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妹背の松(相生の松)と酒井佐和子さん [地元のこと]

相生の松.jpg

山形新聞の連載企画「やまがた再発見」に、昨年高橋まゆみさんが宮内出身の酒井佐和子さんについて書かれた。その中で、酒井さんが本田正次博士(植物学)を熊野大社の大銀杏妹背の松相生の松へご案内した話に触れておられた。しかし、酒井さんが「宮内小学校100年のあゆみ」に書かれていたことを高橋さんは知らなかったと思われる。粕川少尉で「100年のあゆみ」を引っぱり出したついでに、酒井さんの貴重な文章を載せておきます。


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・・・熊野神社の荘厳な森と双松公園をひかえた宮内小学校は誠に恵まれた環境であった。神社の前の年輪を経た大銀杏の古木は、春来たりなば春を告げ、冬の訪れが近づけばはらはらと黄色い葉を散らして、冬支度を急げ急げと教えてくれた。

 私が6年生の春、父と母とがわずか1ヶ月のうちにあいついで死んでしまった。悲しみのあまり双松の下でひとり淋しく涙のかれるほど泣いたものであった。

 戦後ほど経ってから、植物学博士東大の名誉教授の本田正次先生ご夫妻と一緒に、砂塚村の丘ひじきの盛りのころに出かけ、寺島家のひじき畑を見学してから双松の松へご案内したところ、松は半分ほど赤葉になって枯死寸前の姿であったが、先生はこんな立派な松を手当てもしない町当局も悪いが、天然記念物に指定するにふさわしいといわれ、早速山形市教育長をしておられた結城先生に連絡して、どこにもない珍木だからといって、ぜひ天然記念物に指定のできるよう手続きをお願いしたら、すぐ県庁から人夫が来て木の根を消毒してくれたり。町の婦人会の方々が酒をたっぷりのませてくれたりした効が奏して、半年後には記念物に指定され、新葉も元気よく出て、みごとに蘇生した写真を結城先生から送られてきたときは、とび上がるほどの嬉しさと喜びを感じた。それから後は帰省ごとに松の姿を見るのが楽しみの一つである。・・・


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妹背の松(相生の松)の今あるは、酒井さんが本田博士をご案内されたおかげだったのである。

弱っていた相生の松.jpg

妹背の松(相生の松) 弱っていた頃

 


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