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ケネディ大使「父は上杉鷹山を称賛」 [上杉鷹山]

まだ朝飯前のところに、齊藤喜一さん(白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会々長)が「山新見たか!?」と言って飛び込んできた。「山辺の樋口和男さん(白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会副会長)から電話が来た」と言う。山新を開けて驚いた。開けてすぐの第3面に「父は上杉鷹山を称賛」の記事。

父は上杉鷹山を称賛.jpg


実はケネディ大統領が凶弾に倒れて50周年の1122日を期して、アメリカ大使館のケネディ大使に宛て、来年513日の「伝国の辞」碑除幕式にお出でいただくことを検討していただけないかの手紙を、諸資料、ラ・フランスと共に送ったところだった。資料としては、これまでの会発行のチラシの他、内村鑑三の「代表的日本人」、新渡戸稲造の「武士道」のそれぞれ英語版、その他「上杉鷹山に学ぶ 財政破綻を救う感動改革!!」からのコピー、上床訓弘氏の上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?」等。


キャロライン・ケネディさんが日本大使に決まりそうだと言う話が出始めた頃、齊藤会長が「除幕式に来てもらおう」と言い出した。ケネディ大統領が鷹山公を尊敬していると語ったという話は、その確認がとれなくてどうもあれは都市伝説ということに米沢でも収まりかけているのを知っている私はちょっと尻込みしてしまった。しかし、かりに都市伝説であったにしても、キャロラインさんに上杉鷹山公のゆえに置賜に来ていただければ、それはそれ、お出でいただいた事実は確かな事実として後世に残る。何より鷹山公精神を世界に発信しようという碑建立の志にとって、この上ないチャンスかもしれない、と数日後思い直して会長の提案に乗ったのだった。その後、役員会の了承を得て大使の着任を待った。


会長が手紙の下書きを持って来たのが20日。なんとか22日に出したいと言う。もとより英文で書くことなど不可能なわけで、日本語の手紙を22日に送ることができた。そして今朝の記事。手紙を読んでいただいた結果? 会長舞い上がるのもむべなるかな。


以下、ケネディ大使への手紙。

 

   *   *   *   *   *

 

キャロライン・ケネディ駐日米大使 様


謹啓

 このたびは駐日大使ご着任誠におめでとうございます。

 ご公務ご多忙のところたいへん恐縮でございますが、ご父君元ケネディ大統領に関わります私どもの思いをご理解いただきたくお手紙差し上げる次第です。

 私は、「白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」の代表を務める者です。私どもの属する米沢藩の第九代藩主上杉治憲公(鷹山 1751-1822)は、領主領民相互の固い絆を土台に米沢藩を再生させた名君です。公は窮乏の極みにあった米沢藩を、徹底した倹約による財政改革、新しい産業の振興、慈愛の精神に基づく人心の一新によって変革し、天明の大飢饉(1782-1788)にも一人の餓死者も出すことなく、日本全国三百諸藩の範たる藩へと変貌させました。「伝国の辞」とは、三十五歳で藩主を治広に譲るにあたり、藩主としての心構えを示したもので、時代を超えて心すべき政治の理念を伝えています。ややもすると政治が民心を離れ、物質文化の進展とは裏腹に人心の荒廃が進みつつある中、「伝国の辞」にこめられた鷹山公精神にあらためて深く思いを寄せるとともに、この碑を通して郷土の偉人鷹山公の思いが世界中の人々に伝わることを切に願い、昨年来白鷹山に「伝国の辞」碑建立の呼びかけを進めてまいりました。「白鷹山」と「鷹山」という名前の近似性はもとより、鷹山公が二十五歳の折白鷹山へ登拝して藩復興の大志を誓ったと伝えられ、公の揮毫による「白鷹山」の扁額が今も白鷹虚空蔵尊御堂正面に掲げられている、鷹山公にとってたいへん縁深い場所です。私どもの呼びかけは、鷹山公の御人徳のしからしめるところ、予想を超えた共感を呼び、来年513日白鷹虚空蔵尊例大祭当日の除幕に向け順調に歩みを進めているところです。

 さて、大使様がご存知かどうかですが、実はご父君ケネディ大統領が亡くなられて間もなくの頃から、「ケネディ大統領が最も尊敬する政治家として上杉鷹山公の名前をあげられていた」という話が広く語られるようになりました。キリスト教思想家内村鑑三(1861-1830)が英文で書いた「代表的日本人Representative Men of Japan」、あるいは国際連盟事務次長を務めた農学者にして教育者新渡戸稲造(1862-1933)の「武士道Bushido: The Soul of Japan」を通して鷹山公についてお知りになったということでした。(ただしそのことを実証するものはまだ見つかってはおりません。お父上の蔵書の中にいずれかが存在することを期待しています!)このことによって、私どもの郷土の偉人鷹山公の偉大さが一層輝きを増すことになったのは言うまでもありません。と同時に、ケネディ大統領が私どもにとってたいへん身近な存在となって現在に至っているのです。こうしたわけで、私どもが鷹山公の「伝国の辞」碑を建てようとしている折も折、キャロラインさんの駐日大使ご就任の報が私たちにとってどんなにうれしかったことか、どうかお察し下さい。

 つきましては、お願いがあります。

 碑が建てられます白鷹山は、山形県の村山地方と置賜地方の境界にある標高994メートルの山で、山形市、上山市、南陽市、白鷹町、山辺町の32町にまたがることから、白鷹虚空蔵尊の例祭日513日に、5市町の行政関係者による山頂サミットが開催されています。「伝国の辞」碑の除幕はこの時に合わせて行なう計画でおります。吉村美栄子山形県知事もこの碑に対しては関心を寄せておられることから、除幕式への参列をお願いするつもりでおります。そしてもし叶うことであるならば、ケネディ大使にもお出でいただけないだろうかとの大それた希望を抱き、お手紙差し上げることになった次第です。仮にもしご検討いただけるとするならば、私どもも総力を尽くして歓迎の態勢をつくらせていただく所存でおります。何卒ご検討の程よろしくお願い申し上げます。

 奇しくも今日は、私ども60歳代以上の者の記憶にしっかり刻み付けられたあの日からちょうど50年、世界中にとって忘れられないこの日に、駐日大使に就任されたばかりの娘さんにお手紙差し上げることの栄とご縁に胸を熱くしております。いささかなりとも私どもの思いをお伝えできたとするならば、これに過ぎる喜びはございません。最後までお読みいただきほんとうにありがとうございました。

 今後日本大使として世界平和のためにご尽力あらんことを衷心よりご祈念申し上げ、私どもの思いをお伝えするお手紙とさせていただきます。

敬具

 

   平成252013)年1122


白鷹山に上杉鷹山公「伝国の辞」碑をつくる会

   会長  齊 藤 喜 一


   *   *   *   *   *


なお、ケネディ大統領による鷹山公評価の根拠が、上床訓弘氏の上杉鷹山は これまで、どのように 評価されてきたか?」の中に、1960年代ワシントン支局にいた日経記者大和勇三氏(その後論説委員長)が非公式会見の場で聞いた話として紹介されていた。同じことを童門冬二氏が講演の中で語っておられる。童門冬二氏講演会「生き方の指針となる平洲先生のことば」


◉関連記事一覧 http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/archive/c2304001718-1


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めい

「都市伝説」説の起源となった米沢日報の記事
http://www.yonezawa-np.jp/html/news/2012/201203092.html

   *   *   *   *   *

ケネディと鷹山のエピソードは本当?

 鷹山公と先人顕彰会(小嶋彌左衞門会長)主催の第111回火種塾が4日、我妻榮記念館で行われ、髙野実氏が「ケネディは鷹山公を尊敬していると言ったか?」をテーマに講話した。 髙野氏は「鷹山公とケネディ大統領との関係が過去から現在まで色々取りざたされているが、その根拠について長らく疑問を持っていた」と述べ、これまでの調査を紹介した。
 ケネディ大統領が日本人記者団と会見して、尊敬する日本人は誰かと質問された際、即座に「それは上杉鷹山です」と答えたという点について、高野氏は「昭和36年〜38年の『毎日新聞』縮刷版で通覧したが、会見を匂わす記事は見つからなかった」と述べた。また、「鷹山公とケネディ大統領のエピソード」の出所として、昭和41年(1966)、米沢市が発行した「米沢風土記」に記載されたのが初めてで、後に何らかの指摘があり「鷹山公とケネディ大統領を結びつける根拠が薄い」とし、「この文章を割愛されたが、時すでに遅く、エピソードが一人歩きしたのではないか」と述べた。
 新渡戸稲造が著した『武士道』には、本文に鷹山公のについて書かれてあり、前書きで「自分の書がルーズベルト大統領が読み、かつ友人に間に配ったと聞いた」とあることから、鷹山公とアメリカ大統領がここで結びつき、さらに「米沢風土記」が発刊された当時、大人気だったケネディの名前に擦り変わったのではないかと結論づけた。

   *   *   *   *   *

ということは毎日新聞の記事しかあたってはいないということ。
大和勇三さんは日経記者。非公式会見なので毎日はじめ、他社は知らなかった。

安部米沢市長も火種塾メンバーなので、この講演を聴いておられるはず。高野説を疑いもなく受け入れてしまっていたと思われる。大方はこの説になびいていた。私もこの記事を載せた米沢日報から高野説を聞いていた。わが齊藤会長は一貫してこの説に疑問をいだき、独自に調査していた。手紙を出すギリギリになって見つけたのが、「日経の大和勇三」。ひょっとすると、キャロラインさんは、われわれの手紙を見るまでもなく、ケネディ大統領の鷹山公の思いはずっと知っていたのかもしれない。われわれの手紙で知った、というより、そのことの方がずっとすごいことだし、うれしいことだ。まだ、返信は届いていないが、なんらかの返信をいただけることと思う。ぞくぞくして待っている。

by めい (2013-11-29 07:16) 

めい

政治と民心の乖離の現実

「ややもすると政治が民心を離れ、物質文化の進展とは裏腹に人心の荒廃が進みつつある中、「伝国の辞」にこめられた鷹山公精神にあらためて深く思いを寄せるとともに、この碑を通して郷土の偉人鷹山公の思いが世界中の人々に伝わることを切に願い、昨年来白鷹山に「伝国の辞」碑建立の呼びかけを進めてまいりました。」

日本の政治は、まるで遠心力が加速化するように民心からどんどん離れていっているように思えます。それについての田中良紹さんの指摘です。

   *   *   *   *   *

卑怯者の民主主義
http://blog.goo.ne.jp/ichimurasan2006/e/84852efa30bb0c9056f94e0d45eb3de2
★「田中良紹氏の視点ー(2013/12/10)」★ :本音言いまっせー

フーテンは特定秘密保護法案の国会審議を見て、改めてこの国の民主主義の劣化を感じた。政治家が政策を堂々と国民に訴えて信を問う事をせず、卑怯な方法で政策を実現させる手段がまかり通っている。

フーテンがそうした事を感じるようになったのは中曽根内閣の「売上税」あたりからである。その卑怯な手段が「特定秘密保護法」では桁違いに大きくなった。代議制民主主義は今や死に瀕している。

自らが大蔵大臣として発行した赤字国債の責任を痛感した大平総理は、消費税を導入して財政の健全化を図ろうとした。1979年の総選挙で大平総理は消費税導入を国民に訴えて信を問うが自民党は大敗、それが自民党にとってトラウマとなった。

消費税の導入には財政健全化以外にもいくつかの理由があった。戦後アメリカによって国のかたちを作られた日本は、アメリカの指導の下に所得税などの直接税が中心の税制を採用させられた。一方、福祉国家を目指すヨーロッパ諸国は消費税などの間接税を導入し、「ゆりかごから墓場まで」国民の面倒を見る国づくりを行っていた。大平総理の消費税導入にはアメリカ型から脱して日本も福祉に力を入れる国づくりを目指す意味合いがあった。

また直接税には都市のサラリーマンが厳格に課税されるのに対し、農家や自営業者などが税金逃れをする不公平さもあった。極端かもしれないが、すべてを消費税にすれば、より多くの消費をする人間からより多くの税金を取れるのでむしろ直接税より公平さが実現できるという議論もあった。

いずれにしても堂々と選挙で訴えた大平総理が選挙に敗れた事で、それ以後の自民党は選挙に勝って大量議席を得てから増税を打ち出すようになった。それが中曽根総理の「売上税」である。中曽根氏は「大型間接税の導入はしない」と選挙公約して大勝利を収めた。そして大量議席を獲得すると、一転して「売上税」の導入を図ろうとしたのである。

完全な公約違反である。ヨーロッパ型福祉国家を目指して消費税に反対でなかった社会党までこれには反対の声を上げた。冷静に議論をすれば国民を説得できたはずの消費税に「公約違反」というマイナスイメージが付けられた。さすがに中曽根総理は「売上税」を実現させる事が出来なくなり、消費増税の実現を条件に竹下登氏に後継を委ねた。

竹下総理は国民に丁寧に説明する努力を行おうとした。ところが「リクルート事件」が勃発し、国会は「政治とカネ」の問題一色になった。不幸な事だが消費税の議論は全く行われないまま3%の消費税が導入されることになった。そして消費税が導入された後の選挙で国民は与党に鉄槌を下すと言う不幸なサイクルが出来上がるのである。

3%の消費税が導入された後の参議院選挙で宇野内閣が惨敗、5%導入後の参議院選挙で橋本内閣がやはり惨敗した。しかしいずれも国民は事後的な対応に関与しただけで導入する是非を判断させられてはいない。国民は政策の作成に関与する事を許されず、後になって鉄槌を下すという民主主義とは思えない国民と政治の乖離が生み出された。

今回はこうした不幸のサイクルに加え、さらに卑怯な手段が行使された。衆議院選挙で自公政権が誕生し、日本版NSCや特定秘密保護法を成立させる事は予想されたが、参議院の「ねじれ」を解消するまではそうした事をおくびにも出さず、アベノミクスに国民の目を引き付け、公明党は安倍政権のブレーキ役になると称して国民を騙し、警戒心を持たれないようにした。

自公政権は参議院選挙にも勝利して「ねじれ」を解消すると、今度は国会を開かずに与党の独り舞台を続け、支持率を下げさせないようにメディアを利用し、臨時国会を「成長戦略実行国会」にすると言って国民の期待感を高めさせた。

ところが実際に始まってみると「成長戦略」は国民の目から全く見えない。代わりに登場したのが日本版NSCと特定秘密保護法案である。大量議席があるのだから成立は間違いないのだが、それでも国のゆくえを左右する重要法案であるから国民にはきちんと説明する必要があった。

しかし審議が始まると見せられたのは全く意味不明の出来事である。担当大臣の答弁がころころ変わる。つまり政府の方針が定まっていない。しかし定まっていないうちから野党との修正協議が始まる。こうして法案の内容が分からないのに衆参共に三分の二を越える議員が反対していないという状況が作り出された。

フーテンは長らく国会を見ているがこんなことは見た事も聞いた事もない。国民が不安に思うのは当たり前である。すると「施行までの間に様々な措置を講ずる」という話が出てくる。「様々な措置」は法案に書き込むのが当たり前だろう。そうやって無理やり法案を通して、国会を閉幕させてしまった。

国会が閉まってしまえば野党の出番はなくなり、再び政府の独り舞台である。そうしてメディアを抱き込めば国民を「洗脳」する事はたやすいと考えている。だからメディア抱き込み工作が着々と進められている。最大のターゲットはNHKだが、ニュースの内容を見ると、まさに安倍政権の宣伝機関としての報道がすでに流れている。

自民党は国会が政府の秘密指定をチェックできるようにすると言いだした。これからそのための調査を始めると言うが、法案が成立してからそんなことを言うのは順序が違う。国民を騙すためのパフォーマンスに過ぎない事は誰が見ても明らかである。これでまた日本は世界から馬鹿にされ笑われることになる。

http://www.asyura2.com/13/senkyo157/msg/729.html


by めい (2013-12-12 06:08) 

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