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”結びの郷” みやうち [熊野大社]

スベリヒユblog-20180711-purslane01.jpg元日の夜7時半からのNHK「日本人のおなまえっ!」に、かつて「秘密のケンミンSHOW」で「山形県民は雑草を食う」と話題になったヒョウ干しが取り上げられた。ただ、出てきたヒョウ干し料理が、人参やら何やらと一緒に海ヒジキ煮のような感じで、あれでは「食べられる」というだけで、おそらくヒョウ本来の味わいを出した料理とは言い難い。他のところでご馳走になったことはないが、わが家で昔から食べている経験から言うと、ヒョウ干しを食べてほんとうにおいしいと思えるのは、正月のあんこ餅などと共に食膳に並ぶカラシ醤油で食べるお浸しのはず。さらにもうひとつ違和感、「ヒョッとしていいことがあるように」と番組では言っていたが「して」は要らない。「ヒョッとええごどあるように」がほんとうだ。意味は同じかもしれないが語感もニュアンスもまるでちがう。「ヒョッとして」と言わされている(?)おばちゃん方が浮いて見えた。その後の七福神参りの話題に米沢女子短大の原淳一郎先生が出ていたので、おそらく米沢での取材がもとになっていたので、米沢と宮内の違いなのかもしれないが、ちょっと不満。

朝はたまたまNHK「超体感 熊野古道 神秘の旅」を見た。ラジオ体操をして10cmぐらいの雪を片付けてテレビを見たらちょうど始まったところだった。速玉神社までは行ったが本宮と那智社はまだ。これからいちばんに行きたいところはどこかと問われたらこの二社をあげる。それだけに本気で見た。最後のポイント那智大滝で終わるのかと思ったら、何と甦りの聖地として花の窟神社で締められたことに驚いた。花の窟神社については「宮内よもやま歴史絵巻」のNo.14「熊野大社に秘められたロマン」に書いた。大津家に伝わる「熊野神社縁起」に「紀州熊野有馬村峯ノ神社ヲ遷シ玉フ」とあり、そこから「ほつまつたえ」の松本善之助説を援用しつつ書いたのだった。↓
A4冊子天単019P [更新済み]熊野大社に秘められたロマン.jpg《 イサナミの神様は、わが子スサノオの神様が、とんでもない暴れん坊で世の中に迷惑をかけ通しなのは、もとはといえば月の汚血(おけ)の時にはらんだわが身の過ちであると思召しになりました。そうして民の汚穢隈(おえくま/わざわい)を御自からの身に受け、民を守ろうと熊野宮(隈の宮)をお建てになったのです。イサナミの神様は、ホト(女陰)を灼(や)かれて熊野有馬に葬られました。
  くにたみの おえくますべて みにうけて
        まもりたまへる いさなみのかみ (松本善之助)
 仏教が入ると、イサナミの神様には地獄の苦悩を救う大慈大悲の千手観音が当てられるようになりました。宮内熊野大社においても、明治のはじめの廃仏毀釈にもかかわらず、千手観音様だけは子(ネ)歳の神様として今も境内に祀られています。  
  『ほつまつたゑ』によると、イサナミの神様のお父さんはトヨケの神様といい、仙台多賀城を中心にした日高見国を治めていました。稲作文化を日本中に広めた 神様で、伊勢外宮に祀られる豊受大神のことです。『ほつまつたゑ』では、その御本霊は本貫の地東北に帰って祀られたことになっています。『ほつまつたゑ』 を世に広めた松本善之助は、その場所は出羽三山ではないかと言います。そもそも蜂子皇子は豊受大神と同神の倉稲魂神(うがのみたまのかみ)の導きで出羽三 山を開いたのです。
 一方、その娘イサナミもふるさとは東北です。その御本霊は父トヨケ同様、ふるさとに戻ると考えて不思議はありません。
『熊野神社縁起』の「紀州熊野有馬村峯ノ神社ヲ遷シ玉フ」の一文は、宮内熊野大社がイサナミの神様の御本霊の鎮まり賜う場所であることを告げているとは考えられないでしょうか。
 イサナミの神様は天照大神(アマテルカミ)のお母さんです。とすると、伊勢神宮の太々神楽がひそかに宮内熊野大社に伝わったのもゆえなきことではなかったのです。》
相生の松DSC_0716.jpg宮内熊野大社、若い人、若いカップルの参拝が増えてきた。主祭神がイサナミ神(=千手観音=熊野夫須美大神=熊野牟須美神)ということで「結び」の神としてアピールしたのが効を奏してきたようだ。「三羽の兎」をきっかけに全国に知られるようにもなったのも大きい。まだあまり知られていない「相生の松(妹背の松)」とリンクすれば、双松公園とも絡めて「結びの郷(さと)」としての可能性はまだまだこれから。テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」で初詣の正しい参拝方法を特集していたし、「日本人のおなまえっ!」でも歳徳神さまが出てきた。神道指令以来のマスコミ界における神道封印が一挙に解けつつある感じだ。昨年正月ゆく年くる年で宮内熊野大社から流れた大祓詞(13:58〜)がきっかけとなって世界が変わったと言いつづけてきたが、今年もNHKで大祓詞が流れていた。私の目が神道に向くようになった三十数年前を思うと隔世の感。イハトビラキ。今年の年賀状、双松公園夜明けの写真と佐佐木信綱歌碑「山のうへに朝の光のてりみちて金色の水かヽよひにほふ」に、「どんどん明るくなっています」と添えた。
茅の輪くぐり(大祓式)
茅の輪くぐりDSC_0794.jpg
年明けの参拝
元朝参拝DSC_0799.jpg害一祈祷DSC_0800.jpg
元日午後4時頃
鳥居の場からDSC_0805.jpg売店DSC_0812.jpgDSC_0813.JPG
1月2日朝、旧暦27日のお月様と明けの明星が超接近。晴れていたので日の出を拝もう双松公園に登ったけれども、あと一息のところで雲が広がって無念。霧氷がついたような雪景色がきれいでした。
DSC_0820.JPGDSC_0824.JPGDSC_0826.JPGDSC_0830.JPG
双松公園全景
DSC_0829.JPG
眺陽桜と熊野の森
DSC_0833.JPG

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