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「日本の神々はやぶれたまひしか」長谷川三千子 [神やぶれたまはず]

毎月1日の宮内熊野大社月例祭。終了後、北野達宮司から5分間ほどの講話が聴けるのが楽しみだ。

昨日は初めてのことだが、新聞のコピーを用意されてのお話だった。コピーは今年8月15日付産經新聞「正論」、長谷川三千子先生

「8・15」に思う 日本の神々はやぶれたまひしか。脇に折口信夫(釋超空)の長歌と反歌が添えられていた。


宮司が語られたのは、
長谷川さんの
〈この戦争の敗北は日本の神々の敗北でもあり、その結果として「やまとびと 神を失ふ--」といふことになつた--かつて折口信夫はさううたつたのであつた。〉という理解に対して、
長歌に対する折口自身の反歌「信薄き人に向かひて 恥ぢず居む 敗れても 神はなほ まつるべき」を示すことで、
折口の思いも、長谷川さんの
〈はたして本当に、日本は「最悪の負け方」をしたのだらうか? はたして日本の神々は敗れ去り、われわれは神を失つたのだらうか? むしろその最悪の敗北の瞬間に、われわれは初めて、自分たちの神との対面をはたしたのではないか?〉に通ずる思いではなかったか、ということだった。

実は先日、相馬出身の奥さんを持つ友人が、
「あの浜の惨状を見ると、神様の存在など信じられなくなる」と語るのを聞いたばかりだった。
私はしかし、2011/4/29に南三陸町、石巻市にその惨状を見た後、
〈「大倭日高見(オホヤマトヒタカミ)の国を、安国(ヤスクニ)と定奉(サダメマツリ)て」(大祓詞)の、その日高見国の言葉にもならぬ惨状、神様もなぜこうなったのかわからずに唖然としておられるように思えたことだった。すると同時に、神様が急に身近に感じられた。もまいする(パニックになる)神様はそのまま人の姿のように思えたのだった。〉
書いていたのを思い起こしていた。

敗戦は、あるいは神々を身近にしたはずなのではなかったか。私が震災の現実を見て思わされたように。

ともかくはまず『神やぶれたまはず』を注文した。 

  

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