「9.11 」10周年です [日本の独立]
「9.11 」10周年です。
当時、「新しい歴史教科書をつくる会山形県支部」の正気煥発掲示板を運営していました。9.11直後から活発な意見のやりとりがありました。私にとって、つくる会の本流から距離をおくきっかけとなったのが9.11でした。その後間もなくの9月25日、東京でのつくる会総会で、山形県支部の報告の機会を与えられ、その時9.11への日本の対応に対する異和を述べて野次の応酬に会いました。以来、心血を注ぎ込んできたつくる会の運動の限界を自覚するようになりました。
ふと思い出して、以下を読んだところです。私にとっての10年前の今日と、9.11に関わるその後をまざまざと思い起こしています。
ターニングポイントとしての9.11(Ⅰ)http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2006-04-06
ターニングポイントとしての9.11(Ⅱ)http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2006-04-07
ターニングポイントとしての9.11(Ⅲ)http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2006-04-08
今となっては、9.11が「やらせ」であったことは、ネット上では自明といわざるを得ません。
【ウィキペディア】アメリカ同時多発テロ事件陰謀説http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC
以下が、野次の応酬に会った総会での発言です。
(転載はじめ)
このたびの悲しむべきテロを機に、何とか戦争に持ち込みたくてしょうがないアメリカの言いなりになって、基本的に一神教対立の宗教戦争に巻き込まれようとしている今の日本が情けなくてしょうがない。
長谷川三千子埼玉大教授は、「諸君!」の平成11年11月号「皇国史観とは何か」の中で、
≪日本はその本来の「八紘一宇」の理念にもとづく平和な国際社会を築こうと志しているのに、現実に西洋諸国が作り上げている「国際社会」は、力と力のぶつかり合いを基本原理とする野蛮な世界である。その野蛮な世界秩序に挑戦し、徳治を基本とする「世界新秩序」をうちたてよう!これが大東亜戦争における日本の戦争理念だったわけです。≫と述べられています。
「自由と民主主義」とは、われわれの先輩が大東亜戦争で戦った敵のスローガンではなかったか。本来日本は彼等の対立とは一線を画し、馬鹿げた争いの道を避ける道こそ模索すべき役割を担うべきはず。
しかるに、敗戦の結果の占領政策のまま、パール判事の言葉を借りれば、「罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されて」五十六年、骨抜きにされた我が国は、「ここでアメリカと行動をともにしなければ、われわれが攻められた時助けてはもらえない」との情けない奴隷根性を以って、追随しつつある。
国際社会における本来日本の役割を取り戻すためにも、占領の呪縛から自らを解き放ち、日本のあるべき姿についての共通認識(国体観)、国民としてのアイデンティティーを国民一人一人が取り戻すことは急務です。そのためにわれわれ「新しい歴史教科書をつくる会」の運動の意義をあらためて深く認識し、今後もさらに重大な決意を持って運動に邁進したいと思っております。
(転載おわり)
「国際社会における本来日本の役割を取り戻す」、こんな言葉が今は遠くのことに感じられてしまいます。それどころでない今の日本です。しかしこの苦境を身に受けてもがくこと自体が、格好は悪いけれども、「本来日本の役割」なのかもしれません。・・・あるいはそこから、これまで見えなかった光が見えてくるのかもしれない。
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