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AIシンポジウム(7)「霊性」を以て未来を照射せよ!  [IT社会]

《この先、AI化がとことん達成されたとして、それがどういう世の中なのか、その世の中になるために今どういう取組みをすればいいのか。》前記事に書いたこの辺のことをとりわけAIに関わる方々がどう考えているかを知りたかったのだが、それは無いものねだりだったようだ。以前『シンギュラリティ・ビジネス AI時代に勝ち残る企業と人の条件』 (齋藤和紀 幻冬舎新書) を読んでこう書いた。《想像を絶するスピードで人工知能は進化する。こうした時代に合わせた発想の転換を促してくれる言葉としての「10%を目指すより10倍を目指せ」。その意味するところは、現状からの出発ではなく、「あなたが最も求めていることは何ですか」、この問いかけからの出発。夢を描く能力が問われる時代になっている。》

一ヶ月近く前にここまで書いて、あとが続かなくなっていたのだが、今朝のNHKニュース、芥川賞作家上田岳弘さんが「AIの未来」について語っているのを聞いて、何か書かねば、書けそうだ、と思って書き出した。

2月にラジオ放送された上田氏が受賞作について語るインタビュー記事があった。https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/detail/r-asa20190203_02.html
《 ITの発達によって、あらゆる情報が共有され、地球の裏側に住む人々の思いまで伝わってきてしまう世の中になりました。大体の人が 考えるようなことは、ボンヤリとわかる。それを機械的に解析しようと思ったらできてしまいそうです。そんな世の中で、訳の分からないもの、いわば「共感されない執着」といったものが最後に残る可能性がある。もしかしたら、それが何かの救いになりうる、あるいは、人間が最後まで持つことになる大事なものが、 それには含まれているような気がします。小説を書いていきながら、そんなふうに思っています。》《インターネットにつながって意識を共有していれば、体こそバラバラではあるが、あたかも1個の巨大な生物がものを考えているように思えてしまう瞬間がある。そんな実感をテコに、効率を最重視していくと、個人がなくなることもありうるんじゃないかと。全体の中の一部として自分が存在しているという実感は、 けっこう現代人がそれぞれに抱いていたりしますよね。進んでいけば、バイオテクノロジーの発展によって肉体まで1つになるのかもしれない。もし、単に効率 を目指すのであれば、それが正解なのかもしれない。こういうふうになるのが効率的でしょう、というふうに論理的には考えていくことも可能なわけで。すごく気持ち悪い未来像ですし、僕は個人のままで残りたいとは思うんですけど、そこのせめぎ合いを描いています。》
インターネットによって意識が溶け合い、バイオテクノロジーによって肉体が溶け合う、それに抗う個人こそ大切にしたい。「共感されない執着」こそ最後に残るもの・・・言おうとしていることはよくわかりつつ、違和感がある。いま現在の意識を勝手に直線化(微分化?)したにすぎない(であろう)この小説(『ニムロッド』)をわざわざ手に取ろうとは思わない。言ってみればパサパサした感じ。
思い起こすと、ここでそのことについて書き始めた3月10日の「AIシンポジウム」も同じような感じだったのではないだろうかと思う。何か大事なものが抜けている。「欠落」を意識する、私自身そう思うこと自体、世の中全体、いまその大事なものに気づきつつある。その大事なものとは何か。それは「霊性」という言葉に集約される、そんな気がする。———「令和」の御代のはじまりを生きつつ、ほんとうにそう思わされるこの頃なのです。「霊性」を以て未来を照射せよ!

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3月12日以来7回にわたって書いてきた「AIシンポジウム」の記事、今回をもって最終回とします。本気で「霊性」について考えてみなければなりません。   

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