宮内盆踊り大会 [地元のこと]
昨晩は盆踊り大会。8月に入って天候がパリッとしない今年の夏。この日も朝から曇り空で太陽が顔を出すことはなかった。一時小雨がちらつくこともあったが本降りにはならず、踊るには暑くなくていいコンディション。
29年度盆踊り予算687,221円のうち、地区で集めた地域振興費(1,050円×2,172戸= 2,280,600円)から盆踊り協力金として62万円を拠出。地区長会長が実行委員長の形。実質の運営は熊野若連が主体の宮内青年会(横山力也会長)。運営主体は変遷があり、30数年前は宮内商工会青年部会が仕切っていて、実行委員長を務めたこともある。当時は熊野の森の下、宮内小学校グラウンドで、15.16日ニ日間の開催。時間無制限で一晩中踊り明かそうという勢いで始めたら、10時ぐらいに歌い手さんから「参った」と言われてそこで終った。盆踊りに新しい風を、ということでジャズダンスグループに呼びかけて踊りを今風にアレンジしてもらったりもした。そのジャズダンスの中心メンバーが、20歳になったかならない丹波恵子さんだった。あの頃はいろんなグループが繰り出して町中人でごったがえしたものだった。粡町では藤屋菓子店(現アリス)が氷水のお客さんでにぎわった。もう遠い思い出だ。
NCVの取材を受け「いつから始まったのですか」と問われたので「まちがいなく江戸時代から」と答えた。宮内盆踊り唄の歌詞に「踊り踊れよ熊野の森に 月もまんまる 輪をえがく」「踊り見よとて秋葉の山に 丸い顔出す お月様」とある通り、盆踊りは十五夜の晩(旧暦7月15日)、月明かりの中で開かれていたのだ。太陽暦になって日本人の季節感覚はすっかり狂わされてしまった。盆踊りは自然に寄り添って暮らしていた時代からの大切な行事だった。その思いがあって「まちがいなく江戸時代から」と強調した。実行委員長としての挨拶、「今日は宮内に1年中でいちばん人が集まっている日。その上この盆踊り会場には、宮内五千年の歴史に関わる多くの御先祖も来ておられる。その思いをもって思いっきり踊りましょう!」
宮内七夕の晩、吉田要蔵さん(通称要ちゃん、昭和9年生)に盆踊りで歌ってくれるよう頼んでいた。なかなか来ないのであきらめていた頃、粋なTシャツ姿であらわれたので一緒に舞台(櫓)に上がった。最後の踊りは15分超、竹川さんの熱唱がすごかった。録音したのでアップしておきます。
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【追記 29.8.17】
NCVニュースで放映なりました。
https://www.youtube.com/watch?v=Xh6noAHBezA&feature=youtu.be
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