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(ミヒャエル・エンデが『モモ』で描いた、シュタイナーに通ずる)たしかな心の世界 [幼稚園]

幼稚園の卒業文集のために書いた文章です。

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ちょうちょう組のみなさん、そして保護者のみなさん、ご卒園おめでとうございます。

 昨年の三月十一日からもう一年、あの日を境に私たちの心の持ちようも大きく変わったのではないでしょうか。電気が停まってしまい、小さな光とわずかな暖房をたよりに家族みんなが一所に寄り添ってすごしたあの晩のことは、子供たちの心にも深く刻み込まれたことと思います。

ちょうどその頃、太平洋岸の海沿いの人々はそれこそ恐ろしい体験の最中にあったわけで、それに比べれば私たちなどは何のことはないのかもしれない。それにしても、私たちのあの晩の体験は、人がつながることでのぬくもり合いのかけがえのなさに気持ちを向けてくれたように思います。日本人の震災への対応には外国メディアも驚いたそうです。「他の国ではこんな正しい行動はとれないだろう。日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている。」と。きっと震災の衝撃によって、日本人の見失いかけていたものが霧が晴れるように見えてきたのです。

 毎日ばたばたしていた二十年ぐらい前に読みかけて「もっと落ち着いた気持ちで読まねばこの本に申し訳ない」とそのままにしてあった本を最近読み心打たれました。ミヒャエル・エンデの『モモ』です。「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」の副題がついています。全くかざりっけのない素朴な女の子モモは、人間から時間を奪い、そのことで人間の仕事から本来あったはずのやりがいを奪い、ささくれだった日常をもたらしている犯人灰色の男たちに戦いを挑むのです。エンデは暗に、お金本来の機能を超えた利息を付けることで、個人から国家まで、お金に追われるゆとりのない世の中にしてしまった仕組みを批判したとも言われます。
 モモは世の中のもろもろの虚飾とは無縁の女の子です。モモは、時間を司り人間ひとりひとりにその人の分として定められた時間を配る役割のマイスター・ホラの案内で時間の源へとやってきます。すばらしいファンタジックな場面が展開されます。大きな振り子がゆれる下、丸天井から光の柱がさしこむ鏡のような池に、咲いては枯れ咲いては枯れてゆく、その都度この上ない美しさと香りを誇る奇跡の花、やがてモモはその動きにあわせて聞こえてくる宇宙の声音をしっかりと聞きとめます。《そのとき、とつぜんモモはさとりました。これらのことばはすべて、彼女に語りかけられたものなのです! 全世界が、はるかかなたの星にいたるまで、たったひとつの巨大な顔となって彼女のほうをむき、じっと見つめて話しかけているのです!》モモは、灰色の男たちに打ち勝つ力を手に入れたのです。

今年、本幼稚園は創立六十周年を迎えます。私は創園と共に入園しました。このところずっと、自分自身を反芻しながら、本幼稚園教育の柱は何なのだろうかと思い続けています。そんな時『モモ』に出会いました。モモが見てきた時間の源、実はそれは心の中に広がる世界でした。『モモ』は世界中で多くの共感を得ました。エンデの描いた心の中が普遍性を得たのです。巣立ち行く子供たちが、本幼稚園での教育を土台に、ひとりよがりになるのでない、たしかな心の世界を築いていってくれることを心から願っています。


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