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長野県飯山市との交流 [飯山市との交流]

このたび飯山市長瀬哲教育長が、足立正則飯山市長のメッセージを塩田秀雄南陽市長に渡されたことで、飯山市との交流レベルが一段上がることになった。最初から関わってきたものとして感慨深い。尾崎の御先祖のはたらきかけによるところが大きいような気がしてならない。

昨日、飯山の服部秀人公民館長さんから「北信濃新聞」(平成25年4月27日号)が届きました。塩田市長、粟野収吉宮内歴史を語る会々長にも置いてきました。
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長瀬教育長さんも別欄で書いておられます。
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米沢日報(4月28日号)にも掲載されました。
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山形新聞(4月21日)も再掲しておきます。
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以下、先日おいでいただいた時の写真です。
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粟野宮内歴史を語る会長による宮内の町の基礎を築いた安部右馬助の碑の前での説明。右馬助は尾崎の家臣と考えられる。

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宮沢城址の標柱。石田前飯山市長揮毫。平成21年11月に、上村力元飯山市議会儀長はじめ飯山市の方々のご尽力で立てられた。

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大隅山形新聞南陽支社長、成澤米沢日報社長にも入っていただいて記念撮影。山形新聞さんには、十数年来、交流の当初から関心をもっていただいた。成澤社長はこのたびの交流の仕掛人。

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尾崎世一氏の出版祝賀会で飯山からの御一行に記念品贈呈。

いずれこれまでの交流の歴史を整理してみなければなりません。


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