SSブログ

オミコクづくり [熊野大社]

08-DSCF6936.JPG今年のハコバヨイ、80歳(72781歳になる)の頭取が十数年ぶりに箱を負った。そして私が、納所長の片平仁君とともに箱添(ハコゾエ)の役を務めた。本来は屈強な納所(ナッショ)の役割だ。片平君にしても60歳。彼は代々獅子冠事務所員の家柄で、若い頃は農青会員として参加、親が病いを得た十年ぐらい前から親に代わって事務所に入った。空白期間はあるが、獅子冠事務所のかつての形についてだれよりも知っている。屈強とは言えないが、農業と長距離選手としてならした体をもち、頼りになる。それにしても二人あわせて130歳のハコゾエ出現をだれが予想し得たか。箱を負う頭取とあわせると210歳。そこに至るにはそれなりのドラマ(葛藤)があったのだが、それにはふれない。

 

ハコゾエには若水汲みという重要な役割がある。ハコゾエはかつて23回務めたことがあったが、屈強でもなんでもない私には遠い役割だったので、25日早朝の若水汲み、そしてその若水を使ってのオミコク(黒豆フカシ)づくりについてもほとんど経験がない。それを今年はつぶさに経験(観察)、記録できたのがありがたかった。

 

以下、黒江太郎著『宮内熊野大社史』(昭和51年)の「オミコク」の項。

 

*   *   *   *   *

 

若水汲み.jpg 短い夏の夜空は白みかけ、七月二十五日の朝をむかえる。この日の明けあけに、頭取は納所のものをしたがえ、白木の手桶をもって大清水のミタラシから若水くみをする。頭取の行事はつぎから次とつづいて休むひまも無いほどである。若水を神社にもちかえり、その水で糧米五升に五介の黒豆をいれて黒豆フカシをむす。黒豆フカシをオミコクという。オミコクをつくるのは六供衆の仕事である。獅子の宝前にオミコクをそなえ、頭取は獅子の頭にさらに三枚のオシダをかぎりつけ、神酒でお顔洗いをして朝の祈祷をあげる。

 六供の衆は立場の神社にそなえる供物をつくらなければならない(今は恩地家ひとりでやっている)。供物は丸曲(マルマゲ)と角曲(カクマゲ)にいれる。丸曲にはオミコクと餅を小さく切って二こいれる。角曲には副食の菜を盛る。丸曲と角曲をくみあわせて白紙でつつみ、スゲの草でむすんで御幣をたてる。江戸時代の記録に「守物.ゆえ」とあったが、この丸曲と角曲のことである。角曲には、青杉菜を敷いてそのうえに、山イモ・葉ヒョウ(「オトコヒョウ」という)・スモモ・山ユリ・ツタ(「タビラッカ」という)・ワカメ(今は入れない)・トコロの品々を盛りあわせる。この七くさの品をみても、大社の古い歴史をうかがうことができる。

 丸曲と角曲のほかに、若水をくむ五升桶、大曲をのせる三宝二台、直会につかう本膳木皿を総称して木具(キグ)という。これらの本具は上杉藩の藩費で調達され、上杉家の曲師剣重家が毎年おさめた。維新後もそのまま続けられ、同家が山形市に移住ののちも従前どおりに継続したが、昭和二〇年大戦のさなかに剣重吉太郎氏の代に中止された。神社ではこれを惜み、復活することになっている(復活していない)

 

*   *   *   *   *

 

10-DSCF6938.JPG11-DSCF6939.JPG

 

 

 

 

 

 

16-DSCF6945.JPG19-DSCF6948.JPG20-DSCF6949.JPG22-DSCF6951.JPG24-DSCF6953.JPG23-DSCF6952.JPG24-DSCF6953.JPG25-DSCF6954.JPG26-DSCF6955.JPG27-DSCF6956.JPG28-DSCF6957.JPG30-DSCF6959.JPG31-DSCF6960.JPG32-DSCF6961.JPG


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。