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「新しい伊達氏の歴史エリア構築」 [地元のこと]

支倉常長 山新オピニオン130904.jpg
今朝の山形新聞「提言」欄は竹田昭弘氏の『支倉常長生誕地生かせ』だった。結論は「新しい伊達氏の歴史エリア構築」である。〈関の支倉常長生誕地から斜平山(なでらやま)を貫き、笹野観音、片倉山、旧光明寺、旧覚範寺、そして館山城につながる歴史観光ゾーンが創造できるのである。上杉氏に次ぐ史跡観光として貢献することができるだろう。〉としめくくられている。

思えば置賜に住む人間の置賜観が大きく変貌したのは、昭和62年の大河ドラマ『独眼竜政宗』の放映がきっかけだった。実はそれまで、政宗がこの地で生まれ、秀吉の命によって岩出山へ移される25歳まで過ごしたことを知っている人はごくわずかの歴史好きに限られていたといってもいい。南陽市の観光課職員も外からの問合せではじめて、政宗が置賜に縁あることを知ったという話があったほどだった。そしてそのわけを、上杉氏による伊達遺風一掃政策が400年近くこの置賜を支配していたからと聞かされなるほどと思った。たしかに言われてみれば、この地で「だでごど」といえば良からぬことを指す。それが「伊達事」を指しているのだと言う。同じ意味合いで「うだで」とも言うので、古語の「うたてし」とどう関わるかの問題もあると思うが、それにしても置賜人の記憶から伊達の記憶があれほどすっぽり抜け落ちていたのはたしかに異様なことだった。鷹山公が養子としてこの地に入り、政宗公両親の墓地のあまりの荒れようを見て驚かれ、隣地の者に墓守の役を任じたという話も伝わる。この地に在る者には当たり前であったことも、外から入った鷹山公からみれば明らかにおかしく思えたのだろう。

天地人ブームが去ると「兼続公の次は政宗公!」とばかりににわかに伊達に目が向けられるようになった。高畠夏刈の資福寺址周辺の整備、米沢の館山城址の発掘等である。米沢中心置賜観に異和をおぼえてきた置賜人にとっていいことだ。「盆地米沢狭けれど・・・」(興譲館旧校歌/浜田広介作詞)的な南を吾妻連峰に遮られ鬱屈しがちな米沢からみた置賜観から、「南(みんなみ)に開く国原(くにはら)、吾妻嶺(あずまね)と呼び合う飯豊、置賜は四季美しく・・・」(宮内中学校旧校歌/結城哀草果作詞)的な、5000年の昔、縄文の時代からつづく豊穣の里としての置賜観に代わることなのだから。このことはかねてわれわれ盆地の北に住まいする者の主張だった。その意味でも米沢の竹田さんが伊達の視点からのエリア構築を提言されたことは、実に意義あることに思えたことだった。

政宗公ブームを期待する.jpg
「週刊置賜」昭和61年9月21日

新しい視点で置賜を611004.jpg
「週刊置賜」昭和61年10月4日

「置賜再認識の年」620101.jpg
「週刊置賜」昭和62年1月1日

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めい

舘山城が伊達氏の中心的な居館として存在していた「米沢の主城」というのは誤りとの「告発書」が米沢市教育委員会に出されたという。
http://www.oninokai.jp/blog-entry-232.html

   *   *   *   *   *

教育委員会への「告発書」
2014/02/20(木) 00:02:45

 今月の5日に米沢市教育委員会宛に告発書が提出され、当会宛てにその写しが届けられた。

 米沢市教育委員会は発掘調査から、現在の舘山発電所が伊達政宗の居城で有ったとする説を発表し「国指定史跡化を目指す」としている。
これに敢然と異説を唱えた伊藤正俊氏は「舘山発電所は伊達政宗狼煙台砦跡」との説を主張し、米沢市教育委員に「告発書」を提出した訳である。

 入田沢に生まれ育った伊藤氏は「狼煙台説は、400年以上前の先祖を持つ入田沢地区住民の伝承である」と、教育委員会説の誤りを指摘した大量の資料を当会に届け『「国指定史跡化を目指す」とする行為が「ゴットハンド事件」となる可能性がある』として、教育委員会が勇み足をやらないよう「鬼の会」も目を光らせてくれとの事であった。

 小生も歴史には多少の興味があり、数年前に東京在住で城の研究家「斉藤秀夫氏」と舘山発電所を訪れ、舘山城の事を近くの住人に尋ねたが「ここは城跡では無い」との答えであった。

 事の真相は専門家に任せるとしても、この所の市職員の態度は、平気で「捏造」や「隠蔽」の情報操作を行ない、反省の色も無い。
図書館建設では「想定外の浄化槽が地中より出現し1億6千万の追加工事費が必要」と発表し「資料は何も無かったので分からなかった」と言うが、巨大な浄化槽の存在は建設関係者なら周知の事であり、その設計図面の存在も、後に小島卓二議員に指摘され「有りました」と修正している。

 「国指定史跡化を目指す」事は大変結構だが、後に捏造がバレて全国に恥を晒す事がない事を祈る。

【ゴッドハンド事件-ウィキペディア(Wikipedia)より】
旧石器捏造事件(きゅうせっき ねつぞう じけん) は、考古学研究家の藤村新一が次々に発掘していた、日本の前期・中期旧石器時代の遺物や遺跡だとされていたものが、全て捏造だったと発覚した事件である。中学校・高等学校の歴史教科書はもとより大学入試にも影響が及んだ日本考古学界最大のスキャンダルとされ、2000年11月5日の毎日新聞朝刊で報じられたスクープによって発覚した。

by めい (2014-03-07 19:49) 

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