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靖国の名に背きまつれる神々を思えばうれひの深くもあるか [神やぶれたまはず]

靖国の名に背きまつれる神々を思えばうれひの深くもあるか


昭和天皇御製という。副島隆彦氏の「安倍の靖国参拝問題が大きな火種に。日本は世界中を敵に回してはいけない。」2014.1.9)によってはじめて知った。副島氏が言う如く昭和天皇の世界認識の確かさを背景にした御製なのだろうか。そしてあらためて、「神やぶれたまはず」を思う。


昭和208月のある一瞬――ほんの一瞬――日本国民全員の命と天皇陛下の命とは、あひ並んでホロコースト(供犠)のたきぎの上に横たはっていたのである。》(p.282


国民は、その一瞬が過ぎるやたきぎの上からたちまち降り立ち明日から生きてゆくための行動を開始した。薪の上に載った一瞬などその時だけの一瞬に過ぎない。そんな記憶は時間と共にどんどん遠ざかってゆくだけだ。そうしてあっという間に68年が過ぎてしまった。


しかし、国民にとっては「ほんの一瞬」であった 「この一瞬」は、昭和天皇にとってはその後の生を通して背負い続けなければならなかった「永遠の一瞬」だった。


いまあらためてあの一瞬からいままでの時の流れをふりかえるとき、あの一瞬が夢だったのか、はたまたあの一瞬を忘れて過ぎ去った68年の時の流れが夢だったのか。長谷川氏の「神やぶれたまはず」を読んだいま、私には過ぎ去った68年の方が夢だったのかと思えてしまう。


昭和天皇はその間、われわれにとってたちまち過ぎたあの一瞬を夢ではない現実として、たきぎの上から降り立つことのないまま昭和を生きて、平成の御代へとバトンを引き継がれていったのではなかったか。薪の上に在りつづけた昭和天皇のお姿こそが夢ではない現実ではなかったのか。そのことを抉り出してみせてくれたのが、他ならぬ「神やぶれたまはず」であった。民よ、再び薪の上に戻れ。そこで「神人対晤」のかけがえのなさを知れ。確たる現実はそこからしか始まりようがない。さもなくば日本人の精神はとめどないメルトダウンに抗すべくもなし。あの一瞬に目を瞑っての日本再生は、かつて辿った道を遡る道に過ぎない。アベノミクスに踊らさせる動きがそうである如く。株の大納会にのこのこ出かけてシャンシャン手拍子する安倍首相のなんと稚拙で情けない姿であることか。安倍さんよ、目を醒せ。


副島氏は浜矩子氏の次の文章を評価する。

 

  (転載はじめ)

 

「意図(いと)無ければ罪も無しか」   浜 矩子(はまのりこ) 

 東京新聞 2013年1229日



 

「もとより、中国あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける考えは毛頭ない」。
十二月二十六日、靖国神社参拝後に安倍晋三首相がこういった。

 この発言を含む首相談話の英語版が、首相官邸のホームページに掲載されている。上記の英語バージョンは次のとおりだ。
 It is not my intention at all to hurt the feelings of the Chinese and Korean people.

 日本語の「考えは毛頭ない」に相当する部分が It is not my intention at all の個所だ。 intention は「意志」あるいは「意図」の意味だ。

 「そんな意志は全くございません」「そのようなことは、全然意図しておりません」。こういう言い方を聞くと、たちどころに歯が浮いてかなわない。実に誠意がない。こんなふうにうそぶく人々は、およそ、何をたくらんでいるか分からない。実に腹立たしい。

 意図してさえいなければ、どんな結果を招いていてもいいというのか。許されるというのか。こちらに傷つける意図がなければ、相手は決して傷つかないとでも思うのか。あるいは、こっちが意図していないなら、傷つく方が悪いというのか。勝手に傷つくなら、致し方ない。知ったことか。そういうことなのか。

 この種の発言で突っ走って行く人は、やがて、つぎのようにいうようになる。「そんなつもりじゃなかったんです」。これが出た時は、もう手遅れだ。取り返しのつかないところまで、相手を傷つけてしまっているのである。

 意図が無ければ罪はない。意図が良ければ、悪くない。傷つける意図無き者は、決して相手を傷つけない。これが大人のいうことか。人の足を目いっぱい踏みつけても、意図がなければ、相手は痛がらないのか。相手がいくら痛がっていても、「だって知らなかったんだもん」と舌を出してそっぽを向くのか。その気が無ければ、人を車でひき殺しても、相手は死なないとでも言うのか。こちらにその気が無ければ、相手はひき殺されても仕方がないのか。

 かくも幼児的感覚で、政治が執り行われていいのか。政策が形成されていいのか。

 子どもと大人の最大の違いは、どこにあると考えるか。答えは明らかだ。それは、人の痛みが分かるか否かにある。新生児には、人の痛みが全く分からない。そこから出発して、人間は次第に人の思いに心を配るようになる。そして願わくば、人の痛みを自分の痛みとして受け止めることができるようになる。そのような魂の力こそ、大人の力だ。

 皆さんはアダム・スミスをご存じだろう。経済学の生みの親だ。大著「国富論」の著者だ。彼はまた、「道徳感情論」の著者でもある。

 「道徳感情論」あっての「国富論」だった。そのようにいわれる。経済活動は、道徳的感情に根差していなければならない。ざっくりいえば、そのような理念に基づく書だ。

 その中で、スミス先生は次のように言っている。「我々は、他者の悲しみを目の当たりにして、しばしば悲しみを感じる。…このような感情は、何も高潔で人間性あふれる人々に限ったものではない…。最大級の悪者で、最も平然と社会の秩序を踏みにじるヤカラでさえ、このような感情と無縁ではない」(翻訳筆者)。そのはずだと思う。そう思いたい。だが、今、そこがかなり心配になって来ている。

信仰厚きスミス先生、どうか、我らのために祈りたまえ。


 

(転載おわり)


「だが、今、そこがかなり心配になって来ている」と言われるその危惧がよくわかる。実は、三月程前から日々の祝詞にこう付け加えるようになっている。

 

「辞別て白さく、一昨々年の三月十一日東北地方太平洋沖を震源とする比類なき大地震そして大津波、さらに加ふるに、福島原子力発電所爆発によるかつてなき放射能の拡散のさまに、青人草恐れおののきをるに、その源たどれば、金を先んじ諍ひ世の常と成し人の命軽んじて顧みぬ穢き企み世にはびこること明らかになるに及びたるは、諍ひの源祓ひ清め、世の萬の皆々心ゆるやかに和み合ひ、神の心の人の心なる世に移り行かしめ給ひて諸人たちの身も心も平穏に守り恵み幸へ給へと畏み畏みも乞祈み奉らくと白す。」


切にそう思う。私如きがそう祈らずにいられないくらいなのだから、同じ思いは世に充満しつつ在るに違いない。なんとしても祈りを届けねばならぬ。昭和天皇の世界認識の確かさに思いを致しつつ、そして今上天皇皇后両陛下の平和への願いを深く身に体しつつ。

必中 磐山人.jpg

 


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めい

「安倍首相のうわべだけの誠実さは、きわめて危険です。」

安倍首相という人のバックボーンはいったい何なのだろうか、そう思わせる頼りなさが透けて見えてしまうのですが・・・。

* * * * *

「安倍首相には「真の日本人がもっていた限りなき誠実さ」が欠けていると思います:森田実氏」
http://sun.ap.teacup.com/souun/13125.html
2014/1/13 晴耕雨読

https://twitter.com/minorumorita

1月6日、安倍首相は中国と韓国に対して「話し合おう、首脳会談をしよう」と呼びかけました。

中国政府は応じません。

このやりとりを見て、多くの日本はどう感じているのでしょうか。 http://moritasouken.com/sC2580.HTML

中国、韓国側が間違っていると思っている日本人は多いかもしれません。

しかし、私は、安倍首相には「真の日本人がもっていた限りなき誠実さ」が欠けていると思います。

政治指導者はテクニックに頼らず、真っ直ぐに行動すべきです。

安倍首相は、中国と韓国が反対し続けてきた靖国参拝を強行しておいて、「説明すれば相手にわかってもらえる。だから話し合う。首脳会談をしよう」と呼びかけています。

しかし、中国は「安倍首相の言うことはうそ偽りだ」と反発しています。

安倍首相の行為は、日本国民に対する世論対策にはなっても、中国・韓国の不信を高めているだけです。

この安倍首相のやり方は、両国民の相互不信を高めるだけです。

安倍首相のうわべだけの誠実さは、きわめて危険です。

中国と韓国の安倍首相に対する不信は、逆に高まるだけです。

結果は悪化するばかりです。

大切なのは真の誠実さを示すことです。

首相である間は靖国参拝は自粛すべきでした。

安倍首相は過ちを犯したのです。

いまなすべきことは反省し、謝罪し、責任をとることです

安倍首相と側近たちはこの1年間、中国・韓国を非難し続けてきました。

中国に対しては、中国を孤立させるための中国包囲網づくり外交をしてきました。

このため中国・韓国の安倍首相への不信は高まるばかりです。

日本国民の中にも安倍首相の反中国・反韓国の言動への批判が高まりつつありますが、安倍首相は国内の安倍首相への批判をかわすために、「常に対話のドアは開かれている」と言い続けてきました。

安倍首相は、日本国民を騙すことはできるかもしれませんが、日本の国際的孤立を解決することはできないでしょう。

見せかけだけの誠実さは危険です。

安倍首相はズルイ政治家です。

いま東京に本社のある大マスコミの多くは、安倍首相のための広報機関に成り下がってしまっています。

一部は用心棒のような存在になっています。

多くの国民は、これら安倍首相の用心棒のごとき堕落した大マスコミに騙されています。


by めい (2014-01-13 07:08) 

めい

《 昭和天皇は、「世界の大勢に逆らわない」ということを、自分の敗戦後の出発点にした人だ。それでアメリカが押しつけて下げ渡した、現行日本国憲法(別名、平和憲法)に従い、主権者(ソブリン)の地位を去り、自ら座敷牢(ざしきろう)に入った。 》

   *   *   *   *   *

重たい掲示板 [1368] 私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである。

投稿者:副島隆彦投稿日:2009/10/07(Wed) 07:14:13

副島隆彦です。 (略)

日本は世界の大勢を敵に回すな。
 
 「世界の大勢、我れに利あらず。今は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、世界の大勢に従う」と、敗戦の詔勅(しょうちょく。みことのり)を発表して、昭和天皇は、自ら1945年の8月15日にラジヲ演説した。

 私、副島隆彦が気に入らないのは、「世界の大勢」を知ろうとしない、日本民族の国内立て籠(こ)もりの言論の数々だ。世界を敵に回して、勝てると思うのか。 世界の大きな流れを知り、それに従うことこそは、民族が生き延びる知恵だ。アメリカ帝国でさえ、世界の大きな流れに逆らって、やりたい放題すると自滅するのである。 どうしてこういうことが分からないのか。

 それから人種差別、民族差別(の発言)はやめなさい。自分の考えや自説などのふりをして人種差別をして、それを当然だと思う、その自分の脳(頭)を疑いなさい。「 日本民族(は世界一優秀な、他のアジア人種とも違う)優等な民族だ」論 の類を、言わないと気が済まない馬鹿は、さっさと、学問道場から出て行きなさい。

 中国や朝鮮人の悪口を言わないと気が済まない人間というのは、日本国で、一番みじめな生き方をしている最低層の日本人たちだ。自分たちが、知能(学校での成績)その他で、ずっとまわりから差別されて来たものだから、自分自身の顔つき、風体(身なり)からして最低の人間たちであるものだから、自分の劣等感が逆流して、それで同じアジア人を蔑(さげす)まないと気が済まない人間たちだ。

 中小企業の経営者たちで、自分が従業員にまともな給料を出していないような人間ほど、チャンコロ、チョウセン人差別を、ずっと言っている者たちがいる。それで自分のことをなにがしかの人物だと思いこめるようだ。会って話してみると、実に貧相な人間たちだ。

 こういうのが、日本の右翼や愛国者を気取っている。アメリカに対しては、自分たちよりも優等の白人であるものだから、怖くて何も言えない。そういう者たちだ。このあとも、私は、この者たちを撃滅しつくす。
 
 この学問道場の先生である私は、民族差別や人種差別をしろとは一切、教えていない。 「日本民族は(固有に)すばらしい。中国、朝鮮を深く敵視し、攻撃し続けよ論」は、今も続いている。

 昭和天皇の深い決断の過程や、「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ (靖国神社を狂信的に崇拝するカルトがかった日本の右翼たち)」に、ついては、私と弟子たちの共同論文集である、『最高支配層だけが知っている 日本の秘密』(成甲書房刊、2006年 ここのサイトでも売っています)である。こういうやや難しい本を読みもしないで、「私は、副島隆彦の読者です」と、あまり馴れ馴れしい態度をを取らないてください。

 いいですか。1978年に、昭和天皇(裕仁=ひろひと=天皇)は、「私は、靖国神社に参拝するのは今年からやめる」と決心したのだ。それは、東条英機大将(首相)以下の、自分の部下(臣下)だった戦争犯罪者と極東軍事裁判で認定された者たちが、この、1978年から、靖国神社に合祀(ごうし)されたからだ。

 昭和天皇は、「世界の大勢に逆らわない」ということを、自分の敗戦後の出発点にした人だ。それでアメリカが押しつけて下げ渡した、現行日本国憲法(別名、平和憲法)に従い、主権者(ソブリン)の地位を去り、自ら座敷牢(ざしきろう)に入った。
 
 東条英機(とうじょうひでき)以下の、戦争責任遂行者たち=最高戦争指導者会議のメンバー=御前会議 の出席者たち(だから、天皇自身も、本当は、戦争責任がある) は、敗戦後に、連合国側(=対日理事会) に裁かれ、軍事法廷(tribunal トリヴューナルと言う)で裁かれた。そして、世界を敵に回したことの責任を追及された。そして、東条ら7人だけが、絞首刑にされ悲業の死を遂げた。天皇は訴追から免(まぬか)れた。 世界規模での大きな政治判断があったのだ。

 昭和天皇にしてみれば、自分に忠実な臣下であった者たちではあるが、それでも、戦争遂行政府を指導したこの者たちは、「世界を知らなかった」のである。それで、「アメリカに大きく騙された。お前たちは知恵が足りなかった。知識と情報と学問が足りなかったから、騙された」のである。「そして、そのために自分と日本国民に大変な迷惑をかけた」のだ。 

 昭和天皇は、東条らに、そのことの責任を言いたかったのだと、私、副島隆彦は、日本の政治思想家として判断します。だから天皇は、「私は、もう靖国にはゆかない」と決断した。

 東条ら14柱の戦争最高指導者たちの御霊(みたま)で自分の臣下だった者たちを、天皇は祀(まつ)ることを拒否したのである。 悲しく死んでいった他の英霊たちを祀ることには異存はない。 だから東条らの合祀(ごうし)は間違いであった。昭和天皇は、そのように一人で決断して、ひとりで抗議して、以後、靖国には参拝しないストライキを決行したのだ。

 もし、君が、本当に、愛国者であり、右翼であり、民族主義者であるならば、この昭和天皇の おおみこころ に従え。 天皇のご遺志に逆らうな。 いいか。

 その御遺志とは、「世界の大勢に逆らうな」 ということだ。世界の大きな流れを読めない、深く考えて動けないような者なら愚か者だ。まんまと騙されて、またしもても戦争をさせられるように仕組まれる。 日本の国家戦略家(ナショナル・ストラテジスト)を自称して恥じない私は、いつもこのことを、自分への自戒として生きている。

 東条英機首相たちは、極東軍事裁判(東京裁判)に掛けられて、有罪判決を受けて、そして絞首刑になった。このとき、国際社会(世界の大勢)が、この者たちは有罪だと決断したのだ。有罪を言い渡された者たちも静かにこれを受け入れている。控訴した者はいないはずだ。

 だから、昭和天皇は、日本国の戦争犯罪を認めて、「自分たちは間違っていた。周囲を冷静に見る目を失って、世界を相手に無謀な戦争などするものではなかった」と反省したのである。だから、日本国と自分の責任を自覚して受け容れたのだから、だから、彼ら戦争犯罪者(ウォー・クリミナル)たちを、いかに「戦勝国側による勝手な裁判だ」と言っても、国際社会に向かって称揚するわけにはいかない。

 だから、国際社会(世界)の何たるかを知っている昭和天皇は、東条英機大将ら、自分の部下だった者たちを、戦没者慰霊碑(どこの国にもある、国家の鎮魂の公式の場所だ。より正しくは、世界基準では「無名戦士の墓」だ) に入れることを是認しなかったのでる。この判断は、日本国内での好き嫌いの議論の問題ではない。世界が許すかどうかの問題だ。

 あの「幸福実現自民党」の安倍晋三(あべしんぞう)でさえ、奥さんの昭恵(あきえ)さんと、先日、タイで、泣きながらアジア諸国の女性たちへの日本軍人がした多くの罪の事を詫びたのだ。外務省がそうしろ、そうしないと、アメリカが入国させないと助言したようだ。日本外務省の基本態度も、ずっと「戦争責任を認め謝罪する」だ。こういうことも知らないで、君は自分勝手なことばかり書くな。

 本当は、東条英機たちだって偉かったのだ。私の母は、戦中派の人間で、まだ生きていて病院を出たり入ったりしている。九州で私の実姉がそばで面倒を見ている。 彼女は、敗戦時は18歳ぐらいで女子挺身(じょしていしん)隊員であった。知覧の特攻隊の基地の血染めの戦闘服の補修のようなことをしていたと、語っていた。「特攻に出る日は、あの人たちは何も食べなかったよ」と言っていた。その私の母が、「 東条首相も偉かったんだよ」 と、ポツリと言ったことがある。

 ただし東条たちは、今の日本の官僚たちと同じで知恵が足りなかった。世界の動きを冷静に判断するだけの頭が悪かった。

 私の父は、最後の海軍で、学徒出陣組で、海軍の見習医官(敗戦時は、海軍少尉)だったが、戦後は医者をやりながら、それでも、時々、酒を飲んだ時に、「あの戦争は、国民が皆で戦ったんだ」 と言っていた。生きていれば、私と30歳違うから、86歳である。56歳で肝硬変で死んだ。今の私の歳だ。  

(後、略)


by めい (2014-01-13 13:21) 

めい

《「3・11」を日本の敗戦と見てその教訓を胸に立ち上がる政治勢力が台頭する事を私は願ってきた。》
3,11を「日本の敗戦」と見て、細川氏出馬を評価されています。

   *   *   *   *   *

都知事選挙は政治の風景を一変させる
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20140113-00031547/
2014年1月13日 22時33分 田中 良紹 | ジャーナリスト


細川護煕氏が東京都知事選挙に出馬する見通しである。しかも「脱原発」で小泉元総理と手を組むと言う。これは誰が都知事にふさわしいかとか、誰が当選するかというレベルを超えて政治の風景を一変させる。

2011年3月11日は日本が1945年8月15日に次ぐ「敗戦」を経験した日である。縦割りの官僚機構は災害という「敵襲」に有効に機能できず、ひたすら責任回避の方向に動き、その官僚機構を仕切る役目の政治家が官僚を掌握しきれていない無能さを露呈した。

狭い国土に54基の原発を持ちながら、国民を守る自衛隊に原発事故に即応する専門部隊がない事も驚きだったが、国民のパニックを恐れて情報を隠蔽する官僚のやり方には強い憤りを覚えた。最悪の事態に備える思考を持たない「平和ボケ」が深刻である事を改めて認識させられた。

3・11の「敗戦」を反省し、国家のありようを一から考え直さなければ、世界最速で進む少子高齢化に対応できる国を作り、世界に範を示す事は出来ないと強く思った。しかしピンチはチャンスでもある。日本人が焼け跡から立ち上がり奇跡の復興を成し遂げたように、敗戦の教訓を胸に発想の転換を図れば、必ずや世界の範となる国づくりが出来るとも考えた。

ところがその後の政権は口で「震災からの復興」を叫ぶが、どの政権も「敗戦」の深刻さを理解しているように見えない。従来型の公共事業に頼って災害に備えようとするだけで、これまでの国家の在り方を考え直そうとする姿勢が見られなかった。それどころかアメリカと官僚にはかなわないと思うのか、民主党政権はアメリカの要求するTPPと官僚が要求する消費増税を受け入れて国民の期待を裏切った。

大胆な金融緩和で円安・株高を狙った安倍政権も同様である。目先の利益に国民の目を向けさせてはいるが、この政権もアメリカと官僚に従属しているだけで国家のありようを根本から見直そうとはしていない。

そうしたところに小泉元総理の「脱原発」発言が出てきた。小泉氏は「3・11」を見てこれまでの考え方を変えたと言う。私からすれば政治家として至極もっともな反応である。そうならない方が政治家としておかしい。戦後の日本を支配してきたアメリカと官僚に迎合するだけならサラリーマンと同じである。

口では「改革」とか「政策」とかもっともらしい事を言うが、強い者にはゴマをするサラリーマン型の政治家が実はごまんといる。そうした政治家たちが「政界再編」と言って野党結集を呼びかける様を私は冷ややかに見てきた。政治の構図を変えようとするならば自民党に楔を打ち込む以外に方法はない。私はそう考えていた。

次の国政選挙まで2年半あるので、それだけの時間をかけて自民党分断工作に知恵を絞れば良いのである。それは消費増税が実施された後の夏から秋にかけて第一幕が開くと考えていた。野党が動くのではない。自民党を動かすのである。そう思っているところに猪瀬都知事の辞任があり、細川元総理の出馬の話が出てきた。

従って私の興味は自民党にある。都知事選を通じて自民党の中に安倍政権と異なる動きがどれほど出て来るかにある。選挙だから異なる動きが表面化する事はないだろうが、水面下にどれほど蓄積されるかを注目している。

その意味で自民党が桝添要一氏を推す事を決めたのも面白い。桝添氏は介護や社会福祉を中心に訴えるようだが、自民党の政策と桝添氏の政策がどれほど折り合えるのかという問題がある。どちらが歩み寄るのか、あるいは歩み寄ったように見せて誤魔化すのかを注目している。

細川氏の出馬に「殿、ご乱心」とか「晩節を汚す」とけん制する発言がある。しかし私に言わせれば細川氏がこのまま人生を終えればそれこそ「晩節を汚した」ままという事になる。晩節を汚したくなければ今一度自らを犠牲にして政治にチャレンジする必要があるのである。

20年前の1994年4月、細川総理は突然辞任を表明した。佐川急便とのカネにまつわるスキャンダルがあったためだとされている。しかし政界の常識で言えばその程度で総理が辞任するなど考えられない。何か他に人に言えない事情があったのだろうと当時は噂された。細川氏の突然の辞任によって38年間の自民党単独政権からの転換は根こそぎ覆され、非自民勢力はバラバラになった。

政権交代によって日本政治が前進するための構造改革をする暇もなく、細川氏の辞任は旧体制復活に手を貸した。従ってあと1,2年辞めずに頑張れば「55年体制」を構造的に変える事ができたと細川氏は批判された。この時の方が「殿、ご乱心」で、「晩節を汚す」行為だったのである。

その細川氏が再び政治に関わり出したのは2010年の民主党代表選挙である。参議院選挙で敗れたにもかかわらず菅直人氏は代表を続投しようとした。国政選挙に敗れた総理は責任を取るのが当たり前である。そうしなかったのは歴代総理の中でも第一次政権の安倍晋三氏しかいない。自民党は巧妙に安倍おろしを図り安倍総理は辞任させられたが、民主党は続投を認めようとした。その時に代表選挙に名乗り出た小沢一郎氏を細川氏は支援した。

次いで細川氏は野田佳彦氏を強く推して野田政権を誕生させた。しかし小沢氏は代表選挙に敗れ、野田氏もまた民主党を大惨敗させる結果となり、それが安倍政権を誕生させた。細川氏の中に何とかせねばという気持ちがあってもおかしくない。

細川氏と小泉氏が手を組む背景には「3・11」がある。「3・11」を日本の敗戦と見てその教訓を胸に立ち上がる政治勢力が台頭する事を私は願ってきた。それは現在の政治の風景を一変させる筈である。選挙の勝ち負けとは別にそれが今後の政治の在り方を大きく変えるきっかけになると私は思っている。

by めい (2014-01-14 06:59) 

めい

敗戦国日本についての現実的理解。

ララビアータ
田島正樹の哲学的断想
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52352538.html

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2013年12月26日
安倍首相の反愛国的行動
安倍首相が靖国神社を公式参拝した。論じ尽くされた問題だが、あらためて書いておきたい。
[我が国の生きる道]

靖国神社を現職総理が参拝した。この問題について、多くの人々が大きな錯覚をしていると感じているので、その点について以前にもしてきた議論をここで確認しておきたい。

靖国神社が、単なる戦争犠牲者の慰霊施設でないことは言うまでもない。そんな事は安倍を取り巻く連中にとっても自明のことであろう。むしろ、それを十分に心得たうえで、政治的スケジュールにおいているのである。彼の政治的スケジュールは、一貫して戦後レジームを根底的に変える方向を目指してきた。それは、ポツダム宣言に基礎を置き、ニュルンベルク裁判と東京裁判によって示された安全保障体制と国際法秩序の破壊を意味する。

我が国は、無謀な戦争を仕掛けた上、ついに自己のイニシアティヴのもとに収拾することさえできないまま、ポツダム宣言を受諾せざるを得なかった。ポツダム宣言受諾は、明治憲法において主権者とされた天皇自身の決断の結果であり、これを認めない者は、単に戦後秩序を認めないのみならず、そもそも明治憲法の権威を認めないし、天皇の決断も認めないということたらざるを得ない。

ポツダム宣言は、東京裁判の権威を基礎づけるものであり、したがってポツダム宣言を受け入れるということは、東京裁判の権威を認めることであらざるを得ない。(ただし、そのことは東京裁判を全面的に、無批判に肯定するということではない。裁判内容やその経緯に対する批判は、むしろその裁判自身の権威を認めることによって可能になるのである。さもなければ、批判そのものが意味を失ってしまうだろう。)東京裁判では我が国のアジア侵略が批判され、南京大虐殺も(それを放置した広田弘毅外相の戦争責任ともども)批判された。広田外相の戦争責任に対しては、裁判官の中にも反対少数意見が有ったのは確かだが、それは決して南京大虐殺の存在自体を否定したものでも、その非道性を無視したものでもない。かかる戦争責任の認定の上に戦後秩序が建設されねばならないことは、国際法上の前提なのである。

それは決して価値中立的な前提ではなく、ナチスドイツと戦った連合国の共有された価値に基づくものであり、国連の存立そのものの依って立つ価値基盤でもある。もちろんそれは、戦後一貫して変わらないものであったわけでもないし、変わるべきでないものでもない。むしろ、歴史の進展の中で絶えず見直され、批判的に継承されるべきものであり、深化・充実されねばならないものであり続けている。たとえば、スターリン・ロシアの犯罪は、東西冷戦の終結を受けて、あらためて批判にさらされつつある(カチンの森の虐殺の再評価など)。今後とも、これらの批判的見直しは、不十分ながらも続けられて行くだろうし、続けられて行かなければならない。

しかし、そのような「見直し」は、決して過去の犯罪や戦争責任を否定するようなもののでは有り得ない。もし、そんなことになれば、歴史上倒れていった無数の死者たち、恐るべき破壊には何の責任も問われないことになるばかりか、我が国が立ちいたった破局の時点にまで、立ちもどらざるを得ないことになるからである。それはちょうど、ナチス犯罪のすべてを否定するドイツの「修正史観」が、ヨーロッパの戦後秩序のすべてを御破算にしてしまうことと類比的である。

時々、極右派の議論の中では、ナチスドイツの戦争指導層と我が国の戦争指導者たちとを同段では論じられないことが強調されてきた。たしかに、ナチス指導層が、チンピラ・ギャング団に近い連中(ハシモト某に似たような連中)だったのに対して、我が国の指導者たちは、無責任で紳士的な官僚たちであった、という性格の違いは存在した。しかし、この手の議論が無視しているのは、どのような連中がそれを推し進めたにせよ、結果としてそれらが世界を無秩序と破壊へと叩き込んだということであり、それを修復するためには新たな安全保障の枠組みが必要とされたということである。もはや十九世紀の国際法秩序に戻ることはできないのである。それは、それ自身が生み出した無秩序と破壊への復帰を意味するからである。

つまり、ナチスドイツや昭和天皇を中心とする支配者たちは、独力で秩序を回復する力をもたなかったのであり、それゆえその主権を放棄せざるを得なかったのである。その秩序修復の責任を負った連合国が敷いた秩序を受け入れない者たちは、敗戦以前の無秩序に復帰せざるを得ない。これは、単に好き嫌いの問題ではない。どのような価値観にせよ、それを国際法秩序の中で実現せざるを得ないのであり、それを無視して実効性をもちえない。

我が国が国際社会に復帰する条件が、ポツダム宣言受諾に伴う諸価値や国際法秩序(国連の秩序)を受け入れることであった。その中には、日米安保条約の秩序を受け入れることも含まれていたのは言うまでもない。それゆえ、日米安保とそれに基づく米軍基地の受け入れは、敗戦日本の存立条件に含まれていたのであり、民意の多数によってさえ、容易くこれを撤回することなど困難である。総選挙でたとえ多数を反基地派が握ったところで、すぐに日米安保が撤廃できると考えるのは幻想である。

もちろんだからといって、日米安保条約やその運用が、決して変更できないものだと考える必要はない。地位協定の改定などの提起を行うことも必要であろう。

しかし、法技術的な問題よりも重要なのは、戦後秩序の政治哲学(国際法の精神)を活かすにはどのようなことが可能であり、また必要であるかという構想力の発揮である。日米安保条約も、それ自体が自己目的ではなく、国際法秩序の維持というより高次の価値のためのものである。より効率的なやり方でそれが実現されるなら、代替可能であるし必要である。具体的には、極東の安全が当事国同士の信頼拡大と相互軍縮の進展によって確保されて行くなら、日米安保条約が時代遅れのものになる可能性はある。

一方で、沖縄をはじめ在日米軍基地に苦しんできた人々がいる。他方で、世界における基地が米国経済にとって大きな負担になりつつある現実がある。おそらく、今後何年にもわたって米軍の在外駐留の比重は低下し続けるに違いない。我々が、極東における安全について実効的な提案をしていくことができれば、そしてそれが米国の利益にも適うものであるなら、米国が在日米軍基地の縮小に応ずる余地は出てくるだろう。それには、同時に長い反基地闘争が必要であろうが、日米安保条約が事実上克服されていく可能性はある。私自身は、日米安保条約を極東多国間安全保障会議に解消してゆく試みが必要だと論じてきた。いずれにしても、そのためにも極東における大幅な軍縮と緊張緩和が必要なのは言うまでもない。これこそ、戦後世界秩序に受け入れ可能な仕方で、我が国が国際社会に貢献する道であると思う。

そのような観点から顧みて、安倍政権がやろうとしてきたことはどう見えるのか。彼は、いかなる動機によるものなのかはさておき、一貫して中国敵視政策を取ってきた。おそらく彼の支持基盤の中に、中国敵視によって利益を得る勢力、逆に言えば対中融和策によって不利益を被る勢力が存在するのであろう。日米両国の防衛産業、極東の緊張を絶えず上演することで日本の対米依存を維持したい一部の米国の「知日派」、並びにそのような「知日派」とつるむことで己れの利権を維持してきた日本マスコミの「知米派」、そして満州経営に手を汚している旧日本帝国の生き残り人脈など…。

彼らが、イデオロギー的理由によるのであれ、利権的動機によるのであれ、東アジアの緊張を高める意図をもって行動していることは明らかだが、問題は単に彼らの政策が我が国に不利益をもたらすというだけではない。彼らの試みが、基本的に戦後国際秩序そのものに対する挑戦を含むものであるかぎり、根本的に実現不可能なものであるということである。それは第一次世界大戦の戦後秩序そのものに挑戦したヒトラーの試みに似て、根本的な倒錯を含んでいる。それは、ヒトラー以上に世界を敵に回すということである。しかもそこに、幼稚なナルシシズム以上の何の大義もない。

かつて福沢諭吉は、「天理人道に従って互いの交わりを結び、理のためにはアフリカの黒奴にも恐れ入り、道のためにはイギリス、アメリカの軍艦をも恐れず、国の恥辱とありては日本国中の人民一人も残らず命を棄てて国の威光を落とさざるこそ、一国の自由独立と申すべきなり」(『学問のすすめ』)と言った。「我が国の他に国なき如く、外国人を見れば一口に夷荻々々と唱え…却ってその夷荻にくるしめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば、天然の自由を達せずして、我儘放蕩に陥る者というべし」(同)なのである。昨今の安倍一派の所業を礼賛している言論人や極右主義者は、まさにここで言う我儘放蕩に陥る者であり、「万国公法をもって外国に交わ」(同)ることを解せざる者なのである。

万国公法を引き受けて立とうとせず、己れのナルシシズム的幻想の中に自閉する極右主義は、神経症的痙攣現象ではあり得ても、決して主体的自己表現では有り得ない。法や言語(象徴界の秩序)を引き受けることは、「自虐的」であるどころか、それこそが主体性の基礎である。

これは、韓国政府が的確に述べたように、イデオロギーの問題ではない。さまざまの意見があるにしても、それらを表現する共通基盤に関わる問題だからである。秘密保護法にしても、安倍政権は議論の土台そのものを崩す選択をしつつあるようである。彼はそもそも「言論の中で自己を表現する」ということに我慢がならないのだろう。何かとくに幼児性を感じさせるところではある。


by めい (2014-01-15 15:40) 

めい

極めて重要な文章です。
「靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか」
この御製についての背景と意味について副島氏が述べられました。

《私たちのこの日本国が、本当は王国(キングダム、モナーキー 君主制国家。ただし、その内側が デモクラシー=代議制民主政体=になっている)と知っている。だから私たちの 国王である故・裕仁(ひろひと)天皇のお言葉とご遺志に従わなくてはいけない。》

私もそう思います。


    *    *    *    *    *

[1521] 靖国参拝に反対した昭和天皇の真実の御製(ぎょせい)の歌の経緯(きいさつ)の重要な文を載せます。
投稿者:副島隆彦


投稿日:2014-01-19 06:57:17

副島隆彦です。  今日は、2014年1月19日です。

 私たちの学問道場の大講堂である、今日のぼやき に載った、石井利明君の、「福沢諭吉と ユニテリアン教会=フリーメイソンリーの深い関係」論文 は、大変すばらしいものなので、私、副島隆彦が、昨晩、再度、これに勝手に手を入れました。会員たちで、本当に知性(=知能)を伴(ともな)って政治思想(ポリティカル・ソート)の文章を読む力のある者は必ず、この石井論文を読み直しなさい。

 さて。 安倍晋三の内閣(=政権)は、昨年末の靖国参拝で致命傷を負った。“高転(たかころ)び”して、有頂天の絶頂から一気に転落しつつある。この流れはもう後戻りできない。安倍晋三は、世界、とりわけアメリカを敵に回したので、もうこのまま政権を維持できない。

 おそらく4月からの消費税の8%への値上げで景気がさらに悪化したことを理由として、アベノミクスの失敗ということを口実( 口実にもならない、みっともない口実)にして退陣するだろう。 そうしないと後(あと)を継ぐ者にまで、馬鹿げた責任が続く。後の者は、当然、「安倍さん。あなたが蒔いた禍(わざわい)は全部、あなたが持っていってください」と言うに決まっている。

 安倍政権の内部は、すでに相当に沈鬱なムードになっており、自分たちへの葬送行進曲が流れている。去る12月26日の靖国参拝を決断し強行した、安倍晋三個人の責任を、周囲の者たちは、公然と追求できない。「総理。私たちがあれほど慎重に行動してくださいと言ったのに」と、弱弱しくでも引導を渡すのが、菅義偉(すがよしひで)官房長官の仕事だ。 
 安倍側近を自任する者たちは、安倍と一緒に討ち死にするしかない。もう、逃げ出す準備をしている者たちも出ているだろう。 

 以下の日経新聞の記事の末尾に、ちらりとあるごとく、萩生田光一(はぎうだこういち)という首相補佐官(=側近)を自認する政治家は、靖国参拝を安倍に急(せ)き立てた強行派であるから自分も討ち死にする覚悟だ。 

 私、副島隆彦としては、安倍晋三が7年前と同じ「お腹の調子が悪い」を理由に、政権放り出しをしないことを祈る。世界に対して、安倍個人がみっともないを通り越して、本当に日本と言う国がみっともない国だ、ということになる。 

 昨日(18日)、バラク・オバマは、ホワイトハウスの執務室から、直接、アメリカ国民に向かって、30分間に渡って、ものすごい演説をしたようだ。記者たちからの質問には一切答えない、という異例の決然たるものだったようだ。

 内部告発者、エドワード・スノーデンによる、アメリカ政府の最高度の安全保障に関わる国家機密(全スパイ・マスターたちの顔ぶれ、経歴までが露呈。イスラエルの機密情報も漏れた)の持ち出し、流出で、相当の打撃を受けている。オバマは、公然と居直ることを決断したようだ。

 まるで「これからは、自分は、世界の独裁官(どくさいかん)になる、とオバマは、宣言したようだ」との評価を、ある人物から私は貰(もら)った。

 その影響が、以下の、日本のワルの外務官僚のトップの、谷内正太郎(やちしょうたろう)への「異例の厚遇」(日経新聞の表現)となって表れている。ジョン・ケリー国防長官と、チャック・ヘーゲル国防長官は、谷内を 安倍政権を無視して、直接、自分の配下に加えることを決断している。 

 ワルの官僚の谷内(やち)は、安倍政権のバカな政治家たち(芸能人並みの知能の連中)を見捨ててアメリカに直属すると決断した。アメリカもそれを受け入れた。

 谷内(やち)は、自分が日本版NSC(エヌ・エス・シー、国家安全保障会議)のトップである国家安全保障局長(こっかあんぜんほしょうきょくちょう)に年末に正式に就任している。だから、安倍政権や自民党に対してもアッカンベーをしても構わないと決めた。「国家の利益ためには、政権なんかいくつ倒れても構わない」という藤原不比等(ふじわらのふひと)が7世紀(西暦668年)から始めた律令官僚支配のやり方を公然と実行した。

(転載貼り付け始め)

〇「米、谷内氏を異例の厚遇 「靖国」後の局面転換狙う 」

2014年1月19日 日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS18016_Y4A110C1PE8000/

 オバマ米政権は17日、訪米した谷内正太郎・国家安全保障局長を異例の厚遇で迎えた。安倍晋三首相の靖国神社参拝によってすきま風が吹いた 日米関係の局面転換を印象付けるとともに、首相の再参拝をけん制する思惑があるからだ。アジアで台頭する中国も意識している。

 「excellent(素晴らしい)」。谷内氏は米国務省の玄関口で、中国メディアからケリー国務長官らとの会談の感想を問われ、こう即答した。

 谷内氏はケリー長官、ヘーゲル国防長官、(スーザン・)ライス大統領補佐官(国家安全保障担当)と相次ぎ会談した。日米の国家安全保障会議(NSC)の 連携を確認したライス氏との会談は織り込んでいたが、主要閣僚のケリー、ヘーゲル両氏との会談の実現は谷内氏本人にも意外だった。

 首相参拝の「真意」を説明するためワシントン入りした日本の要人が会った米政府の顔ぶれをみれば、厚遇ぶりが分かる。超党派の日米国会議 員連盟(会長・中曽根弘文(ひろふみ) 元外相)はラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)。首相の実弟、岸信夫(きしのぶお)外務副大臣はバーンズ国務副長官だった。

 谷内氏への厚遇は日米関係の局面転換を印象付ける。米国のアジア戦略は同盟国である日本などとの連携が欠かせない。首相参拝によって日米 間に生じたさざ波が大きくなれば、戦略の空洞化が進む。中国や北朝鮮のさらなる増長を招きかねないとの判断だ。

 知日派のマイケル・グリーン米戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長は、首相参拝の影響は認めつつも「環太平洋経済連携協定 (TPP)や、日米防衛協力のための指針再改定などへの取り組みは米国の国益にもなる」と訴える。

 首相への影響力がある谷内氏を通じた再参拝への圧力ともとれる。「平和主義からの離脱」(米紙ニューヨーク・タイムズ)など米メディアは 首相参拝と軍国主義の復活を絡(から)めている。再参拝すれば、米国世論の警戒を高める恐れがある。

 もう1人の知日派、アーミテージ元国務副長官も 「首相は選挙の公約を果たした。もう終わったことだ」と、再参拝はないとの認識を強調する。

 中国は米紙ワシントン・ポストに寄稿し、首相批判を展開。再参拝となれば中国に対日批判の材料を与え、日韓関係の改善も遠のかせる。中国 は東シナ海上空の防空識別圏に続き、南シナ海では外国漁船の操業規制を強化した。

 中国を勢いづかせる流れを断つため、日米の仕切り直しに向けたきっかけをつくりたい--。そんな米側の希望をよそに、日本からは首相参拝 時の米側の「失望」表明について「共和党政権ではこんな揚げ足を取ったことはなかった」(自民党の萩生田光一総裁特別補佐)との声が上がる。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦です。
 さあ、このあとは私が先週、約束した、私が、2007年に書いて出版した、本の中の「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」論文の 重要場面を、弟子たちが復刻してくれたので、ここに載せます。私のこの文は、以後、日本の戦後史の歴史資料に属するものとなるだろう。


(転載貼り付け始め)

『最高支配層だけが知っている 日本の真実』(成甲書房、2007年刊)所収


「 安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」」

 副島隆彦

 (この本の P.25~P.28 を転載する )

 「昭和天皇のコトバ・富田(とみた)メモ」は米国の意思がリークさせた


 安倍晋三(あべしんぞう)首相は、昨2006年の9月20日に自民党総裁選に圧倒的な強さで勝利して、そのあと、9月26日に、国会で首班指名(しゅはんしめい・総理大臣に当選すること)を受けて組閣した。

 そのあと、すかさず、10月8~9日には、アメリカではなくて、中国と韓国を訪問して胡錦涛(フー・ジンタオ)国家主席、盧武鉉(ノ・ムヒョン)韓国大統領と首脳会談を行なった。まずアメリカに行くのではなくて、中国と韓国に行ったのだ。

 この最中の9日に、なぜか、北朝鮮がうまい具合に、例のお粗末な核実験(らしきもの、その後も浮遊核物質が検出されないので、失敗説もある ) をやってくれた(これにも、実は、裏がある)。これに世界の目を奪われて、安倍晋三の外交行動の奇怪さは露見しないで済んだ。

 安倍晋三の表情は、このころから、うつろになり、全く冴えなくなった。テレビで見ていても気の毒な感じになってきた。自分は一国の宰相である、という気迫が急速に消えて無くなった。加えて、しどろもどろの国会答弁をするようになって、「安倍は、7月まではもう少しは威勢が良くて、元気だったのに。一体何があったのか」と新聞記者たちまでが、噂を始めた。一国の責任者としては、あまりにしょんぼりしている。もともとはこういう人ではない。タカ派のバリバリの右翼人間である。

 2006年7月20日に突如、アメリカベったりで親米派の代表のような日本経済新聞に、富田朝彦(とみたともひこ)元宮内庁長官のいわゆる「富田メモ」が、一面のトップで載った。それは、昭和天皇の、「今のような、靖国神社には、(1978年以来、私は)お参りできない」という発言が書いてある日記であった。

 このことは、昭和天皇のお気持ちとして、今の靖国神社では、私は参拝できないし、公式の戦没者の国家的な追悼施設としての国際社会の理解も得られない、という天皇によるはっきりとした意思表示であった。なぜ、あの時、日経新聞に「富田メモ」という形で、靖国神社問題が噴出したのか。その謎が今、私は解けたのだ。

 昭和天皇の靖国神社に関連した発言の「富田メモ」からの、昭和天皇の発言の全文は次のとおりである。

(引用開始)

   私は、或る時に、A級 (戦犯たち14人) が合祀され、そのうえ松岡(  洋右 まつおかようすけ)、白鳥( 敏夫 しらとりとしお)までもが。 筑波 (藤麿 つくばふじまろ 前の靖国神社の大宮司 ) は慎重に対処してくれたと聞いたが、松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と。

  松平( 慶民 まつだいらよしたみ )は平和に強い考(え)があったと思う のに、親の心(を)子(の) ( 松平芳永 まつだいらよしなが 宮司 )  が知らず(だ)と(私は)思っている。だから 私 (は) あれ (1978年) 以来参拝していない。それが私の心だ。

   「昭和天皇、合祀に不快感靖国のA級戦犯に触れ」共同通信、2006年7月20日配信 

(引用終わり)

 昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀に不快感を示す発言をしていたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人) が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。

 昭和天皇は1978年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。

 関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは88年4月28日付。メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている。

 「松岡」「白取」はA級戦犯としてまつられている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。  (共同通信、同前)

(引用終了)

 このように、昭和天皇ははっきりと自分の考えを述べている。この天皇の意思と考えは、明らかにA級戦犯の合祀への反対である。平和を強く願う気持ちが表われている。そして新たな戦争に加担するような動きに対して強く戒めている。戦後の指導者たちが、軽率な行動をとってはならないと警告している。

 このあと、記者団に質問されて、小泉純一郎首相は、「人 (昭和天皇のこと) にはそれぞれの考えがある」と言い放って、昭和天皇の意思 (大御心 おおみこころ)を無視して、8月15日の首相参拝を強行した。

 安倍晋三も同様であり、すでに5月に内閣官房長官として、こっそりと参拝していた。このことも、どこからの筋か不明だが、露見した。明らかに日本の保守勢力内部に大きな分裂と抗争の暗闘がある。それが、この富田メモの公表という時点で、はっきりと表に出た。

 この7月20日の日経新聞の富田メモの突如の公表は、アメリカの意思も入っている。アメリカは、小泉と安倍に、靖国神社に公式参拝するな、アメリカは反対である、というはっきりとした意思表示をこの時、出したのである。小泉と安倍は、これに逆らった。

 その前の五月に、日本の財界は、経団連と経済同友会の共同の声明で、小泉首相の8月15日の靖国参拝を中止するように求めた。それは、アジア諸国への配慮であり、中国との良好な関係が日本にとって重要だ、という趣旨からだった。この動きに対して、保守言論雑誌に、「金のことしか考えない財界人たちは黙れ。中国で金儲け(営利活動)をすることしか考えない財界人たちを批判する」という評論文がいくつも載った。

 根っからの親米派であるはずの財界人たちを、日本民族派の保守言論人たちが糾弾(きゅうだん)する、という奇妙な構図が見えた。この時に日本国内に走った保守派内部の亀裂と分裂線が、その後の進展を物語っていた。

(ここまで 副島隆彦 筆『・・・日本の真実』のP.25~P.28から引用 終わり)

(ここから 『・・・日本の真実』のP.58~P.61から引用はじめ)

「産経・古森(こもり)公開質問状」と「元国連大使」の愚かな行動

  そしてちょうどこの時期に、前述した産経新聞の古森義久(こもりよしひさ)記者(ワシントン特別論説委員) による、玉本偉(たまもとまさる)外務省・国際問題研究所(略称国問研=こくもんけん=)研究員への言論弾圧事件が起きた。

 それは、2006年8月27日付けの「ワシントン・ポスト」紙に載った、スティーヴン・クレモンス(ニューアメリカン・ファウンデーションという研究所の研究員)の筆による、“ The Rise of Japan's Thought Police " 「日本で思想弾圧警察の動きが起きている」と題する、古森氏の行動を批判する記事であった。

 それは、5月13日付けの、外務省の外郭団体の外交研究所である「日本国際問題研究所(JIIA) のインターネット上への論文提供のコーナーでの、玉本偉( たまもとまさる)氏の文章を槍玉に挙げてのものだった。

 玉本研究員の論文は、周囲の反対を押し切っての小泉首相の靖国参拝の強行が、日本の右傾化を招き、この「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」の勢力が台頭して、日本がアジア諸国で孤立する道を選びつつある、という危惧を表明した、きわめて端正(たんせい)な日本分析であった。そして、日本の右傾化が進めば、これに対する揺り戻しが国内から起きて、やがて穏健な勢力によって軌道修正が図られるだろう、という冷静な客観予測が書かれていた。

 ところが、これに対して古森氏が筆誅(ひっちゅう)を加えた。ちょうど、自分がアメリカとの橋渡しをして安倍政権を誕生させる原動力のひとつになったことへの自負で有頂天になっていた時だ。力が余って、それで、この玉本論文を、「中国に迎合する反日の立場からの偏(かたよ)った言論だ」として論難した。

 そして、「外務省の補助金で運営される研究所なのに、現在の日本の外交や安保を否定するような極端な意見の持ち主(玉本研究員のこと) に (海外向け発言を) 任せる理由は何なのか。この『稿の結びを佐藤行雄(さとうゆきお)理事長への公開質問状としたい」 と書いた。

 この記事に死ぬほど驚いて、慌てふためいた日本国際問題研究所の佐藤行雄理事長 は、我を忘れて、冷静さを失い、その生来の身に染みた官僚体質と事なかれ主義のせいで、この産経新聞の古森記事に動転して、いちもにもなく同意して、勝手に自分だけの愚かな行動に突っ走った。そして、このネット上への英文での日本からの意見と情報の発信の場を自ら、即刻閉鎖して、玉本氏を譴責(けんせき)して、それで、それまでのすべての発表記事と英文論文までも削除の処分にした。

 ところが削除しても削除できないのが「ミラーサイト」という複製機能をもつインターネットの仕組みだ。この愚か極まりない行動が、ただちに世界中の日本研究家たちから、一斉に批判の対象となった。

 政府のお金が出ている研究所の言論と研究の成果を、理事長が自分の手で無かったことにして全面削除にして隠滅してしまう、というのは、愚の骨頂を通り越して、狂気の沙汰である。この佐藤行雄という外務官僚 (彼は国連大使の経験者だというから、主流派に属するそれなりの出世組なのだろう) は今、外務省内で、「佐藤はとんでもない判断違いをした」として軽蔑の対象の極致にある。

 佐藤理事長は8月18日付けで、産経新聞に坊主俄懺悔(ぼうずざんげ)の謝罪文を記事の形で載せた。産経の記者が「こんな文を本当に載せていいのですか」と念を押したそうだ。が、本人は、とにかく自分の責任を軽くして逃げ延びたい一心で、それで大きく墓穴を掘ることになる。およそ言論や研究機関の長になるにふさわしくない、いかにも日本的な役人の盲目的な猪突(ちょとつ)行動である。

 自分が信頼して雇った有能な世界基準の英文で発信できる研究員の言論を、守ろうとするのではなくて、逆に部外者の右翼新聞の好戦派の大物記者が書いた、それこそ偏った見解に全面敗北した。それで、すでに発表した記事まですべて削除処分にするなどという、許すべからざる行動に出たのである。

 ここで念を押すべきは、一民間の新聞紙の言論が、政府の補助金で出来ている国の研究機関の言論に対して言論弾圧をする、ということは法律学的に成り立たない。言論弾圧なるものは、政府機関や公務員が、「この評論文は我々、政府にとって好ましくない」などと発言することで成り立つものだ。

 民間人どうしの間の理論の衝突は、それは、「互いの意見の相違。考えのくいちがい」と言うのであって、言論弾圧とは言わない。しかし、政府への自分の影響力を嵩(かさ)に着て、古森氏が、ある論文や記事に対して、「それは反日的であるから、政府の子会社の機関は、その者を辞めさせよ」と書いて、公開質問状とするなどと威張り腐るのは、これは、単なる言論の自由(権)の行使ではすまない。自分を大人物だと思い違いした権力人間だ。

 そして前出のクレモンスの反撃記事が出た。このニュー・アメリカン財団(ファウンディション)のクレモンス研究員による更なる古森批判の文は大きな反響を呼んで、世界中の日本研究家(ジャパン・ハンドあるいはジャパン・エキスパート)たちの共感を呼んだ。

 そして、これに対して古森氏が今度は、「私は、右翼過激勢力など支援していない」、 " I Don't Back Extremists. " というクレモンス研究員への反論文を書いて、ワシントン・ポスト紙に投稿したのが11月11日である。しかしもう遅い。

 今さら古森氏がいくら言い訳をしても、彼がやった卑怯で愚かな行動は取り消せない。ワシントンDCのネオコン勢力の政府高官や研究所員たちと幅広く付き合い、「ネオコン派などというものは存在しない (私たちは、正義そのものなのだ)」 というような、独善と思い上がりの文章ばかりを古森氏はずっと書いてきた。そろそろ彼の新聞記者人生もここらが年貢の納め時だろう。

 このような事件が安倍政権の誕生の背後で起きていたのである。小さな筆禍(ひっか)事件のように思われるが、この事件が、安倍政権の船出に大きな影を落とした。「安倍たちは、どうも恐ろしい東アジア独特の宗教団体にからんでいるのではないか」という疑いが、アメリカの政・官界で今、囁(ささや)かれているのである。

(ここまで『・・・日本の真実』P.58~P.61 から引用終わり)

 副島隆彦です。 このように私は、2007年刊行の、私と弟子たちの論文集で書いた。この本は、今でも私たちの学問道場のサイトで買える。出版社に注文してもいいし、アマゾンの中古本でも安くで買えるだろう。読みたい人は買って読んでください。

 私は、自分が2007年に書いたこの「安倍晋三とザ・カルト・オブ・ヤスクニ」論文が、やがて日本政治史の歴史資料となる、と自負する。

 そして、あと一本、歴史資料になるであろうと思われる雑誌記事を、その全文を載せる。

 この「選択」誌 という政治経済の月刊の高級専門誌(馬鹿ではない日本の企業経営者層5万人に定期購読されている)の昨年の2月号に載った連載の評論文である。書き手(筆者)は、岩井克己(いわいかつみ)という“皇室ライター”と呼ぶべきか、朝日新聞の記者で長年、宮内庁の記者クラブに所属したであろう人が書いた素晴らしい文である。

 私、副島隆彦は、以下の文を、著者である岩井克己氏には、無断で以下に転載する。これは非礼なことであり著作権法違反であるから、岩井氏本人から抗議が来たら、謝罪の上すぐに削除します。私、副島隆彦が、フェア・コメント(公正なる論評)を前後に書き加えて、以下の岩井文に評論(=論評)を書いてから引用すればいいのだが、そんな猪口才(ちょこざい)なことは私はしたくない。

 書き手への深い敬意を表し、かつこの文は、日本国の戦後政治の歴史資料になる重要なものである、と私は判断するので、その全文を以下に引用します。

(転載貼り付け始め)
 
『選択』誌 2013年2月号 「靖国の名に そむき まつれる」

宮中取材余話  連載54  皇室の風   岩井克巳


● 靖国の名に そむき まつれる

 富田朝彦(とみたともひこ)元宮内庁長官から電話があったのは、徳川義寛(とくがわよしひろ)元侍従長が死去したあと、生前の証言をまとめて『侍従長の遺言』(一九九七年一月、朝日新聞 社刊)と題し出版した直後だった。

「読んだよ。本当によく書いてくれた。よくぞ徳川さんから聞き出してくれた。ありがとう、本当にありがとう」

 それだけである。徳川証言のどこがどうとは一切言わないので、その感極まった声に当惑したのを覚えている。 長いつきあいだったが、あちらから電 話をくれたのは後にも先にもこの時だけだ。

 ずっと忘れていたが、うかつにも最近になり思い至った。富田は、晩年の昭和天皇から靖国神社のA級戦犯合祀への思いを聞かされ、それを誰にも言 えず一人悶々(もんもん)としていたのではないか。徳川証言で一端が世に明かされ、ようやく胸のつかえがとれたのではなかったかと。徳川は、七八年に、靖国神社 がA級戦犯を含む合祀予定者名簿を届けに来た時、自分は異議を唱えたと証言した。

「私は、東條英機さんら軍人で死刑になった人はともかく、松岡洋右さんのように、軍人でもなく、死刑にもならなかった人も合祀するのはおかしいの じゃないかと言ったんです。永野修身(ながのおさみ)さんも死刑になっていないけれど、まあ永野さんは軍人だから。(略) 靖国神社には、軍人でなくても消防など戦時下で働いて亡くなった人は祀(まつ)っている。しかし松岡さんはおかしい。松岡さんは病院で亡くなったんですから」

「靖国神社は元来、国を安らかにする つもりで奮戦して亡くなった人を祀るはずなのであって、国を危うきに至らしめたとされた人も合祀するのでは異論も出るでしょう」

 しかし靖国神社は松平永芳(まつだいらながよし)宮司が合祀に踏み切った。以後、天皇の靖国参拝は途絶えた。後年、八六年八月十五日に詠まれた御製が発表された。

 この年の この日もまた 靖国の みやしろのことに うれひは ふかし

 徳川は「合祀賛成派の人たちは、この歌も自分たちの都合のよいように曲解した」と怒っていた。半世紀も侍従を務め、何事にも慎重で口の固かった徳川の強い語調に「天皇が徳川の口をして語らしめている」と感じた。

 靖国神社を天皇が参拝しなくなった理由がA級戦犯合祀への不満だとすれば事は重大だ。徳川は合祀に異を唱えたのは自分だ、と語ることで、安易に合 祀を推進した人たちへ天皇が突きつけようとした「切っ先」を身を挺して押しとどめ、天皇が浴びるかもしれない「返り血」をも防いだのだろう。

 筆者はこの徳川証言を、九五年八月、朝日新聞の戦後五十年の連載企画として紹介した。しかし、一部の近代史研究者を除き目立った反響はなく、天皇 や首相の靖国参拝を求める人たちからも黙殺された。徳川の「間接話法」は十分には通じなかった。

 徳川は九六年二月に死去し、富田も二〇〇三年十一月に死去した。
そして〇六年七月、小泉純一郎首相が靖国神社参拝を宣言し国内外の反発も巻き起こるなか、日本経済新聞が富田の日記と「富田メモ」を特報した。 一九八八年四月二十八日付のメモに「直接話法」の記録(引用者註。 昭和天皇自身のお言葉という意味) があった。

 「 私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取( 白鳥敏夫 )ま  でもが、筑波(藤麿 つくばふじまろ 前宮司 )は 慎重に対処してくれ  たと聞いたが 松平の子の今 の宮司 (松平芳永 まつだいらよしなが)が  どう考えたのか  易々と (父の) 松平(慶民 まつだいらよしたみ )  は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている。だから  私あれ以来参拝していない それが私の心だ」 ( )内は筆者

 
 実は富田の日記は、筆者(引用者註 岩井克己氏)の先輩で 富田とは長く親しかった元朝日新聞記者が死後間もなく遺族から段ボール箱で渡され、公刊の可否を相談されてい た。一通り目を通し「出版は難しい」と返却したという。それにはメモは含まれていなかった。日経によると、記者が日記とメモを入手したのは〇六年五月。小泉首相の参拝問題が内外の激しい議論を呼んでいる時期に端(はし)無くも重なったという。

 この頃、筆者は侍従職事務を長年仕切った卜部亮吾(うらべりょうご)侍従から死去直前に託された日記の公刊準備を進めていた。八八年四月二十八日の日記には、富田 と卜部が順次天皇に呼ばれ「靖国の戦犯合祀と中国の批判、奥野(誠亮・元国土庁長官の)発言のこと」を聞かされたと記録されていた。

 また後年の日記 に卜部は「靖国神社の御参拝をお取り止めになった経緯 直接的にはA級戦犯合祀が御意(ぎょい)に召さず」と記していた。富田メモが昭和天皇自身の発言であることがほぼ裏付けられた。

 そして〇六年十二月には、天皇の歌の相談役を務めていた歌人岡野弘彦(おかのひろひこ)が、先の天皇の御製(ぎょせい)の真意を徳川から聞いていたことを著書で明らかにした。 徳川は次のように語ったという。

 「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼(いた)みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上(かみ)はそのことに反対の考えを持っていられました。

 その理由は二つあって、一つ は国のために戦(いくさ)に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮め祭る社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つは、あの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根(かこん)を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲(えんきょく)していただいたのです」(『 昭和天皇 御製  四季の歌 』)

 岡野は「十分に真意が伝わるとは言えないが、天皇の篤(あつ)いお気持ちを思って、徳川さんと相談の上で御集(ぎょしゅう)の『おほうなばら (大海原) 』に収めることにした」と いう。

 徳川は間接話法で語って逝(い)った。富田は恐らくメモを公にするつもりはなかったが、かといって廃棄もしかねたまま世を去った。卜部(うらべ)は中身は書かず 天皇の発言があったことだけ記録した。

 天皇は「私の心」を露わにすることを強く制約される。側近も口外しないのが基本である。しかし、それぞれに戦争への天皇の悔恨(かいこん)と平和への強い思い、それを理解しない者への怒りと哀しみという「私の心」を聞かされた。その重い「遺言」は自分限りで闇に葬ることが出来なかった。死してなお、 天皇の思いはあたかも「歴史における理性の狡智(こうち)」(ヘーゲル)のように後世に蘇(よみがえ)った。

 筆者は聞き書きの作業中、生前の徳川から御製集『おほうなばら』を数日間貸してもらったことがある。ページをめくっていると、小さな短冊がはさんであるのに気づいた。鉛筆の走り書きである。 後日尋ねると徳川は「発表をとりやめた歌です」とだけ答えた。「これこそが昭和天皇の元の御製(ぎょせい)に違 いない」と思った。短冊にはこう記されていたのである。

   靖国の名に そむき まつれる 神々を 思へば うれひの ふかくも    あるか

(敬称略)

(転載貼り付けおわり)

副島隆彦です。この昭和天皇に真実の御製に和歌の意味は、私が解釈すると次のようになる。

  「 靖国の名に 背(そむ)いて、祀(まつ)られることになった、 東条英機以下の、自分に最後まで忠実ではあったが、誤った戦争開始、指導をして世界を敵に回してたことの非がお前たちには有るので、私、天皇としては、世界に向かって、自分自身の非も詫びたのだから、誤った戦争指導をしたお前たちまでも、この度(1978年に)、愚かにも祀(まつ)ってしま  靖国神社に、私は拝みに行くわけにはゆかないのだ。私の憂いは深い 」

であろう。

 真実はこの皇室記者である岩井克己氏の書いた通りである。 私たちは、私たちのこの日本国が、本当は王国( キングダム、モナーキー 君主制国家。ただし、その内側が デモクラシー=代議制民主政体=になっている)と知っている。だから私たちの 国王である故・裕仁(ひろひと)天皇のお言葉とご遺志に従わなくてはいけない。

副島隆彦拝
by めい (2014-01-20 14:44) 

めい

「世界の中における日本の現実」についての現場(中国)からの証言です。しっかり地に付いた発言であることが伝わります。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

   *   *   *   *   *
[1529]安倍首相靖国参拝問題についての体験的感想
投稿者:薄桜鬼
投稿日:2014-02-08 05:23:58

はじめまして、
私は、中国在住の「学問道場」会員です。
私は、副島先生の「日本を何とかしなければ」というお考えに共鳴し、副島先生の著作と学問道場での学びを通じ、「我々は、日本人として、今、何を、どのようになすべきか」について考察を試みている者です。

この度、重たい掲示板と会員ページに掲載された安倍首相靖国参拝問題関連の一連の壮大な評論文は、中国現地での当時の実体験を通し私が抱いた感情と疑問に、論理的な根拠と解答を与えてくれました。
評論文を御拝読し、眼から鱗が落ちるとは正にこの事だと感じましたので、そのことについて書かせていただきたく筆を執った次第です。

昨年末の安倍首相の靖国神社参拝の当日の夜、夕食の休憩時間に、私は部下の若い日本人スタッフと一緒に、中国の工場の近くの小さな食堂で、食事をしていました。
当然、周りには現地ワーカーがたくさんいて、食事をしています。
工場では、現地の管理者や幹部とは常に業務で接していますが、現場の生産ラインの一般ワーカーと、我々日本人幹部は、あまり直接接触することはありません。
したがって、管理者クラス以上になると、我々日本人のことを理解していますが、一般ワーカーの人たちは、日本人についてはほとんど何も知りません。
ただ、日本顧客の製品を製造しており、工場にも日本人がいることは知っていますので、食堂で、日本語を話していると、「聞いたことない言葉を話しているな」「へえ~これが日本人だ」というような好奇の眼で見られます。ワーカーは20歳前後の若い人たちが多く、その視線は単純に好奇の眼であり、無邪気なものです。
その日も、私は部下の現地採用の若い日本人と日本語で話しながらラーメンを食べていたのですが、突然、後方のテレビから、当然中国語で「安倍首相靖国神社参拝問題」というアナウンサーの声が聞こえてきました。ドキッとして、後ろを見ると、テレビの画面に安倍首相と靖国神社の写真がクローズアップされており、安倍首相が靖国神社を参拝したことについての特集番組が始まっていました。(もちろん批判的な論調です。)
その瞬間に、周りのワーカーもいっせいにテレビに集中し、次の瞬間に、皆の視線が、我々に向けられました。その視線は、正確に表現するのは難しいのですが、いつもの好奇のものではなく、未知のものを見るような驚きを湛えたものに変わっていました。
その時、私が感じた正直な想いは「一国の総理ともあろう人が、また軽率なことをやってくれた」という苦々しいものであると同時に、自分でもうまく説明できない、本当に情けなく悔しく辛い感情が込み上げてきました。

こう言うと、反感を抱かれる方もいらっしゃるとは思いますが、現地では本当に切実な問題となります。
普段は、特に労務上で大きな問題はないのですが、いったんこういう政治的な問題が起こると、それをきっかけにして、わざと労働争議等の問題を起こすような者が出てくる心配が生まれます。めったなことでは、そこまでの問題は起こりませんが、以前の反日デモの際には、近隣の工場でもデモ隊に投石されたり、デモ隊と工場内のワーカーが連携を取って全面ストライキに発展してしまったような工場も出ました。
我々が一番怖いのは、ストライキが発生して生産が止まることです。生産が止まるとお客様への納期が守れず、お客様に多大な損害を与えてしまうからです。
したがって、以前の反日デモの時の記憶があるので、今回の参拝問題では、非常に神経を尖らせました。なにしろ一万人近いワーカーがいると、万が一何か問題があった時に、制御しきれるかどうか不安を感じるものです。
そのため、現地の中国人管理者や中国人幹部が一生懸命に現場管理、現場指導を強化し、仕事に集中させ、余計なことをする者が出ないようにいつもよりも数倍の気を配って対応してくれました。
現場では、生産を完遂するという共通の目的のために、中国人と日本人が一致団結して協力し業務にあたっているのです。
憂さ晴らしや悪戯だと思いますが、「小日本」(日本の蔑称)などの落書きは数件ありましたが、結果としては特に問題は起こりませんでした。

話を食堂に戻します。
テレビを見て、私はすぐに上述したような問題の発生の懸念と対処方法について考えていましたので、少し沈鬱な表情になり、食事も余り取らず食堂を出ました。
部下の若い日本人は、私の表情を見て勘違いをし、「いやあ、また中国がうるさく言ってますね」と話しかけてきました。中国で仕事をしていると正直、嫌なこともありますし、自分にスキルが無いと部下に相手にされないこともあります。彼は、経験もまだ浅いので、そういったストレスから、やや反中的な感情が芽生えていたのだと思います。そして、私もそういった感情を共有していると勘違いしたようでした。
そこで、私は彼に言ったのですが、「何か勘違いしていないか?私が問題視しているのは首相の行動であって、中国の反応ではない。首相がこのような行動を取れば、このような反応が起こるのは目に見えているのだから、もし、首相が我々現地企業のことを真剣に気遣ってくれているのなら、そのような行動は取らない。それに対して、中国の反応が過剰だと言うのは見当違いだ。日本が過去に戦争、占領したことは事実だし、その過程で、いくら否定しようとも、戦争なのだから多少なりとは許されない行為があったはずだ。そうであれば、社会における個人と同じで、一度何か過ちを犯した人は、それから逃げることは出来ないし、未来永劫その過去を背負って生きなければならない。批判されても、過去の事実は変えられないので、じっと耐えるしかない。それでも、更生したことを人に認められたいのであれば、自分はただひたすら、周囲からあの人は変わったなと思われるような態度と行為を取り続けるしかない。それでも批判され続けることのほうが多いかもしれないけれど、立派な行いを地道に続けていれば、いつかは誰かが理解してくれる日が来るかもしれない。現実とは、そういう厳しいものであって、それが、戦争をし、しかも負けた国となれば、その後の歩みが非常に厳しい道のりになることは当然のことだ。何世代にもわたって批判され続けるだろう。それでも、日本が立派な国であるためには、ただひたすらに過去を払拭するための努力を続け、ひたすらに立派な行いを続けるしかない。君は、中国に来て、中国のおかげで仕事が出来て、中国のおかけで給料がもらえているのに、さっきのような感想しか感じることが出来ないのなら、さっさと日本に帰ったほうが良い。中国語が少し話せると言うだけで、中国に来て、のほほんと過ごすだけならば、日本にいたって出来ることだから、わざわざ中国に来る必要はない。我々は海外に出た以上、場所がどこであれ、現地の人から見れば、日本人を代表しているのであり、日本人として、もっと真剣に現地とお互い歩み寄り、お互いの良いところを引き出すような思考をする努力と訓練が必要であり、日本人として恥じない思考と行動の努力と訓練が必要だ。それが出来ないのなら、日本の恥になるだけだから日本へ帰れ。」
というような事を言いました。
厳しい内容だったので、彼はショックを受けたようで黙って下を向いていました。
彼については、再度後述します。

以上の体験談に加えて、補足しますと、中国側が特に問題視しているのは、靖国神社に戦犯が祀られている点です。
私の中国の知人や友人も、「靖国神社には、なぜ戦犯が祀ってあるの?戦犯が祀られていなければ、別に問題も起きないのに、なんで?」という素朴な疑問を持っています。

以上の体験で私が抱いた、自分でもうまく説明出来ない、本当に情けなく悔しく辛い感情について、また、知人や友人の素朴な疑問について、副島先生は、今回の一連の評論文で明確に解明してくださったと感じました。

特に象徴的・総括的な内容の部分を以下に転載させていただきますと、

(転載始め)
[1514]安倍の靖国参拝問題が大きな火種に。日本は世界中を敵に回してはいけない。

 ここで、端的(たんてき)に言うと、United Nations (ユナイテッド・ネイションズ=連合諸国、連合国側) の総意に、日本は従わなければいけないのだ、ということだ。世界を敵に回してはいけない。この 連合諸国=が第二次世界大戦の間にできて、それが、そのまま、戦後も、そして今も 世界体制( The U.N. ×「国際連合」は愚かな、意図的な訳語だ。正しくは United 連合 Nations 諸国 、連合諸国だ  )なのだ。現在のこの世界体制を敵に回して、安倍晋三たちは、勇ましい、頓馬(トンマ)な闘いをやっている。 世界とはどういうところか、が分かっていない。 世界の厳しさも分かっていない。 甘やかされた坊や みたいな連中だ。

「ヤルタ=ポツダム体制の打破」、「東京裁判史観の克服」、「戦後レジームの打破」を掛け声にしている、愚か者の集団だ。 その甘えきった態度が、どれぐらい自分たちの愚かさを、今、世界中に、満天下に晒(さら)しているかを、分かっていない。 安倍晋三たちは、いいかと思って世界の舞台で裸踊りをしているのだ。

それでアメリカに楯突いてみせれば、それで、自分たちが英雄気取りだ。アメリカ(オバマ政権)が怒っているのは、今の日本の極右政権が、世界の戦後秩序=世界体制 を 、半ば無自覚に破壊しようとしている、甘ったれた連中だということを、日本側が分からないことだ。 安倍たちは、アメリカを敵に回しているのではない。世界を敵に回しているんだ。 世界を敵に回すと、本当に、恐ろしいことになるのだ (世界は、いったん決めたら、本当に国際的強制執行をする)。

 東条英機(とうじょうひでき)首相(大将)たち、7人戦争指導者を、死刑にして首を吊ったのは、アメリカの軍事法廷(ミリタリー・トリビューナル)というだけでなく、世界体制なのだ。その東条たちを、合祀(ごうし)して祀(まつ)っている(1978年から)靖国神社は、世界基準での The Tomb of Unknown Soldiers ザ・ツーム・オブ・アンノウン・ソルジャーズ 無名戦士の墓 ではない。東条たちは、戦争指導者たちであって無名戦士ではない。

 自分たち、世界体制が東条たちの首を吊ったのに、そこに、どうやって、外国の元首たちが、花輪を持って、哀悼の参詣をすることができるだろうか。世界中の国々の無名戦士の墓に、外国の元首(大統領、首相、国王)は、お参りするのだ。 このことを、日本人は、分かっていないのだ。誰も説明する者がいない。皆、愚かな日本国内の境域と、テレビ新聞の洗脳で、国民は、世界基準の知識、世界で通用している当たり前の思考、思想を、を全く教えられず、めくら(=盲目)にされたままだからだ。
(転載終わり)

まさに、総括し、論理的に説明していただくと、そういうことなのです。

一国の総理ともあろう御方が、世界とはどういうところか、が分かっておらず、世界の厳しさも分かっていない、甘やかされた坊やみたいな連中であり、その甘えきった態度が、どれぐらい自分たちの愚かさを、今、世界中に、満天下に晒(さら)しているかを分からずに、世界の舞台で裸踊りをしているのだという事実なのです。
我々庶民が現地でこつこつと積み上げた現地の人との信頼関係を、軽率な行為が、一瞬でぶち壊しにするのです。
日本人として、もっと祖国に誇りを持っていたいのに、一国の最高責任者が裸踊りも同然の状態なのです。
本当に情けなく悔しく辛い感情が湧きあがって来て当然だということを、自分で納得できたので、おかげさまで、気持が久しぶりに本当に晴れ晴れしました。(ただし、状況は変わっていないので、問題はそのままですが。)

また、知人や友人の素朴な疑問は、国際政治学的観点から解説いただくと、まさにそういうことだと思います。
世界体制が戦犯の首を吊ったのに、そこに、なぜ、元首が、花輪を持って、哀悼の参詣をすることができるだろうか。元首(大統領、首相、国王)がお参りするのは、世界中の国々の無名戦士の墓であるはずだ。
これが海外での通常の思考であり、どんな経緯や言い分があろうとも、結果的に海外から不信感を持たれるという結果になっているのは、まぎれもない事実です。

そして、大きな問題は、最近になればなるほど、明らかに日本の実際の国力すら、どんどん弱くなっているということです。
首相が踊ってはしゃいでいるだけなら、まだ良いのですが、そのうち、踊ることも出来ないくらいに国が弱体化するのではないかと本当に心配になります。
といいますのは、中国にいると本当に実感するのですが、日本のモノづくり産業、特に電機産業の凋落ぶりは著しく、多くの工場で閑古鳥が鳴いており、閉鎖もあいついでいます。
1980年代、1990年代には、SONYや松下などの電機関連企業は、その最先端の技術と高品質とデザインで中国でも大変尊敬を集めていました。
中国に技術指導に来る日本社員の仕事に対する情熱や誠実さ、モノづくりに対する姿勢や思想は、大変多くの中国の管理者や技術者を育成することに貢献したし、現地社員からも尊敬を集めていました。
さらには、優れた企業家であるSONYや松下の創業者は鄧小平から直々に招待され会談し、中国の産業政策に助言したことは、中年以上の中国人であれば多くの人が知っている事実です。
かつては、それほど、日本の電機産業は中国現地から尊敬を受けていました。
今でも、私が、日本のモノづくり企業の歴史やモノづくり思想について、話をすると、中国人スタッフは、本当に真剣な眼差しで聞いています。
しかし、世界の産業構造の大きな変化と生産分業化の急速な進行に対応しきれず、日本の電機産業をはじめとする多くのモノづくり産業が業績の悪化にあえいでいます。
日本の政府として、産業構造の再構築を促すような政策も行わず、生産を支援する政策も行わず、国力の根源である産業が弱体化するに任せている様には、非常に大きな不安を感じます。
このように、過去には確かに、日本も中国から尊敬される面も持っていたのです。
非常に立派な企業と企業家の貢献により、日本も中国から尊敬を受けていたのです。
やはり自分の行いを正し、自分の行いが本当に立派であれば、相手も分かってくれるということだと思います。
しかし、そのように貴重な日本の国力の根源である産業をも、現在、どんどん自ら破壊しているような気がしてなりません。
日本国内では、アベノミクスで景気が良くなったと浮かれているとのことですが、これは目先の数年だけ浮かれさせられて、その後は地獄が待っていることは、副島先生が看破されています。

そして、副島先生著作の「安部晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」から引用させてください:

(転載始め)
「安部晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」

このように、小泉がはじめた数年前からの靖国参拝の政争化の狂騒は、日本の対外的・外交的関係としても、絶対にやるべきではなかった。私たちは、アジア諸国の怒りと不安を本当に掻き立てたのだ、と知らなければ済まない。

首相の靖国参拝問題(小泉の狂騒)はまさしく、子供の火遊びであり、児戯であった。それがどれくらい今の日本を結果的に追い詰めたかを、率先して音頭を取った人々は深く反省しなければならない。

ただひたすら、アメリカに対して、忍従の構えで、這い蹲り、土下座して、ただただ政府資金と国内大企業群(への株式乗っ取り支配)と、国民の資金を差し出すだけであった。
このような私たち日本側からのアメリカへの世界一忠実な属国としての屈辱的な対応が、中国や韓国やアジア諸国から見たら、あまりもの屈辱に見えた。だから、「日本は、あんなにもアメリカの言いなりの国なのか。あれでは奴隷国家だ」と、中国の指導者たちは思った。それで、「今の日本なんか、相手にもならない。戦前の強大だった日本とはどうもちがうようだぞ」ということになった。それで、日本は、今の中国の指導者たちから、低く扱われ、すっかり舐められるようになったのだ。そして、東アジアにおけるメインプレーヤー(交渉大国)の地位を、この「2006年のヤスクニ火遊び」を契機として、ものの見事にあっさりと失ったのである。
(転載終わり)

昨年末の安倍首相靖国参拝時の中国現地での実体験で、私の中に湧きあがった情けなさ、苦々しさ、悔しさ、悲しさ、不安、という感情の根源は、まさにこれらの記述が総括してくださったことであると思います。
絶対にやるべきではないことを、やっているということを本当に分かってほしいし、如何に日本を追い詰めているかを、本当に自覚し、本当に反省してほしいと痛切に思います。
そして、かつては尊敬されていた面も多々あったのに、それをどんどん自ら破壊し、自らをどんどん弱体化させ、自らどんどん馬鹿にされる方向に突っ走っています。本当に情けない気持ちでいっぱいになるし、本当に悔しく、悲しく、不安を感じさせる状況です。

最後に、例の彼の数日後の話をします。
彼は、個人的にキツイ目に会ったので、少し反中的な感情が芽生えただけで、もともと明るい性格で、公正なものの見方を出来る人間です。
そして、サッカー観戦が大好きなのですが、数日後に非常に嬉しそうな顔をして私のところに来ました。彼が言うには、「もともと中国のサポーターは自国のチーム以外を良く言ったりはしないのですが、最近、中国では、日本チームが、そのフェアでストイックな姿勢と高い技術で尊敬を集めるようになっています。」とても嬉しそうでした。
私から言われたことを数日間、彼なりに、考えて咀嚼した結果だと思ったので、
「やはり自分の行いを正し、自分の行いが本当に立派であれば、相手も分かってくれるということ。我々も日本の武士の代表として頑張ろうな。」と言うと、
「はい!自分も、これからもっと頑張ります!」と晴れやかな表情で言ってくれました。


今回の副島先生の安倍首相靖国参拝問題関連評論文が、私の体験的感情に対して、明晰な論理的思考の道筋をつけてくださったということ、
一国の総理の靖国参拝を契機として、国際的最前線の現場で起こったささやかな人間模様とドラマを参考までに皆さまにお伝えしたかったことから、
以上、長々と書き連ねさせていただきました。
もし、副島先生の著作や論文の引用について、私の曲解がございましたら、ご指摘・ご指導を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

ありがとうございます。

薄桜鬼 拝

by めい (2014-02-08 10:47) 

めい

「安倍首相の靖国参拝を境に、世界の日本を見る目がガラリと変わった」
http://toneri2672.blog.fc2.com/

   *   *   *   *   *

それを言っちゃあおしめえよ


紹介が遅れたが、現代ビジネスがなかなか良い記事を載せていたので紹介したい。
インテリジェンス対談手嶋龍一×佐藤優
この問題の考え方で「知の武装」レベルがわかる

亀さんは「首相の靖国参拝」と題した記事を、去年の暮れの12月27日に書き、安倍首相の靖国参拝に強い懸念を示した。その亀さんの懸念を分かりやすい形で示してくれたのが、上記の手嶋龍一×佐藤優記事なのだ。

当時、大勢の人たちが安倍首相の靖国参拝にやんやと喝采したが、その後の安倍首相の民意を無視した政に、気づきはじめた人たちが増えてきているのではないだろうか…。

しかし、未だに事の深刻さに気付いていないのは自民党のお偉方なのかもしれない。アメリカ大使館の声明「disappointed(失望した)」の意味する深刻さが分からないお偉方、日本の政体も墜ちたものだ。
週刊現代 靖国問題の核心は、米国の出方です。彼らは強い違和感を表明しています。

佐藤 ええ。それなのに、自民党防衛族の政治家は希望的観測に縋って、「米国の声明のdisappointed(失望した)という単語は、それほど強い意味ではないから、きっと米国は怒っていない」などと言っています。外交上のシグナルを正確に受け止められなくなっている。

手嶋 靖国参拝の当日、在日米大使館が声明を出した直後に、多くのメディアの取材を受けてワシントンの厳しい空気を伝えました。しかし彼らは皆「米国側には参拝直前に伝えていた。米国の声明は大使館レベルのものだから、米政府の意向ということにはならない」と反論するんです。どの社も同じ情報源、つまり官邸の統制を受けている。情けないことです。

佐藤 官邸の情報操作ですね。ワシントンはその後すぐに「米国政府は失望している」と国務省レベルで声明を出しています。

各国はふつう、「こんないい加減な分析しかできない奴らが、日本の政治家や知識層にこれほど多いはずがない」と考える。つまり、「日本はわざと的外れなことを言って、ディスインフォメーション(偽情報)を流そうとしている。悪辣だ」という解釈をされてしまうわけです。単に能力の問題であるにもかかわらず。

ともあれ、安倍首相の靖国参拝を境に、世界の日本を見る目がガラリと変わったことを、上記の記事を通じて知っておくべきだと思う。

by めい (2014-04-13 08:55) 

めい

昭和天皇実録:靖国神社不参拝の経緯…「富田メモ」を追認(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/14/senkyo171/msg/171.html
投稿者 かさっこ地蔵 日時 2014 年 9 月 09 日 19:34:43: AtMSjtXKW4rJY

http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20140909k0000m040143000c.html
毎日新聞 2014年09月09日 05時03分(最終更新 09月09日 08時09分)

 宮内庁は9日、昭和天皇の87年の生涯を記録した「昭和天皇実録」を公開した。この中で、天皇が靖国神社に参拝しないのは、A級戦犯の合祀(ごうし)が理由だと天皇自身が話したとする富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官(当時、故人)のメモ(富田メモ)と符合する記述があったことが分かった。メモの中身には触れていないが、その存在と内容を報じた日本経済新聞の報道があったことをあえて記述した上、メモを出典として明示していることなどから実質的にメモの中身を追認したと受け止められる。

 実録は、昭和天皇の日々の動静の公式記録で、同庁が1990年から24年余りかけて編さんした。作業には、非公開の内部文書や戦前に侍従長を務めた百武(ひゃくたけ)三郎の日記など約40件の新史料を含む3152件の史料が使われたが、歴史の通説を覆す記述はないとみられる。

 体裁は和とじ本で計61冊、約1万2000ページ。黒塗りはなく全文公表され、8月21日に天皇、皇后両陛下に奉呈(提出)されていた。

 焦点となったのは88(昭和63)年4月28日の記述。同日午前、皇居・吹上御所で富田長官と面会したことが記され、「靖国神社におけるいわゆるA級戦犯の合祀、御参拝について述べられる」とある。内容の詳細は書かれていないが、続けて「なお、平成18年には、富田長官のメモとされる資料について『日本経済新聞』が報道する」と記載されていた。

 この報道は、2006年7月20日付同紙朝刊が「富田長官が残したメモから、昭和天皇がA級戦犯を合祀した靖国神社に強い不快感を示し、『だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』と長官に語っていたことが判明」と報じたもの。実際、天皇は1978年のA級戦犯合祀以降は参拝をしていない。

 新聞報道を記載したことに対して、同庁は実録の説明の中で「社会的な反響、影響が大きかったことから報道があったという事実を掲載した」と述べ、「メモの解釈はさまざまで、A級戦犯合祀と昭和天皇の靖国神社不参拝をとらえた富田メモや報道内容を是認したわけではない」としている。

 しかし一方で、質疑の中では「(天皇と富田長官との面会と報道は)全く無関係というわけではない」ともしている。

 また、実録は天皇の動静を記述する依拠史料として、富田メモを約180回にわたり引用。87年は65回、88年も51回と多用しており、史料としての価値を認めている。

 古川隆久・日本大教授(日本近現代史)は「昭和天皇が靖国参拝問題について側近に話したことが記載され、出典も明示されたということは、話した内容まで掲載されていなくても事実上認めていることと同じだ」としている。

 また、天皇が終戦直後、米軍による沖縄の軍事占領継続を希望したとされる「沖縄メッセージ」については、実録は47年9月19日、連合国軍総司令部幹部の報告内容として紹介している。【真鍋光之、古関俊樹】

 ◇富田メモ

 宮内庁長官を務めた富田朝彦(1920~2003年)が、昭和天皇の発言を書き留めたとされるメモ。靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に天皇が不快感を示し、参拝を取りやめたと読み取れる記述があり、06年に報道で明らかになった後、分祀して「天皇参拝」が可能な状況にすべきだとの分祀論が活発化。ただ、記載の読み取り方などに異論もあり、宮内庁はこれまで、記載内容の評価などは示していなかった。

by めい (2014-09-10 04:58) 

めい

昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀への怒りを詠んだ未発表の歌が...それでも参拝する安倍内閣は“逆賊の集団“か!?
リテラ / 2015年8月15日 19時30分
http://news.infoseek.co.jp/article/litera_2653/?p=1

 終戦記念日の8月15日、またぞろ恒例の閣僚による靖国参拝が実施された。予想通り、高市早苗総務相に有村治子少子化担当相、次期総理説も出ている稲田朋美自民党政調会長も参拝した。安倍首相も本人の参拝こそ見送ったが、例の言論弾圧の先兵・萩生田光一首相特別補佐を名代にたてて、玉串料をおさめた。

 しかし、この底の浅い歴史修正主義者たちは、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀を嘆いたこんな歌を詠んだことを知っているのだろうか。

〈靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか〉

「靖国の名にそむきまつれる」というのはかなり激烈な表現だが、実はこの歌は正式には発表されていない。その存在を明らかにしたのは、朝日新聞の元宮内庁担当記者・岩井克己氏だ。

 岩井氏は記者時代、「皇太子ご夫妻訪韓延期」「礼宮さま婚約」「雅子さま懐妊」など、数々のスクープを手がけた一方、皇室への深い造詣と該博な歴史の知識でも知られている元皇室記者だ。とくに昭和天皇の側近中の側近である徳川義寛侍従長(当時)から厚い信頼を受け、徳川の死後、その生前の証言をまとめた聞き書き『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(朝日新聞社/1997年)を出版している。

 岩井氏は現在、月刊情報誌「選択」(選択出版)で、「皇室の風」という連載をもっているのだが、今から2年半前の2013年2月号で徳川侍従長とのこんなエピソードを公開して、上記の歌を紹介したのだ。

〈筆者は聞き書きの最中、生前の徳川から御製集(天皇の短歌や詩作集)『おほうなばら』を数日間貸してもらったことがある。ページをめくっていると、小さな短冊がはさんであるのに気づいた。鉛筆の走り書きである。後日尋ねると「発表をとりやめた歌です」と答えた。「これこそが昭和天皇の元の御製に違いない」と思った。〉

 岩井氏の指摘はかなり信憑性の高いものだ。周知のように、1978年、靖国神社が松平永芳宮司の手でA級戦犯合祀を行って以来、昭和天皇は靖国参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていない。

 そして、2006年、日経新聞が元宮内庁長官・富田朝彦が遺した1988年4月28日のメモに、昭和天皇のこんな言葉が記されていることをスクープした。

〈私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉

昭和天皇は、明らかに靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感をもっており、それが参拝拒否の原因だった。

 また、昭和天皇には、発表された御製(天皇の短歌や詩作)のなかにも、靖国神社のA級戦犯合祀を憂えた歌がある。1986年8月15日に詠まれたもので、1990年に出版された御製集『おほうなばら』(読売新聞社)に採録された歌だ。

〈この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし〉 

 この歌については、天皇の歌の相談役をつとめていた歌人・岡野弘彦が『昭和天皇御製 四季の歌』(同朋舎メディアプラン)の解説のなかで、当時、徳川からこんな説明を受けたことを紹介している。

「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇はA級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つあって、一つは国のために戦に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮める神社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つはあの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲にしていただいたのです」

 つまり、冒頭で紹介した未発表の〈靖国の名にそむき...〉という歌は、1990年に発表され、徳川が「婉曲にしていただいた」と語った御製〈この年のこの日にも...〉の元歌だった可能性が非常に高いのだ。発表された御製でも不快感は十分伝わってくるが、昭和天皇のA級戦犯合祀への怒りはもっと激しかったといえるだろう。

 徳川は岩井氏による聞き書き『侍従長の遺言』でも、〈合祀がおかしいとも、それでごたつくのがおかしいとも、どちらともとれるようなものに整えさせていただいた。(中略)それなのに合祀賛成派の人たちは都合のよいように曲解した〉と批判していた。つまり、徳川は昭和天皇の真意をねじ曲げるA級戦犯擁護派を牽制するために、元歌をあえて岩井氏に託した、ということなのかもしれない。

 しかし、これだけの事実があっても、安倍政権の歴史修正主義者たちは今も、昭和天皇がA級戦犯合祀に怒っていたという事実から目を背け、靖国参拝を続けている。そして、安倍政権をバックアップする右派メディアは昭和天皇の不快感を示した富田メモをでっちあげだと言い張り、発表された御製についても、A級参拝でなく、靖国参拝反対の動きへの不快感を示されたものだなどという嘘をふりまいている。とにかくA級戦犯を擁護したくてたまらないのだ。

 だが、彼らはA級戦犯合祀を肯定することがイコール天皇否定につながることをわかっているのだろうか。この倒錯を指摘したのは、昨日も本サイトで紹介した保阪正康氏の『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)だ。

 保阪氏によると、松平永芳宮司(当時)がA級戦犯の靖国神社合祀を押し切った背景にあるのは、太平洋戦争が終わったのは軍事的には1945(昭和20)年8月15日だが、政治的に終わったのは1952(昭和27)年4月28日、つまりサンフランシスコ講和条約発効の日であるという認識だ。

 つまり、松平は占領期の6年8カ月を太平洋戦争の「政治の戦争」であり、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯を「政治の戦争」による戦死だと見なす。だから、靖国神社に合祀したという理屈なのだ。

 しかし、占領期をアメリカ中心の連合国との政治的戦争だったとすると、GHQを受け入れた吉田茂元首相は"敵国アメリカ"の傀儡政権であり、昭和天皇も戦勝国に屈服した"傀儡天皇"として、糾弾される存在になってしまう。

 まったく現実が見えていない妄想的な歴史認識だが、しかし、靖国参拝にこだわり、日本国憲法を「占領憲法」「押しつけ憲法」とする安倍首相たちの姿勢は、この松平宮司の歴史観の延長線上にある。彼らは、占領期を屈辱と感じ、それを受け入れた昭和天皇を心の底では傀儡とみなしているということだろう。

 これで、「天皇中心の国家をつくる」などと標榜しているのだから唖然とするが、ようは連中の考え方は、自分たちの戦争推進、侵略肯定、国民の人権制限への欲望を天皇という存在を借りて正当化しようとしているだけなのである。だから、自分たちの欲望を否定する天皇の存在などは平気で無視することができる──。

 そういう意味では、安倍政権に群がる連中はまさに戦前の軍部と同じ、もはや「保守」ですらないのかもしれない。
(エンジョウトオル)

by めい (2015-08-21 22:07) 

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