藤森平司先生講演メモ「見守る保育―主体性を育てる」(3) [幼稚園]
◎母子孤立化の危機
3歳までの育休。その子供達はどういう環境の中で育てられるか。
昔の部族のような中で育てられるのなら大賛成。
しかし家族のいない娘の場合。→ 赤ちゃんが一人で寝かされている。赤ちゃんが泣くと近所から苦情を言われる。
泣くことは、言葉を発声するために極めて重要。泣くことで息継ぎを覚えてそれが言葉となる。
泣き声は騒音、という最近の風潮→ 泣かすことができない
みんなで食事をしない。
ハイハイする広さがあまりないマンションの一室。
そういう中で育てられていると人と関わることがない。関わる力が育たない。
昔はいろんな人の出入りがあったのに、娘の家にくるのは宅急便のお兄ちゃんだけ。
赤ちゃんがいる間外出がたいへんなのでネット販売の利用が多くなり、外に出る機会もどんどん減ってゆく。
人に会わない。
この状況で3歳までをすごさせるということがどういうことか。
これはとても危険なことだと思う。
娘の子供。非常に好奇心が強く、あちこち歩き回りたがる子供だったのに、毎日一人で寝せられているうちに日ごとに無気力になってゆく。→ できるだけ子供のいるところに連れてゆきなさい。子育て支援センターなど。しかしそういうところがない。公園に行っても子供がいない。ようやく見つけた場所が塾。しかしそこは週一回。これで果たしてもつのだろうか。
3歳までの育休をとらせるのだったら、その受け皿を地域に作ってあげなければならない。
そうしないと母子はどんどん孤立していってしまう。子供の育ちが大変なことになってしまう。
社会の一員として子供を育てることでホモサピエンスは生き残ってきた。
数あるヒト属の中で、ホモサピエンスはその傾向がいちばん強かった。
ネアンデルタール人は体力、運動能力をつけた。しかし、滅びた。
ホモサピエンスの生存戦略のみが成功した。社会を作り、協力しあうこと。人と人との関係の中で生きる力を養うこと、その結果としての勝利。
われわれはそのホモサピエンスの遺伝子を受け継いでいる。
私たちは「協力しあう」ということを思い出さなないといけない。
人は一人では生きてゆけないことをあらためて思い起こさせられたのが東北大震災。
ホモサピエンスは一人で生きてゆくようにはできていない。
それを学ぶために赤ちゃんは小さいうちから多くの人と交わることが大切。母子関係だけではダメ。
娘の行っている子育て支援センター。昔の相談は「おむつがなかなかとれない」→今は「言葉が出ない」
大声で泣かせない。人との関わりがない。
もともと人同士で生きてゆくイキモノであるホモサピエンス。
このことを法的に整備すべきが本来の制度であるべき。
孤立させてゆくような制度ではなく。子供はどういう環境で育つべきかのきちっとした議論が必要。
幼稚園がいい、保育園がいいというような議論ではなくて、どんな環境がいいかと言う議論をしないとダメ。
家でも保育園でも幼稚園でも、どの場所にあっても子供にとって必要な環境を用意すべき。
そのことを現場から発信すべき。
子供にとっての正常な「発達」が人類にとっての正常な「進化」となる。
そういう中で幼児期を過ごしてはじめて8歳頃からの知識の吸収が可能となる。
世界の趨勢で幼児教育とは8歳までを言う。
臨界期以前の知識はすぐ覚えるがすぐ忘れる。
赤ちゃん学会 赤ちゃんにものをあげる時、自分の国の言葉でくれる人からものをもらう。
母国語という基本が必要。バイリンガルではどうなるか。
基本をつくるまでが幼児教育。
絶対音階を身につけさせるのは5歳までという。
では、絶対音階は必要か。
絶対音階を持っていると生きにくい。音階から外れた歌を聞くと気持ち悪くなる。一般の人の音階に合わせることができない。
ほとんどの人は相対音階。絶対音階ではみんなに合わせて歌を歌うことができない。
赤ちゃんを保育者が育てるよりも祖父母が育てる方が語彙が豊富になるという研究結果。
しかしそもそもこの年齢で語彙が豊富になることが必要か。
語彙の豊富な子供程、後で学力が下がる。
幼児期に必要なことは、語彙を覚えることよりも、知らないことへの興味。
不思議に思う心、好奇心、なぜなのか、どうしてなのか、そのことが後の学力に繋がる。
保育者と共に吉良邸散策。「この橋が吉良上野介の首をもって渡った橋だよ。」
半数の保育者が忠臣蔵を知らない。
「知らない方が保育者としての資質がある。知っていればああそうで終わるけれども、知らないことで『それ何?』と知ろうとする行動が始まる。その行動こそが幼児期の子供には大切」
保育者の資質は、なんでだろうか、どうしてだろうかという好奇心の働き。
この遺伝子こそがホモサピエンスたるゆえん。
これがあるからホモサピエンスがアフリカから始まって世界中に散らばっていった。
→赤ちゃんが部屋から出て行きたがるわけ。これがあるから人類は生き延びることができる。「行っちゃダメ」は、人類として存続するための遺伝子の働きを否定すること。
危険ということに対して
出て行っても安全な状態にしておくこと。
出て行ってダメな場所とはどこまでか。園内全てを「部屋」と考えれば・・・
「ダメ」は保育者の頭の中でつくっているもの。
赤ちゃんは、必要のないことはやらない。赤ちゃんがやりたいこと、やろうとしていることをどうやって安全にやらせてあげる環境を整えるのが保育の専門家の役割。
「ダメ」というなら素人でもできる。
場所をつくる→人間としての本来の力を発揮させる。
われわれが受け継いでいる遺伝子を十全に活動できるような環境を整えること。
「幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする。」(学校教育法第77条)
◎子ども集団の大切さ―共食の意味
環境というときの大きな要素が、子供同士の「集団」。
子供同士の関係がどれだけ重要かということが忘れられている。研究者は子供同士の関係は対象外。このことの大切さを発信できるのは現場のみ。
養成校から発達心理学、教育心理学という学問がなくなって保育の心理学に代わった。
発達心理学は一人の子供の追跡調査。お母さんにとってだけの関心事。
赤ちゃんの発達は多くの人との関わりの中で行なわれる。→現場の先生でなければ教えることができない。
食事の持つ意味。子供集団における意味はまったくちがう。子供一人が食べることとみんなで食べることの意味の違い。
共食こそが赤ちゃんを人間に育てるための学習の場。
一家団欒で食べることを通して、「がまんする力」を養う。
みんながそろうまで待つという時間。
東大生の調査。塾に行くよりスイミングに行っているのが多い。親に勉強しろと言われたことがない。がまんができる。
非行青少年の多くは一家団欒で食事をしていない。
少子化→待つことをさせようとしない。待たせることを恐れる。
ただし、待った結果いいことが起きないとダメ。食べ終わったら待たせることをしない。
待てる時間の個人差。その個人差がとてもありがたい。配膳の都合。
待てる子は早く来る。
待てない子はギリギリに来る。
目の前の給食→待つ間によだれが出る→よだれが虫歯菌を殺す。(食後の歯ブラシは虫歯にあまり関係ない。それよりよだれ効果が大きい)→虫歯が減った
しゃべりたい子は早く席についてしゃべっている。→「いただきます」をしてからもうあまりしゃべることがなくなっているので静かに食べる。
自然にさせると自然に物ごとが運ぶ。無理をするとどこかでほころびる。
年長。小学校への移行。時間割の導入。
担任はローテーション制。こわい先生、優しい先生いろんな担任があたる。
年長はお昼寝がないので年長担任は休憩できない。
学校に行ってから切ない思いをしないように。
ただし、学校の教科の先取りはしない。
早く知りたい、学びたいという好奇心を育てること→学校に早く行きたい
共食は人間以外はしない。待つことが出来るのが人間たるゆえん。
月に一度は0歳から6歳まで一緒に共食する日をつくっている。共食デー。
10人一チーム。一つの大皿からとりわける。
赤ちゃんは胃が小さいので共食の時間だけでは間に合わない→おやつの時間
みんなで、一緒に、社会性を身につけることがホモサピエンスにとって生きるために必要な能力。
◎ミラーニューロンの発見
20年ぐらい前に発見された「ミラーニューロン」。イタリアの学者が偶然に発見した神経細胞。
運動能力の研究中。人間にとってなぜ運動が必要か。
サルの食べ物を口に運ぶときの神経細胞に電極。
研究者があるものを手に取ろうとしたらサルの神経細胞が反応。
→他人の行動を鏡のように写し取る神経細胞。
この細胞のおかげで人類は急激に進化することになったということがわかった。
レモンを食べている人を見るだけで酸っぱくなる。
人が痛いのを見るとこっちも痛くなる。
共感→共有→共有
この脳(社会脳)は、0歳から2歳までの間に育つことがわかってきた。
この間に育たないと共感できない。
→痛がっている人を見て笑ってしまう。犯罪者。いじめ。
2歳までの間に子供同士の関わりが少ない。→社会脳が育たない。
赤ちゃんの人の表情を察知する能力。笑顔で話しかけることの大切さ。
視線を感じる能力。獲物を見る。赤ちゃんは見ることは好きできょろきょろするが、見られることはあまり好まない。恐れる。
表情と視線を掛け合わせる。表情を見て視線の先に何があるかを判断する。
赤ちゃんを園に慣れさせるいちばんの近道は、赤ちゃんのいちばん信頼している人を園に慣れさせること。園の人はみんな優しいよ、安心なところだよということをお母さんに伝えること。
赤ちゃんには顔を見て話しかけなければダメ。
ホモサピエンスは人と人との関係の中でいろんなところが育つ。
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「DNA発見に匹敵する世紀の大発見」ともいわれるミラーニューロンの発見
ミラーニューロン:「霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしていることを見て、我がことのように感じる共感能力を司っていると考えられている。」(ウィキペディア)
・誰かが転んでケガをするのを見たとき、思わず「痛っ!」。自分が転んでケガをしたときと同じ脳の領域が反応。
・「物まね細胞 ミラーニューロン」の働きで、他人の心理状態を自分の脳内で再現→他人の気持ちへの思いやり
・「ミラーニューロン」の形成は、生後間もない赤ん坊のときに既に始まっている。
・母親が笑いかけると、赤ん坊は笑い返す。また、母親が答えて笑う。この繰り返しにより、ミラーニューロンが、育まれ、これが、成長すると、他人の心理状態を理解する脳へと発展する。(共感能力の形成)
「私」とは見えない心の中にあるというのは大きな間違い。「我思う、ゆえに我あり」(デカルト)ではなくて「我なし得る、ゆえに我あり」(メルローポンティ)。「私」は身体と共にある。
「人の心はお互いみんなお見通し!」と思っていた方がいい。身体にあらわれるちょっとした仕ぐさからすべてを読み取ってしまうミラーニューロン。
(以下はアマゾンレビューから)
自分を大切にする人は、周囲の人を大切にする人, 2009/8/12 Isolde (東京都新宿区)
ミラーニューロンの発見―「物まね細胞」が明かす驚きの脳科学 (ハヤカワ新書juice) (単行本)
自分を知りたければ、自分の周りの人を見てみること。自分が他人にしてほしいと思うことを、他人にしてあげること。他人の幸福を喜ぶことが、自分を幸福に導く。なんとなく真実らしく語られてきたこれらのことが、ミラーニューロンの発見によって科学的に裏付けられた。
誰かに会ったときは、まず自分から笑顔であいさつをしてみる。あなたの笑顔を見た相手の脳の中では、ミラーニューロンがあなたの表情をそっくりそのままシミュレーションして、相手は幸せな気分になるとともに、あなたに笑顔を返す。相手のこれらの行動は、ほとんど本人の意識的なコントロールが及ばないうちに行われる。笑顔を作っただけですでにいくぶん幸福感を感じていたあなたは、相手の笑顔を見てさらに幸福になる。
この逆のことも起こりえる。楽観的な気分で歩いていた友人が、たまたま道であなたに出会ったとする。あなたは、昨日起こったイヤな出来事が頭から離れず、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。友人の脳の中でミラーニューロンがあなたのしかめっ面をシミュレーションする。友人もイヤな気分になって、眉間にしわを寄せた顔をあなたに向ける。その顔を見て、あなたはますます暗い気分になる。
簡単に言えば、ミラーニューロンはこんなことをするらしい。人間には他人の喜びを自分の喜びと感じたり、他人の痛みをあたかも自分の痛みであるかのように感じる能力があるのだ。周りの人を大切にする人は、自分を大切にする人でもある。この本は、科学的根拠に基づいて、そのことを実感させてくれる。
◎少子化問題よりも税金を納めない人の増加が深刻な問題
2歳までにこういう環境を用意できるのは、いま保育園しかない。
娘「働かなくても行ける保育園はないかしら」
ただし、10時間も赤ちゃんを保育園に預けっぱなしはあまりにも長過ぎる。
育児時間の保証。ワークシェアリング。職場がそこまで許すかどうか。
オランダ、ベルギーまでに日本がゆけるかどうか。
息子の子供。1年半の育休。4時退社。しかしこれを言ったら保育園には入れない。
家で子育てする人も働きながら子育てする人もみんなたいへん。→子供に歪み
ほんとうに生きてゆくための力をつける子育てをするにはどうすればいいか。どうやってそういう環境を用意すればいいか。
学童で待機児童。→区との話し合い
「子供の自立は一人で留守番が出来るようになることではありません。社会の中で子供同士の関係が築けることが自立です。いつでも子供集団で過ごせる場所をつくることが必要。そういう場所が地域になさすぎる。」
子供中心に過ごせる環境(場所、施設)がないと、将来その子たちが大人になったときに、ひきこもり、現代鬱病、いじめ、社会に対する破壊的行動。→税金を納めない大人の増加。
少子化対策は子供を増やすことではない。税金を納める人を増やすためにどうすればいいかということで考えてゆかねばならない。70万の引きこもり。親の金を使っての生活。親が死んだら若い人がその人を面倒見なければならない。潜在的には150万人とも。
◎どうあるべきかを考える保育―いま現場には提言してゆく責任がある
これからはどういう保育が必要なのかを、現場の発想を取り込みながら、新たな視点から考えて制度化してゆかねばならない。先ず制度ありきからの発想ではダメ。
子どもにとってどのような環境が必要なのかを私たちから訴えていかなければならない。
乳幼児教育がどれだけ重要か。
これまでは学問が分断されていた。
縦割りの中で、乳幼児教育はあとまわし。乳幼児心理もあとまわし。
広い視野に立って人類の進化の観点から見れば、乳幼児段階の重要さが解る。
乳幼児の成長にとって、家族が地域が施設がどうあるべきかを現場から提言してゆくことが大切。
いまは行政に圧されてしまっている。
行政の関心は安全と? 。 まずもって事故がないことが第一。
発達にはどういう環境が必要かということについての理論をもっていなければならない。
「子どもは宝」と言っていただけではダメ。データと理論が必要。
リズムによる非言語コミュニケーション→言語獲得の前段階(アフリカの太鼓のリズム)
社会脳が最近話題になっており、その重要性が言われていますが、その社会脳はいつごろ、どのような環境の中で育って行くのでしょうか。私の園で、職員がこんな動画を撮って見せてくれました。「あるまだ歩けない赤ちゃんが、中にビーズを入れたペットボトルを振って、マラカスのように音を出して楽しみ始めました。すると、このこと丸くなって座っていた同じくらいの月齢の二人の赤ちゃんがやはり手に持ったペットボトルを振り始めました。その振り方をよく見ると、この赤ちゃんたちは、他の子の音を聞きながらそれに合わせて振っているように見えます。あたかも、赤ちゃん同士で合奏しているかのようです。」(2012.6.16)
このことを赤ちゃん学会で発表したころが研究者が驚く。
子ども達はなにをしたがっているのだろうか。
これによってどんなことを獲得しようとしているのだろうか。
そのために何をしてあげられるのだろうか。
そういうことを考えながら保育に取り組むことが保育の専門性。
保育士は国家資格になったわけですから、ただ面倒を見ればいいというものではない。
保育士だけでなく、子どもに関わる職員全部が保育者として保育の専門家としての責任を持つこと。
全員一緒になって、保育に何が必要かを日々問いながら保育にあたっていっていただきたい。
それが制度として確立してゆくようになるといい。
そういうことを研究者に行政に発信することを目指しつつ保育に取組めるようになると、勉強にもなるし、またそれが楽しくもなる。好奇心をもって取り組むことが子どもにもいい影響を与えることにつながるし、また何より保育が楽しくなることがいちばんすばらしい。
(おわり)
子育てで大事なこと。
「無責任なほめ言葉は感情にまかせた叱責と同じで危険なのだ。」マドモアゼル愛さんの言葉です。これまであまり言われることのなかったけれども、ものすごく大事なことを言っておられます。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi
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■ 深海魚 New! 2014年01月27日(MON)
昔、深海魚の番組をテレビで見た。
ありえないような形態、、色彩、、特徴、、まるで人が想像できる限界をさらに超えたような特殊性の連続だった。
それは個性なんてものではなく、奇跡そのもの。なんでこんな形をした生物がいるのだろう、、、なにを思ってそうしているのだろう、、とにかく驚きの連続。
そして最後には、何だっていいんだ、、、答なんてないんだ、、、どう生きたっていいんだ。という思いが強くなる、いい番組でした。
深海魚は私たちのセンスとかけ離れた世界でしたが、それでいて、遺伝子的には、人間とほとんど変わらない、、、
ひょっとすると、私たちの中にも自由な可能性がほんとはねむっているのではないだろうか。今さら深海魚にはなれないけど、それと近い生き方、、表現の仕方、、個性は持てるのではないか。
形は人間でも深海魚以上に深海魚らしい意識に到達することは可能なのではないか。
自分を飾り立てる扇子のようなひらひらを無数に持って、しゃなりしゃなりと歩く、ではない、泳ぐ深海魚がいたが、それは夜の銀座のママのようにも見える。
銀座のクラブで成功したママには、きっと深海魚以上に深海魚らしい人がきっといるのではないかしら。
自分がどういう人間かを決めるのは、外部ではなく、周囲の人ではなく、やっぱり自分なのだと思う。
先生や上司、友人たちに、「君は大物だな、、、」
なんて言われたとしたら、これはかなり危機だと思う。
私はそんなことは言われたことがないけど、もし中学生くらいで、先生からそんな風にほめられたとしたら、かなり危険が出てくる。
まだ、未熟な若者に大物も何もあったものではない。しかし先生がそういえば、そんなものかと思ってしまう。
そのほめ言葉につい寄りかかる。その言葉が防波堤になって、自分のイメージを守り出す。
そしたらもうおしまいじゃないか、、、少なくとも現実の壁に完全にぶつかるまで、彼は先生に褒められた自分のイメージに寄りかかって成長の機会を失うことだろう。
日本人はとくにほめられるとそのイメージによりかかって自分を守りだす傾向が強いと感じる。
あたら若い大切な時を、自己イメージを守ることにあててしまい、成長の機会を奪われる悲劇が多い気がしてならない。
無責任なほめ言葉は感情にまかせた叱責と同じで危険なのだ。
ほめ言葉は事実に沿っている場合のみ有効だが、大体は人を操作するために使われる。人を操作するのは、基本的に暴力と同じなので、人を都合良く使う為の褒め言葉は暴力なのだ。
人が勝ってに作ったイメージに左右されると人は成長できなくなる。
その点、深海魚は本当に自由に立派に自分を出している。自分は何か、、、は自分にしか本当はわからない。
だが人はその人が隠している無意識はよく読めるので、その人の弱点をつき、操作しようとするずるい人がいるのだ。
そして多くの人が操作され、操作されているともわからずに、自分の人生をゆずって行ってしまう。
これではいざとなったら死にきれないし、操作の及ばない場所では、人が変わったように影の部分を見せるようになる。
このところ、無愛想で自分勝手な老人が多いという意見を聞く。老人はきっとほめ言葉を信じて操作されてきたのだと思う。長い年月の間。
どこかおかしいと思いつつ、、だから不機嫌。
わたしたちはどうせ死ぬのだから、銀座の深海魚ママを目指した方がまだいいのです。
人の褒め言葉と自分の事実が相撲を取って、自分の負けを認めるのはいつの日か、、、負けを認めたその日に無責任なほめ言葉の魔法は解けてしまうけど、その日が実は、発展の初日となる道理。
光が一切とどかない海の底で、誰からも見てもらえないと分かってるにも関わらず、まるで銀座のママのようにおしゃれしている深海魚。大切なのは、自分の意識であり、そうやって振る舞っているのが嬉しいのです。
誰か私を見て、お願い見て、、、からの卒業式を済ませましょう。かっこうの良いネクタイも、腕に光る宝石も、それを見ているのは自分だけだとしてもいいのです。
by めい (2014-01-29 07:09)