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信と不信の分水嶺 [熊野大社]

「熊野大社年中行事」の「十五、雨乞い」を読んで思わず立ち止まった。「ここが神さまを信ずるかどうかの分かれ目だ!」
熊野大社御獅子さま.jpg
熊野大社の雨乞いは、お獅子さまを大清水にお迎えして祈る習わしとなっていた。大正十年は稀にみる旱魃で、枯死寸前の稲田をながめていた農民達はただ歎息するのみであった。このとき町の識者から雨乞いの話が出され、それがたちまち町の与論となって地主に相談が持ちこまれ衆議一決し、いよいよ獅子をお出し申し上げることになった。夏のお祭りがすんでまだ間もないのに、又の御出ましにやるせない心をときめかして人々はみな喜び勇んでお迎えすることになった。

 神社には神官や獅子冠事務所の人や農民達がいっぱい集まってお祈りが捧げられ、事ここに至ったいきさつを世話人は神前に奏した。獅子は事務所の行衣をつけた行者によって御宮をお出ましになった。小勢ながらもエッサヤッサと威勢のよい掛声に乗って、久保粡町横町新町南町を通って大清水に着かれた。その日は沿道には砂を盛られて清められた。大清水の池の上には細木で仮宮が造られ、菊桐の御紋のある木綿の日幕で囲われていた。正面に獅子が飾られ、くさぐさのお供がそなえられ、昼夜を分たぬ熱祷が小止みなく続けられた。祈ってはまた祈り日に十数回も繰り返された。神社の太鼓が持ち出され、雨乞いの声に和してトコドンドンドンと毎日毎日打ちつづけられた。この太鼓は六、七日で両面ともに破られてしまったので、鐘小屋の稲荷さまから借りて来てたたき通した。後で太鼓の皮の張り替えで世話人は大変苦労をされた。今神社にある大太鼓はこの時に米沢で張り替えたものである。

 折角の熱祷も十日目に御験(オシルシ)のお湿りがあったが、十分の雨量をいただけるまで続けるかどうかで話し合が行なわれた。結局御験があったのだからというので中止することに決まり、そのまま神社にお帰りになった。その後一週間ぐらいして大雷雨となり、作柄はどうにか平年作までこぎつけた。》

熊野のお獅子さまの異例の御出動を願って総力を結集して行った十日間にわたる必死の雨乞い、力尽き果てようとしたところでいささかのお湿りを見てのお獅子さま御還御。お獅子様のお力もここまでか、あの熱気のあとの町全体のシラケた感じがつらい。半ば諦め、無念の念。そんな中にあって過ぎた一週間、思いがけない突然の大雷雨。そして結果は、「作柄はどうにか平年作までこぎつけた。」これをお獅子さまのお力顕現の結果と見るか、それとも「たまたま」と見るか、一人ひとりの思いの中でも分かれてしまう。北野猛宮司の微妙な思いが行間から伝わってくるような気がする。次の項が「十六、虫送り」。
《農作に大切な条件であった害虫の駆除も、昔は気候による天然現象としてさけられない宿命的なものとさえされていた。・・・神に祈祷することによって、風や雨や気温などからくる害虫の発生の被害は最小限度に止めることが出来たという安心感と諦念を得た。》
「安心感と諦念」という言葉に前項「雨乞い」に通底する猛宮司の思いが見える。この微妙さがかえって「われわれにとって神とは何なのか」の答えをリアルに指し示してくれているように私には思えた。おとといここのところ、「ここで神さまを信ずるかどうか、それが人生の分かれ目になるのではないでしょうか」と締めくくったことだった。
北野猛.jpg
宮内熊野大社北野猛先々代宮司 明治31年(1898)― 昭和59年(1984)


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