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mespesadoさんによる1億人のための経済談義(26) 「小さな負担で大きなサービス」! [mespesadoさんによる1億人のための経済講]

当面しなければならないバタバタに追われて、mesさんの大事な議論のいくつか取り上げ損ねたのが気になりますが、今日の議論は重要です。

《現在の日本では、いくら通貨を発行(100兆円規模)して回収が少なく(50兆円規模)ても一向にインフレにならないわけですから、大きなサービスを小さな負担で提供することが可能です。つまり、大きなサービスのために「大きな政府」を選ぶか、小さな負担のために「小さな政府」を選ぶかという「究極の選択」をする必要がないから、両者の対立の図式にはならないのです。ですから、日本政府は、これらのいいとこどりをして、堂々と小さな負担で大きなサービスを提供すればよい。そして、今日の政治でこれを妨害しているのが、他ならぬ財務省だ、というわけですね。しかも大半の国民がこのことに気づいていない、ということが最大の問題なわけです。》

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377:mespesado :2018/08/02 (Thu) 23:21:09
host:*.itscom.jp

お悔みスレの #219
http://grnba.bbs.fc2.com/reply/16507984/219/
で、「安倍マンセーにがっかり」とか言っている人たちに

> 「安倍マンセーにがっかり」とかいう人がやたら出没して捨て台詞を残
> していくけど、じゃあ安倍政治でなくてどういう政治をすれば「世の中
> がよくなる」と思ってるの?

と質問を投げかけたところ、部外(5ちゃんねる)の方から次のようなリプライを戴きました:

> これの答えは全部、秋嶋亮(響堂雪乃)の本に書いてある。要は安倍政
> 治は市場原理主義(小さな政府)のテクストそのまんま。これは世界
> 中で失敗して成功例ゼロ。確実に破綻する。だから正反対に北欧型の修
> 正資本主義(大きな政府)をやればいいつうこと。もっとも放知技住人
> の「お子様脳」じゃ理解できないだろうよ。

  ここで、いわゆる「大きな政府」という言葉が出てきます。これは、Wikiによれば、「政府・行政の規模・権限を拡大しようとする思想または政策」のこと で、「政府の市場への介入を強化し、社会の平等・均等と個人への高福祉、更には完全雇用を重視する反面、個人の様々な自由への制約や規制・官僚・国家運営 コストの肥大化や保護貿易主義に繋がり易い政策・国策に走りがちになる。行政府の一形態であり、大きな政府を極限まで徹底した体制は共産主義ともいう。」 とあります。
 さて、実は5ちゃんねるでのこの答は、予想できたものの一つです。なぜなら、私がよく引き合いに出しているウルトラ・サヨクのkojitakenさんが、既に2012年の衆院選挙で自民が圧勝したときのブログ記事で同じような主張をしていたからです:

きまぐれな日々(2012.12.17)
最悪の結果となった衆議院選挙。今後の活路を見出すために
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1282.html

> リベラルな政治勢力を構築する場合、特に「サービスの大きな政府」を
> 明確に主張することが必要不可欠だろう。民主党にしても日本未来の党
> にしても、間違ってもそんな政党ではなかった。昔から「減税」があた
> かも「庶民の味方」の政策であるかのような誤った考え方がこの国には
> 蔓延しており、日本未来の党にも減税日本からの合流組が加わっていた
> が、このような間違った認識は一刻も早く捨て去るべきだ。もちろん、
> 減税日本のような政治勢力を仲間に引き入れてはならない。

とあるとおりです。
 さて、「大きい政府」というのが単に「サービスの大きな政府」であるというだけなら大歓迎ですが、「大きなサービスを提供するなら大きな負担も伴う」というのがこの主義主張の特質です。上記の引用部分でも、減税などもってのほかのように書かれているのがその証拠です。
 これに対して「小さな政府」というのは、減税などで少ない負担で、そのかわり国にサービスを多く求めないとする主義主張で、種々の規制を徹底的に排除する新自由主義的な政策は、まさに「小さな政府」の典型といえます。
  さて、私はかつて、「社会主義」というのが、基本的に「資本家」と「労働者」の対立において、後者を優先するという主張であり、これが本来のリベラル的主 張だったけれども、このような対立自体が高度成長期に特徴的な現象であり、供給過多で企業の存立自体が不安になってきた今日では、労使は対立でなく協調路 線になってしまったため、従って「社会主義」そのものが流行らなくなってしまった(社民党が泡沫政党になったことはその表れ)ということを述べました。
 さて、私は、今の日本では、「資本主義」と「社会主義」の対立が意味を失ったのと同様に、実は「大きな政府」と「小さな政府」の対立も意味を失ったと考えています。
 なぜなら、この両者の対立には「大きなサービス」には「大きな負担」が必要だ、ということが自明の前提になっていますよね。これ、本当に自明ですか?ということなんです。
 WIKIBOOKS に、中学校社会 公民 の分野として次の項目があります:

「大きな政府」と「小さな政府」
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%A4%BE%E4%BC%9A_%E5%85%AC%E6%B0%91/%E3%80%8C%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%B0%8F%E3%81%95%E3%81%AA%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%80%8D

> 「大きな政府」と「小さな政府」

> 財政支出を行うには、財源となる税金を取らなければいけません。税金
> を取らずに、財政を大きくすることは出来ません。

> 大きな政府

> スウェーデンなどでは、医療や介護などの福祉が手厚いかったりします
> が、かわりに税金を大きく、消費税は20%をこえています。このような
> ことを福祉の面から考えた「高福祉高負担」(こうふくし こうふたん)
> という言葉があります。

> なにも医療や介護だけに限らず、国の公共サービスや公共事業が大きけ
> れば、その分、税金の負担は重くなります。 政府の財政支出の規模が大
> きくなれば、その分、税金は重くなります。 スウェーデンのような、た
> とえ税金が重くなっても、国の公共サービスなどを手厚くするべきだと
> いう考えを 「大きな政府」 と言います。

> 小さな政府

> アメリカは政府の支出を最小にとどめるべきだという考えにたち、個人
> の責任に多くをゆだねるという考えにたっています。このような国の財
> 政では、税金は小さくなりますが、国の公共サービスも小さくなります。
> 政府の支出を最小にすべきだという考えを 「小さな政府」 と言います。

 私の今までの解説記事になじんだ人にとっては、冒頭の一文から突然ズッコケると思います。「財政支出を行うには、財源となる税金を取らなければいけません。」← おいおい、お前財務省の回し者かよwww
  つまり、ここでスウェーデンの例が掲げてありますが、要するに、現在の日本以外の国、すなわち供給が需要を大幅に上回っていない普通の国では、たとえ自国 政府に自国通貨の発行権があっても、通貨の供給が増え過ぎればマネーサプライが増えすぎてインフレになるので、増やした通貨を税金で回収しなければならな いため、大きなサービス(=大きな政府支出)には大きな負担(=大きな通貨の回収)が必要になる、というわけですが、何度も説明してきたように、現在の日本では、いくら通貨を発行(100兆円規模)して回収が少なく(50兆円規模)ても一向にインフレにならないわけですから、大きなサービスを小さな負担で提供することが可能です。つまり、大きなサービスのために「大きな政府」を選ぶか、小さな負担のために「小さな政府」を選ぶかという「究極の選択」をする必要がないから、両者の対立の図式にはならないのです。ですから、日本政府は、これらのいいとこどりをして、堂々と小さな負担で大きなサービスを提供すればよい。そして、今日の政治でこれを妨害しているのが、他ならぬ財務省だ、というわけですね。しかも大半の国民がこのことに気づいていない、ということが最大の問題なわけです。
  初めの問題に戻ります。今の安倍政治を排して「大きな政府」に転換すべきですか?答は当然に No ですね。そんな遠慮はせずに「小さな負担で大きなサービス」を目指せばよい。そしてそれが実現できないのは、何も安倍政権のせいではなく、大多数の国民の 思い違いに便乗した財務省のせいだ、ということがわかると思います。そしてこのカラクリに全く気付いていないとしか思えない、自民党の他の総裁候補達や野 党など論外です。

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