岡山行(2)岡山の空気 [メモがわり]
岡山に来るのはもう最後になるかもしれない、その岡山の空気をしっかり吸っておきたかった。そして十分吸うことができたこのたびの旅だった。ひとえにNの配慮による。感謝。
朝早く目ざめて、まだ真っ暗な中6時前に散歩に出た。Nはそのことを知らなくて、てっきり寝ているものと思い、7時に部屋の戸を開けてもぬけの殻にびっくりしたらしい。どこかで倒れていないかと本気で心配したという。その頃私は大神(おおが)神社の参拝を終えて帰途につこうとしているところで、そこに電話がはいった。あれこれ迷って道を訊ねながらたどりついた大神神社だったので「迎えに行こうか」と言われて助かった。まもなく奥さんが車で来てくれた。大神神社は見事に掃き清められた実に清々しい神社だった。参拝の方も何人かあった。地域に大事にされている神社であることを強く感じた。神社の附近には50年前の「私にとっての岡山」そのままの風景があった。
四御神(しのごぜ)の名は、元来四柱の神(大物主神、少名毘古那神、三穂津姫神、大穴牟遅神)が大神神社に祀られていることに由来するという。・・・で、いま「四御神」をネットで調べているうちに「備前車塚古墳」がこの四御神にあることを知って驚いた。というのも、「飯山一郎氏を送る会」で、志布志にあったという飯山蔵書が並べられてあって「遺品として自由にお持ち下さい」とのこと、そこで最初にゲットしたのが、小林惠子著『三人の「神武」』、なんとその帯に《「神武」は248年9月、東遷の途上、45歳で死んだ。その墓は備前車塚古墳である。》とあったのだ! そもそも小林惠子氏を知ったのは飯山氏による。5年前だ。《日本書紀は様々な古伝承を散りばめ,主人公・天武天皇の真実を隠すための歴史物語なのに,その日本書紀から天武天皇の年齢や人物像を割り出そうとしてきた 「記紀読み」たち…./その「記紀読み」のなかで最も優秀な研究者が小林惠子女史だ./彼女は,天武天皇の正体を「淵蓋蘇文」としたり,天智天皇より年長 で,さらに兄弟ではない!と述べたり…,大変な研究をされた方だ./しかし残念ながら,「それが何?」という研究だった.い や,天武天皇が高句麗王・淵蓋蘇文であるという別の物語をつくってしまった…./天武天皇は高句麗の王だった! こんな読み方(誤読)をしてもらう…,これこそが日本書紀の目的だった./普通の物語は,主人公の正体,人品骨柄,人となりを明確に描く.ところが! 日本書紀は,最大の主人公である天武天皇の正体をボカしにボカした./これは何故なのか? この謎を解き明かす読み方をしないと,日本書紀の秘密=日本国誕生の秘密は見えてこないのでR.》(◆2013/12/19(木)日本人なら日本書紀!(2))《新井信介氏の古代史論のベースは小林惠子史観だ,と.小林惠子は天武天皇の「謎」を必死で探ったが,何故に「謎」とされたのか?の探求は甘い.それこそが日本書紀の秘密であるのに….》(◆2013/12/17(火)2 情報:いろいろ さまざま)そのとき小林氏が昭和11年生れで岡山大学法文学部東洋史専攻卒であることを知った。そんなこともあってゲットしたこの本だった。車塚古墳のある龍の口山は、旭川対岸の玉柏から毎日眺めた山、今回「登ろうか」の話も出たが、かなりの急坂とのことで諦めたのだが、その時この帯に気づいていれば無理にも行ったかもしれない。
さて朝飯食べて朝風呂入って、なりっぱなしで誰も食べないという庭先の富有柿をおみやげにもいで、この日午前中限りの岡山体験、どう過すか。まずはこの近辺の神社巡り。備前八幡宮と備前総社宮を案内してもらった。そんなに大きい神社ではないが、どの神社も大切に守られているのがわかる。そうした岡山の風土、50年前にはまったく気づきもしないことだった。ふと、大晦日に家庭教師のバイト先に泊めてもらって初詣に行った黒住宗忠神社を思い出して行ってみたいと思ったがちょっと遠い。中原橋を渡って旭川を越え大学に向った。三野公園を過ぎて法界院から津島キャンパスへ。北津寮は跡形もない。もう大学寮はないのだろうか。寮に入ったことで学部横断、いろんな人間を知ることができた。農学部のNもそう。完全自治がタテマエの寮、食堂の炊婦さん探しに汽車で県北まで行って職安回りをしたこともあった。寮の思い出は限りない。
大学構内、あらかた建物は新しくなっても学部配置はそのまま、かつては法文学部、今は文学部。トイレを借りたついでにと、4Fの哲倫研究室、思い切って先輩気分でノックしたら3回生というO君がひとり。近世の日本思想史がテーマとのこと。ちょっと話して「もっとゆっくりして下さい」と言われたが「友人が待ってるから」と出たら、隣室の教授在室。また躊躇いつつノックしたら気持ちよく迎えていただいた。本村昌文教授、東北大で23年間仙台で過されたとのことで一挙に親近感、帰り際「先生、もし御本があれば」と言っていただいたのが『いまを生きる江戸思想 十七世紀における仏教批判と死生観』(ぺりかん社 2016)の大著。後で見たら、おもしろそうだが難しそう、でも「読んだら感想書きます」と言ってきたので、これは宿題。研究室の空気を吸ったことでちょっと学究気分になって、待ちくたびれたNの車に戻った。大学の中に行ってみるというのは考えもしないことだった。O君、先生ありがとう。
そして締めは玉柏と牧石小学校。6年前、息子に廻ってもらった時にはあった借家はもう車置き場に変わっていた。母屋はそのまま。メジロの群れが来る柿の木も。C11が走っていた玉柏駅も懐かしい。案外昔のままの玉柏だった。
Mさんが待っていてくれる牧石小へ。Mさんの家は学校のすぐ裏だった。弟のTちゃんと、やはり2CのKさんとその弟K坊、学校が終わると必ず毎日校庭に来て遊んでいた。そのMさんがいま、その学校の教務主任。そう、明日11月30日開催される全国小学校家庭科教育研究会の公開研究校になっているとのことで、校内にはなんとなく緊張感が漂っていた。全国から200人も集うという。がんばれよ。・・・それから、あの有森裕子さんが牧石小の出身。私が担任した同じ学年にお兄ちゃんがいた。有森さん関連の展示がありました。
そんなこんなで、吸いたかった岡山の空気、十分に吸うことができました。N、ありがとう! そしてお会いできたみなさん、ありがとう! いわゆる「青春」の8年間すごした岡山に、またかけがえのない思い出を刻むことができました。
大手まんじゅうは、私が大好きなのを知っている女の子3人からいただきました。感謝。
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