「美(うま)し地(くに) みやうち」 [詩吟]
スライド構成吟
「美(うま)し地(くに) みやうち」
作・構成 南陽宮内岳鷹会
ナレーター 菅野 正山
「東方(ひんがしのかた)に美(うま)し地(くに)有り。青山(あおやま)四周(よもにめぐ)れり。・・・けだし六合(くに)の中心(もなか)か」(『日本書紀』)
古来置賜盆地は奈良の大和盆地に比べられてきました。日当たりのいい盆地の北に位置する宮内は、大鷹山を背に熊野の森に懐かれた盆地の特等席、しかも風水でいう四神相応の条件を備えており、周辺には縄文の昔から大きなむらが形づくられ、以来五千年、豊かな歴史を積み重ねてきました。
その要をなす日本三熊野の一つ熊野大社。昨年御再建千二百年祭を機に拝殿屋根の葺き替えが行われ、県の文化財にも指定されました。また、今から七年前には熊野大社に至る参道が、宮内熊野門前町景観整備事業によって生まれ変わりました。電柱、電線が姿を消し、見事な石の大鳥居が、道路両脇の門前町らしい街路灯と共に、白い石畳によく似合います。誰が言ったか「熊野石畳開運通り」。歩くだけで運が開ける通りです。この通りに立って宮内をたたえる歌を、男性会員で合吟します。
宮内讃歌 髙岡亮一 宮内岳鷹会男性会員
天広望熊森 天広やかにして熊森を望み
地康懐四神 地康らかにして四神を懐く
史悠千歳五 史悠かなり 千歳五つ
菊馥潤宮民 菊馥りて宮民を潤す
おくまんさまの裏手菖蒲沢から双松公園に上る途中に、二本の赤松が地上四メートルでつながったたいへん珍しい松があります。夫婦相生の松として「相生の松」あるいは「妹背の松」とよばれ双松公園の名の由来となりました。戦後間もなく、当時東大名誉教授であった植物学の権威本田正次博士が枯れ死寸前のこの松を見て驚かれ、博士自らすぐ県に連絡して天然記念物に指定されたといわれます。その後婦人会や地元の方々の献身的な手入れによって今の姿に回復したのでした。古来この松に願えば縁結びに効ありといわれ、いくつかの伝説が伝えられています。伝説と共に伝えられている歌を女性会員が全員で合吟します。
妹背の松 読み人知らず 宮内岳鷹会女性会員
結ばんと思ふえにしは我が里の妹背の松に祈れ諸ひと
置賜三十三観音の三十番札所長谷観音。現在の御堂は、幾多の興亡を経て今から百八十年前、上杉藩の鬼門守護祈願所として再建されました。今から四百七年前、東北の関が原とも言われる長谷堂の戦いで、直江軍が持ち帰った最上長谷堂の観音像が秘仏として祀られてあります。ここには佐々木信綱の歌碑や高浜虚子の句碑等、多くの碑があります。「置賜は国のまほろば」の歌碑はいちはやく昭和三十四年に建立されました。昭和二十三年春、結城哀草果が長井での講演の帰途、長井線の車中から見た置賜の美しさに感動してつくったといわれています。イザベラ・バードをして「東洋のアルカディア」と言わしめた置賜、そしてその要に位置するわが宮内、この地に暮らすことの幸せを思いつつ、哀草果の名歌「おいたまは」を、南陽宮内岳鷹会全員で合吟し、新たな一年に向けての旅立ちといたします。
おいたまは 結城哀草果 宮内岳鷹会 全員
置賜は国のまほろば菜種咲き若葉茂りて雪山も見ゆ
コメント 0