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宮内七夕の復興(6) 七夕祭復活の意味 [熊野大社]

七夕祭復活の意味


 「七夕祭が本来の意義を失った今日」(北野猛「熊野大社年中行事」)、七夕についての一般的認識は、仙台七夕的装飾性と牽牛織女の物語に尽きてしまう。仙台七夕の歴史は伊達の時代に始まったもので、やはり旧暦七月六日の 夕から七日朝の行事で「ナヌカビ(七日浴び)」と言ったという。政宗を介した置賜の風習との関連はどうだろうか。それはともかく、七夕の原点をたどると、「米が二度取れる、暖国から渡来した民族」(北野猛「熊野大社年中行事」)である日本人にとっては、「今の一年は昔の二年であった」( 〃 )のであり、六月晦日の夏越しの祭から、先祖の御霊を迎えるお盆までの祭りは新春の行事に対応し、七夕はその中日にあたり、新春の行事でいえば七草である。折口信夫の説(「七夕祭りの話」「たなばた供養」『折口信夫全集 第十五巻』)をふまえた民俗芸能研究家西角井正大のまとめは北野猛説に通ずる。ちなみに北野猛先々代宮司の子息北野拓先代宮司は折口信夫の弟子であった。 

《日本には、一年を二期に分けて冬と夏に神祭りをする風習がある。冬には霊力新たな神をこの地にお迎えする鎮魂の祭りを執り行い、夏には半年来人間の心身に着き溜まった罪穢れを祓う儀式を行うのである。人形(ひとがた)や型代(かたしろ)などにその罪穢を撫で移し、水に流してしまうことによって所期の目的が果たせる。これには更に古代の水辺の神迎えの儀礼が色濃くその印象を残している。川辺や海辺に棚を張り出し、神の一夜妻たる巫女が、その棚の上で神に着せる衣を機織っているいるのである。その巫女こそ棚機津女(たなばたつめ)であり、この姿こそ棚機(たなばた)である。七月七日の儀式で七夕と書かれるようになったのは、中国の乞巧奠(きこうでん)と見事習合した結果である。》(「日本民俗学の視点 3」 p.188

 「乞巧奠」とは《陰暦77日の行事。女子が手芸・裁縫などの上達を祈ったもの。もと中国の行事で、日本でも奈良時代、宮中の節会(せちえ)としてとり入れられ、在来の棚機女(たなばたつめ)の伝説や祓(はら)えの行事と結びつき、民間にも普及して現在の七夕行事となった。》(デジタル大辞泉)という。

 

西角井は日本古来の「祭り」についてこう言っている。

〈日本は四季に恵まれ、その折おりにさまざまな祭りが行なわれている。四季と祭りが豊かな関係で結ばれているからである。

 さて、その四季と祭りの関係は、鎮魂を目的とする冬の祭り、稲作を目的とする春・秋・冬の祭り、疫神払いを目的とする夏の祭りに要約される。・・・・・・・・・・・・

いったい季節を示すハル、ナツ、アキ、フユはすべて祭りに関係する語であるという。ハルは発る・張る・晴るなどで、フユの間に迎えられた神がその威力を発動し出す時ということである。ナツは穢れ(けがれ)や疫神を移して払う撫で物で身体を撫ずる行為を指す撫ずの時ということである。アキは願い果し満足をいう飽きの時ということである。冬は招魂・鎮魂というミタマフリ、ミタマノフユという語を起源として、神霊を招(ふ)ゆするという時ということである。〉(西角井正大「祭礼と風流」民俗民芸叢書P910

  収穫に関わるハル、アキの祭りに対して、鎮魂のためのフユの祭り、穢れを祓うナツの祭りはともに魂に関わる祭りである。魂を鎮めて御先祖の霊につながる歳神(としがみ)様をお迎えするのがフユのお正月であり、半年の間に身についた穢れを祓って御先祖をお迎えするのがナツのお盆である。ナノカビに飾った笹竹を川に流し、その日には薬水が流れるという川に浸かって身を清めるのがナツの七夕の行事だった。そうしてはじめて御先祖の霊と向き合うことができたのだ。「魂鎮め」であり「魂清め」、いずれもまずもって「魂」のあり方が問題となる。日本文化の本来はここにあると思う。 

 旧暦では熊野大社の例大祭は六月十五日だった。その前日、熊野の御獅子様は山上御神庫から出されて下の御旅所に安置され、十五日の夕刻近く、南陽市民俗無形文化財の梵天ばよい、獅子児たちも参加する勇壮な獅子ばよい、そして定められた十二の立場(タテバ)での舞を経て山上に納まるまでまる一日の間、人々の参拝をうける。 

 獅子については次の記述がある。

 《動物たちの祭礼の場への登場は、なんらかの信仰的な要素を含むものであった。たとえば、獅子をとってみれば、その頭は御頭(おかしら)・権現(ごんげん)などと呼ばれて神同様に祀られ、その舞は悪霊を祓い、場を清める態(わざ)であるといった具合である。》(西角井正大「祭礼と風流」P183

DSCF0166.JPG

  たしかに明治二十二年頃制作のわが家の御獅子の箱にも「熊野大権現」と記されている。そして御獅子様に願うのは一様に「健康」である。だれも金儲けを願ったりはしない(のではないか)。要するに御獅子様のお働きはまさに「清め」にある。

  旧暦六月十五日のお祭りが終わると、六月三十日の夏越大祓えの行事がある。そうして七月六日、七日の七夕祭を迎える。宮内の七夕は、各家庭各地区で中央に熊野の御獅子様に似せてつくられた御獅子を正面に飾って行なわれた。宮内の七夕とは、まさに熊野の御獅子のお力をもお借りして行なわれた清めの行事だったのである。

 

おわりに

 

  このたびの宮内七夕祭の復活をだれよりも喜んでいるのは、六、七十年来、暗いところでなかば忘れ去られていた御獅子達であった。御獅子を御出動いただいた多くの家々の方々が御神事に参列された。何人から「ありがたい」という言葉をお聞きしたことか。それはまさに御獅子のお気持ちのように受け止めた。今年は総勢四十体。宮内の家々に眠る御獅子のまだごく一部と思う。家々、地区々々での七夕祭が途絶えてしまったいま、産土神社に一堂に会しての七夕祭は、魂を揺さぶる日本本来の祭りとして大きく発展していくことを切に願う。



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