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大岡信氏の訃報に接して(3) 脈打つ世界 [思想]

先の質問の後さらに調子に乗って、まったく酔っ払った勢いに違いないのだが、大岡氏のこの話を聴いたら、おそらく今の自分でも同じ問いを発したのではないかと思える質問をやっていた。それに対する大岡氏の答えがいい。地球ってのは全体が息してますから、こうやって。宇宙も息してる。》これは、ちょうど今、私がいちばん関心を向けている栗本慎一郎氏の、「社会は比喩でなく生命そのものである」論に重なる。また、最初の日本人の叙情的な表現が結集した時代》である八世紀論から説き起こされた話は、大岡氏の大局的歴史観がわかってうれしい。さらに、(敗戦によって)ペシャンコになった筈なのに、四十年足らずの間に、ある種の分野では全世界をリードする立場になってトップを走ってる。文学の方が後れているけれど、文学はあと数十年の内にすごく仲びると思うんですね。》それから30年経ったわけで、このことを大岡氏はどこまで確認して逝かれたのだろうか。ともあれ、その時はどの程度理解したか定かではないが、今読んでみて、こういう答えを引き出した当時の自分を褒めてあげたい気持ちになった。記録に残してくれた「週刊置賜」にあらためて感謝したい。

 

*   *   *   *   *

 

日本の詩歌を語る

「言語の神秘性」 


進化の同時性も

 ——もう一つ、大岡さんにおたずねしたいのは、イルカと人間の言語についてです。人間は本来、イルカの感覚を持っていたのではないか、と思う事があったものですから。実は、サルの話で、宮崎県の幸島のサルが芋を洗い始めた、これはもう、文化人類学者が見た画期的な初めてのことだった。ところが間もなく、全国のあちこちで、サルが芋を洗い始めた。これは全然言語の交流は無い訳です。にもかかわらずこういう事があった、どうも人間にも、言語だけではなくて.イルカ的なものがあるんじゃないか、と思うんですが。

 大岡 えぇ、サルが水で芋を洗うっていぅのは、確かテレビジョンでやっていて、非常に面白い映像だったんで僕も良く記憶していますけど、どうでしょうね。本来、あゝいうのは。通信はしなくても勣物の進化っていうものには、ある同時的な波があるんじやないかっていぅ気がするんですけどねえ。

 例えば、こういう事があるんです。紀元でいえば八世紀.日本では万葉集などに、最初の日本人の叙情的な表現が結集した時代なんてすね。同時に壬申の乱その他大分内乱もありましたけど、戦争があると、その国の文明は進んじやうんですね。実に矛盾ですけど。

 で、その頃、天智、天武天皇の時代に、日本の天皇制っていうのは、本当の意味で確立された。つまり.中国から律令制度っていうものがガッチリと入って来た訳です。

法的国家の確立

 八世紀、中国から律令制度というものが入って来て、日本の天皇制というのは本当の意味で確立された。

 律令というのは刑法と、憲法みたいな国家の基本を表わす法律ですね。それが中国から入って来た。その為にどういう事が起るかっていうと、社会的に階級制度がガッチリ出来ちゃう。

 階級制度が出来る事によって、苦しむ階層と富む階層と出て来る訳ですけど、同時に社会全体のエネルギーが非常に高まるんですね。いま、そんなに細かいことは言いませんけど、例えば貴族階級でも、今までは名前の無かったような人に全部官職が与えられ、その官職がそのまま姓になったりする。そうやって一人ひとりの役割が、はっきりと目に見えるようになる訳です。そうすると、皆、励むようになるんですね、なぜか。

 それで、天武天皇の時代に、そういう意味での基本的なものが出来上がって来る。そして、桓武天皇から嵯峨天皇の平安期の最も初期の時代に、律令にプラスして格式(きゃくしき)というものが出来てくる。格と式というのは.律と令よりももうちょっと細かい、人々のひとりひとりに適用されるような法律で、律令と格式か出来たことによって、平安時代、日本は完全に法治国家になったんですね。そういう意味で言うと、八世紀というのは日本の文化に於て大変大きな時代であるということが言えます。

地球全休が脈動

 ところがこれは、全世界的に言ってもそうなんですね。全部がそうという事は無いんですけど、中国なんか、とうの昔にそういう法律はありましたけど。しかし八世紀っていうのは、文化的に言うと大変に大きな時代なんです。まあ、李白とか杜甫が出たのはもっと

前ですし、白楽天もほとんど同世代ですけど、その後、唐の文化が本当の意味で成熟して、やがて爛塾して滅びる訳です。その時代が八世紀ですね。

 インドもそうですね。それからヨーロッパでいうと、八世紀というのは、最初の中世的世界が非常に大きく発展して広がる時代ですね、キリスト教を中心にして。

 それらの間に、どこかにつながりがあるように見えて、つながりが無い部分が一杯ある筈なのに、同時的に地球全体が脈動する訳ですね。鼓動を打つ訳です。その大きな鼓動を打つ時代というのは、百年、二百年毎位に起る訳ですね。

 サルにもそういうことがあるんじやないですか。詭弁のようですけど、僕はそういうことを信じているんですね。地球ってのは全体が息してますから、こうやって。宇宙も息してる。

日本の歴史では

 日本の歴史で言えば、七世紀八世紀に、最初のものすごく文化的にぼう大なエネルギーが生まれた。それから一世紀、古今和歌集や何かが生まれた時代ですけど、ここから紫式部の活躍する十一世紀にかけてですね、この間が百年位、ものすごくパッと又ふくらむんですね。これは唐の影響を切り捨てて、日本だけでふくらもうとして、そうなった訳です。

 それから後、また二百年位たって千三百年から千四百年位になると、新古今和歌集が出来る時代で、この時代は同時に、平家物語とか太平記とか、そういうものが沢山書かれた時代で、これは文学的に言って非常に大きな時代ですが、これはやっぱり戦争があって、

階級的な入れ善えがあった訳ですね。貴族階級が没落して、武士(さむらい)階級が興って来た。この時代に文化がワッと広がる訳です。

 そして十五、六世紀になると、ヨーロッパではルネッサンスですけど、日本でもルネッサンスが起る。これが室町時代の始まりですね。そして室町時代がワアーッと広がって、外へ向って非常に開いた訳ですね。それが江戸時代になってパタッと閉じちゃったけれど

も、それで駄目になったかというとそうじゃない。江戸時代は三百年間太平だったから、その間に文化的な蓄積がものすごくありまして、十七世紀から十八世紀あたりの江戸時代というのは、すごいですね。

文学は後進する

 これは大体、全世界的に言って同じような時代にふくらんでいると思うんです。ですからで百年二百年位の周期を置いて大きな息をしているような気がしますね。十九世紀、二十世紀の日本というのはものすごく膨張した。軍事的にも膨張して植民地主義、帝国主義

でやったからパシャッとやられましたけど、ペシャンコになった筈なのに、四十年足らずの間に、ある種の分野では全世界をリードする立場になってトップを走ってる。文学の方が後れているけれど、文学はあと数十年の内にすごく仲びると思うんですね。

 そういう意味で言うと、サル社会も、やっぱり知的に膨張する時期があるんじやないかと思います。(終)

  


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