新春宮内歌碑めぐり [詩吟]
1月11日、宮内地区の新春の集いで宮内岳鷹会がオープニングを受け持った。題して「新春宮内歌碑めぐり」。たいへん好評でした。
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あけましておめでとうございます。 新年にあたり、宮内の歌碑のいくつかを訪ね、宮内新春懇談会の幕開けとさせていただきます。
熊野大社の下安部右馬助の碑の東側に、結城よしをの「ナイショ話」の碑と共に、父結城健三の歌碑があります。健三は、明治三十三年に宮内に生まれ平成七年に亡くなるまで、短歌界に優れた業績を残しました。昭和二十二年に創ったえにしだ短歌会は全国的な短歌結社に育ち、歌誌「えにしだ」は八百号を超えて今に至っています。
宮内に生まれ育つ子どもたちを見守り続けてきたおくまんさま、健三は子どもの頃チゴタゴを舞いました。その思い出からお母さんを偲ぶ歌を残しました。思い合う親子の情愛が伝わってきます。
宮柱の 結城健三
宮柱のかげよりわれの稚児舞を
みていたまいひし母が恋しき
置賜三十三観音三十番札所の長谷観音。西暦千六百年の長谷堂の戦いで、直江軍が持ち帰ったともいわれる観音像が秘仏として祀られています。
ここには、「置賜は国のまほろば」の歌碑などとともに、文化勲章の第一回受賞者、佐佐木信綱の歌碑があります。「宮内戦没者供養塔」の傍らにあって、戦争で散っていった若い命を悼み、「長谷のみ仏」への祈りが捧げられています。
長谷の御仏 佐佐木信綱
国のため 玉とくだけし ますらおを
とはに守りませ 長谷の御仏
一生を歌の道と万葉集の研究に捧げ、唱歌「夏は来ぬ」で知られる佐佐木信綱、その歌碑は全国に数多くありますが、四基もあるのは宮内だけだそうです。吉野石膏の創業者須藤永次の奥さんのるいの、歌の先生だったのです。
置賜を一望する双松公園は宮内に住む私たちのいこいの場です。ここに来ると心が和みます。朝日に輝く公園は格別です。公園の下粡町の山﨑家に生まれ育った須藤るいさんにとっても、双松公園は懐かしい思い出の場所だったにちがいありません。この公園ぴったりの歌が師匠の作品から選ばれました。
山の上に 佐佐木信綱
山の上に朝の光の照りみちて
金色の水かがよいにほふ
昨年夏、思いがけなく大暴れの吉野川、盆地の中央で最上川となって山形県を縦断し、日本海へと注いでいきます。
昭和天皇が皇太子だった大正十四年に詠まれ、山形県民の歌となった「最上川」を、新春を寿ぎ、宮内岳鷹会鹿又会長のハーモニカ伴奏で会場のみなさんと共に歌いたいと思います。二度歌います。高らかにご唱和下さい。
http://yamagata-mekke.awe.jp/?p=740からお借りしました
http://osanpo-yamagata.blog.ocn.ne.jp/runrun/cat11061592/からお借りしました。
最上川 昭和天皇
広き野を流れゆけども最上川
海に入るまで濁らざりけり 濁らざりけり
それではみなさま、今年一年良い年でありますように。
ありがとうございました。
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