SSブログ

「置賜獅子踊り」に寄せて [地元のこと]

初めて置賜獅子踊りを見た。

置賜には10地区ぐらいに残るといわれるが、このたびのは米沢市万世梓山(ずさやま)に伝わる上組と下組のうち下組。場所は梓神社。(御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、大国主命。称徳天皇天平神護年中西暦765年の創建とあるからかなり古い。)

梓神社由緒.jpg

行ってみると、車がすれ違うのにぎりぎりの農道に10台以上縦列駐車。その両側には1枚1枚に奉納者の名前を染め抜いた幟が数十本はためく。境内では玉こんにゃくや飲み物や風船の店があり子ども達も多く賑わっている。30分ほど早く着いたのだが、その時やっていたのが高森務先生作・演出の人形劇。脇で数え年103歳の高森先生がじっと舞台を見つめておられた。ご挨拶もあったらしいが聞けなくて残念。杖をついて歩く後ろ姿は幾分頼りなげのところもあったが、まだまだお元気。5年ぐらい前だったろうか、たしか高森先生のお祖母さんが雲井龍雄の姪だったかで、そのお話を聞きにうかがったことがある。私のことを覚えておられるかどうか不安だったので、挨拶はしそびれてしまった。いま検索していい話を見つけた。米沢日報の交遊録の記事、「浜田広介先生と親子読書運動」です。

IMGP0031のぼり.jpgIMGP0030人形劇.jpg高森務先生.jpg

 

さて獅子踊り。伝わる「大和舞」「春日舞」「三笠舞」のうち「春日舞」。置賜民俗学会の梅津幸保会長の地元ということで、解説入りで45分くらい。引き込まれて見ていた。なかなかの見応えだった。行列をつくって境内に入ってくるところから始まり、また口上が実にいい。踊りの合い間に、受けた花代のご披露もある。6,000円というのが多くて半端な金額で何か理由があるのかと思ったら、倍の金額で披露するのだという。私は家内と二人分のつもりで2,000円納めたのだが、4,000円といわれて何のまちがいかと不審に思っていたところだった。こういう習慣は他にも普通にあるのかもしれない。

DSCF9389梓山獅子踊り入場.jpgIMGP0044口上.jpgDSCF9397梓山獅子踊り.jpg

そもそも行くことになったのは、先週の日曜日(6月26日)に置賜民俗学会に誘われたことから始まる。以下、「週刊置賜」に掲載した報告記事。

(転載はじめ)

置賜民俗学会が再出発
 「置賜の獅子踊りを考える」を開く

 置賜民俗学会が6月26日、サンルート米沢で総会を開催し、新人事体制の下、新メンバーも加えて再スタートした。
 置賜民俗学会は半世紀近い歴史と実績を持つ団体で、江田忠、奥村幸雄、武田正といった錚々たる研究者をリーダーに、置賜各地の民俗調査を行い、会誌「置賜の民俗」を発行し、市町村史民俗編等を執筆するなど、民間の伝統的な生活文化の発掘や継承に力を尽くしてきた。しかし、ここ数年会誌の発行も途絶えたままになっていたが、このたび総会で梅津幸保新会長を中心とした新役員を選出、若手研究者多数の入会を得て一新して事業に取り組むことになった。
 総会の後、事業の第一弾として、研究集会「おきたまの獅子踊りを考える」を開催、会場には置賜各地から獅子踊りの6団体も参加、次代への継承も視野に入れた熱気こもる集会となった。
 集会ではまず、全国の獅子踊りを研究する菊地和博東北文教大学短期大学部教授が各地の事例を挙げながら「三頭獅子踊りの系譜と本質」をめぐって問題提起。「村・集落に祟りをなす怨霊に対する鎮魂供養の踊りではないか」と結論づけられた。
 その後、各団体がそれぞれの由来や特徴さらに現状が抱える問題点などについて説明、そこから浮かび上がった後継者や高齢化の問題について有意義な情報意見の交換が行われた。 東根から参加した長瀞獅子踊りのリーダーからは、種を蒔く気持ちで小学生の時から参加させることで、次第にメンバーが若返り、現在の平均年齢35歳の若さになったとの事例も披露された。 
 最後に菊地教授から、置賜民俗学会が仲立ちしてぜひ獅子踊り団体の置賜ネットワークを組織的に立ち上げてほしいとの提案がなされ、参加者多数の賛同を得ていた。
 参加した置賜の獅子踊り団体は次の通り。
・梓山(上組)獅子踊り保存会 ・梓山(下組)獅子踊り保存会 ・綱木獅子踊り保存会(以上米沢市) ・小松豊年獅子踊り保存会(川西町) ・中獅子踊り保存会(飯豊町) ・舟渡獅子踊保存会(小国町)
新役員は次の通り。
会長 梅津幸保(米沢市) 副会長 小川弘(南陽市) 江口儀雄(白鷹町) 監事 鈴木仁(米沢市) 井上俊雄(飯豊町) 理事 角屋由美子(米沢市) 清野春樹(米沢市) 渡邊敏和(川西町) 嶋貫幹子(長井市) 事務局 嶋貫幹子(庶務・会計) 

(転載おわり)

実はここからが本論なのだが、こうしたいわゆる民俗芸能の方向がおかしくなっているのではないかという疑問。つまり、本来その大本にあった「祈り」のようなものが忘れ去られて、どんどん「見世物」化の方向に進んでしまっているのではないか、という疑問が、置賜民俗学会に参加してみたり、梓山の獅子踊りを見たりしている中でどんどん膨らんできてしまっている。

梓山の獅子踊りの由来は「天正2年(1574)7月に疫病が大流行し、老少みな病に臥し医祷百術を尽くしても止まらず、その時異人来て、毎春彼岸の7日間獅子踊りをすれば災難逃れ、五穀成就すると言われ、実行したら病は治り、以来彼岸7日間神明獅子踊りを踊る」という。

民俗芸能も祭りも出発点には人知を超えたものに対する祈りや願いがあったにちがいない。先に「岩戸開き」に「新たな神代の始まりなのかもしれない」と書いたが、民俗芸能や祭りの原点にある祈りや願い、そのことを否応なしに思い起こさせられる時代になってきているように思えてならないのだ。

わが産土社の祭りも近い。神に通ずる祭りであってほしい。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。