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上京メモ(1)南陽宮内会 [メモがわり]

南陽宮内会集合写真DSC_1408.jpg

今年で30回という南陽宮内会の総会で「宮内よもやま歴史絵巻」について話してくれとの菅野昭彦会長からの依頼で東京に行ってきた。与えられた時間は30分、何をどう語ったらいいかその日まで決まらなかったが、電車の中で「歴史絵巻」を眺めているうち、駆け足で全ページ40巻を紹介して、関心を持ってもらったところを後で読んでもらうようにすればいいと決めて臨んだ。半分ぐらいめくったところでもう30分、義弟が司会だったので「ここまで、というところで止めて」と声をかけて、結局45分ぐらい話させてもらった。会長からは「大好評だった」との評価で安心。東京南陽会の山口孝太郎事務局長(昭和14生、吉野下荻出身)から、9月開催の東京南陽会のお土産として「宮内よもやま歴史絵巻」300冊をご予約いただいた。山口事務局長が中心になって、熊野大社夏まつりへの団体募集も呼びかけておられる。お祭りのこと、ネットでいろいろ調べておられるようだった。ありがたい。

会場は新橋第一ホテル東京の21階、担当が「私も宮内出身です」、なんと長女の同級生、親父さんには地区長会で会計を務めてもらって助けられた、その息子だったのには驚いた。ひいばあちゃんから知っている。

参加者は約40名だが実に多彩、宮内にとってのレジェンド的存在がズラリ、とりわけ名簿に「川合貞義」の名前を見つけてうれしかった。無着先生の『やまびこ学校』に「三輪車」の長編作文が載っている。17ページの「日本語を守った須藤克三」の紹介の時に名前を出させていただいて、懇親の席でご挨拶した。川合貞義DSC_1405.jpg(写真中央が川合さん)名簿に「田町出身」とあったが、宮内高校に通う3年間を田町の斎藤小一先生宅に下宿され、その3年間が忘れられない3年間で、すっかり宮内出身ということになってずっと南陽宮内会に参加されているとのこと。『翠松の丘ー宮内高校人脈物語』(結城亮一)に、同じくやまびこ学校出身の川合義憲さんと共に4回にわたって記されている。「ヘルスケア、医療器具滅菌で成功/「山びこ学校」の教え忘れず」の記事があった。いつかじっくり書きたいが、私にとって記念碑的な詩「雪がコンコン降る/人間は/その下でくらしているのです」の石井敏雄さんは大分前に亡くなられたとあらためてお聞きした。
板垣 錦織圭ダウンロード.jpeg今では「…クン」と呼ぶのはおこがましいが、下の妹の同級で7級下、ジャックスの会長という板垣康義くんとは、福島にいた時の下宿の花見、信夫山公園で、福島大学在学中の彼とたまたま出会って以来。その時不覚にも酔っ払って側溝に落ち、瞼を切って病院に運び込まれたのだが、そのことを覚えていてくれた。昭和49年のことだから45年前。全国の信販会社の会のトップも務めているという。国内3,000人、国外4〜5,000人、会長になって主に国外を担当しているとのこと。「よく頑張ったなあ」と言ったら「運が良かった」とあくまで謙虚だった。周りから押し上げられるタイプだったのだろう。中学からずっとテニスをやっていて、テニスショップに1年半務め、それからジャックスに入社とのこと。錦織圭選手のスポンサーがジャックスだった。《経営方針は堅実といわれ、ノンバンク業界の中でも不良債権が少ないことで有名である。また、平成9年に当時業界で唯一、融資商品の上限金利を利息制限法の範囲内に引き下げたため、現在多くの信販・クレジットカード会社や消費者金融会社を苦しめている過払金の問題がほとんどない。》(ウィキペディア)とある。「宮内のためにもよろしく!」とお願いした。

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