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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(番外18)「メートル法」「グレゴリオ暦」 [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

mesさん、メモしておきたいの書き込みがつぎつぎです。「メートル法」と「グレゴリオ暦」。「メートル法」では、アメリカのずうずうしさというか厚顔無恥と、日本の(本来の目的を忘れた)クソまじめさ》になるほど。「グレゴリオ暦」では、因数分解による365と366の解明に目からウロコです。

*   *   *   *   *

①「メートル法」

307:mespesado:
2019/04/06 (Sat) 19:47:51

>>306
 亀さんは皇紀を使っておられたんですね。う~む。皇紀を使うことに対して「賀状に皇紀とは如何なものか」って感想を持っちゃうのって、なぜなんですかねぇ?
 賀状こそ、日本特有の習慣で、そういう習慣にこそ皇紀はかえってふさわしいと思うんですが…。これが例えば外国の友人向けのクリスマスカードに皇紀を使ってたってんなら苦情があっても仕方ないですが、どこかで「感覚」がねじ曲がってしまったんですかね。まことにWGIP恐るべし、です。

  閑話休題。日本特有の元号なり皇紀を使うことの可否といえば、度量衡におけるアメリカのヤード・ポンド法に固執していることの可否との対比が頭に浮かびま す。日本では1875年にメートル条約が発足したとき、それから11年後には日本もメートル条約に加盟しました。その後段階的にメートル法に切り替えてい き、1951年に尺貫法を廃止し、1959年に「坪」表記を除いてメートル法が完全実施となりました。これに比べると、アメリカの「意固地さ」は別格で、現在世界でメートル法を採用していないミャンマー、リベリアと合わせてたった3か国の一つになってしまいました。
 このアメリカの態度をどう評価するかですが、私は評価しませんw
 というのは、度量衡におけるメートル法の位置づけは、暦法における西暦の位置づけとは全く違うと思うからです。
  フランスでメートル法を制定しようとしたとき、彼らはどこかの国の度量衡を世界標準に採用するという方法を採用しませんでした。どの宗教・思想からも独立 な単位を新たに作ろうとしたわけですね。そこで、長さの単位を地球というどの民族にとっても共通の「住んでいる惑星」の子午線の長さを「どの民族も使っている十進法」で切れの良い1千万という数字で割った長さを長さの単位として採用しました。また重さの単位は、一辺がその単位長さの10分の一の長さ(つまり1デシメートル)の立方体容器に貯めたこれまたすべての民族にとって必須の液体である「水」の重さを重さの単位と しました。ただし残る時間の単位は、1時間のような長い時間の単位は世界でまちまちでしたが、1分や1秒の長さのような“細かい時間”の単位は、その計測 技術も含めて西洋を中心に使われ出した単位が既に世界に波及しており、これは特に宗教色は無かったことからそのまま採用された、というわけです。なので、 メートル法というのは、どこかの国で使われている単位が行きがかりで世界を支配した、などという「長い物には巻かれろ」ではなく、>>302 でいうところの①「合理的なスタンダード」である、ということができると思います。つまり、メートル法は、とことん客観性を持たせてどこの国も抵抗なく使えるような「努力」をして採用を働きかけた、という点で、“尊い”国際性を持つわけです。この点「西洋社会のゴリ押し」で多くの国で使われているに過ぎない「西暦」とは国際性の“尊さ”が違うわけです。むしろ逆にメートル法を採用しないアメリカの方の「世界一の大国であるオレサマが何で度量衡の単位を変えなきゃいけないんだ」という「上から目線」でいることの方が癇に障るくらいです。
 さて、このメートル法をいち早く採用した日本ですが、これまた日本らしい「行き過ぎ」を やらかしたのは有名ですね。すなわち、メートル法を厳格に守らせるために、他の単位を使うことを法律で禁止し、違反者に対する処罰規定まで設けたわけです ね。まあ、導入当初はそのような厳しさを伴わないとなかなか切り替えが進みませんから仕方ない面もあるんですが、既にメートル法が十分普及した1976年 に、知り合いの大工さんが鯨尺を使ったら警察に呼び出されたという話に怒った永六輔が「尺貫法復権運動」を起こし、「鯨尺を作ったから逮捕しにこい」と挑発した事件は有名です。メートル法が十分普及したところで他の単位の利用を禁止する条項(ましてや処罰規定)は廃止すりゃいいのに、そこは融通の利かないところなんでしょう。
 まあ、こういうところにも日本とアメリカの国民性の違いが出ていて面白い。アメリカのずうずうしさというか厚顔無恥と、日本の(本来の目的を忘れた)クソまじめさの 対比です。これはあらゆる分野で見られる特徴ですね。今連載中の「日本衰退論」を書くためにいろいろ調べている分野でも見られます。まあ、厚顔無恥はとき として外の世界に迷惑を押し付けることもあるのに対してクソまじめさは自分で自分の首を絞める、という違いがありますが、まあそれを良いとか悪いとか評価 するのではなく、こういう国民性があるのだ、というところを自覚して直した方が合理的なところは直したらよい、と思います。
②「グレゴリオ暦」
316:mespesado:
2019/04/07 (Sun) 23:01:03

>>315
 暦といえば、各「年」をどう呼ぶかという問題もありますが、1年の内訳、つまり1年を12月に分け、各月を28~31日に分けるという今のグレゴリオ暦が全くヒドいシロモノであることも問題にしなければなりませんね。
 そもそも奇数月が31日で偶数月が30日になってるのかな~と思ったら、8月からこの規則が逆転してるし、そもそも2月だけやけに短い28日になってるし、不合理の塊りですよ。
  実はフランスがメートル法を考え付いたのは、その前に暦を改革しようと思ったからなんですね。その動機はフランス革命で、フランス人特有の「合理主義」 で、グレゴリオ暦の各月の日数が不規則になっているのが気に入らなかった。そこで全月を30日とし、それだと5日余るので、その余った日は年末に固めてし まい、どの月にも属さないものとして全部休日にする、という過激なものでした。しかも「曜日」についても、一週間が「7日」というのが十進法から見ると半 端なので、これを廃止して、かわりに10日からなる「デカード」なるものを導入したんですね(フランス革命暦)。
 ついでに時間の区切りについても、1日を10時間、1時間を100分、1分を100秒と新たに定めるという「十進化時間」なるものまで提案した。
 ところがこの“暦法改革”は、あまりにもそれまでの習慣を破壊しすぎているということで民衆が付いて行けず、結局は取りやめになって、後に度量衡の改革案であるメートル法が発足するときに、フランス革命暦を正式に廃止することも同時に宣言されたそうです。
 ですが、よく考えると、グレゴリオ暦ってのは一見不合理ながら、微修正するだけで、結構合理的にできるんですよね、これが。
 まず、1年を何カ月に分けるべきかということの予断をまず捨てます。次に1年は365.25日なので、一番近い整数は365又は366ですが、それぞれ因数分解すると、
 365 = 5 × 73
 366 = 6 × 61
となって、73 も 61 も素数だからこれ以上分解できない。で、前者だと73という数字が中途半端過ぎてどうにもならないが、後者の場合は61を 30 + 31 と分けることができて、
 366 =( 6 × 30 )+( 6 × 31 )
と なって、これは、うるう年の場合は30日の月と31日の月を交互に12個並べればピッタリ1年になるということを意味し、例えば奇数月は30日、偶数月は 31日にしておいて、最後の12月だけうるう年以外は30日にすれば、現行のグレゴリオ暦のように途中から31日の月が連続したり、2月だけやけに短い 28日になるというような不規則もなくなるわけですね。このように、因数分解だけの理屈から1年を自動的に6あるいはその倍の12という月数に分割するこ との合理性が導かれてしまう。もともと「月」というのは天体の月の満ち欠けの周期として導入されたはずなのに、この月の満ち欠けとは全く無関係に1年を12カ月にするのが合理的であるという結果が出てしまうというのは、誠に不思議と言えば不思議なことです。
  このような合理性はちょっと考えればすぐにわかる話ですから、当時のフランス人も、暦に対してこの程度の微修正で済ませていれば、あるいは受け入れられた かもしれないのに(そしてそれがメートル法のような普遍暦として日本に入ってくればその合理性を我々も享受できたのに)、誠に残念です。
 前発言で日本人とアメリカ人の気質を比較しましたが、フランス人は合理性が大好きなくせに、それが時として無理な方向に暴走することがある、という特性もあるような気がします(数学の世界でもフランスは「ブルバキズム」という数学の徹底した合理性追求を流行らせましたが、これも暴走してブームが去りました)。


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