SSブログ

石原莞爾と遠藤三郎中将 [遠藤三郎]

昨日の山形新聞夕刊に、庄内農高の阿部博行先生が書かれた「石原莞爾の『戦後』いかに」という文章があり、その最後に遠藤三郎中将について言及されていました。遠藤中将はもっともっと知られていい方です。特に狭山市に寄託されてあるはずの80年以上にわたる膨大な日記は今どうなっているのか。すごい宝の山と思うのですが。

阿部先生の文を転載させていただきます。

   *   *   *   *   *

私が「石原莞爾―生涯とその時代」で戦後の石原を書いていた時、思い浮かべたのが元陸軍中将の遠藤三郎である。遠藤は石原より4歳年下で、東置賜郡小松町(現川西町)に生まれた。石原関東軍作戦参謀になるなど、重要な局面で石原と関わることになる。戦後、戦犯として巣鴨拘置所に入所、不起訴で釈放後、家族とともに埼玉県狭山で開拓の鍬を振るう生活を送った。

日本の再軍備に反対し憲法擁護の運動に参加、55年以降しばしば中国を訪れ、日中国交回復に尽力した。そのため、「国賊・赤の将軍」といわれ、旧軍人の会合から閉め出された。荒木貞夫元陸軍大将が遠藤宅を訪れ、非武装中立や日中友好で旧軍人を乱すなと戒めたこともあったという。

遠藤は91歳で死去するが、生前建てた墓碑には、「軍備全廃を訴え続けた元陸軍中将遠藤三郎 茲に眠る」と彫られた。

   *   *   *   *   *

遠藤中将については、3年前に書いています。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2006-04-20

コメント欄に機械計算課長さんへのレスで次のように記していました。

私にとっての遠藤三郎中将のすごさ(特異性)は、
1. 80年間「日記を書く」という行為によって培われた倫理性。たとえ発表を前提としないものであっても、「書く」という行為によって自ずから「あるべき自己」が顕現し、そのことによって行動も律せられてゆくという典型としての生き様。
2. ≪航空兵器総局長の時、兵器産業を営利を目的とする株式会社に委することは不合理と思い、強引にこれを国営として「赤の将軍」のニックネームを附せられた≫とあるように、戦争の拡大が兵器産業の利潤追求と表裏の関係であることを体験を通して痛感し、その関係を断ち切るべく主張し行動されたこと。
この二点です。

【26.7.21追記】

アイゼンハウアー米大統領が退任の演説で、「軍産複合体」成立の経緯を語り、その肥大化に警告を発しています。その訴えの切実さは、まさに遠藤三郎中将と同じものです。全文の日本語訳を読んで感銘をうけたところです。多くの方にお読みいただきたくてコメント欄でなく本文に追記しました。(要点部分のフォントサイズを変えましたので、そこだけお読みいただいても結構です。)

http://ad9.org/pegasus/kb/EisenhowerAddress.html

   *   *   *   *   *

 アイゼンハワーの国民への離任演説,1961年1月17日

ver.0.95 ('08.4.4)

アメリカ国民の皆さん,こんばんは.まず私は,この何年間,皆様への報告とメッセージを伝えるために私に機会を与えていただいた,ラジオとテレビの関係者に感謝申し上げたいと思います.今夜も皆さんに話しかける機会を与えられたことに対して,彼らに特別の謝意を表します.

3日後に,我が国に奉仕してきました半世紀を経て,伝統的で厳粛な式典において大統領職の権限を私の後継者に与え,私は職を辞します.

今夜,私はお別れのメッセージを皆様にお届けし,最後にいくつかの考えを皆様と分かち合いたいと思います.

国民の皆様と同様に,私は新大統領の,また彼とともに働く人々の成功を祈ります.私は,将来においてすべての人々が平和と繁栄に恵まれることを祈ります.

国民は,大統領と議会がこの重要な時に諸問題についての基本的な合意を見つけ,その賢明な解決策が国家をより良く形作って行くことを期待しています.

議会との私との関係は,はるか昔,ある上院議員が私をウェストポイント(陸軍士官学校)の教官に任命した時に遡ります.初めは遠い関係でしたが,戦争とその直後の時期に親しいものになり,最後のこの8年間はお互いに相互に依存し合う関係になりました.

この最後の頃の議会と政府は,最も重大な問題について,単なる党派心ではなく国家のために役立つようによく協力し合いましたので,国家業務は着実に遂行されました.したがって,議会と私との公的な関係の終わりに際し,私はこのように良く協力し合えたことへの感謝の気持ちを抱いています.

大国の間の4つの大きな戦争を経験した一世紀の中間点を過ぎて,今10年が経ちました.これらの戦争のうちの3つは我が国自身が係わりました.これらのホロコーストにもかかわらず,アメリカは今日世界で最強であり,最も影響力があり,最も生産力の高い国家です.この優位性を当然誇りにしていますが,それ以上に私たちは,その指導力と地位が,単にわれわれの不相応な物質的進歩や富や軍事力だけではなく,われわれの力を世界平和および人々の生活の改善のためにどう使うかということに依存することを理解しています.

アメリカの自由な政府の波乱の歴史を通じて,そのような根本的な目標は,平和を守り,人間活動の成果達成を助けること,そして諸民族および諸国家の自由と尊厳と独立を前進させることでした.

わずかなものをめぐって争うことは,自由で信仰深い民族にふさわしいものではありません.

傲慢や無理解のために,あるいは犠牲を嫌ったために起きるどのような失敗も,私たちに国の内外で大きな傷を負わせるでしょう.

これらの崇高な目標への前進は,いま世界を巻き込む争いによって常に脅かされています.この前進は私たちの全身全霊の注意を要求します.私たちは,地球的な広がりを持ち,性格的に無神論で,目的追及において冷酷で,その方法において狡猾な,敵意あるイデオロギーに直面しています.不幸にもそれがもたらす危険性がいつまで続くかは分かりません.これにうまく対処するには,危機に対する感情的で一時的な犠牲が多く要求されるわけではなく,むしろ着々と確実に,長く複雑な戦いの重荷を淡々と担って進んで行くという犠牲が要求されるのです.自由を支えとして.これによってのみ私たちは,いかなる挑発があろうとも,恒久平和と人類の福祉の増進への針路を取り続けることが出来ます.

危機は常に存在し続けるでしょう.国内であれ国外であれ,大きいにせよ小さいにせよ,危機に直面する時,華々しい,また金を掛けた何らかの行動によって現在のすべての困難が完璧に解決するかのような誘惑に繰り返し駆られるものです.我が防衛力の新たな装備を大きく増やすこと,農業ではあらゆる病害を駆除するというような非現実的な計画の推進,基礎研究と応用研究の劇的な進展,これらの,また他の多くの可能性は,それぞれがそれ自体としては有望で,我々が辿りたいと思う唯一の方法として提案されるでしょう.

しかしそれぞれの提案はより広い視野から比較考量される必要があります.すなわち,国家の諸計画の間のバランスを保つ必要性,私的経済と公共の経済との間のバランス,コストと期待される利益のバランス,明白な必要性とあれば便利というものとのバランス,国民としての基本的な要求と国家が個人に課す義務とのバランス,現在の施策と将来の国民福祉とのバランスです.良い判断というものはバランスと前進とを求めます.それなしではアンバランスと失敗という結果になります.

何十年にも亘る実績は,私たち人民とその政府が,概して,脅威と圧力に直面しながらこれらの真実を理解し首尾よくそれらに対応したことを証明しています.

しかし,新たな種類ないし度合いの脅威は絶え間なく起こっています.

私は,これらの中の2つについてだけ述べたいと思います.

平和を維持するための不可欠の要素は私たちの軍組織です.私たちの武力は強力かつ即応的でなければならず,そうすればだれも自らの破滅の危険を冒してまで侵略しようとはしないでしょう.

私たちの今日の軍組織は,平時の私の前任者たちが知っているものとはほとんど共通点がないどころか,第二次世界大戦や朝鮮戦争を戦った人たちが知っているものとも違っています.

最後の世界戦争までアメリカには軍事産業が全くありませんでした.アメリカの鋤*の製造者は,時間をかければ,また求められれば剣[つるぎ]も作ることができました.しかし今,もはや私たちは,国家防衛の緊急事態において即席の対応という危険を冒すことはできません.私たちは巨大な規模の恒常的な軍事産業を創設せざるを得ませんでした.これに加えて,350万人の男女が防衛部門に直接雇用されています.私たちは,アメリカのすべての会社の純収入よりも多いお金を毎年軍事に費やします.

莫大な軍備と巨大な軍需産業との結びつきと言う事態はアメリカの歴史において新しい経験です.その全体的な影響は--経済的,政治的,そして精神的な面においてさえ--すべての都市,すべての州議会議事堂,そして連邦政府のすべてのオフィスで感じ取られます.私たちは,この事業を進めることが緊急に必要であることを認識しています.しかし,私たちは,このことが持つ深刻な将来的影響について理解し損なってはなりません.私たちの労苦,資源,そして日々の糧,これらすべてが関わるのです.私たちの社会の構造そのものも然りです.

我々は,政府の委員会等において,それが意図されたものであろうとなかろうと,軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません.誤って与えられた権力の出現がもたらすかも知れない悲劇の可能性は存在し,また存在し続けるでしょう.

この軍産複合体の影響力が,我々の自由や民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにせねばなりません.何ごとも確かなものは一つもありません.警戒心を持ち見識ある市民のみが,巨大な軍産マシーンを平和的な手段と目的に適合するように強いることができるのです.その結果として安全と自由とが共に維持され発展して行くでしょう.

我が産軍のあり方の根本的な変化とごく類似し,またその変化を生じさせた主たるものは,最近の数十年間に起こった技術革命です.

この革命では,研究活動が中心的なものになり,それはまたより計画的になり複雑化し,費用がかかるものとなってきました.着実に増加する研究予算の配分は,連邦政府のために,連邦政府によって,或いは連邦政府の指示に基づいて実施されています.

今日,自分の仕事場で道具をいじくり回している孤独な発明家は,実験室や実験場の科学者による研究チームの陰に隠れてしまいました.同じように,歴史的に,自由なアイデアと科学的発見の源泉であった自由な大学が,研究方法における革命を経験してきました.莫大な資金が絡むという理由を一因として,科学者にとって政府との契約が知的好奇心に事実上取って代わっています.使い古した黒板の代わりに,現在,何百台もの新しい電子計算機があります.

連邦政府による雇用,プロジェクトへの資源配分,および財政力によるわが国の学者層への支配の可能性は常に存在しており,このことは深刻に受け止められるべきです.

しかしまた私たちは,科学研究と発見を当然敬意を持って扱いますが,その際に公共の政策それ自体が科学技術エリートの虜となるかもしれないという逆の同等の危険性も警戒しなければなりません.

これらの,あるいは他の権力や影響力,それらには新しいものも古いものもあるでしょうが,それらを,自由社会の究極の目標を絶えず目指しているわれわれの民主主義制度の諸原則の中にはめ込み,それらとバランスを取り,それらと統合させていくのは政治家の仕事です.

バランスを維持することにおける別の要素は時間です.私たちが社会の未来を見つめるとき,私たち‐あなたと私,それに政府‐は,自らの安楽と利便のために,未来の貴重な資源を略奪して今日だけのために生きるという衝動を避けなければなりません.私たちは,孫たちの世代に属する物質的な資産を抵当に入れることは出来ませんし,それは政治的,精神的な遺産についても,その損失を要求することになってしまいます.私たちは民主主義がすべての未来の世代において存続することを望んでおり,それが明日は破産してしまった見せかけのものになることを望みません.

まだ書かれていない歴史の長い道を下って見ると,アメリカは次のことを知っています.それは,我々の,いっそう小さくなりつつあるこの世界は,ひどい恐怖と憎悪の社会ではなく,相互の信用と尊敬にもとづく誇るべき同盟にならなければならないということです.

そのような同盟は互いに対等な国々の同盟でなければなりません.最も弱い立場の者が,道徳的,経済的,軍事的な力によって守られた我々と同等の自信を持って話し合いのテーブルにつかなければなりません.このテーブルは多くの過去の失敗の傷跡を残していますが,戦場の悲惨な経験を理由に投げ出してはなりません.

相互の尊重と信頼による軍備縮小は継続する緊急の課題です.併せて,私達は意見の相違を,武力ではなく,知性と慎み深い意志をもって調停する方法を学ばなければなりません.このことの必要性は極めて鮮明かつ明白なので,私は,この分野については明確な失望の気持ちを持ってこの公職を去ることを告白せざるを得ません.戦争の恐ろしさと今なお残るその悲しみを目の当たりにした者として,また,別の戦争が,かくもゆっくりと,またかくも苦痛を伴いながら数千年以上もかけて作り上げられて来たこの文明を完全に破壊できることを知る者として,恒久の平和が間近であると今宵皆様に言えたらと思うのですが.

幸いにも,私は戦争は避けられて来たと言うことができます.究極の目標へのたゆみない前進がなされてきました.しかし多くのことがなされないままに残っています.一市民として,世界がこの道に沿って進む一助となるよう,どんなわずかなことでも私のできることを続けたいと思います.

大統領としての私のこの最後の挨拶で,私は,皆様方が,戦時においてもまた平時においても私に与えていただいた多くの機会に感謝致します.その仕事の中には,いくつかの価値あるものを皆様が見つけていただけると確信しています.そのほかのことに関しては,私は,将来あなた方がより良い方法を見出して下さることと思います.

市民の皆さん,あなた方と私は,すべての国家が,神の下で,正義をともなった平和という目標に到達するという強い信念を持たなければなりません.私たちが,常に確固として原則に忠実であり,信念を持ちながらも力の行使においては謙虚であり,国家の偉大な目標の追求においては勤勉でありますように.

私は,世界中のすべての人々に向けて,アメリカの祈りを込めた不断の抱負を再度表明します.

私たちは祈ります.すべての宗教,すべての人種,すべての国の人々がかれらの重要な人間的ニーズを満たせるように,いま(仕事の)機会を失っている人々が十分にそれを享受できるように,自由にあこがれるすべての人々がその精神的な恩恵を得られるように,自由を持つ人々はその重い責任を理解するように,他の人々の必要に無関心なすべての人々は思いやりを学ぶように,貧困の苦しみ,病気や無知の苦しみが地球からなくなるように,そしていつの日にか,すべての人間が,たがいの尊敬と愛が結びつける力によって確かなものとなる平和の中で共に生きることを.

さて私は金曜日の正午に一市民となります.私はそのことを誇りに思っています.そして楽しみにしています.

ありがとうございました.おやすみなさい.

 


 訳者註

* 「鋤」は民生産業,平和産業の代名詞


【26.7.21さらに追記】


遠藤三郎中将の最後の年賀状を再掲しておきます。この10年後、1984(昭和59)年10月1日、91歳で亡くなります。その1ヶ月前まで書き続けられた日記が狭山市中央図書館に保存されています。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000018339

一般の閲覧不可とのことですので、なんとか本格的研究者が出てきて欲しいです。


御挨拶
一九七四年元旦
遠藤三郎

幾度も死線を越えて八十一年を過しました。逆縁の悲しみもなく二曾孫まで儲けましたことは天地の恵み、神仏の加護、皆様のお情けによるものと感謝しております。

前半生は軍人、後半生は農民、功罪は別として随分我武者羅に我が路を歩み続けたものと思います。関東大震災の際は江東方面の警備に当てられ、孤立した数万の罹災者に独断深川の糧秣倉庫の米を分け、鮮人騒ぎの最中数千の鮮支人を習志野廠舎に護送して現地司令官に叱られ、二・二六事件には武力鎮圧に反対して単身反乱将校を訪ねて自首を勧め、自決した野中大尉を弔問して当局ににらまれ、聯隊長の時部下一等兵の所罰問題で軍法会議と争い師団長から「現代の法規を無視し新たに法を作ろうとする悪思想の持主」と烙印を捺され、関東軍副長の時中央の対ソ攻勢作戦に反対して消極退嬰恐ソ病者として職を追われ、飛行団長として中支および東南亜の戦場に出されましたが皮肉にも四回も感状を授けられたことは面映いことでありました。航空兵器総局長官の際は軍需産業を民間の営利事業に委するのを誤りとして国営に移し赤の将軍と呼ばれ、本土決戦に反対して徹底抗戦組から狙われ、敗戦直後軍備の全廃を日本の黎明と新聞に発表して軍人の激怒を買い、巣鴨戦犯拘置所に入れられてはマッカーサー司令官に報復的野蛮の裁判と抗議し、朝鮮動乱の際は「日本の再軍備反対と国際警察部隊設置の提唱」を公にして特審局から箝口令を敷かれ、一九五五年に新中国を視察し速かに中国と国交を結ぶべきを訴えて国賊と罵られるなど思い出は尽きません。

幸いにして日本の非武装は憲法に明示され、時の流れは日中の国交を正常化し、札幌裁判も自衛隊違憲の判決を下し、国連もまた私の主張する「国籍を離れた個人志願による国際警察」とはまだ隔りはありますが、国際監視部隊を紛争地に派遣する様になりました。

先のベトナム戦争も今回の中近東戦争も共に軍隊の価値の限界を示し、日本国憲法の正しさを証明しました。

私も恥なく祖先の許に行けると思います。老化も進みましたので今後御無音に過ぎるかもしれません。失礼の段は何卒御宥恕賜りたく、永い間の御厚誼誠にありがとうございました。

皆様の御多幸を御祈りして御挨拶と致します。


 


 


nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 6

めい

遠藤三郎中将についてのいい記事がありました。秋葉洋作品集「天皇陛下と大福餅」です。http://www.saitousika.com/article/akiba23.html
by めい (2009-10-11 06:22) 

めい

「日本は近代戦争に対して最も脆弱な国になってしまった。日本は戦争ができない国、してはならない国になってしまった。日本は何があっても戦争をしてはいけない国になったのである。 」http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/
この認識からの出発。
天木直人氏の言説に、遠藤三郎中将のことを思いだしました。
この欄に記録しておきます。

* * * * *

憲法9条こそ最強の安全保障政策だ(天木 直人、日経BP)
http://www.asyura2.com/09/kenpo3/msg/281.html
投稿者 tk 日時 2010 年 10 月 01 日 18:01:26: fNs.vR2niMp1.


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/?ST=print

憲法9条こそ最強の安全保障政策だ
自衛隊の専守防衛化とアジア集団安全保障体制の構築を急げ
2010年9月29日 水曜日 天木 直人

 菅直人内閣は、年末までに新しい防衛大綱を閣議決定する予定だ。防衛大綱は、日本の中期(5~10年)の安全保障政策の指針を示す重要な文書である。本来なら昨秋、改定する予定の文書だったが、政権に就いたばかりの民主党が1年延期した。

 このコラムでは、外交官や自衛隊のOB、国際政治学者などの専門家が考える防衛大綱の「私案」を紹介する。日本は、集団的自衛権の行使を今後も 禁止し続けるべきなのか? 非核三原則、武器輸出三原則などの「原則」を今後も維持し続けるべきなのか? 日米同盟はいまのままでよいのか? 米軍基地は日本に必要なのか?

 安全保障政策に関する議論は、これまでタブー視されてきた。しかし、本来はみなで議論し決めていくものである。このコラムで紹介する私案は、ビジネスパーソンが自分のこととして安全保障政策を考える際の座標軸づくりに役立つはずだ。

 今年中にも「新防衛計画の大綱」が民主党政権の手によってつくられる。これまでにも防衛計画の中・長期計画は幾度となくつくられてきた。しかし今度の新防衛計画の大綱は、政権交代を実現した民主党が初めてつくる防衛計画である。折りしも国際情勢は激変しつつある。そんな中で新しい防衛計画はどうあるべきか。

 結論から言えば、これからの防衛政策は、日米同盟に依存するのではなく、日本の国益を優先した自主、自立した防衛を目指すべきである。

 そう言うと読者は、私が「憲法9条を改正して強い軍隊を持つべきだ」と主張しているように受け取るかもしれない。しかしそうではない。その逆だ。憲法9条を世界に高らかに掲げ、平和外交で日本を守る総合的な防衛政策を構築すべきだと言っているのだ。

 私は単に「護憲を唱えれば平和が守れる」と考える非武装中立論者ではない。世界から戦争を無くし、武器を無くすことは確かに理想だ。そして人類はその理想に向けて努力を続けるべきだ。その理想を唱える平和論者に敬意を抱き、共にその理想に向かって力を合わせていきたいと考える。しかしその理想を実現するために、日本は正しい防衛政策を確立しなければならない。

専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制、憲法9条の堅持が柱


 日本にとっての最善の防衛政策は何か。それは一方において米国の下請け軍隊に成り下がった自衛隊を、専守防衛の自衛隊に戻すことである。そして他方において、我が国の安全を確実に担保するものとして、アジア集団安全保障体制を構築することに全力を傾ける。そして、これら2つの政策を支える平和憲法9条を堅持する。この三位一体の政策こそが、現実の国際情勢を見極めた最強・最善の防衛政策である。これに優る防衛政策はない。これが私の新防衛計画大綱私案である。以下、主要な論点を説明していきたい。

国民的合意がなかったこれまでの我が国の防衛政策

 戦後の我が国の防衛政策とは何だったのか。我が国に固有の防衛政策はあったのか。あったとして、それは国民的議論を経て合意されたものだったのか。我が国の防衛政策を考えるときは、まずこれらの問いかけから出発しなければならない。

 我が国は1951年にサンフランシスコ講和条約を締結して国際社会に復帰した。そして、そのとき同時に(文字通り講和条約を締結した同じ日に)、米国との軍事同盟協定である日米安保条約を締結し、米国を先頭にした自由主義陣営の一員となった。このとき、共産主義国を含む全世界との講和を主張する全面講和論者との間にイデオロギー対立が起きたが、日本政府は国論が二分されたまま講和条約を締結した(部分講和)。そして日米安保条約を結んだ。

 ところがその日米安保条約は、国民はおろか、当時の国会議員でさえもその内容を知らされないまま吉田茂首相が単独で署名した、いわば“密約”であった。さらに、その安保条約を改定して今日に至る1960年の新安保条約は、いわゆる安保闘争と呼ばれる戦後政治史上の一大対決の中で強行採決(衆院)された異例の条約であった。衆議院で可決された後、国会審議は停止。混乱の中で、参院で審議されないまま自然成立した。国家の安全保障にかかわる最も重要な条約がこのような形で成立した事は、その後の日本の防衛政策に決定的な悪影響を及ぼしたのであった。

 しかも、冷戦後の米国の軍事政策は、自ら“押し付けた”平和憲法9条に反する数々の防衛政策の変更を日本に迫った。事実上の軍隊組織である自衛隊を1954年につくらせたのは、その一例だ。日本政府は、本来ならば憲法9条を改正しなければとうてい認められないような政策を、次々と既成事実化していった。憲法9条と日米安保体制という2つの矛盾した政策の共存こそ、我が国の防衛政策論議を不毛にした根源なのだ。

冷戦の終結と日米安保条約のなし崩し的変貌


 この矛盾は、冷戦が終焉した1989年を契機として解決すべきものであった。冷戦を前提として成立した日米安保条約は、冷戦の終結と共にその存在の根拠を失った。この事実は誰も否定できない。本来ならばその時点で日本は、それに代わる新たな防衛政策を国民による議論と合意の下につくるべきであった。しかし官僚主導の政治の怠慢がその国家的一大事業を妨げた。

 冷戦が終わってもなお、米国との軍事協力関係を継続する事が日本の防衛にとって最善だと日本の為政者(政府、官僚)が判断したのであれば、それでも良いとしよう。しかしその場合、為政者はその新たな方針を正面から国民に説明し、堂々と国会で審議した上で新しい日米軍事協力条約(日米同盟)をつくるべきであった。

 ところが日本政府と官僚は、国民的議論を行うことにひるんでその努力を怠った。それだけではない。日米共同声明という政治宣言を繰り返すことで、日本の防衛政策をなし崩し的に転換していったのである。現在の日米軍事協力関係は、60年に改定された新日米安保条約に基づく体制とはまったく異なるものになった。米国が日本を守る代わりに在日米軍基地を受け入れるというのが日米安保体制だが、今の日米同盟は、日本を守るという要素はほとんどなくなっており、米国の戦争に日本が協力させられる軍事協力関係になっている。法的には国際条約や憲法の下位にある政治声明が、国際条約や憲法を超えて政策を決めて行った。いわば「法の下克上」が行なわれたのだ。

民主党政権の新たな防衛政策と説明責任

 冷戦下において、反共、自由主義を党是に掲げた自由民主党が日米安保条約を最優先し、対米従属的とも言える防衛政策に終始してきた事はいわば当然であった。政権維持のため、自民党は米国CIAから資金援助まで受けていた事が、今では米国の機密文書解除により明るみになっている(『CIA秘録』、ティム・ワイナーNYタイムズ記者著)。

 その自民党政権が行き詰まり、国民は民主党政権を選んだ。だから民主党政権は米国より国民を優先し、国民のための真の防衛政策をつくる責任がある。民主党政権が初めてつくる新防衛計画の大綱に注目すべき理由がそこにある。

 もとより民主党政権が、自民党政権と同じように「米国との軍事協力関係によって日本の安全保障を守る事が最善だ」、「それが国益だ」と確信し、日米軍事協力関係(日米同盟)の維持を最優先する政策を決めたとしても、国民がそれを支持し、そのような民主党政権を認めるのなら、私はそのような国民の判断を尊重したい。しかしそのためには、その決定を下す前に国民に対し十分な説明責任を果たさなければならない。この事は、自民党政権下の日米安保体制“が密約”の連続でつくられ、国民の間に亀裂――護憲派と改憲派――と不信を招いた事を考えると、特に重要である。

 折から2010年は、1960年の安保改定から半世紀たった記念すべき年である。その年に民主党政権が新たな防衛計画の大綱をつくるというめぐり合わせになった事は何かの因縁である。

 自民党政権が続いていたならば、盛大に日米安保条約改定50周年記念を祝い、その祝賀に紛れて、「共産主義の脅威から日本を守る」日米安保体制を、米国の「テロとの戦い」に協力する日米同盟へと根本的に転換するよう図ったに違いない。しかもそれを、日米共同声明という官僚主導の政治宣言を出すことで、国民不在のまま行っていたであろう。情報公開を掲げて国民から選ばれた民主党政権は、自民党政権下の不透明な防衛政策の決定プロセスを改め、日本の新しい防衛政策を国民の前に提示した上で、国民的合意に基づく防衛政策を確立する責任がある。

歴史を後戻りさせてはいけない


 人類は長らく、軍事力で国益を実現する時代を経験してきた。その行く先は、軍事拡張と軍事同盟の乱立であり、2度にわたる世界大戦であった。その反省から戦後の国際社会は出発した。そして、いわゆる集団安全保障体制へと人類は安全保障政策を進化させたのである。軍事力で国益を実現したり、軍事力で紛争を解決する事を禁じ、平和共存のルールをつくって皆でそれを守る。それに違反する国が出てこないように、みなで監視し、違反する国をみなで取り締まる。

 残念ながら、国際連合による集団安全保障体制は今日まで有効に機能する事はなかった。その最大の理由は東西冷戦の勃発である。国連の安全保障理事会は米ソ2大国の拒否権の応酬の場となり、平和実現のための有効な議決ができなくなった。

 ところが1989年に冷戦が終わり、その意味で大きな障害が無くなったにもかかわらず、国連が安全保障に果たす役割はやはり不十分なままである。なぜか? それは冷戦に勝利して圧倒的な超軍事大国となった米国が、その巨大な軍事力を「世界の警察」の役割のために正しく使おうとしなかったからである。それどころか米国は自らの国益の実現のために、その軍事力を公然と行使した。その典型例を我々はイラク攻撃で目撃した。

 「無敵の軍事力を持つようになった以上、話し合いというまどろっこしいものではなく軍事力にものを言わせて問題を解決する。それは当たり前の事だ」というネオコンの論理が米政権を覆い、テロとの戦いには先制攻撃も辞さないとするブッシュ・ドクトリンが生まれた。

 その考え方はオバマ大統領に「チェンジ」しても引き継がれている。オバマ大統領は核廃絶演説によってノーベル平和賞を受賞した。しかしその授賞式のスピーチで「正しい戦争はある」と言った。これは「テロとの戦いは正しい戦争である」ということだ。米国の戦争は正しく、その他の戦争は許さないということだ。この発言はまさに歴史を後戻りさせるに等しい。

 戦争を無くすことがいかに難しい事ではあっても人類は逆戻りしてはいけない。日本は、軍事同盟の時代から集団安全保障の時代へ進歩する人類の努力を捨ててはいけない。

日米同盟を最優先する合理的理由はない

 日米軍事協力関係、すなわち日米同盟を最優先する政策は、自民党政権下ではもちろんのこと、民主党政権になっても変わらない事が明らかになりつつある。もはや日米同盟に反対する事はタブーのごとしである。しかしその考えには合理的根拠はない。当然のごとくそれを受け入れているだけだ。

 日米同盟の実態を知れば、もはや日米同盟は日本にとって無益であるばかりか、むしろ有害であることに気づくはずだ。その理由は数多くある。第1に、米国との軍事協力関係を重視する限り対米従属から逃れられないということだ。米国はもはや世界唯一の超軍事大国だ。その米国と軍事協力関係を持つ限り対等な関係は有り得ない。米国は軍事政策に関しては他国の意見を聞く耳を持たない。米国の軍事的要請は絶対的だ。一方的だ。それを飲むしかない。従属的にならざるを得ない。

 次に、日米同盟は、もはや日本を守るものではなく、米国の戦争に日本を協力させるための手段になっているということだ。米国が最優先する軍事政策は、いまや「テロとの戦い」となった。その事を米国は繰り返し公言している。「テロとの戦い」とは、米国のパレスチナ政策に反発するイスラム武装抵抗組織との戦いである。日本の安全保障とは何の関係もない戦いである。それどころか、その米国と軍事協力を進める事によって「テロとの戦い」に加担する事になる。日本が、テロの標的になる危険性が出てくる。

 3番目に、「日米同盟はアジア諸国もまたそれを望んでいる」という事の欺瞞である。最近よく、「日米同盟は日本だけで変えられるものではなく、もはやアジアの国際公共財である」と語られる。とんでもない詭弁だ。アジア諸国が日米同盟の解消に反対する最大の理由は、米国から離れた日本が軍事的に再び暴走するかもしれない、という懸念があるからだ。いわゆる在日米軍が日本の軍国主義復活を抑えてくれているという「ビンのふた」論である。日本にとってこれほど屈辱的なことはない。

 4番目に日米同盟安上がりだ、という議論もよく唱えられる。米国も恩着せがましくそれを唱える。いわゆる安保ただ乗り論だ。これも噴飯ものである。日米同盟のためにどれほど日本は経済的負担を強いられてきたことか。米国兵器の購入から始まって在日米軍基地対策費などその負担は世界最大だ。思いやり予算という屈辱的な経費まで負担している。さらに言えば、「米国に守ってもらっている」という負い目から、米国の国債購入や戦費肩代わりのために、国民が稼いだ金を米国に差し出してきた。その経済負担は数字にできないほど大きいはずである。日米同盟のコストは決して安くない。

軍事増強論の誤り


 米国への軍事依存から離れるということは、自らの手で日本を守るということである。そう言うと、「だから憲法9条を改めて、自らの軍事力を強化して日本を守らなければならない」という意見がすぐに出てくる。しかし軍事力の強化による自主防衛は、日本にとって取り得ない政策である。

 軍事力によって日本を守ろうとすれば、軍事力拡大に歯止めがかからない。「敵より強い軍事力を持たないと負ける」という恐怖感から、さらなる軍拡に走らざるを得ない。行き着く先は核武装だ。

 しかし日本が核保有国になる選択肢はない。アジア諸国から警戒され、世界から孤立する。そして、誰よりも米国が日本の核保有を絶対に認めない。軍事力を拡大して日本が単独で日本を守るという選択はないのである。米国が認めない軍事増強政策を日本政府が取ることはない。

自衛隊は専守防衛に徹するべきである

 その一方で護憲論者の中には自衛隊が違憲だと言い張って、今でも自衛隊を認めない人々がいる。確かに憲法9条が成立したとき、自衛隊を持つ事は想定されていなかった。その意味で自衛隊は違憲だ。しかし米国によってつくらされた自衛隊はその後の半世紀あまりの時の経過を経て、国民に受け入れられるところとなった。自衛隊は戦争に巻き込まれることなく、災害救助など国民生活に貢献してきた。

 そのような自衛隊について「合憲か違憲か」、「軍隊か軍隊ではないのか」、などと言った議論を行なうのは不毛だ。重要な事は、米国軍の指揮・命令下に置かれて、米軍の下請け軍隊のようになってしまった自衛隊を、日本を守る事に専念する日本の自衛隊として取り戻す事である。米軍に使われる膨大な予算を、日本を守る防衛予算に「事業仕分け」することなのである。

 その意味で自衛隊は日本領土から一歩も出してはいけない。最近やたら自衛隊の海外派遣が国際貢献の名の下に行なわれるようになった。自衛隊法が改正されて自衛隊の国際貢献が本業となった。私はこの動きに危ういものを感じる。国際貢献の名の下に、自衛隊が米国の戦争に協力しようとしている疑念を抱く。自衛隊は国際協力の前に、まず自国を守る事に専念すべきである。専守防衛の意味はまさしくここにある。

日本を襲う国が存在するのか


 日本の防衛政策を語る上で最も重要な事は、一方的に攻撃してくる国があるのかということである。かつての日本ならいざ知らず、憲法9条を掲げて他国を侵略する意図がないとを日本は公言している。

 日本にとっての潜在敵国はどこの国か。冷戦下においては日本の脅威は共産主義の大国ソ連であったことは衆目の一致するところだ。だからソ連の脅威に備えて装備を考えた。しかし冷戦が終わり、もはやロシアは仮想敵国ではない。それは今では誰もが認める事だ。

 ソ連に代わって、いまや、中国と北朝鮮が我が国にとっての脅威であるかのごとく語られる。しかしそれは本当だろうか。

 確かに最近の中国を見ていると、経済の発展とともに一大軍事大国を目指しつつある国のように見える。しかし軍事力の大きさは、そのまま軍事的脅威を意味するわけではない。軍事的脅威とは、軍事力に加えて、それを行使する意思があるかどうかで決まる。少なくとも、見通せる近い将来において、中国が日本を武力攻撃しようとする意思はない。中国にとって日本を攻撃するメリットはないからだ。中国政府にとっては、国内経済を発展させ、国民生活を向上させることが当面の最優先政策であるはずだ。これから、日本と中国の経済的結びつきはますます拡大していく。経済関係の深まりは軍事的脅威を抑止する。

 それでは北朝鮮は日本とって脅威なのか。北朝鮮脅威論は中国脅威論よりももっと根拠がない。北朝鮮と日本との間に存在する喫緊の問題は北朝鮮の核問題ではない。核問題は米国に任せておけばいい。米国と北朝鮮の問題なのだ。日本が何を言っても米国と北朝鮮が話し合えばそれですべてが決まる。

 日本と北朝鮮の喫緊の問題は、過去の歴史の清算であり国交正常化問題である。拉致問題は国交正常化の問題と一体となって同時解決されるべき外交問題なのである。北朝鮮が核兵器を持って暴発する危険性が指摘される。しかし、そのような特殊な可能性のために防衛を考えるのは誤りだ。暴発をなくす外交努力こそ必要なのだ。

 百歩譲って中国や北朝鮮が日本の軍事的脅威であるとしよう。そうであればこそ日本は、中国と北朝鮮を含めたアジア集団安全保障体制の構築を目指すべきなのである。なぜならば日本の脅威はそれらの国しかない以上、それらの国との安全保障体制を考えるのが当然であるからだ。

 地域的集団安全保障については既に、1995年に欧州安全保障協力機構ができている。EUもまた広い意味での集団安全保障体制だ。EU諸国の間で戦争が起こる事はもはや考えられなくなりつつある。アジアでそれができないはずはない。アジアの集団安全保障体制ができなかった理由として政府はしきりにアジアの多様性、異なる体制の混在などを挙げる。しかし、いずれも真の障害要因ではない。本当の理由は日米同盟の存在理由が失われるからではないか。

 憲法9条を掲げた日本が本気になってそれを提唱すれば反対できる国はない。それができなかったのは日本が日米同盟を優先し、米国の機嫌を損ねる事を恐れて本気でそれを追求してこなかったからだ。アジア集団安全保障体制は、まさしく日米安保体制の対極にある安全保障体制なのである。

 米国がアジア集団安全保障体制に参加したいというならそれを拒否する理由はない。しかし米国が加盟すると米国の意向が優先され、国連の二の舞になる可能性がある。アジアの国に限定したほうがよいのではないか。アジアの集団安全保障体制は、極端に言えば中国、韓国をパートナーとする非戦協定のようなものと言える。

不戦時代の到来とテロとの戦い

 戦争とか軍事力だとか、我々は軽々しく口にする。だが、そのような言葉を口にする日本国民の果たしてどれほどの者が、今日における戦争の悲惨さを認識しているだろうか。我々の戦争体験は65年前の太平洋戦争で止まっているが、その後の軍事技術の発達は兵器の殺傷能力を飛躍的に高めた。それは国家間の全面戦争を不可能にした。犠牲が大きすぎるからだ。核戦争に勝者はない。核兵器によって世界は不戦時代に入ったという認識はもはや国際政治論者の間で広く共有されつつある。

 その唯一の例外が米国の「テロとの戦い」である。しかし、これは国家間の戦争ではない。圧倒的に軍事的優勢に立つ者が一方的に弱者を殺戮する。被抑圧者が命と引き換えに抵抗する。そのような非対称な戦いだ。そこには抑止力は働かない。米国が核廃絶を言い出すようになったのは決して核兵器そのものに反対したからではない。自分たちに核兵器が使われる危険性が高まったからだ。「テロリスト」に核が渡るぐらいならいっそ無くしてしまえ、というわけだ。

 「テロとの戦い」をこれ以上米国に続けさせてはいけない。「テロとの戦い」の誤りを米国に気づかせなければならない。テロの根本原因である米国の不正義な中東政策を改めさせなければならない。それができないのであれば、少なくとも日本は、そのような米国の戦争から距離を置く。これこそが、これからの日本の防衛政策を考える上で重要な点である。

日本は戦争ができない国になった


 それでも中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするのだ、という声が聞こえてきそうだ。ならばそう主張をする者に聞きたい。今の戦争はミサイル戦争である。大都市に国家機能を集中させている日本、全国に原子力発電所を抱えている日本、そんな国が核ミサイル戦争に勝てると思うのか、と。1発のミサイルが都心に落ちただけで、その被害は想像に余りある。原発施設にミサイルが投下さたなら、いったいどんな惨状を呈するか? いくら日本が核迎撃システムを高い金を払って米国から買っても、迎撃ミサイルがすべてのミサイルを撃ち落すことは不可能だろう。日本は近代戦争に対して最も脆弱な国になってしまった。日本は戦争ができない国、してはならない国になってしまった。日本は何があっても戦争をしてはいけない国になったのである。

憲法9条は最強の安全保障政策である

 要するに我が国のこれからの安全保障政策は、専守防衛の自衛隊、アジア集団安全保障体制の構築、憲法9条を世界に宣言して行なう平和外交、この三位一体の政策で構成するものであるべきだ。これが私の新防衛計画の大綱私案である。

 そして、その中で最も重要な政策が憲法9条を堅持することである。それなくしては、専守防衛の自衛隊もアジア集団安全保障体制を求める外交努力も説得力と正当性を持ち得なくなる。

 憲法9条は単に条文だけでできているものではない。そこには戦後65年間の我が国の戦後史が凝縮している。米国の占領政策に振り回されながらも平和国家日本を貫き通した先人たちの苦労と英知が詰まっている。そんな憲法9条を失う事は、同時に、戦後の歴史を失う事だ。日本の防衛政策を失う事だ。憲法9条こそ最強の安全保障政策である。



by めい (2010-10-02 15:03) 

めい

遠藤三郎日記についての、宮武剛氏の生地を見つけました。
転載させていただきます。http://www.jnpc.or.jp/communication/essay/e00022407/

   *   *   *   *   *

2009年10月 : 日本最長の日記
タイムマシーンに乗った日々
宮武 剛

ニュースは「アイウエオ」と我流の定義をしていた。アっと驚く、イゃーすごい、ウっそ!と言いたくなる、エっと絶句、オーと感動である。
 しかし、それだけでは映像メディアには太刀打ちできない。活字メディアは「カキクケコ」を加えたい。解説、記録性、詳しく検証、見解を打ち出し、今後どうなるか、も予測する。

●訃報から始まった残業

非力な記者であった私には「アイウエオ」と「カキクケコ」を両立させた体験は数少ない。ただ、日常の仕事とはかけ離れた分野で、その機会を得たことがある。
 社会部のサブデスク時代、当番日の夕刊で一人の元軍人の訃報に接した。遠藤三郎・元陸軍中将である。関東軍参謀副長や航空兵器総局長を歴任し、戦後は開拓農民へ転じ、そのかたわら日中国交回復に尽力した異色の人物であった。

当日の加藤順一デスクが「あの人の日記はすごい内容らしいよ」とつぶやいた。すぐ動くのが社会部育ちの性なのだろう。二人で埼玉県・狭山市のご自宅を弔問した。ご家族に日記を拝読させてもらえないか、と頼んだところ、「生前から外への持ち出しは厳禁でしたが、書庫で読まれるなら」と許しを得た。

それから1年余の狭山通いが始まった。夕刊番と朝刊番を各2日連続し、明けと休み。その間を縫って通うのは辛かったが、明けと休日返上・寝不足・視力低下の値打ちは十二分にあった。

●11歳から91歳まで80年余

日記は、日露戦争勃発の明治37(1904)年から始まる。

∧八月一日(月)寒暖計八十五度(華氏)晴天、但し午後二時より三時半まで曇り『朝五時三十五分に起き、かおをあらい、めしを食べ、裏の畑にて、かみきり虫を一匹取り、父上に上げ』~∨

この几帳面な記録が延々と昭和59(1984)年10月、91歳の天寿をまっとうする1カ月前まで続くのだ。

近・現代の長大な日記には、永井荷風の「断腸亭日乗」(43年間)や政治学者の矢部貞治日記(45年間)がある。もちろん長さだけでなく歴史的な価値が問われる。

山形県の置賜盆地に生まれた遠藤三郎は、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校のすべてを首席で終え、参謀本部作戦課勤務からフランス駐在武官へ、エリート軍人の階段を駆け上がっていく。

「15年戦争」の起爆剤となる「満州事変」時には、真相を探るため参謀本部作戦課員として現地へ派遣され、郷土の先輩でもある関東軍作戦参謀・石原莞爾から極秘文書を手渡された。謀略によって満州の奪取を図る「対満要綱」である。表紙に「用済焼却」とあるが、遠藤は日記と共に大事に保管していた。

日本が火だるまになっていく時代、遠藤は常にその渦中にいた。

関東軍作戦参謀~大本営幕僚~関東軍参謀副長~第三飛行団長~航空兵器総局長官。

日記には、日常の雑事と歴史的な体験が入り混じる。謀略の渦巻く満州国の実相、二・二六事件の反乱軍将校との対話、ノモンハン惨敗の後始末、加藤隼戦闘隊を従えたパレンパン襲撃、内乱のような陸海軍の暗闘、特別攻撃隊編成の経緯~。

著名な将官の言動に加え、無政府主義者の大杉栄らを殺害した甘粕正彦との不思議な付き合い、細菌戦を指揮した軍医正、石井四郎との出会い、終戦工作を探った独創的な経済学者、柴田敬との交流~、特異な人物が走り書きの中によみがえる。

●唯一の抹消部分の真相

恐らくは日本最長の史料である93冊、ざっと1万5千ページ余の日記には、一箇所だけ墨で塗りつぶした記述があった。30歳の陸軍砲兵大尉だった大正12(1923)年、関東大震災の灰燼が漂う9月11日のこと。

『午後、寸暇を得て警備区域を巡視す。●●●●●て問題惹起す ●●●● 夕陽西方(にしかた)に春(うすず)く頃、第三中隊を訪問す』

最初の抹消部分には「王奇天に就」と、添え書きされ(奇は遠藤の誤記)、やはり後年に書いた雑用紙のメモも挟んであった。

デマが飛び交い、罪なき数千人もの朝鮮人、中国人が殺傷された混乱と狂気の中で、遠藤は治安維持の任務に就いた。日記とメモを読み進むと、闇に葬られた「王希天暗殺事件」の真相が浮かび上がる。

王希天は、中国・吉林省生まれ、一高予科から名古屋の第八高等学校に学び、当時は大島町(東京江東区)で中国人労働者の生活支援に取り組んでいた。その活動を陸軍と警察は「反日活動」とみなし、大震災の混乱に乗じ殺害を図ったのだ。

実行犯は遠藤とも親しい中尉で、軍刀を持って切り殺し、死体は逆井橋から中川(江東区・旧中川)に投げ捨てた。旅団長や中隊長と共謀のうえで、山下奉文(ともゆき)少佐(後の大将)や阿部信行少将(後の首相)らも隠蔽工作へ走った。

すでに幾つかの史料や証言で概要は明らかになっていたが、遠藤日記の詳細な記述は決定打と言ってよかった。下手人の中尉についても、フリージャーナリストの田原洋氏が本人から真相を聞き出していたが、改めて所在を突き止め、匿名を条件に日記の記述通りの証言を得た。

中国から見舞い金や食料が続々と寄せられ、医師団も派遣された最中の卑劣極まりない謀殺であった。

●「書けなかった」宿縁

敗戦後、遠藤は埼玉県狭山市で開拓農民となり、軍人と軍隊が国家を滅亡に陥れた前半生を悔い、「軍備亡国」を唱えた。晩年は中国侵略の最前線に立った体験を振り返りながら「日中友好元軍人の会」を結成し、国交回復へ井戸掘り役の一人となる。訪中は5回に及び、毛沢東、周恩来、廖承志らと親交を深めた。

戦後のひもじい時代を知る程度の私にとって、この日記はまるでタイムマシーンであった。関連証言を集め、傍証を固め、夕刊に110回連載し、その後「将軍の遺言」と名づけて単行本にまとめた。

それで仕事を終えたつもりだったのだが、ある日、二木ふみ子さん(元日教組婦人部長)からの連絡で、27歳で非業の死に倒れた王希天には妻子がいたこと、周恩来と親友であったことを知った。二木さんは、王希天の足跡を丹念にたどり、奇しき因縁を独力で発掘された。

周恩来首相と遠藤との会談は時に3時間余にも及んだが、現代史を代表する政治家が、若き日、あの王希天の友であったことを、遠藤は終生知らない。周恩来もまた、遠藤と王との関わりを知る由もなかった。

平成8(1996)年の初秋、王希天の生誕100年にちなみ、中国・長春市に息子の王振圻・医師ら遺族の尽力で「王希天記念館」が開設された。二木ふみ子さん、田原洋さんたちと共に開館式に参列の名誉を得た。

しかし、私は遠藤日記をくまなくみながら、王希天その人の調査を怠った。「書かなかった」のではない。「書けなかった」のだ。

日記自体についても、私よりはるかに先、作家の澤地久枝さんは、やはり遠藤宅へ日参し、重要部分をこつこつ手書きで写しておられる。

歴史を掘り起こし、歴史から学ぶ作業は、何世代にも渡り、それぞれの志を懸けて取り組むほかない。過去へ遡れるタイムマシーンは、未来を切り拓くタイムマシーンでもある、と信じたい。


みやたけ たけし会員 1943年生まれ 68年毎日新聞入社 社会部副部長 科学部長 論説委員 論説副委員長 99年埼玉県立大学教授 07年目白大学教授(社会保障専攻)
著書に『介護保険の再出発』『年金のすべて』『Social Security in Japan』など



by めい (2012-02-14 20:38) 

めい

このところ遠藤三郎中将のことが気になっていたら、中将についての研究書が間もなく出版されるようだ。

『元陸軍中将遠藤三郎の肖像―「満洲事変」・上海事変・ノモンハン事件・重慶戦略爆撃 』吉田 曠二 (著)

500ページを超える大著のようだが、8400円はきつい。
by めい (2012-07-08 06:37) 

めい

アイゼンハウアー米大統領が退任の演説で、「軍産複合体」成立の経緯を語り、その肥大化に警告を発しています。その訴えの切実さは、まさに遠藤三郎中将と同じものです。全文の日本語訳を読んで感銘をうけたところです。多くの方にお読みいただきたくてコメント欄でなく本文に追記しました。ぜひお読み下さい。

by めい (2014-07-21 05:15) 

めい

最近阿修羅板で人気沸騰のポスト米英時代さんの言説に代表されるように、ネットレベルでは、「戦争の根っこはカネのため」ということがもうバレバレなのです。それにつけても、このごろいつも遠藤三郎中将の偉さが思い浮かばされます。

遠藤中将の偉さとは、
≪航空兵器総局長の時、兵器産業を営利を目的とする株式会社に委することは不合理と思い、強引にこれを国営として「赤の将軍」のニックネームを附せられた≫とあるように、戦争の拡大が兵器産業の利潤追求と表裏の関係であることを体験を通して痛感し、その関係を断ち切るべく主張し行動されたこと。》です。

   *   *   *   *   *

戦争詐欺を拡大させたい米英仏イ、ドル詐欺退治を活発化させる中露印独、はったり対地道のチキンレース開幕である。
http://www.asyura2.com/14/cult13/msg/405.html
投稿者 ポスト米英時代 日時 2014 年 9 月 25 日 22:55:49: /puxjEq49qRk6

常識で考えれば地道が勝つに決まっているがはったり屋も後がなくどんなに馬鹿げた手も使ってくる訳だから五分五分なのである。
ダマスゴミの支離滅裂報道を見れば分かる通りネットに転がっている正論を怒濤のようなデマゴーグで封じてしまおうという作戦でもはやネットに嘘がばれようが偏向を批判されようが開き直ってデマを流し続けると決めたようで馬鹿馬鹿しいが手強いのである。
しかし雨垂れ石を穿つで国内で言えば東京やゲンダイが海外で言えばロシアの声などがまともな人間の心を掴みダマスゴミの洪水のようなゴミ報道の中でいよいよ輝きを増していくのである。
単純に言えば前任者と後任者の引き継ぎで前任者が退職に抵抗しているだけのようなしょーもない光景だが後任の準備状況が素晴らしく日本は前任者のパシリをやらされていてとても明るい未来が描ける状況にないが前任者の心が折れた時にパッとサイデリアのように開けるから大丈夫である。
問題はその時までの過ごし方でこの冷や飯とハラハラがじじいになるまで続くのか案外来月ぐらいに終わるんじゃねーのーと思いながら過ごすかで日々もその後も変わってきてしまうから強い意思を持って厳しく不安な状況を楽しく過ごす事である。
連中はもう我々に薔薇色詐欺をする余裕はなくなり人類を犠牲にして自分達だけいい思いを継続しようとしている事がバレバレで深刻な顔をした詐欺師のようなもので騙せるものも騙せず力ずくで戦っているだけでありファンタジックな詐欺がすっかり影をひそめてせいぜい正義の味方詐欺ぐらいしか提示できずしかもその人相が如何にも内蔵が悪そうな悪役面でヒールに徹した方がまだましなような進め方でいつでも心が折れそうな感じである。
既にここに集まる人達は経済はそんな複雑なものではなく着服する連中がそれを誤魔化す為に複雑化しているだけで真面目に働いていればなんとかなるではなく凄くよくなるのが当たり前で今の生存権を脅かされながら働いている状況が異常で連中が失脚すれば悪夢は終りである。
連中と戦いたくても戦えない状況にあるのが日本だがザルに水のような労働環境だが素振りの積み重ねがイチローであるようにザルに水の状況下でもフォレストガンプのようにひたすらザルに一滴でも多く水滴をくっつけるような積もりでブラック企業を下からグレーにホワイトにしてやるぜーと無駄にしか見えないような自分の仕事を来るべき日の為にブラッシュアップしていく事である。
ホームランボールが来たときにそれを外野席に叩き込めるのはザルに水の馬鹿げた努力を迷わずにできた者だけである。
ホームランバッターになる事である。  

by めい (2014-09-26 04:07) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。