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ケネディ大統領と上杉鷹山公。山形新聞鈴木論説委員の探求に期待 [上杉鷹山]

今朝(26.10.11)の山形新聞です
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ケネディ大統領はほんとうに上杉鷹山公について言及したことはあったのかどうか、あったとしたらいつなのか。このことは私ども「伝国の辞」碑をつくる会にとっても重大な関心事です。このことについてはこれまで3本の記事を書いています。


齊藤会長は上記3本の記事に紹介したように独自の探求を続けておられますが、私としては当時日経記者だった大和勇三氏の書いた記事をなんとかつきとめたいと考えています。それは童門冬二氏が講演で語られたことなので、童門氏がご健在であればぜひたしかめていただきたい。

このことについては、ケネディ大使「父は上杉鷹山を称賛」の中に次のように書いたことです。

なお、ケネディ大統領による鷹山公評価の根拠が、上床訓弘氏の上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?」の中に、1960年代ワシントン支局にいた日経記者大和勇三氏(その後論説委員長)が非公式会見の場で聞いた話として紹介されていた。同じことを童門冬二氏が講演の中で語っておられる。童門冬二氏講演会「生き方の指針となる平洲先生のことば」
 
誤解のないように言っておかねばなりませんが、昨年11月ケネディ大使にさしあげた手紙には、ケネディ大統領が上杉鷹山公についての言及があったかどうかについては次のように書きました。決して自明の事実と考えていたわけではありません。

 さて、大使様がご存知かどうかですが、実はご父君ケネディ大統領が亡くなられて間もなくの頃から、「ケネディ大統領が最も尊敬する政治家として上杉鷹山公の名前をあげられていた」という話が広く語られるようになりました。キリスト教思想家内村鑑三(1861-1830)が英文で書いた「代表的日本人Representative Men of Japan」、あるいは国際連盟事務次長を務めた農学者にして教育者新渡戸稲造(1862-1933)の「武士道Bushido: The Soul of Japan」を通して鷹山公についてお知りになったということでした。(ただしそのことを実証するものはまだ見つかってはおりません。お父上の蔵書の中にいずれかが存在することを期待しています!)このことによって、私どもの郷土の偉人鷹山公の偉大さが一層輝きを増すことになったのは言うまでもありません。と同時に、ケネディ大統領が私どもにとってたいへん身近な存在となって現在に至っているのです。こうしたわけで、私どもが鷹山公の「伝国の辞」碑を建てようとしている折も折、キャロラインさんの駐日大使ご就任の報が私たちにとってどんなにうれしかったことか、どうかお察し下さい。

手紙に添えて「代表的日本人」と「武士道」の英語版を同送しました。ちょうどケネディ大統領が暗殺されてちょうど50年の11月22日のことでした。以前も書きましたが、私自身は「都市伝説」説に与していましたから大使に手紙を書くことには消極的でした。齊藤会長の押しの強さに負けたというのが正直のところです。真偽はともかくこういう伝えの故にケネディ大統領が私どもにとって親しい存在になっていることを知っていただくだけでも意義があると考え直して書いた手紙で、その後の展開は予想もしていませんでした。それにしても今朝の新聞で、鈴木雅史論説委員がこのことについて20年来こだわりを持ち続けておられたことを知り、ほんとうに心強く思いました。「できれば大使在任中に。20年近いこだわりに記者の業をつくづく感じつつ、そう思う。」と記事を〆ておられますが、プロの探求をおおいに期待したい。

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