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「トラオ」(青木理著)をぜひ読んでみて下さい [徳田虎雄]

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2月27日山形徳友会の”新春交流の集い”があった。「トラオ」を紹介する機会が与えられていた。昨年週刊ポストに8回にわたって連載され、暮れに単行本になった。青木理というジャーナリストの著作。5回ぐらいの連載で終わる予定が、好評で延長したとも聞く。著者の付かず離れずのスタンスが徳田虎雄という常識の外で生きている人間の実像によく迫ることになったと思う。 

徳田理事長はいま、意識においてきわめて明晰、しかしその意思を表明する手立ては眼球の動きのみに限られる。しかもそれさえいつまでも可能である保障はない。いつ何時、眼球の動きを支える筋肉も動きを止めるかもしれない、その状態で徳洲会グループ24,000人の総帥として采配を揮う。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とはどのような病気か。筋肉を動かし、運動をつかさどる神経の障害により、脳からの命令が筋肉に伝わらなくなってしまい、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉が次第に動かなくなってゆく、いまだ原因がわからない10万人に約ひとり、国内総患者数は約8,500人。

著者は言う。

≪それにしてもALSとは、何と凄まじい病なのだろうか。全身の自由を根こそぎ奪われながらも、意識と感覚はまったく健常を保ち続ける。・・・・・全身の自由を完全に喪失し、外部との意思疎通の手段まで根こそぎ剥奪されてしまっても、脳は変わりなく機能し、意識と感覚はあり続ける。この想像を絶する苦悩--。いや、それが果たして苦悩なのかどうかすら、本当のところはもはや患者本人にしかわかり得ぬ超絶世界の中にあるというべきだろう。≫(P.15~21)

では、この状況を徳田理事長本人はどう受け止めているのか。

≪--徳田さんには、まだ時間がたくさん残されていると思いますか。
「わたしは、いつしぬかわからないじょうたい。じんこうこきゅうきのじこがあれば(処置が)5 6ふんおくれたらしぬ」
--失礼な質問ですが、徳田さん亡き後の徳洲会をどう考えていますか。
「とくしゅうかいは いのちだけはびょうどうだというたちばで へきちとりとうのいりょうをやる とどうじに とじょうこくの いりょうをやらねばなりません そのたいせいをつくっておかねばなりません 」
--もし今、徳田さんがいなくなったら徳洲会はどうなりますか。
「つづくのはつづくはずですが りとうやへきち とじょうこくに びょういんをつくって いりょうをはってんさせるため あと5ねんは わたしがたいせいをつくるひつようがある」
・・・・・
「ならば いまはいちばんいいびょうきにかかっているかもしれません これからがじんせいのしょうぶ」
--やはり、これからが勝負ですか。
「ひとのためにつくさずに なにがじんせいか せかいじゅうにびょういんをつくる それに じんせいはいつまでもすりるがなくちゃ」
直後に徳田は、歯茎をニッと剥き出しにした。(注・笑いの表現)≫(P.284)

以上を太い縦の軸にして生い立ち、徳之島への米軍基地移設問題、一挙に悪名高からしめることになった保徳戦争の実相、医師会との相克、腎移植への挑戦等々一挙に読ませる内容がつまっている。

徳田虎雄という圧倒的な存在感の前では風に舞う鉋屑のようなものだが、市議在職中、平成5年7月と平成8年10月の衆議院選挙、2回の選挙応援に鹿児島まで駆けつけたことがあった。何の役に立ったかは心もとない限りだが、何日間か一緒の選挙カーに乗って行動を共にした。いちばん訴えたことは、大阪で出ればすぐにも当選できるものを、あえて生まれ故郷の鹿児島から出るという、日本人本来に備わる産土(うぶすな)感覚とでも言うべき徳田虎雄の根っこの思いを鹿児島の人にわかってほしいということだった。いずれ必ず日本が生んだ偉人として道徳の教科書に載る人物だとも言った。今から31年前、昭和56年の3月に出会って以来なかば神様を見るように見てきた存在だった。いよいよ本当に神様に見えてくる。

徳友会の集いの席で「トラオ」という本を紹介するにあたって、自分に何が言えるかを考えて思ったのが、「ALSという過酷な病気の状態にありながら尚、世界中に病院をつくって、ひとりでも多くの人を救いたいとがんばる徳田理事長のためにわれわれができることは、1日でも何日でも多く命を永らえることができるように祈ることではないか。そういう思いにさせてくれる本です。ぜひお読みください。」ということだった。伝わったかどうか。


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めい

「月刊日本」の書評を見つけました。一見どうかな?と思わされる結論ですが、噛み締めてみる必要もありそうです。

   *   *   *   *   *

【書評】 トラオ 徳田虎雄 不随の病院王
12月 21st, 2011 by HP管理者.
青木 理著 小学館書 一五七五円

 東條英機に最後まで抵抗し、終戦直前に自決した政治家・中野正剛は、大塩平八郎を尊敬していた。中野は早稲田大学で行った「天下一人を以て興る」と題する講演会で、天保の飢饉の際の大塩平八郎の振舞いについて言及している。
 大塩が飢餓で苦しむ民衆を救うために反乱を起こさんとしている時、門弟の一人がそれに異議を唱えた。先生は以前も書物を売却して窮民のために炊き出しをしたが、一体どれほどの人を救うことができたというのか、今回も同じ結果に終わるのではないか、と。それに対して大塩はこう答えた。
 「数日前、淀川の堤を歩いていると捨子に出会った。その泣き声が実に俺の耳の底に響く。母親なるものが捨てた子を見返りながら立ち去りかけたが、また帰りきて頬ずりをする。…遂に意を決して捨てて行ったが、その母親さえももう餓えて死にそうな姿であった。
 お前は赤ん坊の泣き声とお前の心との間に紙一枚を隔てている。お前は赤ん坊を見物しているのだ。ただ可哀相だと言いながら……。俺は違う。赤子の泣くのは俺の心が泣くのだ。捨てられた子、飢えたる民、それを前にして見物しながら思案する余地はない。…」
 本書の主人公、徳田虎雄が医師を志した理由を読みながら、私はこの一節を思い出した。徳田は幼少の頃、三歳になる弟を病気で亡くした。徳田の生まれた徳之島は終戦後より困窮に苦しんでおり、治療さえ受けることができれば何ということもない病で幾つもの命が失われていった(本書112頁)。
 徳田が一代で築き上げた日本最大の医療組織「徳洲会」のスローガンは、「命だけは平等だ」である。逆に言えば、命さえ平等でないという現実を、徳田が多く目にしてきたということだろう。徳田は、徳洲会の原点は離島僻地医療であり、それが出来ないのならば徳洲会を潰すとまで言いきる(243頁)。大塩平八郎の如く、徳田は医療過疎状態に苦しむ人々と「紙一枚を隔て」ることができないのだ。
 徳之島と言えば、鳩山総理による普天間基地移設先の「腹案」として、マスメディアに大々的に報じられたことが記憶に新しい。鳩山は自らの腹案への協力要請のため、徳之島に大きな影響力を持つ徳田に直談判を行った。
しかし、基地移設に対する住民の反発は大変なものであった。反対集会には1万五千人もの島民が集まった。島の人口が約二万五千人であるから、およそ六割である。子供や高齢者を考慮に入れれば、ほぼ全島が移設反対に染まったと評しても過言ではないだろう(76頁)。
 徳之島にある三つの町の町長はいずれも徳田直系と言ってもよい人々であったため、鳩山政権が事前に周到な根回しをしておけば局面は変わり得たかもしれない(87頁)。しかし、事ここに至っては、いくら徳田の力をもってしても為す術はなかった。「私の一存でどうにかなることではありません」。鳩山総理の腹案はこうして潰えたのである。
 これは、いくら時の最高権力をもってしても、国民感情を無視しては何も出来ないことの実例である。エルンスト・ルナンによれば、国民とは「日々の国民投票」によって形成される。我々は日々、自分たちが何者であるかを確認し、それに基づいて物事を判断する。それに対して、衆議院議員は、たかだか四年に一度の国民投票によって選ばれただけである。四年に一度の信任を盾に「日々の国民投票」の結果を無視できると考えるのであれば、必ずや天命によって裁かれることとなるだろう。
 徳田は数年前より、体中の筋力が失われていくALSという難病に冒されている。ALSに罹患すると、手足などから筋力が失われていき、ついには呼吸をつかさどる筋肉まで奪われる。その一方で、意識や感覚、内臓機能などは健常に保たれたままである。また、多くの場合、眼球を動かす筋肉だけは生き残るため、文字盤などを使って意思疎通をはかることになる。
 呼吸筋が冒され全身不随となった後も、気管を切開して人工呼吸器を装着することで、かなりの期間命を長らえることができる。しかし、人工呼吸器を装着した後の患者と介護者の闘病生活の壮絶さは、想像を絶するもので、家庭崩壊してしまうケースも珍しくないという(17頁)。
 徳田の場合、徳洲会の医師団と看護団が24時間態勢で付き添うという恵まれた環境にあるとはいえ、並大抵のことではこの難病に立ち向かうことはできない。しかし、全身不随となった後も、徳田は文字盤を使って病院経営の指示を出し続けている。この生命力は一体どこから湧きあがってくるのか。それはやはり徳田の生い立ちに依るのであろう。
 戦後、米軍の支配下におかれた徳之島は、「内地」とは隔絶された境遇に置かれた。砂糖を売るために鹿児島まで「密航」し、米軍の指図で監視している徳之島警察に捕まることもあったという(105頁)。さらに弟の死。困窮と不条理を乗り越えたところ、そこに強い個人が生まれたのである。
 それは、先の大阪ダブル選挙で圧倒的勝利を収めた橋下徹知事も同様である。一部メディアがその生い立ちについて攻撃していたが、そうした生い立ちであるが故に強力な指導力を発揮できたのであろう。
 現在の日本は、強い個人の出現を求めている。中野正剛は「天下一人を以て興る」を次のように締めくくった。「天下は迷わんとする。言論のみでは勢を制することは出来ぬ。誰か真剣に起ちあがると、天下はその一人に率いられる。諸君みな起てば諸君は日本の正気を分担するのである」。天下一人を以て興れ——我々は今こそ中野の言葉を噛み締めなければなるまい。
(編集委員 中村友哉)

by めい (2013-09-18 05:32) 

めい

いい書評を見つけました。
http://e-satoken.blogspot.jp/2014/02/2013_9.html

   *   *   *   *   *

2014年2月9日日曜日
書評 『トラオ-徳田虎雄 不随の病院王-』 (青木 理、小学館文庫、2013)-毀誉褒貶相半ばする「清濁併せのむ "怪物"」 を描いたノンフィクション

徳田虎雄は昭和時代が生んだ「清濁併せのむ怪物」である。一言で要約すればこうなるだろう。

「病院王」で「政治家」。精力的に活動していた全盛期の徳田虎雄氏をテレビ映像つうじて頻繁に目にしていた記憶をもっている人なら、きわめて強い印象をもっているに違いにない。

だからこそ、カラダは動かせないがギョロ目を動かす「寡黙な巨人」としての徳田虎雄氏を見て驚いた。一連の事件で病院チェーンの徳洲会がマスコミにクローズアップされたことによって、ひさびさに徳田氏が健在であることを知ったときのことである。

まさか筋萎縮側索硬化症(ALS)になって闘病生活を送っているとは考えもしなかった。それほど、かつての徳田氏をマスコミをつうじてであれ知っていた人にとっては、現在の徳田氏との落差があまりにも激しいのだ。

筋萎縮側索硬化症(ALS)は、遺伝性はないが10万人に1人発症するという現代の難病である。本人もまさか自分がALSになるとは思いもしなかったはずだ。自分がつくった病院チェーンがあるからこそ、文字通り24時間介護が可能となっているのだが・・・。

クチはきけず、カラダは動かなくなってもアタマのなかはフル回転しているらしい。目で文字板を追いながら意志疎通をする意志の強さ。逆境を乗り越えるなんて生易しいものではない。すごすぎる。


(単行本カバー 2011年刊)

強烈な個性、天真爛漫、非常識、破天荒、激情、情念、バイタリティ、沸騰する血、思い、夢、執念、あきらめない、努力、思いこんだら、猪突猛進、ひたすら前進、うしろを振り返らない、有言実行、モーレツ、一心不乱、反骨、反権力、過剰、けた外れのパワー・・・。

徳田虎雄氏を形容する表現が本書のなかに散りばめられている。それほど精力的な人物だったのである。

そもそも「宿敵」であった日本医師会の武見太郎氏じたい「怪物」だったのだ。この人たちの下で働くのはしんどいだろうが、はたから見ている限りではじつに強烈な個性の持ち主であったといえよう。昭和はまた「怪物」たちの時代でもあった。

「生命だけは平等だ」という理念、「365日年中無休24時間オープン」、「患者さまからの贈り物は一切受け取らない」、「困った人には健康保険の3割負担も免除する」というモットー。

こういった理念やモットーは美辞麗句ではないというのがまたすごいところだ。まさに有言実行、じっさいに僻地や離島でも充実した医療を提供することをで実践してきたのだと著者は書いている。

だが、壮大な理想は、理想実現の手段は選ばず、猪突猛進することで実現された。だからいったん大きな壁にぶつかり、その壁を回り道をせずさらに猪突猛進しようとするとどうなるか? 徳田氏が見つけた「武器」は政治であった。

闘牛とサトウキビの徳之島。闘牛も選挙もギャンブルか。南国らしい愉快であけすけな風土。被支配の歴史と貧困がはぐくんだ反骨精神は、なんだかシチリアやカリブ世界にも似ているような気がする。

悪人性と善人性が矛盾なく同居している人。右も左も関係なく清濁併せ呑む姿勢、しかも根がリベラルで反権力。功罪相半ばする存在であった。

政治家時代に関係のあった栗本慎一郎氏による「社会からの評価に関心がない人」という回想には大いにうなづかされる。主観的な意識と他者の判断のズレ、つまりパーセプションギャップが存在したにもかかわらず、まったく意に介していなかったということか。

病院チェーンの経営において、創価学会と同様、選挙がもっていた意味を熟知していたという著者の指摘が興味深い。日頃、患者からアタマを下げられる存在の医師や看護師が逆にアタマを下げるという貴重な経験。外部の人間にはよくわからないが、著者が書くように、徳洲会はまさに徳田虎雄氏という教祖を頂点にもつ宗教団体のような組織なのかもしれない。

寅年生まれだから虎雄と名づけられたと徳田氏。1938年生まれだから、おなじく寅年生まれのわたしより干支はふたまわり上になる。

その徳田氏はファミリーのチカラを結集して成功し、しかし血族しか頼れないがゆえに、事業には精通していないファミリーの存在が結局は命取りになる。

「(「週刊ポスト」での)連載の最中、徳田から抗議や不満めいた反応は全く寄せられなかった」と著者は述懐している。ささいなことですぐマスコミを訴えては恫喝する、どこぞの国の首相を筆頭にした、じつは小心者で打たれ弱い政治家諸氏には、徳田虎雄氏の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものである。

昭和は遠くなりにけり、か。読んで損のない充実したノンフィクション作品である。

by めい (2014-08-29 04:42) 

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