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うれしい川勝平太知事誕生 [選挙]

私には一筋の光明が見えてきたように思えたうれしいニュースだ。

「富国有徳論」(紀伊国屋 1995)を引っ張り出してきた。

≪新しい社会をになう日本人をどのように形容すればよいでしょうか。男性、女性を問わず、世俗にあって廉直な心を持続する者のことを「士」、豊かな物の集積を「富」と名づければ、新日本の建設のために、両者を兼ね備えた「富士のごとき日本人」こそ、めざすべき新しい日本人、いや、とり戻すべき本来の日本人の姿でしょう。≫(『提言・富国有徳の国づくり』)

これほど骨太なビジョンがあろうか。「廉直」という言葉がいい。「心が清らかで私欲がなく、正直なこと。」という。日本の政治がもう忘れかけていたものだ。15,000票という僅差の勝利。日本が日本であるために首の皮一枚でつながった。川勝氏は今の日本、われわれの世代の中で最も優れた知性と思えていた。雑音に惑わされず、静岡に”日本の理想”を実現するために邁進されることを心から期待したい。そしていずれその成果を国政に。あせらずあわてずじっくりと。

あらためて「富国有徳論」を読んでみることにします。

 


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めい

就任記者会見から。
何を目指そうとしているかよくわかります。
山形県にぴったりです。吉村知事ともぜひ仲良くしていただきたい。

   *   *   *   *   *

経済学者で有名な人、例えばサー・ジョン・ヒックスという人がいます。この人はノーベル賞を取った方ですが、彼がノーベル賞を取ったときに、最も自分を評価してほしかったのは経済史の理論だと言いました。あるいはシュンペーターという人がいますが、この人も最近盛んな技術革新とか企業者とか、経済発展とかこうした言葉を最初に言った人ですが、この人の最後の集大成が景気循環論で、ヨーロッパ中心ですが、17世紀から20世紀全般に至るまでを分析したものです。マルクスの資本論はイギリス経済の16世紀から19世紀の分析ですね。現状というのは、今も現状ですが、しかし今もあなた(記者)がいるのはどうしてかと言うと、大学を卒業して試験に受かってここにいる。自分がその歴史が分かる、自分の過去が分からないと現状が分からない。己の現状を知るということは己が歩んできた道を正確に知るということです。ですからそれが短期的には、今日明日のことになる、株価の動きのように。それと日本の経済構造、第一次産業から第二次、第三次産業に移ってきた。そういう流れがありますが、それが長期の現状分析です。経済史というのは現状の長期的分析ということで、これを重箱の隅を掘るような昔のおたくがやるような趣味の学問だと思われていればそれは誤解です。すべての経済学は時間というベールに包まれますから、経済史という分野に至ると。経済史というものこそ経済学の王者と思っており、歴史的な、長期的な現状分析ということです。さて、今の景気は非常に厳しいです。これは明治以降、日本は原料を輸入して製品を輸出するという、それまでは自給自足ですけれど、日本は300の地域に分かれていましたから、そこの間で、自分のところで獲れるものを特産物にして他地域と交換する、それを大阪と江戸でやっていましたが、それが明治以降開国になって、原料を輸入して製品を加工、日本も加工貿易の国だというふうになり、原料を輸入したその場所で加工すると一番効率的なので、臨海工業地帯ができた訳です。そうした臨海工業地帯的なものが静岡県ですと浜松などに集中しています。海外に大きな市場をもって、ヨーロッパ、アメリカの人たちが作っているものを、より安くかつ品質のいいものを作って海外の市場を日本製品市場にしていくということをしてきました。ところがそれが立ち行かなくなっていると、海外市場が落ち込んでいると同時に、より日本よりも効率的に作る、労働力が安いアジアの地域が競争として出てきていますので、したがって日本の経済構造自体を変えなければならない。そうした中で、大きな流れとして言えば外需依存から内需依存、あるいは内需の拡大という方に向かうべきだと思っています。その場合、静岡県内に即して言えば、例えば東京ですと内需と言うと、人がお金を使うだけのことになりますが、静岡県内となると第一次産業というものがすぐに目に入ってくる訳です。山があって、森があって、そしてすばらしい農村景観があって、同時に、非常に多様な遠州灘、駿河湾、相模湾という海が広がっており、漁港もあります。山の幸、農の幸、海の幸、全部ある訳です。こういう大地に立脚した産業は、どちらかというと「遅れた産業だ」とか、「見捨てられかねない産業」と言われ、実際担い手も少なくなっています。しかし、担い手が少なくなっていくことによって、本来もっと活かされるべき資源が活用されていません。全ての基礎は農と言われますが、そこの基本が忘れられているということで私は、「食と農の改革」が経済改革になると信じているのです。ただそれは、第一次産業だけを重視している訳ではありません。日本全体の食料自給率がカロリーベースで4割だということは、あちらこちらに依存していることです。流通、運搬、販売戦略、こうしたものが全部関わってきます。そうすると、交通インフラをどうするか、これは第二次産業に関わってきます。販売戦略をどうするか、これはマーケティングになるので第三次産業です。ですから、第二次産業が突出して、これはものづくりの技術ですが、その技術を、「農」-農と言うと農業だけのようになりますが、私が農という形で強調しているのは、実際は、水と緑と土の産み出す物産です-こうした農の可能性は非常に大きいです。特に、世界の食糧事情が厳しくなっています。そうした中で、エネルギー問題と食糧問題が拮抗します。エネルギー代が上がると食糧が高騰します。食糧を作るのに石油を使いますが、それではチップスを使うとどうなるか、ペレットを使ったらどうなるか、そういう代替案があるはずです。そういうことをひとつずつ見ていくと、水と緑と土に立脚した形で第一次産業から第二次産業、第三次産業を全部組み替えるという構想・戦略を打ち立てるべきだということが私の経済政策です。日本の戦略、フロンティアは外需のみならず、内にあります。静岡県域内にあります。また、静岡県に隣接する地域、山梨県、長野県、さらに日本海側にもあります。成熟した産業は、 100年前のイギリスがそうですが、非常に豊かに内側が成熟します。イギリスも最初は輸出産業でした。世界の工場として綿織物等を4分の3輸出して、19世紀末から20世紀にかけて田園都市構想が出てきて、中が成熟していきます。そうした中でイングリッシュカントリージェントルマンだとか、本来の豊かな生活は都市ではなく農山村にあるというライフスタイルが生まれています。日本でも既に、大都会の中で屋上緑化だとか、壁面緑化だとか、あるいは家庭菜園をしたりとか、安全な食物が欲しいので子供たちを山村に留学させたいとか、そういう動きが出ています。その動きの果てにあるのは何かと言うと、内なるフロンティアです。そのことは十分に、説明不足という意味では届かなかったかも知れませんが、それは高揚力を上げることになります。しかも、「海外需要が引っ込んだ、従って労働力を削らなければならない」という乱暴なことにならないで、食と農というのは毎年毎年大地が生んでくれるのです。そこに立脚している限り、食べるものが無いから命を絶つとか、お金がない、食べるものが無い、食べるものが買えない、経済的な苦しみのために命を絶つということがなくなるということです。本当に安全で安心な生活をするための経済戦略は、20世紀までの、あるいは明治維新以降日本がやってきた経済システムの加工貿易型から、大地に即した技術、環境技術に対してはものすごくフロンティアが広がっていると思います。
by めい (2009-07-12 05:01) 

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