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高橋卓志著「寺よ、変われ」を読む [わが家史]

高橋卓志著「寺よ、変われ」(岩波新書)を読んだ。いまの時代、出るべくして出た本だ。

すっ飛ばして読むつもりで読み始めたのだが、ずしりとした手応えがあった。観念で書かれた本ではなく、裏打ちある体験から搾り出された本である。言葉にしてもらいたくてうずうずしていた現実が次々に言葉となって繰り出され成った本である。

 

いま手元に、1年半前父が亡くなった際、和尚が私に渡したメモがある。

 

    *   *   *

 

23日)  入棺  530分 

      通夜  6時       1

24日)  出棺経 9            2

      出棺  930分  (焼香有り)

      火葬  10時      <1

      葬儀  2時     (自宅)

 

  僧侶  3

    住職     <50

    伴僧 2名  <10×2

 

  法名       <50

    

*   *   *

 

亡くなったその日、枕経を終えて、お手伝いの隣組の方々との話し合いのどさくさの最中、和尚が相談の余地も何もない有無を言わさぬ体で、さもさりげなく私に手渡したものである。<>は金額をあらわす(実際は〇で囲まれている)。〆て124万円。私の覚悟のほぼ倍額。努めて平静を装いはしたが、私はその数字に愕然とし大きく動揺していた。

金を残した父ではない。私に見栄を張るべき立場もない。足が不自由になっている母のことも考えて、自宅で慎ましやかな葬儀ができればいいと思っていた。

檀徒総代の立場もあり寺には尽くしてきたつもりだった。父の晩年は私が代理で務めていた。そもそも後継ぎがなかった寺に願われて、寺を持たない今の住職夫妻を入れるために奔走したのは私だった。双方種々の事情があり、すんなりとは行かぬ苦労の多い仕事だったが、結果オーライで万事めでたく収まっていた。永代院号で戒名代は不要とは聞かされてはいたが、檀家100軒そこそこの寺であるからたまの葬式は稼ぎ時、要らないとは言われても戒名代2030万円ぐらいのつもりはあった。伴僧は和尚の実家の兄貴ひとりでもよかったのだが、坊守(和尚の奥さん)が資格をとったばかりだったので、奮発して二人を指名した。相場は一人7万円のはずだった。それが10万になっていたのにも驚いたが、住職に50万円というのはどう考えても法外だ。

この数字を家族に告げたかどうか記憶は定かでない。その晩は、借金してでもなんとしてでも都合するつもりで眠りについた。で、すぐ寝入ったのだがすぐ目がさめた。「なんで寺のために金をかき集めまでして葬式をやらねばならないのか」その問いが頭をかけめぐっていた。同時に「神式でしないのか」という半分冗談ともつかない前夜の友人の言葉が浮かんでいた。

浮世の義理、あるいは成り行きとしか言いようがない形で仏教ともキリスト教とも関わりをもって生きてきたが、おまえの宗教は何かと問われれば、神道が宗教かどうかの問題はさておいて、ためらいなく神道である。とはいえ、「浮世の義理」も「成り行き」もその重要さにおいて自己選択の意志と同等、あるいはそれ以上としてこれまで生きてきた。生きる前に生かされてあるのである。ものごとは変えずに済ませられるなら変えないほうがいい。しかし、この時は違った。

父をほぼ十全な形で見送ったことで寝起きの心は澄み切っていた。値切りの交渉の余地もあったろうが、神仏事に取引ごとを入れたくはないという気持ちが優先していた。思い通りの葬儀をしようという気持ちに急速に傾いてゆく自分がいた。和尚のメモはそのきっかけを与えてくれたものとして、むしろ私にはありがたく思えてきた。

時は2月、まだ外は暗いが、変えるためにはすぐにも行動を起こさねばならなかった。タイムリミットは隣組はじめお手伝いの方々が集まってくれる8時半。それまでに新たな段取りを整えねばならない。これからの経過にずっと立ち合わせたくて、先ず息子を起こした。妻と母親にこれからやろうとすることを話した。特に母にはきちんと納得してもらわねばならない。了解を得て息子と一緒に寺のある米沢へ車を走らせた。

寺には「提示された金額での葬儀は我が家の能力をはるかに超えている。私の本来の思いに添って神式でやることにした。」と結論のみを伝えた。驚いてはいたが返される言葉はなかった。すぐその足で地元の神社に行った。折よく担当の権禰宜が出勤してきたばかりで、事情を話すとすぐ引き受けていただいた。金額はなにもかもで25万円ということだった。家に戻るとお手伝いの方々がもう集まっていた。

突然の神葬祭への転換にみんなの戸惑いはあったろうが、一度決めればあわただしさの中でいちいち配慮の余裕はない。いい葬式が出来たと思う。喪主挨拶で神式でさせていただいたわけをできるだけ率直に話した。反発の声は一切私の耳には入らなかった。

一段落して親族から言われたのが「戒名を貰うことは出来ないか」ということだった。その思いがわからないわけではない。多少の不本意は伏せて寺を訪ねた。ほかと相談するので初七日まで待って欲しいとの返答だった。実家や周囲からいろいろ言われた風で、態度の硬化が見られた。「値切りの交渉にも応じたのに」という口ぶりでもあった。ともかく初七日のお経をお願いした。

神式で初七日というのも変だが、その辺は融通無碍、とにかく初七日。年に何度もない葬式を当てにしなければならない寺の内情は十分すぎるほどわかっているつもりで、お布施として30万円を用意して待った。寺の立場、原則から考えておそらく無いとは思っていたが、戒名を用意してくれば戒名代ともなるはずだった。案の定、戒名はもらえなかったが、30万円はそのままお渡しし受け取っていただいた。未払いだった枕経分のお布施1万円も添えて。その時は「惜しい」とは思わなかった。その他、伴僧を務めていただくはずだった住職の兄の寺はわが家の墓地のある寺でもあり、葬儀のあと挨拶に行って5万円をお布施として受け取っていただいていた。すべて当初の覚悟の範囲内である。

さてそれから半年ほど経った頃、坊守から突然の電話を受けた。住職が坊守と言い合いの末、「死んでやる」と屋根から飛び降りて大怪我をしたというのである。その原因というのが、住職が20歳近くも年上の女に狂ってのこと。坊守は知らなかったがわが家の葬式の頃はもうすでにその女とのつきあいがあったらしい。坊守が言うには、わが家で葬式を神式でしたのはそんな和尚に葬式をあげては貰いたくないという判断からと総代役員の間では話になっているのだとのこと。もとより私には初耳のことばかり。思うにこれまでの諸々、先祖のご配慮としか考えようがない。その後住職は当然の事ながら、坊守はもとより檀家からも三下り半、はるか年上の女性とむつまじく暮らしているらしいからめでたしというべきか。

その後坊守には祖父母の命日(二人とも同じ23日)に毎月お経をあげていただいている。先般、開寺以来の過去帳を見せていただいたが、400年来の寺とのお付き合い。父の葬儀は神式でしたものの、母とてこの先長くはない、いったい今後どうしたものか、そんな迷いの中にあっての「寺よ、変われ」との出会いであったわけで、いちいち納得しつつ読んだのだが、迷いはそのまま継続中。とりあえずは今回はここまで。 


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コメント 4

aosima0714

初めまして!
遊びに来ました!
良かったら私のブログに来てくださいね!
これから、ちょこちょこ遊びにきます!よろしくです<m(__)m>
by aosima0714 (2009-08-05 17:45) 

umino

 めい様、大阪のuminoです。本当にお久しぶりです。私も3年前に父を亡くしました。
父が亡くなった後すぐに葬儀屋さんが来て、お通夜からお葬式までの段取りと費用の話し合いをしました。
その儀式の中で「湯棺の儀」という儀式があり、入棺前に(父の体を)お湯で綺麗に清拭する・・・というものでした。
父が入院していた病院はとても良心的な病院で、父も私達家族も先生はじめ看護士さんたちともすぐ仲良くなりました。父が亡くなった時も皆さんポロポロ泣いてくれました。
そして看護士さんたちが泣きながら父の体を丁寧にかつ、綺麗に拭いてくれたのがとても嬉しかったので「それはお断りしたい。」と申し出ました。
でも「これは絶対に受けてもらわないといけない」と言われ仕方なく受けました。
もちろんこの儀式の費用一人頭何万とかかります。
今でも母や姉と「あれはいらんかったよな。」と話しています。
肝心なのは「どうおくってあげるか」だと思うのです。おくりだす方の気持ちですよね。

話が変わりますが、わが町・箕面の近隣の町の高槻の資料館に上杉茂憲さんの鎧兜が飾ってありました!米沢を思い出し、とても嬉しかったです。
では、失礼します。



by umino (2009-08-14 16:27) 

めい

葬式仏教、いよいよ断末魔の始まり、そんな気配です。
みんな「おかしい」と思っている。アマゾンが蟻の一穴になったようです。

   *   *   *   *   *

大槻義彦の叫び
仏教の堕落、『葬儀屋仏教』、もう消滅の時期
http://29982998.blog.fc2.com/blog-entry-1020.html

  皆様、明けましておめでとうございます。

ここまできたか、仏教の堕落。朝日新聞12月26の
記事をまず引用しよう。
    (以下引用)
お坊さんネット手配「中止を」 アマゾンに仏教会要請へ
佐藤秀男2015年12月26日03時02分

 ネット通販大手のアマゾンジャパンで申し込むことが
できる僧侶の手配サービスが始まった。このサービスが
「宗教行為を商品化している」として、全国の主要宗派な
どでつくる全日本仏教会(全仏)が年明け、米アマゾン本
社に対して文書でサイト掲載の中止を申し入れることが分
かった。。。。売買されるのは僧侶の手配を約束するチケッ
ト(手配書)で、基本価格は税込み3万5千円。クレジッ
トカード決済もできる。アマゾンやみんれびの手数料を除
いた分が僧侶に「お布施」として入る。アマゾン経由でみ
んれびに10件以上の申し込みがあった。これに対し全仏
は24日、斎藤明聖(あきさと)理事長名で「宗教行為を
サービスとして商品にし、宗教に対する姿勢に疑問と失望
を禁じ得ない」との談話を発表。
 仏教界が神経をとがらせるのは、宗教行為の「商品化」
や「ビジネス化」が広がると、宗教法人へのさまざまな税
制優遇の根拠が揺らぎかねないと懸念しているからだ。現
状では、宗教法人が得るお布施は喜捨(きしゃ、寄付)と
みなされ、法人は消費税を払わなくていい。僧侶個人が得
たお布施は所得税の課税対象になるが、法人に入った場合
は法人税が非課税だ。
   (引用終わり)
 あきれ果てコメントする気分にもなれない。『お坊さん
のネット宅配』という宗教を小馬鹿にする態度に仏教界が
抗議しているのかと思いきや、なんと『税金を払いたくな
い』というのが動機だというのだからあきれた話ではない
か。
 仏教は昨今、すでに宗教ではなく単なる『葬儀屋さん』
である。読み上げるお経もわざわざ一般に分かり難く唱え
て解説もしないし、説明も出来ない。お経を読むお坊さん
そのものがそのお経の哲学が分からない。
 一方、そのお布施とやらは高額になっている。私の知り
合いも半日の葬儀で 『200万円とられた』と言って嘆い
ていた。お坊さんとウラでつながっている葬儀屋の社長か
ら『200万は出してくれ』と言われたのだそうだ。
 これが宗教か?!宗教法人の優遇税制とは何だ?!宗教
法人からの税金をとって『ティッシュまで食べた』という
極貧の母子家庭を援助せよ!
 『お坊さんの宅配』は止めれば よい。ついでに宗教法人
特別税制もやめろ。いっそ、堕落した仏教葬儀屋もやめろ。

by めい (2016-01-08 05:13) 

めい

aosimaさん、uminoさん、コメントありがとうございます。コメントチェックしてなくて申し訳ありません。

父を送って9年、母を送って6年になります。あっという間です。神道に変えてよかったと思っています。寺との縁は切っていません。墓は寺にありますし、寺費も以前同様納めています。今も祖父(昭和45年没)、祖母(昭和46年没)の祥月命日にはお経を上げていただいています。なんとか50回忌までつづければと考えています。

uminoさん、またお出で下さい!
by めい (2016-01-08 05:30) 

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