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ケネディ大使に第二信「鷹山公『伝国の辞』除幕式にぜひお出で下さい」 [上杉鷹山]

ケネディ大使招聘に向けて、山形県と米沢市、それに山形市までもがタッグを組んでの具体的な動きが出てきました。12月13日読売新聞が詳しく紹介しています。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20131212-OYT8T01373.htm

キャロライン・ケネディ駐日米大使が「父(ジョン・F・ケネディ元大統領)は上杉鷹山を尊敬していた」と発言したことを受け、県を挙げてケネディ氏を本県に招待しようという動きが本格化している。12日には県と米沢市の代表者が、知事と市長名の招請状を在日米大使館(東京・赤坂)に届けた。鷹山のおひざ元の同市では、市と経済界が連携し、準備を進めていくことを確認した。

 大使館を訪問したのは、県経済交流課国際室の島貫誠室長と米沢観光物産協会の小島弥左衛門会長。招請状は知事と米沢、山形各市長名の3通で、コリン・ファースト1等書記官に手渡した。同室によると、書記官からは「招請状は大使に手渡す。今後、交流を深めていきましょう」との趣旨の発言があったという。

 招請状で吉村知事は「大使が講演で上杉鷹山をご紹介いただいたことで、県民は大きな喜びと感動をいただきました」と謝辞を伝えた上で、「ケネディ大統領が派遣したライシャワー元駐日米大使が、本県のことを自然と人間が健全なバランスを取っている『もう一つの日本』と称賛してくださいました」と本県との縁を強調した。

 また、ケネディ氏が女性として初の駐日米大使であることに触れ、「私も東北地方で初、全国で3番目の女性知事として、女性の地位向上に高い関心があります」とアピールした。

 県国際室によると、ライシャワー氏の訪問を記念した石碑が山形市山寺にあることから、同市も招請状を出すことになったという。

日米協会・在日米国商工会議所主催の昼食会で講演するキャロライン・ケネディ駐日米大使(11月27日、東京都内で)

 米沢市は、安部三十郎市長が先月25日の記者会見で、ケネディ元大統領が尊敬する日本人として鷹山を挙げていたという言い伝えがあることを理由に、いち早くケネディ大使を招く意向を表明。その直後の27日に、元大統領が鷹山を尊敬していたとするケネディ氏の発言が飛び込んできた。

 「市民が尊敬する鷹山を公の場でお話いただき、大変うれしく思います。鷹山が治めた地・米沢への来訪に期待が膨らんでいます」と呼びかける内容の招請状には、鷹山の肖像をかたどった金属製のしおりも添えられた。市の担当者は「大使が常に身近に置いて、米沢に思いをはせてもらえれば」と願いを込める。

 市は12日、米沢商工会議所と米沢観光物産協会の代表者と協議し、招請活動に向けて連携を強化していくことを確認。大使側の返事を待って、歓迎行事の準備などを具体化させるとしている。安部市長は「大使の発言で、言い伝えが本当だと分かって良かった。実現に向けて、やれることは全部やっていきたい」と意気込みを語った。

(2013年12月13日  読売新聞)
公的な動きが出てきたのはほんとうに心強い。小島弥左衛門会長はわれわれの顧問になっていただいている方です。
白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会も、第一信につづき、12月12日第二信を出したところでした。
   *   *   *   *   *

キャロライン・ケネディ駐日米大使 様


謹啓

 2013年も後わずかになりました。ご着任以来の報道に接し、世界平和日米親善友好のための御公務に対し深く敬意と感謝を表します。


 さて、先月22日に突然お手紙差し上げたいへん恐縮でした。また、当地産ラ・フランスはお気に召してはいただけたでしょうか。

 実は、その後間もなく、貴大使のご講演の中で「父ケネディ大統領、上杉鷹山を称賛」との報道に接し、私ども「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」一同驚喜したところでございます。といいますのも、私どもの手紙がきっかけの御発言かもしれないということもありますが、それ以上に、ケネディ大統領が尊敬している政治家として鷹山公をあげられたのは風聞にすぎないという空気を一変していただく御発言だったからです。「ケネディ大統領は鷹山公を尊敬していた」ことを娘さんに認めていただいたこと、この上なくうれしくありがたいことでした。

 この喜びはもちろん私どもだけではなく、地元あげての喜びでした。米沢周辺地域だけでなく、山形県中大喜びで、吉村美栄子県知事も招聘に向けて県をあげて取組む意向を示しておられるようです。いずれ山形県及び米沢市等から正式な招聘があるかと思われますが、その際先のお手紙にて申し上げましたように、来年513日の「伝国の辞」碑除幕式に合わせた日程をご検討いただきたく、あらためてお手紙差し上げる次第です。何卒よろしくお願い申し上げます。


 ケネディ大統領の就任演説の中に次の一節がありました。


今、われわれを召集するラッパが再び鳴っている。それは、武器は必要ではあるが、武器を取れとの合 図ではない。われわれは闘争の中にあるが、戦闘に参加せよとの呼びかけでもない。それは、年々歳々、 「希望に胸躍らせ、苦難に耐えて」長いたそがれの闘いの重荷を引き受けよ、との呼びかけである。その 闘争は、人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘いである。

Now the trumpet summons us again -- not as a call to bear arms, though arms we need -- not as a call to battle, though embattled we are -- but a call to bear the burden of a long twilight struggle, year in and year out, "rejoicing in hope, patient in tribulation" -- a struggle against the common enemies of man: tyranny, poverty, disease, and war itself.


 鷹山公は、われわれの小さな地域の中のことではありますが、まさにこの「闘い」に挑み、勝利した名君でした。鷹山公の死後56年たった1878年、イギリスの旅行家イザベラ・バードがこの地を訪れ、次の言葉を残しております。


米沢平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、全くのエデンの園である。田畑は鋤で耕したというより、鉛筆で書いたように美しい。米・とうもろこし・煙草・麻・藍・大豆・茄子・くるみ・柿などを豊富に栽培している。実り豊かな微笑する大地であり、アジアのアルカディヤ(桃源郷)である。彼らは葡萄・いちじく・ざくろの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である

It was a lovely summer day, though very hot, and the snowy peaks of Aidzu scarcely looked cool as they glittered in the sunlight.The plain of Yonezawa, with the prosperous town of Yonezawa in the south, and the frequented watering-place of Akayu in the north, is a perfect garden of Eden, “tilled with a pencil instead of a plough,” growing in rich profusion rice, cotton, maize, tobacco, hemp, indigo, beans, egg-plants, walnuts, melons, cucumbers, persimmons, apricots, pomegranates; a smiling and plenteous land, an Asiatic Arcadia, prosperous and independent, all its bounteous acres belonging to those who cultivate them, who live under their vines, figs, and pomegranates, free from oppression — a remarkable spectacle under an Asiatic despotism.》(『日本奥地紀行Unbeaten Tracks in Japan』)


 半世紀を経てなお、上杉鷹山公の善政の結果をこの地に見ることができた証言として、ありがたくまた誇りに思うところです。この鷹山公をなんとか世界の人々に知っていただきたい、その精神を後世に伝えたい、その思いを持ってこれまでやってきた、白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる私どもの活動です。このことをぜひ、ケネディ大使にご理解いただき、そして応援賜りたく伏してお願い申し上げます。本来なら直接お伺いしてお願いすべきところ、書面にてはなはだ失礼に存じますが何卒よろしくお願い申し上げます。

 末筆ながら、慣れない土地での御公務をお察し申し上げ、くれぐれも御健康に留意され、世界中の人々の幸福のためにご尽力されることを衷心よりお願いお祈り申し上げます。

 最後までお読みいただきほんとうにありがとうございました。

敬具

 

   平成252013)年1212


白鷹山に上杉鷹山公「伝国の辞」碑をつくる会

   会長  齊 藤 喜 一


山新251213.jpg山形新聞12月13日付


ライシャワー大使の縁ということかもしれませんが、山形市もこの動きに同調してくれたことは、実はわれわれにとって特に感慨深いことです。というのも、なんとか白鷹山に「伝国の辞」碑をつくろうという盛り上がりの根底には、置賜と村山の心の融合という大きな目的があったからです。このことについてはこのチラシに書いています。

「伝国の辞」碑講演会チラシ裏.jpg 

白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」とはどういう会ですか?    

  いまから4年前、南陽市宮内の齊藤喜一による山形新聞への「伝国の辞 白鷹山にぜひ」という投書に 始まります。この投書を読んだ山辺町作谷沢の樋口和男(山辺町議)が、齊藤に共感の意思を伝えたので す。意気投合の二人は平成22513日、高い山の日、山形市、上山市、南陽市、白鷹町、山辺町の 行政も含めて一堂に会する白鷹山頂サミットの席で参加者に実現を訴え、満場の賛同を得ることができま した。サミットでの意見採択を受けて32町の行政が碑の建立を進めてくれるはずでした。しかしその 後まったく進展がありません。確かめてみると、行政が動けない背景には、長谷堂の戦い以来400年以 上にわたる上杉と最上の確執がわだかまっていることに気づかされたのです。このことで、二人はかえっ て奮い立ちました。「上杉鷹山公の力を借りて置賜と村山が心をひとつにする仕事になるかもしれない。 共に未来をつくることで過去を乗りこえよう。」  

 とはいえ、行政の力をあてにすることができない以上、全くゼロからの出発です。当面の資金も何もあ りません。しかし共感の輪は白鷹山の麓から広がり始めました。平成246月、南陽市小滝地区や白鷹町滝野地区の方々が中心になって、白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会が発足しました。米沢市にも賛同 の動きが出るようになって、総会には米沢市の秘書広報課長さんも駆けつけてくださいました。その後、 徐々に会の存在が認知されるようになって現在に至っています。  


南陽市の観光課に相談したところ何とも歯切れが悪く、その背景には、三市二町で山頂に公衆トイレをつくった経緯があり、(置賜の)上杉を持ち出すとそうした協力関係が壊れかねないという危惧があったのでした。しかし、そもそも齊藤会長の山形新聞への投書が具体的な活動になったのは、東村山郡山辺町の樋口和男議員が「一緒にやろう!」と言い出したからです。この活動はその原点において、置賜・村山という地域の枠を飛び越えていたのです。「そんな確執から自由になることもこの碑をつくる大きな意義だ」とあらためて認識させられたのでした。それだけに、期せずして山形市も同じ舞台に上ってきてくれたことはほんとうに意義あることに思えるのです。


なお、チラシはこうつづきます。

 

「伝国の辞」碑を白鷹山につくるためにどうするのですか?

 碑は、鷹山公揮毫の扁額が掲げられた白鷹山空蔵尊の御堂脇に建てたいと考えています。車の登れな い場所ですので、これまで工事の方法等について何度も石屋さんと検討を重ね、総事業費を250万円と 見積りました。その資金をどうやって集めるかが最大の課題です。一口1万円としてよびかけが始まっ たばかりです。もちろん何口でも、多いほどありがたいです。平成26513日の高い山の日の竣 工を目指しています。

 募金の方法については、事務局にご連絡いただけば郵便振替用紙をお送り致します。鷹山公への思いの 結集としての碑建立であることを後世に証すために、おひとりおひとりのお名前を碑の裏面に刻銘いたし ます。


白鷹山

 白鷹山地は、東の奥羽山地、西の朝日山地から完全に独立した山地で、東西置賜、東西南 村山5郡の交界をなしています。その形成は今から100万年位前の火山爆発に始まります。  主峰白鷹山(994m)には、虚空蔵尊が祀られています。役行者(634-701)による開山 ともいわれ、御本尊は、行基菩薩(668749)彫刻と伝えられます。米沢藩第三代藩主上 杉定勝以来代々藩主の祈願所で、鷹山公も25歳の時の御参拝記録が残ります。鷹山の号は当 山に由来するともいわれます。

 古来「高い山」といって、例祭日の旧暦417日に弁当をもって山に上り、神様と饗食 する風習がありました。虚空蔵尊は養蚕の神様として信仰を集めていたことから、広い地域 からの老若男女が列をなしてにぎわいました。今は、513日を例祭日として「山頂サミ ット」も開かれ、置賜・村山交流の貴重な場となっています。

 

白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会

「伝国の辞」碑建立の趣意

目  的●鷹山公事蹟の現在的意義を鑑み、鷹山公精神の発揚。白鷹山からの全国発信。

完成除幕●平成26513日(高い山)

予  算●250万円

募  金●一口10,000円(何口でも可。御芳名を碑裏面に記載)

募金方法●郵便振替(手数料加入者負担)、または口座振込

 ・振替口座  02220-0-119317 白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会 

 ・他金融機関からの振込口座番号 二二九(二二キュウ)店(229) 当座0119317 

募金締切●平成258月末日

実行主体●白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会

特別顧問●上杉邦憲(上杉家第17代当主)

顧  問●大乗寺健(上杉・松岬神社宮司)小嶋弥左衛門(上杉鷹山と先人を顕彰する会々長)

会  長●齊藤喜一(南陽鷹の会々長)

副会長●樋口和男(山辺町議) 髙橋 弘(南陽市議) 守谷丹吾(白鷹町議)

事務局長●川井榮助 南陽市小滝531-1 ℡0238-41-2640(兼FAX

後  援●白鷹山大蔵寺・白鷹山観光開発連絡協議会・上杉松岬両神社・

      関川村「渡辺邸」・本間家旧本邸・山形農業協同組合・

     山形おきたま農業協同組合・米澤新聞社・米沢日報・山形テレビ・

     テレビユー山形・さくらんぼテレビ・(株)ニューメディア(順不同)


まったくあてのないゼロからの出発だったのですが、南陽市30万円、白鷹町20万円、小滝区、滝野区、畑谷区の各10万円の拠出も含め、160数口、380余万円が集りました。ほんとうに鷹山公の御人徳のしからしめるところです。予定を超えた協賛を得たところから、副碑もつくって鷹山公を顕彰することになりました。副碑にはつぎのように記されます。(石屋さんは山辺町作谷沢の石の浄朝さんです。)

  米沢藩第九代藩主上杉治憲公(鷹山)は、領主領民相互の固い絆を土台に米沢藩を再生させた名君です。藩の鬼門を守るここ白鷹虚空蔵尊には、治憲公二十五歳の折登拝して、藩復興の大志を誓ったと伝えられ、公の揮毫による「白鷹山」の扁額が、今も御堂正面を飾ります。

 公は窮乏の極みにあった米沢藩を、徹底した倹約による財政改革、新しい産業の振興、慈愛の精神に基づく人心の一新によって変革し、天明の大飢饉にも一人の餓死者も出すことなく、三百諸藩の範たる藩へと変貌させました。

 「伝国の辞」は、三十五歳で藩主を治広に譲るにあたり、藩主としての心構えを示したもので、時代を超えて心すべき政治の理念を伝えています。私たちは、今こそ鷹山公に学ばねばなりません。 「伝国の辞」にこめられた鷹山公精神にあらためて深く思いを寄せるとともに、この碑を通して郷土の偉人鷹山公の思いが世界中の人々に伝わることを切に願います。

   

    平成二十六年五月十三日

                   

        白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会

                  協賛者一同


「この碑を通して郷土の偉人鷹山公の思いが世界中の人々に伝わることを切に願います。」この思いがケネディ大使への願いになったのでした。 鷹山公が現代に蘇ってこれから大いに力を振るって下さろうとしているのではないか、ほんとうにそんな気がします。こんどは世界が舞台です。

 

(実はこの記事は12/13に書き、下書きに保存していたのですが、ケネディ大使のもとに第二信が届いてからと思い、今日(12/17)になって公開したものです。)

 


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