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KH君への弔辞 [弔詞]

10月25日、中学の時の同級生のKH君が亡くなった。ご主人とともに老人施設におられる担任の遠藤先生にお報せしたところ、先生も参列してくださったのはほんとうにありがたかった。先生にとってはずっと気になる生徒だったのだと思う。

    *   *   *   *   *

   弔 辞

 運転している君と車同士ですれ違って、一瞬だったが久しぶりに相変わらずの君の姿を見て、ほっとしたのが十日ぐらい前のことでした。それから間もなく、あまりに突然の訃報、あてにされても「がんばれ」という以外、何の役にも立つことができなかった不甲斐ない自分を省みつつ、逝ってしまった君の顔を拝しました。穏やかないい顔でした。がんばってがんばって生き通して果たし終えた顔にも見えました。

 君の結婚式の司会を務めたのがついこの前のことのように思われます。控えめな花嫁を従えた白いタキシードの君の晴れがましい姿は今でもはっきりと思い浮かべることができます。われわれ同級生の中でも最後の結婚式でした。「よくやった!橋本」。いちばん心配してくれていた遠藤美子先生はじめみんなの思いでした。私も結婚式の司会など最初で最後の経験でしたが、ほんとうに張り切ってやらせていただいたのを思い出します。

 あの時から二十五年だそうです。かわいくてかわいくて仕方がない一人娘のかなさんを語っていた君の顔が思い浮かぶ。仕事がなかなか定まらない君の下で、奥さんには人知れぬ苦労もあったろうが、君は君で「自分は家を守る」と自分の役割を果たしていました。賢明な選択だったのだと思う。二人力を合わせて家庭を築き、両親を看取り、娘さんを立派に育て上げました。四人兄弟の総領として生を享け、兄として人としての務めを十分果たしてこの世を旅立った。かなさんの花嫁姿を見たかった、孫の顔を見たかった、世間にあわせて欲を言えばきりがない。病がちの身体を引きずって生きてゆくよりも、このような去り方が橋本らしかったのかもしれないと、今は思う。

 君は決して器用な人間ではなかった。しかし君の正直な一途さは回りのだれもが認めるところだった。笑みを浮かべているかのようにも見えた旅立った安らかな君の顔に合わせて、器用さなどとは全く無縁だった君を思っているうちに、ふと宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩を思い起こすことになりました。

慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
・ ・・・・
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

 結婚もせず、親にも先立った賢治とは違い、君は決してデクノボーではなかったが、賢治がなりたかった人間に君は限りなく近いところにいたのかもしれないと思えてきた。これからずっと、この詩に出合うたびに君を思い起こし、君を思うたびにこの詩を思い起こすにちがいない、そんな気がしている。先ほど火葬の前に拝した顔も、今飾られている遺影もほんとうにいい顔だ。生きている時よりも亡くなってから却って大きく人の心に生き続ける、それが橋本という人間だったかと今思わされてます。

 遠藤美子先生に担任していただいた中学卒業時四十八人いた同級生のうち亡くなったのは君で八人目、つい先日「次はだれか」とスミヤと話したばかりだった。いずれみんな行く。君を突然失ってしまった奥さんや娘さんの心中を思うと切ないが、なすべきことをなし終えて一足早く旅立った先達として、胸を張ってわれわれを見守っていて欲しい。

 朝の火葬のときからいつになく晴れ渡った空は、天が君のがんばりを認めた証かもしれない。旅立つ君の御魂の安からんことを衷心より祈りつつ、あまり頼りにならなかった友人のせめてものお別れの言葉とさせていただきます。

平成二十三年十月二十九日


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