米国はタイの内政に干渉していると反発しました。プーケットの基地は、全く余計なものです。タイと米国は、長い軍事協力関係を持ち、米国人達は毎年、タイでいくつかの演習を行っています。その中でも一番大きいのが「コブラ・ゴールド」で、これには他の国々も参加しています。とはいえ米国にとって、プーケット空港はかなりの意味を持っています。プーケット島は、中東からアジア太平洋諸国に原油や天然ガスを運ぶ戦略的に重要な輸送ルート上にあるからです。

又中国に対抗するという広いコンテキストにおいては、米国人にとってプーケット島の自国軍隊のプレゼンスは、大変重要なことです。タイ側は、今回の拒絶によって、伝統的な同盟国である米国に対し、内政への干渉と圧力が強まっていることに対する不満を示しているのだと思います。」

by めい (2015-05-26 06:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。